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争い嫌いの元社畜ですが、『ハーモニー』スキルで魔物たちとノーストレスな共存生活を始めました。  作者: 遠峰 黎


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第17話:地獄のように熱く、

 最後の一口をゆっくりと飲み干し、俺は満足感とともに深く息を吐いた。


 口の中に残るラテの余韻と、体の内側から湧き上がる不思議な万能感。これなら、今日一日、何があっても元気でいられそうな気がした。


 ……が、その穏やかな余韻は長くは続かなかった。


「なんだろう、あれ」

 俺はテラス席の縁に立ち、眼下の森を見下ろした。


 先ほど、街道の入り口付近でキラリと光った反射の正体が、猛烈な勢いでこちらに向かってきている。


 それは、一つの影だった。突出した速度で、道なき斜面を最短距離で駆け上がってきているのだ。


「ヤマダー、なんか人が来るよー!」

(敵だろうか……?)


「みんな、悪いが一旦洞窟に隠れてくれ! 俺がまず対応してみる!」

「わかったわ、中に入りましょう」

「えー、もっとお外にいたいのにー」

「怖いなあ……」


 俺の指示に、ヒーがテキパキと二人を促し、洞窟の奥へと姿を消した。


 この平穏な共存生活を守るためには、余計な火種は避けなければならない。俺は努めて冷静を装い、残ったカップをテーブルに置き、背筋を伸ばしてテラスに残った。


 やがて、その男がテラスのすぐ下まで到達した。

 岩場を鮮やかに飛び越え、凄まじい脚力でテラスに這い上がってきたのは、鈍く光る鉄の甲冑を纏った一人の男だった。


 男は着地するなり、膝を大きくつき、肩で荒い息を吐いた。甲冑の隙間からは陽炎のような熱気が立ち上っている。一切の休息なしに突破してきた証だった。


「突然のご無礼、失礼する」

 男はこちらを威圧するのではなく、まず丁寧な一礼を見せた。その瞳には、理性的で誠実な光が宿っている。


「私はこの辺境の警備を任されている、王国騎士団、団長の『オルドラン』だ」


(王国騎士団? 団長? ……ってことは、ここって王国の領土だったんだな。それにしても、騎士団長自らこんな急斜面を登ってくるなんて)


 この世界の情勢も、誰が偉いのかも全く知らない俺だったが、「騎士団長」と名乗るからには、相当な実力者であることは想像がついた。俺は内心の動揺を隠し、慎重に言葉を選んだ。


「……騎士団長様が、このような場所にどのような御用でしょうか……?」


 俺の問いに、オルドランと名乗った男は少しだけ呼吸を整え、誠実な口調で答えた。

「最近、この付近ではモンスターが民を襲う事例が増えていてな。我らも連日のように警戒パトロールを続けているのだ。今日もその最中だったのだが……」


 彼は一度言葉を切り、鼻をひくつかせた。


「漂ってきたのだ。この、嗅いだこともない芳醇な香りが。我ら騎士団は、何らかの事故、あるいは未知の魔物の誘引フェロモンかと危惧し、安否確認と正体の解明のために急行した次第だ」

「香りを、確認しに……わざわざここまで?」

「そうだ。だが、部下たちは連日の移動で疲弊している。万が一の危険がある場所に、これ以上彼らを酷使させるわけにはいかん。ゆえに、私一人が先行した」


 部下を休ませ、危険を顧みず単身で飛び込む。

 目の前の男から伝わってくる熱気は、単なる体温ではない。それは、この土地を守り、部下を思いやる、騎士団長としての『責任感』だった。


(……敵ではないな。むしろ、この国を守る、かなり生真面目な騎士様だ)


 俺は少しだけ肩の力を抜いた。少なくとも、いきなり剣を抜かれるような事態にはならなそうだ。


「そうでしたか、大変お騒がせしました。安心してください、ここには危険な魔物はいませんよ」

「そうか、それなら良かった。して、その、団長である私が聞くのも些か失礼とは思うのだが……。先ほどからしている、この香りの正体は何なのだ? これほどまでに心を落ち着かせ、同時に奮い立たせる香りは、かつて経験したことがない」


 オルドランの視線は、テーブルの上に置かれた空のカップに釘付けになっていた。彼の表情は、厳格な騎士のそれから、まるで未知の真理を追い求める求道者のような、純粋な好奇心へと変わっていた。


「ああ、これは……『ラテ』と言いまして特別な飲み物なんです。ちょうど俺も休憩していたところなんです。騎士団長さん、良かったら一杯いかがですか? 崖を登ってお疲れでしょう」


 俺の提案に、オルドランは驚いたように目を丸くし、それから少しだけ躊躇するように視線を彷徨わせた。


「……良いのか? 私は不躾にもここに踏み込んだ身だ。それに、我ら騎士が、名も知らぬ者の貴重な供物を頂くなど……」

「供物だなんて、そんな大層なものじゃないですよ。ただの飲み物です。それに、歓迎しますよ。あなたのような誠実な方なら」

 

 そう言って俺は微笑んで見せた。


 そして、一度洞窟の入り口付近まで戻り、「外からは見えない位置」で待機していた三人に合図を送る。


 先ほどのラテ作りの要領で、フーにミルクを温めてもらい、ミーに最高のエキスを絞り出してもらう。その間、俺はオルドランを待たせている間、世間話で時間を繋いだ。


「最近は、やはりモンスターの動きが激しいんですか?」

「ああ……。この辺りは問題ないようだが、特に王国周辺の森の奥深くから現れる個体が、以前よりも一回り大きく、凶暴になっている。我が団のレベルでは、国民を守るため防戦に回るのが精一杯なのが現状だ。恥ずかしながら、私は団長として、団員たちに十分な休息を与えられない不甲斐なさを感じていたのだよ」


 彼の言葉には嘘がなかった。重い甲冑の下に隠された、騎士としての苦悩。


(この人が、俺たちの平和を守ってくれてるんだよなあ⋯⋯ちょっとでもお礼になれば良いが)


 そんな彼の前に、俺は出来上がったばかりのラテを差し出した。


 漆黒のエキスに、温めた濃縮ミルクが混ざり合い、美しいマーブル模様を描く至高の一杯。


「どうぞ、お口に合うと良いのですが」

「……かたじけない」


 彼は丁重にカップを受け取ると、その香りを深く吸い込み、そして、決意したように一口、喉に流し込んだ。


「……っ!!」

 その瞬間、テラスの空気が震えたのが分かった。

 

 オルドランは感嘆の声を上げた。

「これは……なんだ……! 喉を通った瞬間、こびりついていた疲労が霧散し、魔力が……全身の細胞が歓喜に震えている! 力が、底知れぬ力がみなぎってくるぞ!」


 彼は一気に飲み干すと、その場に立ち尽くし、自分の拳を握りしめた。


 俺がレベルアップした時と同じだ。魔力を秘めた実を、俺たちの連携で極限まで引き出したこの一杯は、日々命懸けで戦う騎士にとって、癒しだけでなく、力をも与えたのだ。


「信じられん……。ただの一杯で、私の内にある『壁』が崩れ去るような感覚だ。あなたは一体……」

「ただの通りすがりの冒険者です。私のことはヤマダと呼んでください」


 俺がそう言うと、オルドランは深く、深く頭を下げた。


「礼を言う。この一杯で、私は明日も戦える確信を得た。このオルドラン、この恩は必ず。我が騎士団の誇りにかけて、いずれ報いさせていただく」


 彼は憑き物が落ちたような、それでいて天使のように純粋で清々しい顔で、麓で待つ部下たちの元へと、重い甲冑を感じさせない軽やかな足取りで去っていった。


「なんだかすごかったなあ……」


 嵐のように現れて去っていったオルドラン団長を見送りながら、俺はぽつりと呟いた。

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