第15話:そういえば
露天風呂で芯まで温まった体を引きずって洞窟に戻り、市場で買ったふかふかの羊毛敷きの上に倒れ込むようにして眠りについた。
そして今、俺はかつてないほどの爽快感とともに目を覚ました。
「うーん、体が軽い」
思わず呟き、俺は岩場で体を大きく伸ばした。
いつもなら、前日の探索の疲れや冷えがわずかに体に残っているものだが、今日は違う。温泉の効果なのか、はたまた特製ミルクの効果か、あるいはその両方なのか。全身の細胞が活気に満ち、疲れが跡形もなく消え去っている。
洞窟の朝といえば、これまでは岩肌から伝わる冷気で起きるところから始まっていたのだが、今の空気の温度と湿度はまさに「完璧」と言えた。
俺の胸元にいるフーが、小さく澄んだ光を放ちながら、絶妙に心地よい熱を出し続けてくれていたのだ。
(最高の朝だ)
フーの魔力で、空間そのものを優しく包み込んでいるような、高級ホテルの空調に近い安定感だ。
「フー、おはよう。……すごいな、一晩中これを維持してくれたのか?」
「おはよ、ヤマダ。うん、全然平気だよ。 意識してなくてもできるようになったんだ。それにボク、なんだか昨日よりずっと、自分の熱の中心がどこにあるのかハッキリ分かるようになったんだ」
昨夜で、フーのレベルは30に上がっていた。その影響か、魔力の出力調整が驚くほど精密になっている。
ふと、俺は昨夜ヒーが口にした「魔力の炎」という言葉を思い出し、ずっと心の隅に引っかかっていた疑問を口にした。
「なぁフー。お前のその炎って……やっぱり、何かを燃やして出しているわけじゃないんだよな?」
「うん、そうだよ。今はボクの魔力だけで燃えてるよ」
「そうだよな」
俺は更に、傍らで羽を整えているヒーに視線を向けて尋ねた。
「ヒー、実はさ、俺のいた世界だと、洞窟の中で火を焚き続けるのはすごく危険なことだったんだ。目に見えない毒素みたいなものが出て、吸いすぎると人間は死んでしまうんだ。魔力の炎なら、その毒素は出てないのかな?」
ヒーは即座に答えた。
「その通りよ。フーからは、あなたの言う毒素は全く出ていないわ」
(なるほど⋯⋯そうすると、一つ疑問が残るな)
「そういえば、思い出したことがあるんだ。俺、その毒素が心配で、ミーにずっとフーの周りの空気の浄化をお願いしてたんだよ。でも、魔力の炎で毒素が出ないなら、ミーは何を吸っていたんだろう。俺には、たしかにミーが、フーのそばで何かを懸命に処理していたように見えたんだけど……」
俺の疑問に、ヒーが退屈そうに欠伸をしながら、とんでもない事実を口にした。
「そんなの、決まってるじゃない。フーから溢れる魔力よ」
「えっ、魔力?」
ヒーのあまりに呆気ない指摘に、足元にいたミーが、プルプルと震えた。
「……あのね、ヤマダー。最初はヤマダーに言われた通りに、フーの周りの空気を一生懸命吸い込んでたんだよ。でもね、フーの炎って、魔力がすごいから、キラキラした粉みたいに魔力が溢れてたの。それが……その……」
「それが?」
「美味しくて、フーの溢れた魔力を吸収してたんだー。黙っててごめんねー」
ミーは、隠しきれない満足感を漂わせて弾んだ。俺の現代知識ゆえの勘違いが、フーからミーへの、魔力の供給システムが出来上がっていたらしい。
俺は改めて、ミーとフーのステータスを見比べてみる。
【ミー:Lv.35】
【フー:Lv.30】
(なるほど……レベルの差なんて誤差の範囲かと思っていたけど、まさかそんなカラクリがあったとはな)
ミーの方が少しだけレベルが高いのは、これまで何度か水を吸収していた影響だと思っていたが(その影響も少なからずあると思うが)、実はフーの放出していた魔力を「間食」していたことが大きかったらしい。
「だって、フーの魔力、栄養満点なんだもん。おかげでミーも強くなれたんだ! それに、今は吸おうと思わなくても、自然と吸収できるようになった!」
そう言うと、ミーは誇らしげに体を膨らませた。
「どうりで、ミーの魔力が火の性質に慣れてきているわけだわ」
ヒーは呆れたように首を振ったが、その眼差しに冷たさはない。
「結果が良いなら問題ないわね。さあヤマダ、そろそろお腹が空いたわ」
そうだな、朝食の準備をするか。
俺はリュックから、以前買い溜めた堅焼きパンを取り出した。保存性は抜群だが同時に硬さもある。
「ミー、これに少し潤いを与えてくれないか? もっと美味しくなると思うんだ」
「まかせてー!」
レベルアップしたミーが、霧状のものでパンを包み込む。以前よりも微細なミストだ。カチカチだったパンは、瞬く間に焼きたての弾力を取り戻した。
さらに俺は、鉄製の大きな鍋をセットした。乾燥豆、刻んだ燻製肉、町で買った岩塩。フーが魔力だけで精密に加熱していく。
(肉の脂が溶けて豆に染み込み始めたな……)
温度が高すぎれば旨味が逃げ、低すぎれば豆が硬いままになる。フーが絶妙な温度調整をしてくれている。
そしてできあがったのは、深いコクのある肉豆スープと、もちもちのパン。かつて町で買った木製の食器に盛り付けると、そこにはとても洞窟暮らしとは思えない、豪華な食卓が完成していた。
「いただきます」
スープを一口すする。岩塩のシンプルな塩気が、じっくり煮込まれた燻製肉の旨味を最大限に引き出している。豆はホクホクで、そのままパンを頬張ると、幸せが体中に染み渡った。
「……おいしいね、ヤマダー! 昨日のミルクもすごかったけど、これも負けてないよ!」
「ボク、スープがこんなに美味しいなんて知らなかった……!」
「ふふ、なかなかの味じゃない。これなら合格点ね」
賑やかな食卓を見渡しながら、俺は確かな手応えを感じていた。
俺たちはたしかにレベルアップしてきてる。ただ、その数字は、ただの強さの指標じゃない。こうしてみんなの小さな願いを少しずつ叶えて、日常をより豊かにしてきた『足跡』なんだ。
「なあみんな。これからも、もっとこの場所を良くしていきたいって思ってる。昨日の温泉みたいにさ。工夫次第でもっと快適にできるはずなんだ。具体的なことはこれから考えるけど……俺たちの家を、どこよりも居心地の良い場所にしたい。良かったら協力してくれるかな?」
「ミー、いっぱいお手伝いするよ!」
「ボクにできることなら!」
「もちろんよ、あなたのこと頼りにしてるわ」
みんなの賛成が何よりも嬉しい。
「と言っても、俺は大したことしてないんだけどなあ」
「たしかにそうね」
朝の光が洞窟に差し込み、立ち上る湯気と笑い声を照らし出す。
俺たちの共同生活は、朝日が差し込むこの場所から、ゆっくりだけど確実に、より良い環境に向かっている。




