【第48話】代表選出、波紋
春の陽射しがまぶしくなり始めた放課後、書道室に三人が集まった。
机の上には、甲子園出品候補となる三人それぞれの書が並べられていた。
〈澄〉――志津香の静謐。
〈継〉――真理子の芯。
〈在〉――あすかの実感。
どれも個性があり、どれも“今の自分たち”を表していた。
「じゃあ……代表作、決める?」
志津香が、静かに口を開いた。
「誰のを出すか、話し合おう」
「うん」
「……そうだね」
最初に、沈黙を破ったのは真理子だった。
「私は……正直、二人のどっちかの方が、見る人に届くと思う」
「なんで?」
あすかが、少し鋭く問い返した。
「真理子の〈継〉、すごくよかったよ。うち、あの字見たとき、ちょっと泣きそうになったもん」
「でも、うまい字ってわけじゃないし……」
「そういうことじゃないでしょ」
あすかが、少し語気を強めた。
「“うまい”とか“目立つ”とかじゃなくて、“書きたい気持ち”が見える字の方が、うちは好きだよ」
沈黙。
その中で、志津香が口を開いた。
「……私は、自分の字が“選ばれるべき”かもしれないって、思ってた」
「志津香……」
「でも、それが傲慢だったのかもしれない。私は“整った線”を書くことにずっとこだわってきた。
でもこの〈澄〉を書いたとき、“線の外”に何が残せるかを、初めて考えた。……私は、今も迷ってる」
空気が、少しずつ張り詰めていく。
全員が“自分以外の誰か”を推したい気持ちと、“それでも自分が前に出たい”という本音の狭間で、揺れていた。
そして――
「……うち、自分の字を出したいと思ってる」
あすかが、絞り出すように言った。
「……最初に言ったときは怖かった。自分勝手に思われるんじゃないかって。
でも、去年の負けからずっと、“今度こそ結果を出したい”って、その気持ちだけで書いてきた」
真理子と志津香は黙って聞いていた。
「でも……うちのこの〈在〉、二人の書き方がなかったら絶対書けなかった。
だから、この一枚は、三人で書いたって思ってる。だから、出したい。胸張って」
その言葉に、しばらく沈黙が続いた。
やがて、志津香が微笑んだ。
「いいと思う。……あすかの〈在〉は、“書道部の今”だって感じがした」
真理子も、ゆっくりと頷いた。
「うん。三人がいて、あの字になったなら、それを出すことが“うちらの今”になると思う」
あすかは、涙をこらえながら、言った。
「ありがとう。……本当に」
こうして、代表作品はあすかの〈在〉に決まった。
その決定は、全員の中に少しの波紋と、静かな納得を残した。
勝ちたい気持ちも、譲りたくない意地も、誰にも言えなかった嫉妬も、すべてがそこにあった。
でも、それを越えて、三人は“選んだ”。
書道は、技術だけでは決まらない。
そこに立ち上がる“想い”が、いつも書き手の背中を押している。
作品を収めた筒を手に、あすかがふとつぶやいた。
「うちが書いたんじゃなくて、三人で書いた字。そう思えるの、すごく幸せだよ」
志津香と真理子は、静かに微笑んでうなずいた。
代表が決まったその日、書道室の風は、少しだけあたたかかった。




