【第91話】年明けの再始動
元旦が過ぎても、街の空気にはまだ正月の余韻が残っていた。
近くの神社では初詣の行列が長く伸び、制服姿の高校生はまだ少なかった。
けれど、書道室にはいつも通り、三人の姿があった。
「……寒いね」
志津香が、ストーブの前で手を擦りながら言う。
「なあ、あけおめって、毎年言うけど、書道部的には何がおめでたいんやろな」
あすかが笑いながら、ストーブにあたる志津香の隣に座る。
真理子は、墨をすりながら答えた。
「“また書ける”のがおめでたい……のかも」
その言葉に、二人はふっと表情を緩めた。
それぞれの冬休みは、特別な意味を持っていた。
あすかは、実家で祖父母に書を披露した。「字に魂がある」と言われて、泣きそうになった。
志津香は、東京の大学見学に行った。都会の空気に呑まれそうになりながらも、自分の書を持っていけるだろうか、と考えていた。
真理子は、何度も「継」の字を練習した。自分の筆が少しずつ変わっていく感覚を、ノートに記しながら。
冬の数日が、それぞれにとって「問い」と「答え」を刻んでいた。
「なあ」
あすかが、ぽつりとつぶやいた。
「うちら、もうすぐ三年やねん」
「……そうだね」
「書道部も最後の年になるわけやろ? なんかさ……うち、もう一回、三人でちゃんと書きたいねん」
その言葉に、真理子が顔を上げた。
「“ちゃんと”って?」
「一枚の紙に、三人の筆を。前はどこか競い合ってたけど、今は違うと思うねん。
迷った分だけ、書けることがあるって、最近やっと分かってきた」
志津香がそっと言葉を足す。
「私も……そう思う。前より、誰かと“書を合わせる”ことに意味を感じるようになった。
自分だけの線じゃなくて、“共に描く何か”が、ようやく少し分かってきた気がする」
真理子はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「じゃあ、また書こうよ。今の私たちで」
言葉に、熱はなかった。けれど、その“静かな強さ”は、以前とは比べ物にならなかった。
三人は、再び机を並べる。
紙を広げ、墨を分け合い、それぞれの筆を持った。
あすかの線は、以前より少し繊細だった。
志津香の筆致は、静けさの中に柔らかさを持っていた。
真理子の線は、まっすぐで、ほんの少しだけ誇らしかった。
誰も急がなかった。
筆が紙を走る音だけが、静かに響いていた。
一枚の紙に、三つの筆が交差する。
“年明けの再始動”。
それは、新しいスタートというよりも、
かつての「はじまり」に、もう一度自分たちの手で光を灯すような、そんな時間だった。
紙の端に、誰かがそっと記す。
「再」
始まりではない。続きでもない。
それは、“もう一度、始めること”を意味する、一文字だった。




