【第79話】「わたしたちの書」って?
放課後の書道室。
机の上には、墨のしずくが乾きかけた筆たちと、使い込まれた練習紙の山。
壁には、完成間近の「繋」が、静かに掛けられていた。
「……完成、近いな」
あすかが呟くように言った。
志津香がうなずく。
「あと一筆、仕上げの“留め”を入れたら、もう終わり」
「そっか……なんか、あっという間やな」
真理子は机に肘をついて、ぼんやりと天井を見ていた。
ふいに、誰ともなく黙り込んだ。
「“いい作品”って、なんやろな」
あすかがぽつりと呟く。
「見栄えがいいこと? うまいって言われること? 賞とること?」
「……それとも、“自分たちらしい”ってこと?」
志津香が小さく口を開いた。
「“らしさ”って、難しいね。
私は、ずっと“正しい線”を引くことが自分らしさだと思ってたけど、最近、よく分からなくなる」
「うちは……ただ強く書けばいいって思ってた。
けど、それだけじゃ人の心、動かせへんって、ようやく気づいてん」
あすかが、照れくさそうに言った。
真理子は少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。
「書道って、“自分を映す鏡”だと思うの。
うまく書こうとするほど、気持ちが浮ついてしまうし、
逆に、迷いながら書いた一枚が、ふと心に残ったりする」
「じゃあ、“わたしたちの書”って、なんやろ」
あすかが、机に伏せた腕越しに聞いた。
答えは、すぐには出てこなかった。
けれど、誰も急ごうとはしなかった。
「――“書いて、向き合って、重なったもの”じゃないかな」
志津香が、ぽつりとつぶやく。
「うちら三人が、どれだけ違って、どれだけ同じか。
ぶつかって、泣いて、また一緒に書いて。
そういう全部が、線ににじんでる。
それを、作品って呼ぶんじゃない?」
沈黙が、あたたかく広がった。
真理子が、微笑んだ。
「……うん。“わたしたちの書”って、線だけじゃなくて、
その間にある余白にも、きっとちゃんとあるんだと思う」
そして、あすかが立ち上がり、筆を手に取った。
「ほな、仕上げ、いくで」
三人が、再び紙の前に立つ。
最後の一筆は、三人の手で、同時に入れると決めていた。
それぞれが筆を構え、合図もなく、自然と筆先が紙に触れる。
太さも、濃さも、書き出しも違う。
けれど、それは“ひとつの流れ”になっていた。
「……これが、わたしたちの書やな」
あすかが、静かに言った。
筆を置いたとき、三人は確かに“つながって”いた。
競い合うでも、合わせるでもなく、
ただ、共に書くということの意味だけが、そこにあった。
それが、彼女たちの答えだった。




