【第94話】書道室、大掃除
三学期も終盤に入り、空気の中に春の気配が混じり始めたある日。
書道室に、「全員集合」の張り紙が貼られた。
「あ〜、うち掃除苦手やのに〜……」
あすかが机の下に頭を突っ込みながらぼやく。
「苦手な割には、雑巾の絞り方が妙に上手い」
志津香がぼそっと返す。
「そこは感覚や。筆も雑巾も、手首の返しや!」
胸を張るあすかに、後輩たちが笑い声を上げた。
この日は、部内恒例の“書道室・年度末大掃除”。
一年間使った道具や紙を整理し、棚や畳を拭き、心も空間も整える一日。
真理子は、棚の奥から大きな段ボール箱を引き出していた。
「……これ、たぶん、去年の文化祭の時の共同作品。志津香、あけてみて」
志津香が箱を開けると、中から大判の紙が数枚現れた。
「あ、これ懐かしい……!」
結子が声を上げる。
「『鼓動』やん、うち、あのとき紙持ち係やったわ」
伊藤が笑いながら言うと、あすかが紙を広げて床に置いた。
「……あんときは、めっちゃ揉めたな」
あすかがぽつりと呟いた。
「“言葉に頼りすぎだ”って、私があすかに言ったんだったよね」
志津香が思い出す。
「“感情がなけりゃ、書なんて無意味や”って、あすかが言い返したんだった」
真理子がくすっと笑う。
みんなが少しずつ寄ってくる。
「でも、この字……今見ても、やっぱりすごい」
山根が、広げられた作品をじっと見つめた。
あすかの力強い筆。
志津香の繊細な構成。
真理子の迷いながらも折れなかった線。
そのすべてが、紙の上で生きていた。
「掃除っていうより、思い出発掘やな……」
あすかが照れくさそうに言う。
「でも、いい機会かもしれない」
真理子が紙を丁寧にたたみながら続けた。
「こういうのって、しまいっぱなしにしてると、気づけないことも多いし」
志津香が、棚の一番奥から薄い木箱を取り出した。
「これは……先代の部長の卒業制作だと思う」
開けると、中には「結」という一文字の作品が丁寧に収められていた。
みんなが静かに見つめた。
「受け継がれてる、んだな……」
結子がぽつりとつぶやく。
掃除という行為が、ただの整理ではないことに、部屋の誰もが気づいていた。
書道室という場所は、“線”だけでなく、“時間”を重ねていた。
誰かが書いた跡。
誰かが迷った痕。
誰かが泣いた墨。
誰かが笑った紙。
それらが折り重なって、いま、この静かな午後に繋がっている。
掃除が終わる頃、あすかがホワイトボードの隅にそっと一言、筆で記した。
「書いた分だけ、残ってる」
その言葉に、誰もがうなずいた。
汚れた雑巾、空になったゴミ袋、整った棚――
それらの中に、確かに“書道部の一年”が、宿っていた。




