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争い嫌いの元社畜ですが、『ハーモニー』スキルで魔物たちとノーストレスな共存生活を始めました。  作者: 遠峰 黎


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第35話:名前

 拠点は、かつてないほどの重苦しい沈黙に包まれていた。


 降り注ぐ陽の光は、皮肉なほどに明るい。その光が照らし出しているのは、俺たちが慈しみ、守り抜いてきた「家族」との悲しい別れだった。


 拠点から少し離れた、陽当たりの良い緩やかな斜面。


 その中央で、ぽーちゃんは完全にその輝きを失っていた。黄金色だった花弁は内側へと丸まり、熱に焼かれた古い紙のような茶褐色に変色している。


 瑞々しさを失った茎は、自重を支えきれぬほどに細り、地面に向かって力なくうなだれていた。


 フーは、まるで最後のお別れをするように、茶色く枯れ果てた花弁へとゆっくり近づいた。かつては近づくものを燃やす炎が、震えるほど繊細に、愛おしげに、そっと包み込もうとした。


 その時だった。


 異変は、静かに、そして爆発的に起きた。


 フーの炎が、枯れた花に近づいた瞬間、茶褐色の残骸が、内側からまばゆいばかりの白銀の光を放ち始めたのだ。


「……えっ?」


 フーが驚き、思わず声を発する。


 刹那、うなだれていた花が、内側から溢れ出す圧倒的な圧力に耐えかねたように弾けた。


 枯れた茶色の破片を周囲に撒き散らしながら、そこから爆発したかのように、白銀の線毛が噴き出したのだ。


 それは、俺の知るたんぽぽの綿毛などではなかった。一輪の花の量とは到底思えないほどの、無数の線毛が空へと舞い上がる。


「これはいったい⋯⋯」


 俺は思わず声に出して、舞い上がる光の粒を目で追った。


「ヒー、知ってたら教えてくれ。この花は、何か特別な『魔法』の花だったのか? こんな現象、今まで見たこともないんだ」


 隣のヒーに、思わず問いかける。


 だが、いつも冷静な彼女の瞳にも、明らかな驚愕の色が浮かんでいた。


「……私にも分からないわ。この花は、どこにでもある、ただのありふれた花のはず。こんな現象、これまで見たことも聞いたことがないわ……」

「そうだとすると、これはいったい⋯⋯」


 俺たちは、目の前の現象を、ただ見守ることしかできなかった。


 まるで雪のように空中を舞っていた白銀の線毛。その一つが、導かれるようにしてヒーの額に触れた。


 その瞬間、ヒーの表情が劇的に変わった。


「これは……魔力?」

「魔力だって? どういうことなんだ?」


 ヒーは、悟ったかのように、ゆっくり告げた。

「すべて、分かったわ⋯⋯」


 ヒーは、混乱する俺たちに向き直ると、その理由を丁寧に語り始めた。


「ヤマダ、覚えているかしら。以前、フーのそばにいたミーが、フーの炎から溢れ出る魔力を知らず知らずのうちに吸収していたこと」

「ああ、確かに覚えている⋯⋯」

「そして今回、同じことが起きた。いいえ、それ以上だった。フーは片時も離れず、この子のそばで見守り続けたのでしょう?」


(そうか、ようやく理解できた⋯⋯)


 俺は、フーの姿を思い出した。


 種から芽が出て、花が咲き、そして枯れていく最後の瞬間まで。フーはその一番近くで、ぽーちゃんのそばに居続けた。いつだって、どんなときも。


 そして、フーから溢れ出していた温かな魔力。それはまるで、フーの『愛情』そのものとなって、ぽーちゃんへ絶え間なく注がれ続けていたのだ。


 その驚異的な成長の早さだけでなく、花が種子を作る過程においても、注がれ続けた魔力が凝縮され、今、溢れ出した。


 その結果が、俺たちの目の前で起こっていることなんだと、ようやく理解することができた。


 決して「奇跡」なんかじゃない。

 

 この光景には、ぽーちゃんと過ごしてきた大切な時間が詰まっていた。


 フーは、空を舞う白銀の雪を、静かに見つめていた。


◆◇◆


「……いったい、どこへ私を連れて行こうというのですか?」


 拠点を訪れた騎士団長オルドランが、怪訝そうな面持ちで俺の後に続いた。背後ではミーとフーが「早く早く!」と急かすように彼の周りを楽しげに飛び跳ねている。


「すみません、オルドランさん。どうしても、あなたに見せたいものがあるんです。俺が、というより、この二人なんですが」


 俺は苦笑いしながら、拠点から少し離れた、なだらかな斜面へ向かう。


「もう少しで着きますよ」


 俺が先導し、鬱蒼うっそうと茂る森の小道を抜けた瞬間、視界が爆発的に開けた。


「 これはいったい……!」


 一歩踏み出したオルドランが、文字通り息を呑み、その場に釘付けになった。


 そこには、かつての荒涼とした斜面を飲み込むほどの、圧倒的な「黄金の庭」が広がっていた。


 数え切れないほどの黄色い花々が、地上の星を散りばめたかのように、強く咲き誇っている。


「ヤマダ殿、これはいったい……」

「オルドランさんにもらったあの種です。ミーとフーが育て、この庭を作り出したんです」


 俺は隣で呆然とする騎士団長に、穏やかに語りかけた。オルドランは、その逞しい手を震わせ、立ち尽くしている。数多の戦場を潜り抜けて、王国一とも評される騎士団長でさえも、この光景に言葉をなくす。


 そんな彼の驚愕とは無縁のように、ミーはお花畑の中を「わあーい!」とはしゃぎ回っている。ミーが跳ねるたびに、黄金の波が揺れる。


 そして、フーは、自分を取り囲む数え切れないほどの花々の間を、ふわりと漂っていた。


 これほど多くの花々が囲んでいるというのに、フーの振る舞いは少しも変わらない。彼は群生としての美しさに目を奪われるのではなく、一つ一つの花に目を配り、慈しむようにただよっていた。


 一際、強い風が森から吹き抜けた。

 黄金の海が、大きくうねりを上げる。

 その黄金の中心で、フーが動きを止める。


「ぽーちゃん⋯⋯」


 フーは、大切なその名前を、そっと呟いた。 

 そのささやきは、風に乗って庭全体へと波及していく。

 すべての花々が、その名に応えるように。

 いつまでも、優しく、そして誇らしげに揺れていた。


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