第34話:明日
黄金色に咲き誇るその花は、拠点の景色を劇的に変えた。
それは単なる植物の一種ではなく、俺たちにとっての希望の象徴のようにも見えた。
「ヤマダ、見て⋯⋯。ぽーちゃん、お日様の方を向いてる」
フーが不思議そうに呟く。
日の光を浴びて、その花弁を精一杯に広げる様子は、まるで全身で喜びを表現しているかのようだった。
「ほんとだー! あ、でもお日様が隠れると、ぽーちゃんもおやすみしちゃうんだよ」
ミーが発見を自慢げに話す。
朝に開き、日が沈むと閉じる。その当たり前の生命の営みに、二人は目を輝かせて驚いていた。
その様子を、いつもは静かに見守っているヒーも、ふっと柔らかい微笑みを浮かべて近づいてきた。
「……綺麗ね。本当に」
伝説と評される存在が、一輪の花に「綺麗」と言葉を漏らす。その光景そのものが、俺には奇跡のように思えた。
翌日も、その次の日も、ミーとフーは「あの場所」にいた。
自分たちが守り抜いた命が、最高の輝きを放っている。その事実は、彼らの心に確かな自信を刻みつけているようだった。
しかし、その穏やかで温かな時間は、永遠には続かなかった。
◆◇◆
異変に気づいたのは、開花から数日が過ぎた頃だった。
燦々と降り注ぐ陽の光にもかかわらず、ぽーちゃんの花弁が、日を追うごとにその鮮やかさを失い始めたのだ。
あんなに眩しかった黄色は、まるで陽の光を吸い込みすぎた古い紙のように、端の方から乾いた色へと変わっていく。瑞々しさは失われ、ピンと張っていた花弁の先は、熱に耐えかねたように内側へと丸まり始めていた。
「ねえ、フー。ぽーちゃん、最近なんだか元気がないね……」
ミーが、心配そうに茎を覗き込む。
「……そうだね。でも、今日は、少し日が曇っていたからかもしれない」
フーの声は、ミーを安心させようとする優しさに満ちていた。
けれど、その言葉は自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
「そっかー、なら大丈夫だねー。明日になれば、きっと元気になるよね!」
「……うん。明日になれば」
「そうだ、お水、たくさんあげたら、また元気になるかも」
フーのその言葉を信じるように、ミーは自分の体内で浄化した水を、ぽーちゃんの根元に注ごうとした。
ミーがさらに水を絞り出そうとしたその時、フーがそっと制した。
「ミー。もう、大丈夫だよ」
「え? でも……」
「もう、十分に飲んだと思う。ぽーちゃんも、今は少し休みたいのかも」
フーは、本能で悟っていた。
どれだけ水をあげても、どれだけ自分が温めても、逆らえない時間があることを。
けれど、一生懸命に良かれと思って尽くしているミーの無垢な愛情を、否定したくなかったのかもしれない。
フーの小さな葛藤が、震える炎の揺らぎとして、俺の目にも映った。
けれど、その「明日」が来ても、かつてのような元気な姿は戻ってこなかった。
それどころか、日は追うごとに、ぽーちゃんの首は重たげに垂れ下がり、花弁はカサカサとした枯れた色へと沈んでいった。
俺は、テラスの端でその光景を眺めながら、重い葛藤の中にいた。
(……話すべきだろうか)
花の一生は、俺たちよりもずっと短い。
芽を出し、嵐を耐え、美しい花を咲かせたとしても、それは一つのステップが終わったに過ぎないのだ。
けれど、彼らにとって「ぽーちゃん」はただの花ではない。初めて自分たちが愛情を注いで守り抜いた「家族」なのだ。
「……心配しなくても、大丈夫よ」
背後からかけられた声に、俺は肩を揺らした。
いつの間にか、ヒーがそばにいた。
「ヒー……」
「あの子たちを信じなさい。私たちは、あなたとこうやって言葉を交わすずっと前から、この森で『死』に触れてきたのだから」
ヒーの瞳は、どこか遠くを見つめていた。
「私たちは、あなたよりも長い時間を持っている。だけど、命には終わりがある。それは、あなたも、私たちも例外ではないわ。……だからこそ、その時間は愛おしいのよ」
ヒーの言葉に、俺ははっとさせられた。
彼女は、おそらく1000年以上という途方もない時間を生きてきた。その長い年月の中で、彼女は一体どれほどの「死」を見送ってきたのだろうか。
芽吹き、咲き、枯れ、そして土に還る。
その繰り返しを、彼女は気が遠くなるような回数、見届けてきたのだ。
ヒーの心のうちを、俺はいままで考えたこともなかった。彼女の厳しさも、その裏にある慈しみも、すべては「いつか失われるもの」への敬意だったのかもしれない。
「……そうだね。ありがとう、ヒー。彼らを見守ろう」
俺たちは並んで、夕闇に溶けゆく斜面を見つめた。
一日一日が過ぎゆくなかで、フーは、いつだってぽーちゃんのそばにいた。
その枯れ落ちゆく様子でさえも、大切な時間として、一秒たりとも見逃さないように。
◆◇◆
みんなが寝静まった、ある夜のことだ。
俺は微かな物音に目を覚ました。
いつもはヒー、フー、ミーの三人が仲良く各々の定位置で寝ているはずだが……隣を見ると、フーの姿がなかった。
(……フー?)
俺は心配になって洞窟を出てみた。テラスの周りにはいない。
嫌な予感がして、俺はあの場所へと足を進めた。
斜面に近づいたとき、夜の闇の中に、微かに灯る光を見つけた。
星に照らされ、夜風に吹かれながら、すでに色褪せて、最後の一枚の花弁を残すのみとなっていたぽーちゃん。
そのそばに、フーはいた。
フーは、その場から動くことなく、じっと、優しくぽーちゃんを照らしていた。
かつては、近づくものを燃やし、ときに恐れられる炎。それが今は、冷え切った夜の中でたった一輪の枯れゆく花を、照らす光となっている。
フーは一言も発さず、ただ静かに寄り添っていた。
その光はどこか寂しげで、けれど、この世界で最も温かな色をしているように見えた。
俺は、彼に声をかけることはできなかった。
もはや、俺がかけられる言葉など、この世のどこにも存在していなかった。
俺はフーに気づかれないよう、静かに、ゆっくりと寝床へと引き返すことしかできなかった。
◆◇◆
翌朝。
テラスの外に出ると、斜面にはもう、黄色い花弁は一枚も残っていなかった。
かつて誇らしげに空を仰いでいた花は、その全てを失い、残る茶色い部分だけを残してひっそりと佇んでいた。
ミーとフーは、ただそこにいた。
「ぽーちゃん、おやすみしちゃったね……」
ミーが、消え入りそうな声で呟く。
フーは、黙ってぽーちゃんを優しく見つめていた。
「……ああ。ゆっくり休ませてあげよう」
俺は二人にそっと声をかけた。
彼らが慈しみ、見届けた「明日」は、これで終わりなんかじゃない。
その続きを、俺は信じていた。




