第42話:No One Is Alone
クレメルの視線の先の小さな棚。そこには布が敷かれ、一つの小さな『宝石』が鎮座していた。
それは他とは明らかに放つ存在感が違っていた。
「……宝石、ですか?」
俺がそう呟くと、クレメルは深く頷き、その棚から石を丁寧に取り出した。
「ええ。ヤマダ様、よく見てください。この石の不思議なところを」
クレメルが、店内のランプの光をその石に近づけた。すると、深い深緑色をしていたはずの石が、光の角度が変わった瞬間、鮮やかな赤紫色へとその色を変えたのだ。
「えっ……?」
俺は思わず身を乗り出した。太陽の光の下では森のような深い緑、そしてロウソクや魔法の灯りの下では燃えるような赤、あるいは高貴な紫へと変化する。その劇的な色彩の変化は、見る者によって色を変える、幻想的な美しさだった。
「どうです、この美しさ。この色の変化が、今、王都を中心に、冒険者たちの間で凄まじいブームになっているのですよ」
クレメルは、その石を愛おしそうに眺めながら話を続けた。
「私が先日、王都へ仕入れに出向いた時のことです。この宝石が市場に並んだ瞬間、冒険者たちがこぞって買い求め、あっという間に売り切れてしまいました。話を聞きつけた連中が店に押し寄せ、『次の入荷はいつだ』『今度持ってきたら、今の2倍、いや3倍の値段で買う』とまで言い出す始末でしてな。確かに綺麗な宝石ですが、正直、私のような商人からすれば、なぜこれほど高値がつくのか……と首を傾げるばかりですよ」
「でも、宝石なら他にも高価なものはありますよね」
俺の疑問に、クレメルは肩をすくめて答えた。
「それが、私にもよく分からんのですよ。ただ、買い求めていく者たちは、時折これを『ミネルヴァ様の宝石』だと言っておりましたな」
「ミネルヴァ様……?」
聞き慣れない名前に首を傾げる。この国の有名人か何かだろうか。まるで、芸能人が身につけているアクセサリーを、ファンがこぞって欲しがるような、そんな熱狂を感じる。
「ええ。なんでも、一部の女性冒険者たちの間ではそう呼ばれているようです。ところが面白いことに、男性の冒険者たちもこれを欲しがりましてね。彼らはこれを『死神の石』だと呼んでいたり、かと思えば別の者たちは『女神の石』だと言って拝んでいたり……。正直、呼び名がバラバラで、私には何が何だかさっぱりです」
「死神に、女神……。随分と極端な呼び名ですね」
「ええ。ですが、とにかく彼らにとっては重要な価値を持っているようなのです。もはや一種の信仰のようなものですな」
クレメルは困ったように笑った。理由はどうあれ、この色を変えるという珍しい特徴が人々の想像力を掻き立て、熱狂を生んでいることだけは確かだった。
しかし……。光の角度で色が変わる、この石。俺は、この感覚に強烈な既視感を覚えた。
(待てよ。昨日、みんなで行ったあの場所で……)
俺は自分の記憶を必死に手繰り寄せた。昨日の午後、ミーとフーがはしゃいでいた、あの滝のある浅瀬。そこで俺がふと拾い上げた「綺麗な石」。あの時、俺の指先で確かに色は変化していたはずだ。
俺は慌てて自分のポケットを弄った。ヒー、フー、ミーたちと出かけた時に、綺麗だからという単純な理由で、無意識に放り込んだままにしておいたはずだ。
「……あった」
指先に触れた、少しひんやりとした感触。それを取り出し、クレメルの店のランプの光にかざしてみる。
深緑から、赤紫へ。クレメルが見せてくれた「ミネルヴァの石」と、全く同じ劇的な変化を遂げた。
「ヤ、ヤマダ様! それを、どこで……!?」
クレメルが、今日一番の驚きを露わにして声を上げた。身を乗り出し、俺の手の中にある石を凝視している。
「あ、えーと……この間、少し遠出した時に、河原で見つけまして。似ているなと思って、つい……」
俺の言葉に、クレメルの目が商人のそれへと変わった。
「ヤマダ様……ぜひ、私にお譲りいただけないでしょうか。この石……『金貨2枚』でいかがでしょう」
「き、金貨2枚!? クレメルさん、この小さい石がですか?」
俺は思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。昨日何気なく拾ったこの小さな石ころ一つで、金貨2枚も手に入るというのか。
「ええ、今の状況を考えれば、それだけの価値は十分にあります。ヤマダ様にはいつもお世話になっておりますので、本当はもっと高い値を提示したいのですが、需要が流動的でして」
「いえ、そんな! クレメルさんにはいつもよくしていただいていますし、これでよければぜひ!」
「ありがとうございます! いやはや、それにしても、ヤマダ様も人が悪いですなあ。最初からこれをお持ちだと言ってくださればよかったのに!」
クレメルは心底嬉しそうに笑いながら、手続きを進めてくれた。その様子を見ながら、俺は冷や汗を拭った。本当にただの石だと思っていたのだから仕方がない。
「もし、また見かけたらぜひお声がけを! しかし、ヤマダ様のお持ちになるものは、いつも驚きに満ちていますな」
クレメルに丁寧に見送られ、俺は店を出た。
街の石畳を歩きながら、俺は複雑な心境だった。あの河原に、これほどの価値がある鉱石が眠っていたなんて。
ブームによる価値の高騰……。一気に掘り返して持ち込めば大金が手に入るかもしれない。だが、それでは市場の値崩れを招くし、何よりあの穏やかな場所を荒らしたくない。値上がりを待ちつつ、生活に困った時に「お散歩」がてら、少しずつ探すのが、一番良いやり方だろうな。
「まさか、あの石が金貨になるなんてな……」
俺は、リュックの中にいるみんなに声をかけた。
「聞いてくれ。昨日、みんなで行った浅瀬で見つけた石が、すごい価値のあるものだったんだ。みんなのおかげだよ。ありがとう」
顔を出したミーとフーが、不思議そうに瞬きをする。
「ヤマダー、なんのことー? ミーはなにもしてないよー」
「僕も、何もしてない」
「いや、いいんだ。ありがとう」
俺一人では、あの石の美しさにも、その価値にも、絶対に気づかなかっただろう。ヒーを想うミーとフーの気持ち。そしてみんなで過ごす大切な時間が、この幸運を連れてきてくれたのだ。
俺はいつの間にか、自分一人でなんとかしないと気負ってしまっていたのかもしれない。だけど、それは大きな間違いだった。俺たちは互いに支え合って今ここに立っているのだ。
(俺は、もう一人じゃない⋯⋯)
依存でも孤立でもない。互いに支え合い、影響し合いながら生きていく。そんな当たり前のことに、今さらながら気づかされた。
確かにヒーに負担をかけるようなことは避けたい。でも、本当に困った時はみんなで力を合わせればいい。俺が一人だけで背負い込む必要なんて、最初からなかったんだ。
「ヒー。これからも頼りにしてるよ。俺一人じゃ見つけられないものも、みんながいれば見つけられる気がするんだ」
俺の言葉に、ヒーは少し驚いたように目を見開き、それからいつもの優雅な笑みを浮かべた。
「ええ、もちろん。私たちもあなたを頼りにしているわ」
夕暮れに染まり始めた石畳の道を、俺たちは歩き続ける。足取りは、来た時よりもずっと軽かった。背中のリュックからは安らかな寝息が聞こえてくる。そして、互いに信頼し合える存在の重みを感じていた。
俺はもう、孤独な社畜なんかじゃなかった。




