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第一章 過去から再び未来へ 1 迷子の記憶喪失者

 直哉はなぜここまで来たのだろうか。精確には、流れ流れて惰性でここまで来てしまったというべきであろうか。

 今の彼のいで立ちは、着まわしてきたシャツとフード付きコート、つぎはぎだらけ埃だらけの着回しジーンズを着込み、マウスピースのようなマスクをつけ、杖をついてよろよろ歩く姿だった。

 

 彼がたどり着いたのは、ある広大な学院キャンパス(単科大学もしくは高等専門学校のような学校の校庭)の一角で、かつては歴史的にも空間的にも何の関係のない別の学校施設だったような廃墟の中だった。此処に落ち着いたこの日は、すでに夕闇が迫っていたが、ここは彼にとっては妙に懐かしい場所だった。ふと、ある女の子とともに二人でこの場所に閉じ込められたという、かすかな記憶がよみがえった。

「あの子の名前、なんと言ったっけ?」

 直哉は自分の名前だけは、彷徨い出る前に覚えさせられたことを覚えている。それ以外は脈絡のない断片的な記憶しかなかった。


「あれはどこだったのだろうか」

 ふと浮かんだのは、雪を頂く山を映す湖のほとりで、親しい仲間たちと楽しい日々を過ごしていた記憶……その場所は、キャンパスと呼ばれた場所つまり高等学院や大学に分類される学校の広大な庭の一角だったと思われた.......

……

「直哉、繰り返すが、今はあんたの知っている多くの娘たちのうちから、誰か一人を選び、結婚しなければなりませんね」

「僕は、女の子と話すことはできます……でも、結婚となるとキスをしなければならないんでしょ? そんなこと、女の子の神聖さを汚すことなど絶対にできません」

 直哉は、不意打ちをされたという顔をしながら、懸命に反論した。しかし、講師は言い聞かせようとして、語気を強めた。

「直哉よ、結婚とはそんなことではないですよ……確か、あんたは、幼い時から智子という幼なじみから何度も適切な教育を受けたはずですよね」

「覚えています……彼女は僕の愛した女性でした……でも、彼女は性教育などという、僕にはまっぴらなことを教え込もうとして、僕は大変な目に遭ったんです」

 直哉はなんとかこの場をやり過ごそうとした。だが、講師は彼を逃がそうとはしなかった。

「そうでしたね……あんたは今まで多くの女の子と仲良くなっていながら、肝心なところで彼女たちから逃げ出していましたね.......やはりあんたはこの点だけは強制的に教育する必要がありますね......よし、もう逃がしませんよ……結婚するための教育をしてあげます」

「なんで、そうなるんですか? 勘弁してください……僕は、いやだ!」

 そんなやり取りをして、あの学校らしいところから逃げ出して、退学処分を受けて、それから....。


 そこから彼の記憶は飛んで今に至っているような感覚だった。精確には、学院のあったあの場所から彷徨い出る際に、誰かから受けた精神衝撃の傷がなかなか癒えていなかったために、この場所に来るまでの記憶が断片的だった。


 ここに住み着いてから、十数日が経っていた。この時期はちょうど夏休みが始まったころでもあったのか、管理人が見回りに来ることはなかったのだが....

「誰か、そこにいるのかしら? ここは東瀛学院が管理している立ち入り禁止区域のはずだけど……」

 若い女が、廃墟の中を覗き込むようにして、直哉を見出した。直哉は彼女の姿を確認すると、少し驚いたように返事を返した。彼女は、直哉にとってどこかで見覚えのあるような、そんな背格好と雰囲気だった。そう、過日見たことのある魔族の一種、サキュバス族の女だった

「あ、はい」

「あら、あんた、ここで何やっているの?」

「あ、ここが何となく居心地がよさそうだったので、入り込んでしまいました……」

 直哉はそう言って、杖を頼りに立ち上がった。すると呼びかけてきた女は彼の憐れな姿に驚いたように声を上げた。

「へえ、あんた、声は若いけど、老人なのかしら? 杖を頼りに生きているわけね……自分の脚で歩けなくなったのね」

「ぼ、僕は杖を頼りにしてますけど、若い人間です」

「じゃあ、何のためにこの地へ来たのかしら?」

「僕、昔の記憶を取り戻すために、また昔の学びを思い出すために、旅をしているんです」

「それで、ここに入り込んだの?」

 直哉の言葉を、この女は信用していないようだった。直哉は、信じてもらおうと一歩踏み出した。その姿は、あまりに勢い込んでいた。


「何をする気なの?」

 女の声は明らかに直哉の勢いにおびえた。直哉は、なんとかその場を取り繕うとしてさらに彼女に迫った。それは決定的に彼女を追い込んだ。

「こ、こちら巡回中の風紀委員林華晴です......不審者が…」

「僕は、不審者じゃないよ!」

 パシン!

 彼が大声を上げて彼女の通信機を何とか壊そうと手を伸ばした際、彼女は彼の所作に獣を感じて、逆襲に出て右手で彼を張り倒してしまった。普段の彼女であれば、物理的に攻撃してくる相手を簡単にサキュバスの魔術で扱うことが出来たはずなのだが、なぜか彼に親しみを感じていたせいか、突然彼が豹変し襲ってきたように感じて、焦ってしまったのだ。

「僕、あんたに触れるつもりはなかったのに……女は神聖な存在だから……でも、近づいてもいけなかったんだ………あんまりだ! こんな仕打ち....」

 直哉は杖を滑らせて、そのままよろけ、したたかに背中を打って動けなくなってしまった。ちょうどそこに、少女の急報を聞いて彼女の魔族仲間が駆けつけてきた。

「林委員、無事か?」

「ええ、大丈夫です」

 彼女が無事であること、目の前の直哉があまりに不潔であることを確認すると、仲間たちは汚物を扱う装備を準備するなど、手間を掛けながらなんとか直哉を引きずりだした。この時、意識を取り戻した直哉は、自らが受けている仕打ちに驚いて韋駄天のごとく逃げ出した。


 周囲の地理は断片的ながら何故か見覚えがあった。このままいけば蘭島駅があり、そこから30分ほど歩くと少し遠浅の砂地の海岸があるはずだった。そこに行けば、人ごみにまぎれて逃げられる。直哉は、知らないはずの土地にもかかわらずそう算段した。


 途中、かつて蘭島駅だったらしい廃墟を走り抜け ると、逃げ道に大岩が立ちふさがっていた。いや、それは直哉を追いかけてきたに違いない怨躯という怪物だった。直哉は無意識のままに杖から強い電撃を走らせ、じゃまをしようとした怨躯を蒸発させた。


 海岸に着くと確かに人はいた。ただし、それは臨海学校のような水泳訓練を行っていた学生らしい魔族の一団だった。

 追手はまだはるか後方だった。直哉は海岸の傍にある宿泊施設らしいところへ飛び込み、二階へ駆けあがり身を隠した。ちょうどそこは更衣室らしく、直哉はシャワーで身を清めることが出来、同時に洗濯済みの少々小さめでぴっちりしたTシャツと短パンとを探し出して、身に着けることが出来たのだった。


 この時、海岸の方から掛け声が聞こえてきた。

「おーいみんな……私たちは風紀委員だ.......ここに、家畜人類らしい男が逃げて来なかったか……年恰好は君たちより一二歳上の不潔極まりない格好をした少年だ」

「そう言えば、この海岸をそっちの傍へ、私たちの合宿所の向こうへ走り抜けていった男がいました」

 水泳訓練をしていた一団の中にいた少女が、合宿所の方向を指さして大声を上げた。風紀委員たちは、感謝と挨拶を彼女に返し、再び走り出した。

「そうか、ありがとう」


「林華晴、君は疲れただろう……此処の合宿所で少年少女たちととっもに合宿所を確認後、そこで休憩を取れ」

「委員長、わかりました....…林華晴委員はここで合宿所を確認したのち、任務から離脱させていただきます」

 華晴をその場所に残すと、追手たちは海岸のむこう端へと行ってしまった。林華晴と今まで水泳訓練を中止した少年少女たちは、受けた指示通りに合宿所へ向かった。


 直哉は手に入れたTシャツと短パンを着込んだまま、何も入っていなさそうなロッカーに入り込み、内側から鍵をかけて息をひそめていた。するとそこへ、騒ぎ立てながら階段を上って入り込んで来た少女たちの一団があった。直哉は、しばらくここで息をひそめてやり過ごすことを覚悟した。


「さあ、シャワーをさっさと浴びて、早く着替えて! これから各部屋を見て回らないと!」

 リーダーらしい娘の指示とともに、少女達はそこで着替えを始めた。 直哉は思わず自分の口を押さえた。どうやら、直哉が入り込んだのは、女子更衣室だった。

「あれっ、どこ? 私のTシャツと短パンがないわ」

  その言葉で、直哉は手に入れた衣類が女物であることに初めて気づいた。


 着替えのTシャツと短パンがなくなっていることから、華晴や少女達は更衣室内に侵入者がいることを確信した。華晴は、Tシャツを取られたという少女に自らの着替えをあたえると、急いで更衣室から出るように促し、自らは下着姿のまま室内を探し始めた。


「あのサキュバスめ、下着姿で僕を追い詰めるのか?」

進退窮まった直哉は一か八かで、照明スイッチに手元にあった箒を投げつけて照明を消し去った。

「あっ、真っ暗にして逃げ出すつもりね!」

華晴はあえて目をつぶった。周囲の音を全て捕捉するためだった。

ススー、パタリ。

 この音で直哉は華晴にTシャツを掴まれてしまった。彼は仕方なく身をひるがえして華晴の両手を封じ、口を抑えて黙らせようとした。チャンスがあれば、この場所から逃げ出すつもりだった。


 彼は自ら来ていたTシャツで彼女の両手を後ろ手に縛りあげようとした。華晴は下着姿のまま縛られるまいと、猛然と抵抗した。彼女は隙を見て直哉の背後に回ると、背後から彼に抱きついて彼の首に手をかけようとした。その途端、彼は簡単に気絶した。

「えっ?」

 あっけなく彼が簡単に気絶したことに、華晴は驚いた。彼が気絶したのは首を絞められたせいではなく、彼の背中の肌に直接押しつけられた華晴の双丘の柔らかさのせいだった。


___________________


「目を覚ませ!」

冷たい金属の棒で小突かれ、直哉はようやく目を覚ました。どうやら、彼は腕を後ろに縛られて、学院校舎の一室に監禁されたようだった。


「さて、あんたはどこから来たのか?」

 直哉に対峙した中年の女が、直哉に声を掛けた。直哉は悪びれる様子もなく、横柄に返事を返した。

「誰だよ、あんたは」

「こいつ、失礼な奴だ……お前は聞く立場にないぞ!」

 途端に、直哉の両側にいた魔族の男達が金属の棒で彼を打ちのめした。

「う、ぐぐ」

「やめよ!」

 中年の女が鋭いこえで男達を制した。

「お前達、目の前の男は……我等が大神おおかみからは、やっと封印出来ただけの怪物だと知らされている…そして、貴重な情報源だ…殺してしまえなどと考えているのか? 馬鹿者!」

「はっ」

 男達は、女の発した罵声に心からおののいたようだった.

「よろしい…この男がこの時期にこの辺りにいたことが、私にはとても悪いことのように思える」

 女は彼女自身が知っている何かを考えて、慎重に振る舞っているように見えた。


「あんたはどうしてここにきたのか、教えてくれないか?」

 中年の女は、温和な調子で静かに直哉に問いかけた。直哉は彼女が忍耐することを知っている魔族であると感じ、態度を改めることにした。

「僕は、大陸をさまよって、此処に来る舟に乗って上陸したんだ」

「大陸? 大陸のどこから来たのか?」

「忘れた…記憶が断片的で曖昧すぎるんだ」

 これを聞いた女は、後ろに鎮座している得体の知れない閻魔に似た像を振り向き、何かを小声で唱えた た。すると、その像はおどろいたことに口を聞いた。

「かの男、やはり高橋直哉だ……我らにとっては重大な存在だ……ここには我が彼をいざなったのだ……我は地の呪縛を受けて流離さすらう魔族に、(ルシファー)として伴った……我らは大地を支配しては叩きのめされ、隠れ逃れれば追われ、彷徨ってこの辺境の地にたどり着いた……その我らにとって彼はかつては不倶戴天の敵、そして今は記憶喪失の厄介者……だが、われらは勝利を目指す者なれば、彼をわが方の味方にしなければならぬ……教育して彼自身を見つめさせたうえに愕然とさせ、その時の彼の弱った心の隙をついて、我らの先兵とせしめるのだよ……それが彼に対する、また我らの究極の敵たる啓典に対する最大の復讐になるであろう……こうして、彼を此処で教育し、その心に苦しみと悔恨とを打ち込め……そうすれば、彼はここから去る時に、復讐を受けた絶望者として何も学ばずに転校して行くであろう……ただし、我らの裏の姿、真の姿を隠すために、受け入れる時には淡々と転校届を受け、転校させるときには淡々と成績表や転校書類などを送り出すのだ」


 これを聞いた魔族の女は、ゆっくりと記憶喪失の直哉に振り向いた。

「あんた、高橋直哉という名前なのか?」

「へえ、よく知っているな……どんな調査をすると、そんなことまでわかるんだ!?」

「やはり直哉なの……ねえ、直哉、あんたは驚いたのかしら? 私たちには、分からないことなどないのよ!」

「わからないことはない、と……」

「そうねえ、たとえば、あんたの今までの立ち寄り先がわかったわよ」

 この指摘は、記憶喪失の彼にとっては朗報のように聞こえた。

「直哉、あんたは長い間、行方不明だった…そのあんたが四十年過ぎて、いまこの時代に再び現れたんだよ……あんたが最初に人目に触れたのは、ヨルダン川の西岸の渓谷ね.…そのあとはイラン高原、インド…だね、そこから港町に出て、直接ここに来た……つまりはこの学院を目指してきたといえるわ……どうやら訳ありのようね? ここは小樽……世界の果て、共和国の中心ニューヨークからは海を隔て大陸を隔て、東の辺境に至る場所だ....それゆえに巷には知られていない貴重な魔術を教える学院だよ……つまり白魔術と呼ばれる叡智の神秘術とは反対の黒魔術の学院さ……それを求めてここに来たのなら、歓迎するよ」

 中年の女にそう言われて、直哉は関心して小声で独り言ちた。

「そうか、僕の名前も僕がここに来た訳も、こいつらは知っていたのか......僕はわからなかったのに......」


「高橋直哉、あんたは、かつての私たちの儀式で生贄の儀の際に、よく知恵が回っていたよね……そう、う、私たちの儀式などで一糸まとわぬ少女の姿に触れたことをきっかけにして……もしくは可哀想な人間の悲鳴をきっかけにして、あんたは、とんでもなく高度なふるまいをしていたわよ」

 中年の女は、思い出したように言葉を継いだ。直哉は、目の前の中年女が何を言い出すのか、と不吉な予感を感じた。

「へ?」

「そうね、ちょうどいいわ……一番堅牢なところ、私の家であんたを監禁することにするわ」

___________________


「まあ、気楽にすごして……ここは非常に堅牢な結界によって守られているところよ……逃げることも攻撃を受けることもまずないわ……ここは、私の家だから」

 中年の女の邸宅は、どうやら堅牢な要塞を兼ねている公邸だった。直哉は何者かから受けた精神衝撃によって、潜在意識は愚か表面的な思考能力さえもほとんど失われていた。そんな姿を見ながら中年女は、地下要塞の一室に直哉を閉じ込めた。


 数日たったある日、中年の女は数名の風紀委員を伴って、直哉の軟禁部屋にやってきた。

「あんたをもう少し尋問することにした......まだわからないこともあるし、これからのことも決めたいからね」

「な、なんだ?」

「お前の名前は、高橋直哉だったな」

「ああ、そうだ」 

「私の名は、林梓晴だ」

「林梓晴?:僕はそんな名前のオバさん、知らないなあ」

 直哉はどこかで聞いたことのある名前だと、考え込んだ。だが、記憶喪失の彼に、思い出すことは何もなかった。

「『梓晴』という名前を聞いて、何も感じないのか.......わが神の封印のせいか、相当酷い記憶喪失らしいな……それなら多少は記憶を取り戻せるよう試してやろう」

 この時、執務室から離れた居室から、ドタドタと怒ったような足取りでやって来る若い女の気配が感じられた。

「母さん、私、こんな男と同居なんて嫌だからね!」

 入ってきたのは、風紀委員の魔族少女、林華晴だった。

「この子は 林華晴……私は彼女の母親 林梓晴だ……これからあんたはこの娘と一緒に学院へ通ってもらう」

「ふうん」

 直哉は、怒った態度をとる娘をなぜか見慣れていた。目の前に現れた娘が、昔どこかで関わったことのある娘と態度が似ていると感じ、一安心したほどだった。昔関わったことがあるタイプの娘なら、扱い方も同様だろうと考えたのだった。

「要は、下手したてに出て適当にあしらえば、怒らせることもないだろう」

 直哉は、こんな独り言を口にすべきではなかった。一人で旅を続けてきたせいで、今の直哉は頭の中の考えを口にする癖がついていた。

「へえ、私をそんな風に見ているんだ」

 室内の明るい照明の下にあらわになった彼女の姿は、直哉を警戒させるものだった。

「な、なにをさせるつもりだ」

 直哉が警戒したのも無理はなかった。彼の目の前に現れた林華晴は、彼にとって非常に危険な香りと刺激的な露出とを伴ったサキュバスそのものの姿だった。


 その日から、直哉は監視装置による厳重な監視を受けながら、林梓晴の邸宅と学院とを往復しながら暮らすことになった。

 さて、直哉にとって厳重な監視を受けることは、問題ではなかった。それよりも彼にとって大問題だったのは、直哉を監視する役のはずの林華晴の生活が、彼が常時監視したいほどに荒れていたことだった。


「食べた後の食器をかたずけないのか」

「風呂に入った後は、きれいにするんだろ」

 直哉の文句は、まるで華晴の監視役のような口ぶりだった。華晴は当然に反発した。

「うるさいわね……監視される立場の奴が、なんで監視役の私に注文を付けるのさ」

「片づける、きれいにするのが基本だろ」

「じゃあ、あんたがやってよ」

「わかった、僕は何でもすぐにきれいにしておくよ」

 ところが、それがさらに争いを産んだ。 


 ある日、直哉は風呂の後すぐに掃除をしてしまった。直哉はすでに家族全員が入浴を済ませたと考えていたのだった。そこに、入りそびれた華晴がバスタオルを巻いて抗議しにきた

 それを裸で迫ってきたと驚いた直哉は、パニックになって悲鳴をあげ、梓晴が駆けつけた。

「どういうこと?」

「あんたの娘、華晴が僕に迫ってきたんだ」

「華晴、あんたはなぜそんな恰好で迫ったんだ?」

「あいつが悪いのよ」

 直哉は、昔、ある少女に迫られていたことを持ち出した。

「昔、僕は、林梓晴という女に迫られたんだ....彼女は、結婚の詳しい話も知らずに、僕に裸で迫ってきたんだ…そう、ちょうどあんたの娘が裸で僕に迫ってきたように」

「私はあんたに迫ったわけじゃないわよ...あんたを捕まえようとしたのよ」

 華晴は、母親の前できまり悪そうに言い訳をした。直哉は華晴の態度を見て、何かを思い出し、独り言のようにブツブツ言い始めた。それは、目の前に華晴と梓晴がまるでいないかのような態度だった。

「そうか、裸で僕を捕まえようとしたんだ……僕が女の人の裸に弱いから……でも、僕の弱点をよく知っていたね……そうだ、そんなところ、僕が知っている昔の知り合いと同じだ....。エッチで掃除嫌い、片づけ嫌い....」

 彼はそう言いながら、華晴の顔を見つめ、そして、その母親、林梓晴の顔を見た。

「そうだ、おばさん、あんたは林梓晴といったな……昔知っていた娘も林梓晴という名前だった……う? 梓晴? 華晴はあの女の娘……やっと思い出した……おばさんが林梓晴だったのか....おばさんになったな....そしてあんたはとてもエッチだった......そしてあんたの娘もエッチだ……とてもエッチだ」

「もう、黙っていて!」

 梓晴は面白いという顔をしていたが、娘の方は怒りで顔を真っ赤にしていた。彼はそれに気づかないというより、何を言っていようとそんなことにかまわないという態度だった。それは決して無視しているわけではなく、何かを回避するために一生懸命に努力している態度だった。

「でも、言っておかないと、華晴はずっと僕を理不尽に責め続けるだろうからね」

「なんだって!」

 この時、華晴の纏っていたバスタオルがずり落ちた。

「あんた見たわね」

「みてない!」

「見たわよ、ただでは置かないからね」

「僕は、おっぱいは見たけど、下はちらっとしか見てないよ!」

「やっぱりみたんじゃないのよ!」

「そんな言葉で僕を苛めるなんて...でも、僕はお金持ってないよ」

「お金を出せと言っていないわよ」

「僕、貧乏だから……」

「知っているわよ」

「どうして?」

「だって、あんたあの廃墟で汚い格好をしていたでしょ」

「来ていた服で差別するのか? 汚いから僕は嫌われているんだね」

「嫌われているだけじゃない! とってもあやしいのよ」

「僕はあやしい人間じゃないよ」

「疑わしい、と言っているのよ……やっていることが犯罪者でしょ」

「どこに犯罪者がいるのか、許せないぞ……僕がやっつけてやる」

「あんたが犯罪者だと言っているのよ」

「僕は悪いことをしていたのか? 何をしたのか? あんたの裸を見たからか?」

「なんで裸だったことを言うのよ、言うなって言ったでしょ」


 この日から、この種の言い合いが日常茶飯事となった。

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