第52話:BIG LOVE
案内された部屋は、城の廊下の奥にある小さな応接室だった。
豪華すぎず、しかし調度品の一つひとつに品がある。革張りの長椅子、重厚な木のテーブル。窓の外からは、まだ遠く祝祭の喧騒が聞こえてくる。
「しばし、こちらでお待ちくだされ。陛下のご準備が整い次第、改めてご案内いたします」
オルドランがそう言い残して、部屋を出ていった。
俺はリュックをそっと床に置いた。
ミーがするりと這い出して、長椅子の上でぐるりと一回転する。フーはミーの近くに漂い、ヒーは窓の外を見ていた。
(国王陛下に会う、か……)
緊張しないといえば嘘になる。
しかし今すぐではないとわかっているせいか、心構えができつつあった。
どれくらい待っただろう。
扉がノックされ、オルドランが戻ってきた。
その手には、カップが一つ。
香りが漂ってくる。
俺は思わず鼻を動かした。
(……この香りは)
知っている。間違えるはずがない。
「もしかして……」
「その……出せるようになったのだ。あの黒いエキスが」
「ええ……?」
俺は目を見張った。
オルドランは照れ臭そうに、しかしどこか誇らしげに続ける。
「最初は、ただの水だった。あのエキスが飲めたらと、毎日念じていたら……いつの間にか、黒い液体に変わっていた」
「そんな力が……」
俺が呆然と呟いた瞬間、脳裏に閃くものがあった。
(あっ……)
元々あのエキスは、ヒーが再現してくれていたもの。そして、オルドランはヒーから、レベルを譲渡された。
ということは――
「ヒー、もしかして……」
「……まあ」
ヒーは窓の外を向いたまま、短く返した。
「そういうこともあるわね」
素っ気ない口調だったが、否定はしなかった。
オルドランはカップを俺に差し出した。
受け取って、口に運ぶ。
「……」
コーヒーだった。
紛れもなく、上質なコーヒーそのもの。
香ばしさ、わずかな苦み、そして鼻に抜ける芳香。淹れたての熱さが、舌の上に広がる。
「美味しい……です」
「ああ……よかった……!」
オルドランが、ほっとしたように表情をほぐした。
俺も思わず笑みがこぼれる。こんな異世界の城の応接室で、騎士団長によるコーヒーが飲める日が来るとは思っていなかった。
しかし、オルドランの表情がすぐに、少し改まったものに変わった。
「ヤマダ殿、一つ気づいたことがあるのだ」
「何でしょう」
「……違うのだ」
「はい?」
「ただ黒いエキスを飲んでも、ヤマダ殿たちと過ごした、あの場所で飲んだときの……得も言われぬ体験や感動とは」
オルドランは言葉を探すように間を置き、それからはっきりと言った。
「駄目なのだ、ヤマダ殿。この場所で一人飲むだけでは」
(……えーと、この人は、いったい何を言っているんだ?)
「ヤマダ殿たちと、あの場所で、共に体験したあの特別な空間。それこそが、特別な喜びだったのだと。そのことに、気づいてしまったのだ……」
悟りを開いた哲学者のように、ゆっくりと彼は言った。
(……あのー、あなたはコーヒーチェーンのCEOか何かですか……)
「良かったら、その……またあの場所で、ヤマダ殿の黒いエキスを、いただいてもいいだろうか……?」
頬が、わずかに赤い。
(え、なんだこれは、プロポーズ?)
俺の脳内に、なぜか勝手にイメージが浮かんだ。
陽光の差し込む部屋を背に、頬を染めながらこちらを見つめる騎士。そんな一場面が、ぴたりと静止していた。
そして、二つの選択肢が浮かび上がっている。
A:はい。こちらこそ、喜んで……
B:ごめんなさい……あなたの気持ちには、応えられません。
(いやいやいや、違う違う違う! これはBLか!? 年齢的にも色々と無理がある!)
俺は頭に浮かんだ謎の映像を振り払った。
「あぁ、申し訳ない! こんなことを言うなんて、変だっただろうか……?」
オルドランが我に返ったように頭を掻いた。俺も我に返った。
深呼吸をして、落ち着く。
「ああ、いえいえ」
俺は素直に答えた。
「またぜひ来てください。待ってますから」
「ヤマダ殿……!」
(あれ……? 良かったんだよな、これで)
「では、私の分も持ってきます。少し席を外しますが、どうぞくつろいでくだされ」
そう言って、オルドランはまた部屋を出ていった。
俺はカップを両手で包んで、ふうと息をついた。
(ところで……)
ふと気になって、ヒーに視線を向けた。
「今さらなんだが、うちの拠点のエキス。あれどうやって出してるんだ?」
「ああ、あれ?」
ヒーはさらりと答えた。
「滝が流れるイメージで、念じたら上手くできたわ」
「……え、それだけ?」
「ええ、それだけよ」
俺は少し間を置いた。
(うわ……ヒー、意外と感覚派だったのか? 魔法ってそんなものなのか……?)
絶対に人にものを教えるのに向いていないタイプだ。
「ヤマダ、なんか言った?」
「いえ、なんでも」
読心術まで使えそうで怖い。
「ちなみに今、拠点のエキスはどうなってるんだ?」
「止まってるわ」
「え?」
「私がいないから」
「……ああ、そういうことか」
つまり、俺たちが出かけている間、あのテラスではコーヒーが一滴も出ていないということだ。
以前、「セルフサービスで提供します」とか言ってしまった気がするが、ヒーがいなければ何も出ない。
せっかく足を運んだ騎士団たちから「詐欺じゃないか」と訴えられたら、間違いなく負ける。
そんな下らないことを考えていたら、扉が開いた。
オルドランが戻ってきたようだ。
手にはボトル状のものが握られている。
「いやー、皆さんと飲むのが、一番の喜びです!」
晴れ晴れとした笑顔で言いながら、テーブルにボトルを置く。
俺はそこで気づいた。
(デカすぎる……!)
その筒の中に、あの液体が入っていた。大きいにもほどがある。
たしか、アメリカで買える一番大きいサイズって、これくらいあるんじゃなかろうか。何かの雑誌で見た記憶がある。
しかもオルドランは、それをハイペースで飲んでいる。
(口の中、火傷しないのか……)
思わず心配になるが、まあ、楽しそうなので何よりだ。
俺はオルドランお手製のコーヒーをもう一口飲んだ。
そばに目をやると、ミーとフーが静かにテーブル横で戯れていて、ヒーは窓辺で外の様子を見ている。
穏やかな時間だった。
王都の喧騒が、遠く窓の外で続いている。
ふと、視線を感じた。
部屋の入口に、正装をした男性が立っていた。こちらをじっと見ている。
白い手袋、整った立ち姿。明らかに、ただの来訪者ではない。
「あ……あの方は?」
俺が小声で聞くと、オルドランが振り返り、大きなカップをゆっくり下ろした。
「あ、ああ……執事の者だ。王とのやり取りをつなぐ役目を持っている」
ほんの一瞬、目が泳いだ気がした。
「一旦、私は失礼させていただく。彼から話を聞いていただけるだろうか? 私はまたあとで来ますので。それと、皆さんのことはすでにご存じですので、ご心配なく。それでは」
そう言ってオルドランは部屋を出ていった。
(ヒーフーミーたちのことも、伝えてくれたんだな、良かった。それにしても……オルドランさん、一緒にいてくれないのか……)
思わず心細くなりながら、俺は立ち上がった。
執事と目が合う。
その表情は穏やかだった。
穏やかなのだが――ただ、妙に視線が鋭い気がした。
執事という役割にしては、まとう雰囲気が静かすぎる。なぜか、部屋の空気が少しだけ張りつめた気がした。その表情からは何も読み取れなかった。
俺は深呼吸をしてから、執事に声をかけた。




