第12話:山田リゾート開発
俺は、目の前で起きた光景に、思わず立ち尽くした。
ヒーが軽く羽根を一振りしただけで、強固な岩盤が、まるで砂細工のようにたやすく削り取られ、皆が入るのに十分な、丸みを帯びた完璧な「浴槽」が出現したのだ。
土を掘るわけでもなく、一瞬にして不要な部分を取り除いた力の行使。これこそが、ヒーの伝説たる所以なのだろう。
「すごいな、ヒー。こんなことまでできるのか」
俺が心底驚愕すると、ヒーは羽を広げて得意げに胸を張った。
「私はヒュギエイアよ。この程度の窪みを作るなんて、朝飯前だわ」
昼下がりの森に、完璧な石風呂が誕生した。これで、露天風呂の最大の難関であった「浴槽の作成」はあっさりクリアできた。
(あとは、水と熱があれば……)
次の課題は「水の確保」だった。近くの小川から水を引くための配管などは当然ない。町で買った雑貨なんかを使って水を運ぶには、往復も大変そうだ。
俺がどうしたものかと頭を抱えていると、ミーがぴょんぴょんと弾んで名乗り出た。
「ヤマダー! 水ならミーが運ぶよ!」
「ミーが? どうやって?」
「ちょっと待っててー」
ミーは、道中で見つけた小川へ向かって勢いよく弾んで行った。しばらくすると、戻ってきたミーの姿を見て、俺は再び目を丸くした。
ミーの体は、限界まで水分を吸い込んだ巨大な水風船のようになっていた。俺の身長を優に超えている。
透明な球体で体内で揺れる水の様子は、まるで遊園地やプールなんかのアトラクションで、人が中に入って遊ぶ球体にも見えた。あれの名前、なんていうんだっけ。
「ミーの体は、水を貯められるよー。これなら、たくさん運べるよー」
ミーは窪みの真上で止まると、口から勢いよく大量の水を吐き出した。その吐き出す水の圧力と量たるや、まるで小さな滝のようだ。
みるみるうちに、ヒーが作った窪みに水が溜まっていく。一瞬で浴槽が満たされた。
「すごい! ミー! ありがとう!」
次は、フーの出番だ。
「フー! お願いだ! この水を温めてくれないか?」
フーは「任せて」と一言返事をして、水に浸かっていない岩盤の端付近で体の炎を使う。岩を通して、水に熱を伝えていくのだ。
次第に湯気も出てきた。
だが、ここで問題が発生した。
ミーが運んだ水は、小川の水とはいえ、森の土や泥をわずかに巻き込んでいたのだ。フーの熱で温められるにつれ、対流で水中に混じっていた不純物が舞い上がり、水はたちまち濁ってしまった。
「そうか……中々綺麗な水とはいかないか」
せっかくお風呂を再現しようとしたが、これでは巨大な泥水になってしまうなあ。どうしようか考えていると、ヒーが呆れたように言い放った。
「やれやれ。仕方ないわね」
ヒーは、水面に向けて羽根を広げ、魔力を放つ。
ブォン!
水面が光に包まれ、次の瞬間、濁っていた水が一瞬で透き通った真水へと変わった。泥も土も、完全に水から分離され、まるで最初から存在しなかったかのように消滅した。
水は、まるで透明な水晶のように澄み切っている。
「ヒー、本当にすごいよ……」
「やっと分かった?」
そう言いながらも、ヒーはどこか誇らしげだった。
浴槽、給水、加熱、浄化。 全てが揃った。ついに、俺たちだけの、人工の露天風呂が完成したのだ。
「最高の露天風呂だ!」
喜んでいた俺に、ヒーはすぐ返した。
「これではまだ、『本物』とは言えないわね」
「まあ、ヒーが体験したものほど立派ではないかもしれないけど、これも十分、立派な風呂だと思うよ」
「やれやれだわ。私の記憶にある『あの場所』は、ただのお湯じゃなかったのよ」
そう言うと、ヒーは羽を広げて、何かをお風呂に送り込んだ。
窪みのお湯が、再び淡い光に包まれた。そして光が溶けると、透明だったお湯は、美しい乳白色へと変化していた。ふわりと、独特の心地よい香りが漂う。
「まさか……」
「察しが良いわね」
ヒーは、おそらく記憶の中の温泉成分を、魔力によって再現したのだ。現実世界でも久しく経験していなかった、本格的な温泉が、目の前にあった
やはり、『レベル1461』は伊達じゃない。
そうこうしているうちに、気づけば、周囲の木々の影が長く伸びていた。空は茜色に染まっていた。
俺はヒーに向かって、もう一つだけ頼み込んだ。
「なぁ、ヒー。温かい風呂の隣には、冷たい水風呂が欲しいんだ。もう一つ、同じ大きさの窪みを作れないかな?」
ヒーは呆れた顔をしていたが、その表情はまんざらでもない。
「はい、どうぞ」
ヒーは軽く一振りして衝撃音と共に、露天風呂から少しだけ離れたその横に、もう一つ、完璧な丸みの浴槽が出現した。
その後、同じようにミーがすぐに水を運んでくれた。そして、今度はフーは加熱をせずに、そのままヒーが魔力で浄化をしてくれた。
これで、温泉と水風呂が完成した。
水風呂を作ったのは、ミーの「水場が欲しい」という最初に出会った頃のリクエストも叶えたかったからだ。
それに何より、俺自身が、温泉に入った後の水風呂に入るという、いわゆる「温冷交代浴」というものをしてみたかったからだ。これは、温かいお湯と冷たい水やぬるま湯に、交互に入ることで、血行が促進され、体内の自律神経も整えるとも聞いたことがあったからだ。
準備ができた頃には、あたりはすっかり闇に包まれていた。森の木々の隙間から、月明かりが差し込んでいる。
俺は服を脱ぎ、迷うことなく乳白色の露天風呂に足を浸した。
「うわあ……! 温かい!」
久々の湯船だ。スコールを浴びるだけの生活とは、もうおさらばだ。肩まで湯船に浸かり、目を閉じると、全身の疲れが音を立てて抜けていく。体の芯からほぐれていくようだ。成分や効能は全くの謎だが、もうこれは温泉と言っていいはずだ。
ミーも露天風呂に入ってきた。ミーは先ほどの巨大化していた姿が嘘のように、今では元のサイズに戻って、プカプカと水面に浮かんでいた。気持ち良さそうだ。
フーも宙に漂いながら湯気に当たっていた。達成感を感じている。
そして、ヒーも湯船の縁で、足と下半身を浸していた。ヒーは目を閉じていた。きっと何年ぶりか、いや何十年、もしかすると何百年ぶりかの温泉を堪能しているのだろう。
争いのない、温もりを共有する平和な時間。
ヒーがかつて求めた空間が、今、俺たちの手によって再現されている。
しばらく温まった後、俺は意を決して、隣の水風呂へ向かった。
ザブン、と身を沈める。
一瞬、冷たさに体が悲鳴を上げるが、次第に慣れていく。火照った体がきゅっと引き締まる。どうやらミーはすでに水風呂にいたようだ。ミーは、こちらでも満足した様子で浸かっていた。
そして俺は再び、温かい温泉へ。
その瞬間、俺の体の中に、形容しがたい快感と安堵感が広がった。俺の自律神経が刺激され、整っていくような感覚だった。
(なんだこれ……最高の気分だ)
そして、俺たちは湯船に浸かりながら、空を見上げた。
湯気越しに見上げた夜空は、空気が澄んでいるのか、息を呑むほど鮮やかだった。満天の星々が、まるで俺たちへの贈り物のように輝いている。
静寂な森の中、お湯の揺れる音だけが響く。
「みんなのおかげだよ。ありがとう」
「みんなのおかげー」とミーがお湯の中で弾みながら返した。近くで漂うフーも、嬉しそうだ。
ヒーは、俺にだけ聞こえる声で、ボソリとつぶやいた。
「ヤマダ、ありがとう⋯⋯」
俺は「こちらこそありがとう」と返した。
(実際のところ、俺は大したことしてないな⋯⋯むしろ、ヒュギエイア様の貢献が大きいですよ)
なんて、しみじみ思ったが、素直に感謝を受け取ることにした。
だが、この最高の時間を味わいながら、俺の脳裏には、もう一つ、どうしても必要なものが浮かんでいた。
温泉の快感を知ってしまったからこそ、欲しくなるもの。
「『アレも』作れたら最高だな」
俺の独り言に、湯船に浸かっていた三人は、一斉に首を傾げた。




