退廃の街へようこそ(2)
『退廃の街へようこそ』(2)です。楽しんで頂けたら幸いです。
そう思ったところで明日は必ずやってくる。
「お兄さん、起きてください」
「……ん?」
渋々起きてみれば、にっこりと笑う少女の姿が目に入った。
「おはようございます、お兄さん。昨日はよく眠れましたか?」
「眠れなかった」
「そうですか」
「だから、また寝る」
「はい、お休みなさ……って違いますよ! 起きてください!」
二度寝しようとしたものの、少女が慌ててぼくの体を揺り動かしてくる。
起きたくなかったけど、これ以上抵抗するのもめんどくさかったから、寝るのを止めた。
まだ頭は、ぼーっとする。そんなぼくに、少女は水と食料を手渡してきた。
ぼくは素直にそれを受け取り、口に運んだ。少女はどこか満足げに笑い、自分も食事を始めた。
先に食べ終わったぼくはふと周囲に目をやった。
思いの外、『カプセル』がある広場から近い場所だったらしい。ズラリと並ぶカプセルがよく見えた。
「どうしましたか、お兄さん」
広場を眺めていると、少女が不思議そうに尋ねてきた。
「いや、別に」
首を振ったぼくを、少女はじっと見つめてくる。
「……何?」
「埋めたいですか?」
「は?」
思わずぽかんとしてしまったが、少女は至って真剣な眼差しだった。
「街の人達を埋めたいなら、手伝いますよ?」
「……違う。ただ……」
「ただ?」
「ただ、あの中に自分もいたのかと、不思議に思っただけ」
『カプセル』に入る前は何とも思わなかったのに、今こうして見てみると、それはまるで棺桶のようだった。『カプセル』の中で死ぬのだから、あながち間違ってはいないが。
「確かにそうかもしれませんね……」
相槌を打つ少女に対し、今度はぼくから話を振ってみた。
「あんたはどうなの? 埋めたいとか思わないの?」
「思いませんよ」
即答だった。
「……なんで?」
「お兄さん以外に興味ありませんし」
誤解を招くような発言をした後、少女は言った。
「それに『カプセル』の中に死体が入っているなら、あれはもう棺桶同然です。その中から死体を取り出すなんて、それこそ死者への冒涜じゃないですか」
「ふーん」
気のない返事をしながらも、少し意外だった。まさかぼくと似たようなことを考えているなんて思わなかったからだ。
「さて……。食べ終わったことですし、さっそく探検に行きましょうか!」
立ち上がった少女は大きく伸びをした。
「……めんどくさい」
ぼくは渋っていたけど、少女はぼくの腕を引っ張りながら、
「ほら、お兄さんも早く準備してください!」
結果、どうなったかなんて言うまでもなかった。
※ ※ ※
なんでもあった。なんでも手に入った。だから、あきてしまったのだ。
※ ※ ※
「何もありませんねー」
「あんたは何を期待していたんだ」
街を見て回る少女は興味津々な様子だった。対照的にぼくは少女を若干呆れた目で見ていた。
街を歩いているとはいえ、そこはやはり『退廃の街』である。
人の声はおろか虫の鳴き声すら聞こえてこない。こんな廃墟だらけの街のどこがそんなに面白いのか。
すると、少女はくるりと振り返って、
「いえ、期待していたわけではなく、単にお兄さんの住んでた街がどんなところなのか気になっただけです」
「それを期待と言うんだ」
「ところでお兄さんの家ってどこにあるんですか?」
まるで人の話を聞いていなかった。期待の眼差しを向けられ、ぼくはため息をついた。
「そんなの忘れたよ」
「えー」
少女は不満げに口を尖らせた。
「いくらなんでも、それはさすがにひどくないですか」
「どうでもいいだろ、そんなこと」
「よくないです。親睦を深めるためには必要なことなんです」
家を知った程度で仲が深まるとは思えないが。
内心でぼやきながら、ぼくは少女とは逆方向を歩き出した。
「ちょっとお兄さん! どこ行くんですか!?」
少女が慌ててついてきたけど、ぼくは構わず歩き続けた。
※ ※ ※
目的地はすぐに見つかった。ピタリと止まると、その拍子に少女が背中にぶつかった。
「痛いじゃないですか!」
文句は無視し、ぼくは後ろにいる少女を振り返る。
「着いたよ、ぼくの家」
少女は目を見開き、きょろきょろと周囲を見渡した。が、すぐに不機嫌な目つきで睨み付けてきた。
「からかわないでください。家なんてどこにもないじゃないですか」
確かに家らしきものはどこにもない。にもかかわらず、ぼくは目の前の土地を指差して、
「ここがぼくの家」
「だから――」
「燃えたんだよ」
ぼくは少女を遮った。息を呑む少女の気配を感じながら、ぼくはもう一度言った。
「燃えたんだ」
少女は目を瞬かせ、首を傾げた。
「なぜですか?」
「は?」
思わず少女を見ると、その目は好奇心で輝いていた。
「なぜお兄さんの家は燃えてしまったんですか?」
ぼくはため息をついた。
「あんたさぁ……」
「はい?」
「気を遣おうとか思わないわけ? 普通は黙るだろ」
「……? お兄さん、気を遣ってほしかったんですか?」
というよりも早くどこかに行ってほしかった。
「でも、私はお兄さんの家なんかどうでもいいですし」
「はぁ?」
ぼくは素っ頓狂な声を発した。
「あんた、さっき『家はどこだ』って言わなかったっけ?」
「はい、言いましたよ。でも、あれは親睦を深めるためですし。それに、もうなくなってしまったものに気を遣うなんて変な話じゃないですか」
またおかしなことを言い出した。
「じゃあ、なんで燃えた原因なんか気にするの」
「それとこれとは話が別です。単純に興味があるからです」
「……燃えた原因に?」
「はい」
少女はにこにこと笑いながら頷いた。燃えた家はどうでもいいが、燃えた原因には興味がある。
一体どういう思考回路をしているのだろうか、この少女は。
考えても仕方がないから、さっさと答えることにした。
「火事で燃えた」
「火事の原因は?」
「火の消し忘れ」
「それってお兄さんが?」
「違う。親が消し忘れてた」
そこで少女は目を丸くした。
「お兄さんのご両親が、ですか?」
「そうだよ。他に誰を親だっていうわけ?」
めんどくさくなって、投げやりに答えた。
「ご両親はその火事でそのまま?」
「違う。親は『カプセル』の中」
――あの日。両親は何を思ったのか、料理をしようとしていた。だが、結局途中でめんどくさくなったらしく、火を付けたまま、両親は『カプセル』の中で眠りに就いた。
「じゃあ、ご両親は『カプセル』の中で?」
「死んだんじゃないの?」
ぼく以外全員死んだのだとすれば、その中には両親もいるはずだ。
「……」
さすがに気まずくなったらしい。少女は黙り込んでしまった。そう思い油断したとき。
「……非常に呆れて物も言えないくらいですよ、お兄さん」
「は?」
まるで弟を叱る姉のような態度で、少女はぼくに言った。
「いいですか、お兄さん。火の消し忘れなんて危ないじゃないですか! 何かあったらどうするつもりだったんですか! 丸焦げですよ!」
「……ぼくのせいじゃないんだけど」
「いいえ。お兄さんのせいです」
少女がきっぱりと言い切ったものだから、さすがにぼくもムッとした。
「なんでぼくのせいになるの」
「お兄さんが最後に家を出た人だからです」
さっぱりよく分からない理屈だった。
「お兄さん、何かあってからでは遅いんですよ。お兄さんが無事だったからよかったものの……」
ぼくは怪訝そうに眉を寄せた。
「なんで、あんたがぼくの心配なんかするわけ?」
「私がお兄さんと一緒に死ねなくなるからです」
ぶれない思考回路だった。
ぼくが呆れてため息をついていると、少女はまたきょろきょろと周囲を見渡した。
「……お兄さん。この街って、おかしくないですか?」
「は?」
唐突に何を言い出すかと思えば。
「こんなものだと思うけど」
少なくとも『退廃の街』の光景ならば、これが普通である。
「いいえ、この街は変です」
「……何が変なの?」
「だって、この街の皆さんは重度のめんどくさがり屋だって聞きました。なのに……」
少女の視線が再びぼくに向けられた。
「なのに、なんでこんなに大きな街が造れたりするんですか。どう考えてもおかしいです」
失礼な言われようだが、確かにその通りではあった。
少女に連れ回されたのも、街のほんの一部に過ぎなかった。
少なくとも数日ぐらいないと、全てを見て回るのは無理だと思う。
そんな街を、ぼくたち住民が造るどころか機能させていたのだ。どう考えても不自然すぎた。
「もしかして……何かあったんですか?」
少女がぼくのほうに身を乗り出してきた。
「『退廃の街』って本当はどんなところだったんですか?」
ぼくは顔が引きつった。少女の目がキラキラと輝いていたからだ。
「……なんでぼくに聞くの」
「お兄さんしかいないからです」
なぜこんなときだけ正論が言えるのか。ぼくが頭を抱えていると、少女に心配げに声をかけられた。
「お兄さん、顔色悪いですけど大丈夫ですか?」
――主にあんたのせいだよ。そう言いたくなったが、先に少女に腕を掴まれた。
「あっちに日陰があったので、そっちで休みましょう」
「別になんともないんだけど」
「だめですよ、お兄さん。具合が悪いならちゃんと言ってください」
やっぱりぼくの話なんか聞いていなかった。
※ ※ ※
――『退廃の街』はかつて『享受の街』と呼ばれていた。
『享受の街』は、なんでも手に入る街だった。住民もそれを誇りに思い、現状に満足していた。
だけど、それだけだった。
――もっと別の、よりよいものを。
そんな風に思う人間は誰一人いなかった。
全てを当たり前のように享受し続ければ、必ず破綻は訪れる。
いや、そもそも向上心がない時点で先は見えていたのかもしれない。
あるとき、誰かが言った。
『あきた』
その一言はまるで波紋のように広がっていった。
『あきた』
『あきた』
『あきた』
そして、決定打となった言葉がこれだった。
『めんどくさい』
住民は全てを投げ出した。眠りを欲し、そのための最適な環境を求め、『カプセル』を造り出した。
『カプセル』の中に次々と住民は入り、眠りに就いた。
いつしかこの街を誰も『享受の街』とは呼ばなくなった。その代わりに街の状況を示すように『退廃の街』と呼ばれるようになったのである。
※ ※ ※
「それで全部ですか?」
「……そうだけど」
寝そべるぼくの顔を覗き込んでくる少女。
移動した後、少女に請われるがまま、ぼくは今の今までこの街の過去を話していたのだ。
「この街にもそんな歴史があったんですねー」
感動したかのように、少女はほぅっと息をついた。
「……そんな大げさなものじゃないと思うけど」
「そうでしょうか。この街ではたくさんの出来事があったんですよ? それは歴史そのものです」
「……大げさ」
呆れるぼくに、少女は嬉しげな笑みを返した。
「ありがとうございます、お兄さん」
ぼくは思わず怪訝な顔をした。
「……なんでお礼なんか言うの」
「だって教えてくれたじゃないですか。この街のこととかお兄さんのこととか。教えてくれたならお礼を言うのが筋だと思います」
「ふーん。あ、そう」
ぼくは居心地が悪くなり、そっけなく答えた。少女は気にした様子もなく、にこにこと笑っていた。




