【第103話】三人の筆跡、継承と個性
午後の書道室。
窓から吹き込む春風が、机の上の半紙をかすかに揺らした。
山根、伊藤、結子の三人は、それぞれの机に向かっていた。
今日の課題は、「三年生の筆跡を写す」こと。
志津香の整った楷書、あすかの勢いある行書、真理子の柔らかい草書風の運び――
三人は、そのどれかを模写し、自分にない線を取り込もうとしていた。
「うー……やっぱ無理。志津香先輩の止めとか、真似できる気がせん!」
伊藤が筆を置き、頭を抱えた。
「うちは逆に、あすか先輩みたいに豪快にいけない……筆が途中で止まる」
山根が言う。
「真理子先輩の字は……やさしいけど、ふにゃっとして見えるのは私のせい?」
結子が首をかしげる。
そこに、志津香が現れた。
扉を開ける音も静かに、まるで筆のように入ってくる。
「ふふ、頑張ってるわね」
三人が驚いて顔を上げた。
「筆跡って、線の形だけじゃないのよ。
呼吸、気持ち、体の重心……全部、字に出る」
志津香は、伊藤の模写した「空」の字を見た。
「……これは、“似せよう”としているわね。でも、あなたの線じゃない」
伊藤が少し落ち込んだ顔をすると、志津香はやわらかく続けた。
「でも、“あなたじゃない線”を通って、自分に戻ってくるのが、練習の意味。
模写は“旅”みたいなものよ。迷って帰ってくれば、それでいいの」
その言葉に、三人は少しだけ表情を緩めた。
後から真理子も現れ、あすかも駆け込んできて、部室は少し賑やかになった。
「それぞれ、うちの真似しとったんか〜。恥ずかしいなあ」
あすかが照れたように笑う。
「でも、それぞれにちゃんと“あんたららしさ”出とったで」
そう言いながら、伊藤の線を指差す。
「この角度とか、ちょっと引っかかるところ、そこが“伊藤”や。
うちが書いたらこうならんもん」
「継承ってのは、“そのまま写すこと”じゃないんやな……」
山根がつぶやく。
真理子が、そっと筆を持ち、三人の模写の上に小さく字を書いた。
「変化を受け継げ」
「書道って、“続いてるようで、毎回違う”。
だから、あなたたちの線で、次を作っていけばいいんだよ」
静かに、でも確かに――それは三人の胸に届いた。
筆を持つ手に、少し力がこもる。
模写だった線が、少しずつ、自分の呼吸に馴染んでいく。
そして、模倣の中から、ふと浮かび上がる“らしさ”。
自分の筆跡は、自分で見つけるもの。
それこそが、本当の“継承”なのだ。




