第六節 「星海」 Day star
距離としては十メートル。隆希たちはシリウスとスピカと対峙していた。玄恵の空間転送術により、二人は図書館の屋上に立っていた。同じく、シリウスとスピカもここに移動してきていたらしい。
「さすがに、あのような低級な術式では抜けられるか。まあよい。広いほうが動きやすいものだ」
シリウスは未だ、手のひらの上に浮かべていた光の球を握りつぶした。光が辺りに飛び散る。
「お前にいくつか聞きたいことがある。シリウス」
隆希は警戒を解かずに、問う。シリウスは頷いた。
「うむ、聞こう。その後から拘束しても遅くはあるまい」
「一つ目。スピカに殺しをさせたのはお前か?」
「そうだ。私が指示をした」
間髪入れずに即答。間がなかった分、隆希はかえって冷静を保つことができた。しかし、内心ではふつふつと怒りが沸き起こっていた。
「なぜだ」
「そんなこと、お前らには関係あるまい。これも我々の仕事。私とて、指示をされ、その指示をアストライアに伝えたにすぎない」
素っ気のない答え。機械的な言葉に、隆希は何も言えない。
その様子を見て、シリウスは鼻で笑った。
「そんな様子では、何時まで経っても、お前らに来た依頼は解けんだろうな」
「――――は?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
戸惑う隆希を気にすることもせず、シリウスはアストライアの肩を叩く。
「アストライア。魔力抑圧解除を許可する」
ぱきん、と割れる音。
「リュウくん、あれ!」
「――――なっ!?」
一瞬、隆希も玄恵も目の前に広がる光景が理解できなかった。スピカが宙に浮いている。いや、そんなことはどうでもよかった。彼女の周りを取り囲むように渦巻いているのは群青色の光。それは魔力の固まりだった。視覚できるまでに濃くなった魔力。人間の量とは到底思えないほどの量だった。魔力は一か所に濃く集めることで疑似的に可視化させることができる。しかし、隆希も玄恵も、目の前で実際に起きていることを受け入れることは難しかった。尋常ではない魔力量。スピカを包み込み、群青色の光は繭のような形となった。
「I manipulate the rule of universe and move stars. The sun goes out in the darkness. Open empty. It is not the nothingness night. The starry night. God bless me. I get starry power.(天道を操り、天動を与える。陽なる光、闇に消え去る。開くは天。それ、無の夜にあらず。星光に輝く夜なり。祝福よ、我に。力よ、我が手に)」
繭の中から、スピカの静かな詠唱が聞こえたかと思うと、突然魔力の繭がはじけた。同時に、スピカの足下に巨大な魔法陣が現れた。魔法陣は何重にも魔法円を展開し続け、複雑な幾何学模様とアルファベットで、一種、芸術作品のようであった。魔法陣の大きさは、図書館の屋上だけにとどまらず、急速に、どんどん広くに展開されていく。
「……こんなに大きな回路…………人間業じゃ……ない…………」
玄恵がついそんな言葉を漏らした。隆希も唖然として言葉がでなかった。
スピカの魔法陣はどこまで広がっただろうか。隆希の見える限りでその果ては遙か遠くだ。数キロ、なんていうレヴェルではなかった。そのとき、魔法陣は支丞市全体をすっぽり覆ってしまうほどまでに広がっていた。
「逝け。星海をここに展開する」
視界が断絶される。突如、あたりに闇の帳が下りた。この時間にしては早すぎる夜がそこにあった。空を見上げるとそこには星が輝いている。なんの幻像でもなく、たしかに星空がそこにあった。
「これって……魔法……」
「あ、ああ。信じがたいけど……」
普通の魔術では取り扱えず、一部の限られた生まれつきの能力を持つ人間にしか扱えない魔術。それを魔法と呼ぶ。人の常識の外にある奇跡のような現象。時間に関係せず、夜を展開するなんてことは、魔法以外のなせる技ではない。
そのとき、ふと携帯が鳴った。
「くそっ、こんな時になんだよ……!」
それでも隆希は携帯を素早くとりだし、画面を睨む。すると、この着信は銀埜からのものであるようだった。通話ボタンを押し、電話をつなげる。
「なんだよ、銀埜、今それどころじゃないんだ!」
携帯に向かって怒鳴りながら、隆希は一歩身を引いた。スピカからは視線をはずさない。彼女はいまきちんと地に立ち、うつむき加減に沈黙している。しかし、見るとシリウスがどこにもいない。どこにいったのか。
『重要な話だ。簡潔にすませるからよく聞け』
銀埜の声はいつになく焦りを含んでいた。
『そちらも気づいていると思うが、今、大規模結界の発動を視認した。すごいものだが、何人魔術師がいるんだ、これは』
聞いて隆希は眉をひそめる。
この魔法を発動しているのは、スピカのはずだ。
「何人って、一人だけど」
『何……? 本当か? まさか天使の血族じゃあるまいな。まあいい。この結界の性質は属性強化だ。結界自体は何の効果も持たないが、場の性質一つ以上の属性で固定する。まだ何か残――』
そこでぶつんと通話が途切れた。
「天開―VIRGO」
空を見上げるスピカ。それにつられ、隆希たちも空を見上げる。夜空に浮かぶのは無数の星。その中で存在を誇示するかのように、一際目立って光る十ほどの星々があった。月のない暗闇を照らす唯一の光源。その連なりはまさにおとめ座であった。
隆希は視線をスピカに戻す。明らかに変わった何か。初めてあったときとはまるで別人のような雰囲気を纏っている。
スピカが左手を斜め下へ振るった。すると、彼女の周りにいくつもの光の球が現れた。この薄暗闇の中で、星のような輝きを放っている。
来る……
隆希がそう確信するとほぼ同時、
スピカの周りに浮かんでいた星弾が鋭く射出された。
「ちぃっ。reflexio――!」
隆希は咄嗟に簡易詠唱を唱えた。簡易的な防御結界。すべての攻撃をはじき返す反射の壁。充分に引き絞られて放たれた矢のように襲い来る星弾が次々と結界にぶつかる。
「くっ」
確かに反射はできていた。しかし、一撃一撃が重たすぎた。少しずつ。少しずつではあったが、確実に押し込まれている。結界を破らんと次々に向かってくる星弾は、ただただ激しい音を中りに轟かせる。鼓膜が破けそうになるほどの音。
「文墨は……」
玄恵は大丈夫だろうか、と目だけを動かし、玄恵を探す。しかし、見える範囲に姿はなかった。ただし、今は探すだけの余裕がなかった。彼女ならどうにかしていると、自分に言い聞かせ、今は防御に専念する。
とはいえ、防戦一方では埒があかない。一発一発の攻撃の重みは増してきている。この程度の防御結界では破られるのは時間の問題だ。
「形態変化、オート」
詠唱し、隆希は勢いよく前へ飛び出した。結界は薄いヴェールへ形を変える。出せる限りの力を出し、隆希はスピカへ向かって一直線に進む。防御結界があったとしても結界は薄く、被弾の衝撃は伝わってくる。そのため、うまく前へ進めない。鈍痛に顔をしかめながらも、しかし、隆希は足を止めない。
スピカはそんな隆希に顔色を変えることなく、新たにいくつかの呪文を詠唱した。
「ワイヤードダイヴ」
隆希は不意に視界に飛び込んできた無数のコードのようなものに気づいた。淡く発光し、先端にはプラグのようなものがついている。隆希にはそれが何であるのか分からなかった。しかし避けないわけにもいかない。隆希は足下にわずかながら魔力を集中させ、ほぼ直角、真上へ跳躍した。一瞬、コードのようなものを避けることができたかのように見えたが、そううまくはいかなかった。コードも隆希を追うようにして、真上へと曲がったのだ。
「くそっ……」
コードは隆希の体へと突き刺さった……ようだった。しかし隆希にはその感覚がなかった。ただ体の力が急速に抜けていくことだけは感じていた。バランスを崩し、地に落ちる。
「君にも見せてあげるよ」
瞬間、隆希は意識を失った。
†
玄恵は一人、よくわからない空間の中にいた。上も下も左右すらも分からないような黒い空間。宇宙にも似たここには感じられるものは何一つない。足も地についていない。だいたい、地がどこなのかすらわからない。自分の身体だけがそこに浮いているような奇妙な感覚。
「ここは…………どこ?」
そう呟く声さえ”聞こえているのに感じない”。
玄恵は何があったのか思い出してみる。ついさっきまでは隆希の横にいたはずだ。そう。ふと気づいたらここにいた。夜空に星が浮かんだところまでは覚えている。そこからここへとどうやって至ったかは全く分からなかった。
考えていると、ふと気配を感じた。
「誰?」
「文墨玄恵……玄の魔術師か」
確かに声が聞こえた。玄恵は声のした方を向く。そこには暗闇の中に自分と同じように浮かぶアルデバラン・シリウスの姿があった。
「お互いにこの状態では動きにくいな」
シリウスは自らの足元を見て、それから一言二言、詠唱をした。
変化はすぐに現れた。玄恵もそれにすぐに気づくことができた。足下に確かな感覚が生まれたのだ。地面としての感覚。きちんと立っていると自覚できる。
「……ここはどこなの? 蒼河くんは……」
「そう焦るでないぞ。文墨玄恵」
玄恵の声はシリウスに遮られる。シリウスは白衣のポケットから薄い円盤を取り出した。青銅製であるのか、碧色に輝いている。シリウスはその円盤をおもむろに宙に投げた。すると一瞬だけ魔法陣が中空に現れ、それから円形のスクリーンのようなものが展開された。
「……リュウくん!」
どうやらそこに映っているのは先ほどまでいたはずの、図書館の屋上らしかった。しかし、そんなことはどうでもよかった。そこに映っているのは倒れている隆希の姿。
「三分。三分以内に私に触れてみろ。そうすれば、ここからだしてやる。元の世界に戻してやろう」
「元の世界……?」
よくわからない言い回しに玄恵は首を傾げる。
「のるのか? のらないのか?」
シリウスの問いに答えるのに迷いはなかった。
「のるに決まってるでしょ!」
玄恵の反応を見て、シリウスは微かに笑った。
「さあ、始めるぞ」
スクリーンだったところに、時計の文字盤が現れた。メモリは三つ。一、二そして三。針が動き始める。
「身体強化」
呟き、玄恵は力を――――魔力を集中させる。
玄恵の得意魔術、身体強化とは自分の身体の特定の部位に魔力を集中させ、身体能力を飛躍的に高める魔術である。今、玄恵は足と目に魔力を集中させた。脚力と、動体視力の強化。いつも通りの戦闘態勢。
残り二分五〇秒。シリウスの方を見るが、彼は全く動く気配を見せない。それでいて無防備だ。隙だらけでしかない。しかし、図書館での一件が玄恵に動くことを鈍らせる。シリウスは気配もなく、ただの一瞬で間合いを詰めてくるのだ。
考えていれば時間は過ぎるだけ。身体強化は燃費が悪い術だ。魔力だけでなく、発動しているだけで体力をも消費する。玄恵は覚悟を決めた。
「はっ――!」
前に踏み出すとともに、足の裏から魔力を一気に爆発させる。零速度から一瞬で限界へ。瞬くほどのスピードでシリウスとの間合いを詰める。
「その程度か?」
瞬間、シリウスの姿が見えなくなる。標的を見失った玄恵は地を滑るようにして速度をゆるめた。突然のことにも動揺する余地はない。なにせ、相手はいまだ目の前にいるのだから。それでいて目測を誤ったのだ。
見えて――――いるのに――――!
目の前に、確かにシリウスはそこにいるのに、感覚が理解していたとしても、脳が理解しようとしてくれない。そこにある矛盾に玄恵は混乱した。
「敵を前にして動きを止めるなど、以ての外。呆れる」
シリウスは一歩踏みだし、右手を前につきだした。同時に玄恵はなにか、真正面からの強い衝撃を受けた。
「ぁ――んぇぐ……っ」
受け身を取ることもままならず、玄恵は十メートルほど後ろへ吹き飛ばされた。
「ん……ぁはぅ…………」
息をしようとすると激しい痛みがおそう。肋骨が折れて肺を傷つけているのかも知れない。危険だ。玄恵は舌打ちをした。これでは、普通激しい動きはできない。時計盤に目をやる。すでに時間は半分を切っている。
「もう……本気、出したくなかったのに」
自分自身を呪うような声で。
「――見よ、なにものにも限られぬ空の力を。限界突破」
「――むっ」
シリウスはその一文の詠唱で変えられた場の空気を察した。