第19話:恋のように甘い。
騎士団長オルドランが、聖遺物でも手に入れたかのような厳かな充足感を漂わせて去っていった翌朝。
俺は早朝から、洞窟の前のテラス広場を整えていた。
(……二十人、か。流石にこの狭いテラスに全員は座れないよな)
昨日の別れ際、オルドランは俺の手を強く握り、真剣な眼差しで「もう一つの相談」を切り出してきたのだ。
『ヤマダ殿。これほどの奇跡、私一人で享受するのはあまりに忍びない。明日の朝、我が団の中でも特に心身を削り、国のために戦っている精鋭二十名を連れてきたい。彼らに、束の間の、しかし至高の休息を与えてやってはくれぬだろうか』
その瞳には、部下たちへの深い慈愛と、自分が惚れ込んだ『ラテ』への並々ならぬ敬意が宿っていた。
正直、静かな生活を望む俺としては、大勢で押しかけられるのは避けたいところだった。だが、彼の熱意に打たれたのも事実だ。
何より、俺が今こうしてのんきにスローライフを送れていられるのも、彼ら騎士団が命を懸けて王国を守り、治安を維持してくれているおかげでもある。
(たまには、この世界の功労者たちに報いるのも悪くないか⋯⋯)
そんな思いから、俺は三人にお願いしてみた。みんなの協力が不可欠だから、俺の一存では決められなかったからだ。でも、みんなは快く引き受けてくれた。ありがたい。
そんなやり取りもあって、みんなで協力してテラスの岩を削って急造のベンチをいくつか増やした。広場はちょっとした野外休憩所のようになったが、迎えるのは屈強な騎士たちだ。
さらに、この日のために、前日に雑貨屋で木製カップを二十個、追加で購入していた。幸い、資金は例の金貨がまだ沢山あったから全く困らなかった。ちょっとしたパーティーを開く感覚になってきていた。
「ヤマダー! 来るよ! ギラギラした鎧のが、たくさん登ってくる!」
ミーの叫びと同時に、街道から俺の拠点へと続く斜面を、銀色の鎧の集団が押し寄せてくるのが見えた。
先頭を行くのは、もちろんオルドランだ。その後ろには、武装を整えた総勢二十名の騎士たちが、軍の規律そのままに整然と、しかしどこか前のめりな雰囲気で続いていた。
「皆、ここが例の場所だ。礼を失するなよ!」
オルドランの号令で、二十人の騎士が一斉に膝をつき、鎧の擦れる「ガシャリ」という音が重厚に響く。
俺はあらかじめ、ヒー、フー、ミーの三人に「驚かせるといけないから、中で待機していてくれ」と伝えておいた。みんなは「はいはい」「わかったー!」「おいしいの作る準備しとくね!」と、楽しそうに洞窟の奥へと引っ込んでいった。
「……オルドランさん、本当にお連れになったんですね。昨日も言いましたけど、ミルクは限られていますから、今日は一人一杯でお願いしますね」
「承知している! 彼らに、あの一片の慈悲を味わわせてやれるだけで十分なのだ!ヤマダ殿には、改めて深く感謝申し上げる!」
俺は一度洞窟へ戻り、見えないところで待機している三人に合図を送った。
ミーが水を浄化して魔力を抽出し、フーが絶妙な火加減で温め、ヒーが全体の工程を確認してくれる。俺は完成した『ラテ』を運び、テラスと洞窟を何度も往復して、オルドランとその二十人の客人に配り終えた。
騎士たちは、自分の前に置かれたその不思議な飲み物を、壊れ物を扱うような手つきで口にする。
「……なんだ、これは。甘くて美味しい。だが、その奥に力強い苦味がある」
「信じられん。全身の強張りが、雪が溶けるように消えていくぞ」
「力がみなぎる感覚だ⋯⋯」
「これが、団長の言っていた『魂の救済』というものか……」
騎士たちの間に、静かな、しかし深い感動が広がっていく。途中、なにやら変なワードが聞こえた気もしたが、無視しておこう。
濃厚なミルクの甘みと、魔力を秘めた実のコクが合わさったラテは、最前線で戦う彼らの心を優しく解きほぐしていくようだった。
しかし、事件は全員が一杯目を飲み干した後に起きた。
「ヤマダ殿! 失礼を承知で申し上げる! ……もう一杯、もう一杯だけ、私の腹に収めさせてはくれぬだろうか!」
一人の騎士が、空になったカップを掲げて叫んだ。
それを皮切りに、他の騎士たちからも「自分も!」「もう一度あの香りを!」とおかわりの合唱が始まった。
「いや、皆さん。事前にお伝えした通り、ミルクがもう底をついたんです。昨日買った分、この二十杯分で全部使い切っちゃったんですよ」
俺が困惑して告げると、騎士たちの間に絶望が走った。中には、あまりのショックに自分のカップを見つめて固まる者までいる。
「な、何と……。あの一時の夢は、もう終わってしまうのか……」
オルドランまでもが、悲痛な顔で俺を見つめてくる。あんたがその表情をするのはおかしい。
ただ、元社畜の悲しい性か、これほどまでに熱烈な『おかわり』を求められると、前の世界で叩き込まれた対応力が勝手に動き出してしまう。
(現状の案がダメなら、別の方法で代替案を出す。これがビジネスの鉄則だ。『ラテ』というメイン商品の供給が不可能なら他の商品は……そうだ、お湯がある。『プランB』で行こう。これならミルクなしでも、十分に彼らに付加価値を提供できるはずだ!)
現実世界にいた頃、エスプレッソをお湯で割って飲むスタイルがあったのを思い出した。あれなら、ミルクなしでも豆本来の強烈な個性を生かした提供ができると思ったのだ。
「……いいですか、皆さん。落ち着いてください。ミルクをたっぷり使ったラテはもう作れません。でも、別の形なら出せます」
「別の形……? 奇跡は、まだ残されているというのか!?」
「ええ。ベースになる漆黒のエキス。あれは単体だとあまりに濃すぎて刺激が強すぎるんですが……浄化した熱いお湯で割って、飲みやすく調整するんです。ミルクの甘みはありませんが、豆の本来の香りと力は、むしろこっちの方がダイレクトに伝わるはずです」
俺の提案に、騎士たちの瞳に再び光が宿った。
俺は急いで洞窟の奥へ戻り、三人に「今度はお湯で割るんだ、たっぷり頼む!」と指示を出した。
そして、俺は再びテラスへ『おかわり』を運んだ。しかし、今度は白のない、漆黒の液体だ。それは見た目こそ不気味な「黒い水」だが、立ち上る香りはラテの時よりもさらに鋭く、芳醇だった。
「お待たせしました。……どうぞ」
騎士たちが、今度はその黒い液体を見つめ、勇気を持って口にする。
「……っ!? 苦い! だが……ラテとは違う、この突き抜けるような清涼感は何だ!」
「ミルクの優しさに隠れていた、この実の『真の姿』が見えるようだ。重厚で、それでいてどこまでも澄んでいる……!」
「凄いぞ! 魔力の回路が直接叩き起こされたような感覚だ! ラテが『癒やし』なら、これは『覚醒』の力か!」
騎士たちの反応は、一杯目の時よりも激しかった。
甘さがない分、魔力を蓄えた実の野生的な香りと、ミーの浄化した水の透明感が際立っている。それは喉を通る瞬間に火を灯すような、それでいて頭の中が真っ白に晴れ渡るような、強烈な体験だったらしい。
「ヤマダ殿! 恐れ入った。まさか、この黒い実の真価がこれほどまでの鋭さを持っていたとは。……『ラテ』も素晴らしいが、我ら騎士団には、むしろこの『飾らぬ黒』の方が合っているのかもしれんな」
オルドランは、自分のカップに残った最後の一滴まで惜しむように飲み干し、感極まったように俺を見据えた。
その瞳に宿ったのは、一国の騎士団長としての、揺るぎない決意だった。
「ヤマダ殿……。改めて、確信した。貴殿という存在を、この飲み物を、そしてこの『至福の聖域』を、ただの野晒しにしておくなど、王国の損失以外の何物でもない」
「……え、いや、俺はただの冒険者ですよ。ここもただの住処ですし⋯⋯」
「いや、ダメだ。それでは私の、その、なんというか……我が団員たちの騎士道が許さない。貴殿がどれほど無欲であろうとも、この価値ある恩恵に正当な対価を払わぬなど、騎士団の汚点となる!」
オルドランはテラスの端に立ち、眼下に広がる山々を、まるで守るべき領土を検分するかのように見渡した。
「ヤマダ殿、ならばこうしよう⋯⋯」
オルドランは、ゆっくりと、そして力強く告げた。




