第四節「影」
石階段を上り、鳥居を抜け、彼女はいつか見せたような飄々とした雰囲気で銀埜たちの前に現れた。
はなゆきともかはそこにいた。一瞬、どちらか分からなくなってしまったが、ハナユキトモカは消えたはずだ。しかし、本物の華雪友香はいま隆希たちと行動を共にしているはず。では目の前にいるのは誰だろう。
「お前は、」
と、銀埜が声を上げる前に彼女は銀埜たちに向けポツリと呟いた。
「そこにいるのは誰?」
そのただ一言だけで銀埜たちは動きを封じられた。文字通り身体が動かなくなってしまったのだ。
――無関連の言葉に関連付けをしているだと?
術式は明らかに言霊魔術だった。彼女がどちらかはともかく、はなゆきともかであることには間違いないらしい。しかし、その術の使い方は一般の言霊魔術とは大きくかけ離れていた。
言霊魔術は発した言葉の意味が重要になる。基本的には発した言葉がそのまま術式であり、内容を素直に表した詠唱文でなければいけない。そうでなければ、頭のなかでの関連付けが曖昧になり威力が十分に発揮できないのである。しかし、いま目の前にいるはなゆきともかは「そこにいるのは誰?」という言葉で、銀埜たちの動きを封じてしまった。意味の上で関連付けがない言葉と効果。
銀埜としても、それが不可能でないことはわかっていた。だが、並外れた才能と魔術的な演算力が必要となる。関連のない言葉で魔術が発動できるとすれば、全ての言葉にあらゆる意味が潜在しているということになるのだ。
これはまずい、と思った銀埜は玄恵とともに引こうと思った。まともに相手していては二人がかりでもやられかねない。だが、体はもちろん、声さえあげられなかった。視界の端に映る玄恵も同様らしく石のように不自然なほどに自然に硬直している。
ともかは一歩前に出た。
「そこには誰も近寄らせるなって言われるの。とっても大事なモノだからって」
銀埜はともかをじっと見つめることしかできない。
彼女は確かに友香にも、そして副人格であるトモカにも似ていた。双方と似ていて、しかし、どちらでもないような気がした。
ただ彼女が何者かを詮索している余裕はない。今はただこの状況を打破する方法を模索することが先決だった。
幸い、思考までは制限されていないようなので、脳内詠唱は使えそうだった。
「すこし残念だけれども、それが決まりだから、我慢してね」
そう言って、ともかは歪な笑みを浮かべ口を開こうとした。
考えている暇はなかった。
銀埜は素早く隔地転移の座標を計算し呪文を脳内詠唱た。もちろん、玄恵も含めて。
トぶ直前に、わずかにともかの声が聞こえたは意味を認識する以前に体が自由になったのを感じた。
ほんの一瞬視界が暗転する。
目の前が晴れる。同時に銀埜は首を傾げた。
「座標、間違えたか……?」
体は動くようにはなっている。しかし、目を開けたその場所は元の場所と同じ場所だった。玄恵も横にいる。座標を計算しまちがえた感じはなかった。銀埜とて、自分の詠唱には自信がある。ならば、
「うふふ、残念」
ともかが耳元で笑う。
銀埜はとっさに飛び退いた。玄恵も銀埜とは逆方向に飛び退く。
「ここ、もうすでに結界の中なんだよ? 結界に干渉してほんの少しだけ属性を追加してあげれば、この街全体に影響を及ぼすことができる。土地結界だからこそ面白いことできるんだよね」
「この馬鹿でかい結界に干渉して、さらに、情報撹乱とか……反則級だよ」
銀埜は内心、敵いそうもないと思いながらも、しかし頭をフル回転させいくつかの打開策を考えていた。
ともかを挟んで対面にいる玄恵に目で合図をする。
「お前は、何なんだ? ヘスティアと何の関係がある」
銀埜はともかの口元を注視しながら、質問を投げかける。内容に深い意味は無い。これからしようとしていることの時間稼ぎだった。
「私ははなゆきともかだよ。それ以外の何者でもない。それと、あの人とはなんでもないよ。まあ、あえていうなら、私を開放してくれたということくらいかな」
「開放……。お前はあの時、本物の華雪友香にコロされたんじゃなかったのか」
それを言うと、ともかはあぁ、と声を上げた。
「なるほどね。お兄さんたちとどこかで会った気がするなとは思ってたけど、『裏』を知ってるんだね。なるほど」
「裏?」
「そう、裏。私はね、確かにはなゆきともかだよ。言うなら、裏の私や表の私よりももっともっと純粋に私。何よりも純粋に自分。誰よりも純粋に自己」
楽しいことを見つけた幼子のように目を輝かせながら語るともかはどこか狂気じみていた。
そんな彼女を見て、銀埜は急いで行動をとるべきだと確信し、玄恵に遠隔精神感応術で話しかけた。
「これから、俺があいつの注意を俺の方に引きつけるから、お前は今から俺の送る魔術演算手順に沿って、術の準備をしてくれ」
「分かった。でも、この術って」
「何してるの、こそこそ話は良くないよ」
二人の会話に気づいたともかが不快な表情をしていた。
銀埜は玄恵にアイコンタクトだけを送ると、すぐにともかに向き直った。
「そうだな。こそこそしててもどうせ、意味のないことだな。でも、それならお前のやっていることは意味があるのか?」
銀埜ははっきりとした口調で問いかける。
「ヘスティア・ウェスタ。彼女の手伝いをすることがどういうことを意味するかわかっているのか?」
「うん、わかってるよ。だからこそだよ。むしろなぜ止めようとするのかが分からない」
「なぜって……」
たしかにまだ具体的な理由はない。銀埜たちは、目的のしれないヘスティアを、とりあえずは支丞市の異常を拭うために追っているようなものだった。
ともかはにこっと笑うとくるりと反対を向いて、空を見上げた。
夕色の空は、青い空を包み込むようにさらに広がっていた。
しかし、それだけではなかった。
いつからか、あたりはいろいろな音に囲まれていた。
どこからともなく聞こえてくる、ぎゃあぎゃあという烏たちの声。
ごぉぅんごぉぅんという鐘の音。
バキバキとなにかが押しつぶされるような音。
今までそんな音が鳴っていただろうか。それともふいに鳴りはじめたのだろうか。どちらにせよ、認識したその瞬間から、それらの音は銀埜の脳にまで響いた。
ぐらりとめまいに襲われる。それを横目に見て、ともかがくすくすと笑う。
「終末を預言る音」
「アポカリプティック……?」
「うん、そう。この世界が軋む音。でも心配はいらない。私たちには次のセカイが待っている」
次の瞬間、銀埜を見えない何かが襲った。前方からの衝撃。強風が吹いたようなものだった。
「いまのは……」
突然のことに、一瞬だけ目をつむってしまった銀埜。気が付くと、ともかの姿が見えない。
消えた……? いやそこにいるな……。
姿が見えない。歩く音もない。だが、夕焼けの光が地面に長い影を投影していた。
単なるミスとは思えない。わかっているうえでの行動に思えた。
銀埜はちらと玄恵の様子を確認しようとした。彼女の姿もなかった。だがそれでいいのだ。そこまで含めての指示だったのだから。
「さて。じゃあこちらからも行かせていただきましょうか」
真剣な眼差しで銀埜は地面に伸びる影を見つめる。
そこからの彼の動作は素早かった。さっと懐からビー玉を取り出すと、前方に向かってばら撒いた。同時に、極限まで簡略した詠唱文を唱える。
「Everything is revealed to the public!」
視界干渉系、認識干渉系魔術を無効化する魔術。術を唱えれば、銀埜が予めビー玉にエンチャントしておいた陣が発動し、術は作用するはずであった。
しかし、変化は何も起きずにビー玉はばらばらと音を立てて地面に落ちた。
「そうくるか」
銀埜はひるまない。
すぐに次の手を打つ。
結界系魔術から、そのほかにも様々な魔術を怒涛のごとく追加詠唱した。しかし、どれもが発動しなかった。
発動する以前に解呪されているのは言うまでもなかった。
「何を考えようとしても無駄だよ」
虚空からともかの声が聞こえてくる。
「私は最優先の回路で、あなたの思考をリーディングできる」
銀埜の発動しようとした魔術は、すべてともかの強制詠唱介入により回路断節されていく。間髪入れない強制解呪はもはや未来予知のレベルだった。
「……、美波の短先未来視どころじゃねえなあこれ」
そう言葉では言いながらも、銀埜は着々と切り札の準備を進めていた。幸い、ともかの注意は銀埜にだけ向けられている。
チャンスは今しかない。
玄恵の準備さえできればいいのだ。
「また、何かこそこそしてるね」
ともかが銀埜の耳元で囁く。
「何してるの?」
「――んぐっ!?」
ぐっと銀埜は首を絞められる感覚に襲われた。なんとか開放されようと、首に手を当てるが、何かがあるような感じもしない。
術を唱えようにも首が絞められていては声も出せない。脳内詠唱もなぜかうまくできなかった。
「隠し事はだめだよ……。楽しくないし、面白くない。何より全ての事象はみんなで共有しないと勿体無いじゃん」
ともかはいつの間にか銀埜の前に立っていた。
「お兄さんも行こうよ。きっと素晴らしいって。次のセカ…………」
ともかが言葉を言い切らない内にともかは声を出す暇もなく横に大きく吹き飛ばされた。それと同時に銀埜の呼吸が開放された。
「玄恵!」
そこにいたのは玄恵だ。彼女がともかを突き飛ばしたのだ。
「ごめん、遅くなった! でもしっかりといける!」
「おうっ」
銀埜と玄恵は、吹き飛ばされ立ち上がろうとするともかの方を向き、手を前に構える。
「虚の狭間、無の空隙、世界を離れ、二世の境界となりし偉大なる大河よ。今こそ怒涛の如く寄せ、時さえ束ねる水縛となりて、影の狭間を漂う彼の者を一切の抵抗を受けずに速やかに束縛せよ」
確かに、詠唱は完了した。
変化はほんの一瞬だった。
ともかの上下左右に大きな魔術陣がフラッシュした。ただそれだけだったが、成功だった。
「これは……?」
ともかは首を傾げる。
立ち上がろうにも体が動かない。まるで自分が使う、「動作の拒絶」の術式のように。体が言うことを聞かない。
「銀埜が空間描写とか珍しいね」
「まあな。一人じゃやる気にはならねえな」
銀埜はともかの前へ寄っていった。
「なんで解除されない……」
ともかはというとぽかんと口を開けたような表情だった。なぜ自分の魔術が使えないのか不思議でならないようだった。
「別に簡単な事さ。お前の使う言霊魔術と同じ、詠唱がメインの魔術さ。詠唱が完了すれば勝ち。一切の抵抗を受けずにってフレーズが肝だな」
言霊魔術は詠唱を相手に認識されることが重要だ。そして銀埜の使った魔術もまた同じだった。大掛かりな文章はカモフラージュといっても問題はないくらいだ。重要なのは「一切の抵抗を受けずに」という文句だった。これは相手に与える暗示であり、また自己暗示でもあった。
「俺らの勝ちだな。どうあってもその術式は解除されないよ。土地の魔力を利用してるから半永久に持続する。まあ、もう観念するってなら解いてやらないこともない」
「私負けたんだよね……。ならもう無駄だよ。私はもう死ぬしかない」
ふいにともかは涙をこぼした。
突然のことに銀埜も玄恵もまた戸惑う。
次の瞬間、ともかの体は青白い光りに包まれた。
「な、これは――」
近寄ろうにも光はそれを拒んだ。支丞を包んでいる結界のごとく、見えない壁を形成していた。
「情報崩壊プログラム……私は用済みだって。負けたらしいから…………。気にしなくていいよ。どうせ私はいるはずのないものだったんだから。自分を自分と自覚し、そこにあの人が体を与えてくれただけだから。でも……」
ともかは夕色の空を仰いだ。
「できることなら墜落死が良かったな……」
「墜落……あの子たちと同じ……」
玄恵の思い出したのは朱雀病院の事件。あのとき自殺した二人――あえて友香も含めるなら三人――は飛び降り、つまり墜落死だった。
玄恵はともかに尋ねた。
「なぜ、墜落死を望むの」
その問にともかはすぐには答えずしばら空を眺めていた。
「高い場所からの墜落、自我の分離への快らく…………」
声は消え散った。友香の姿は光りに包まれ消え去った。
青白い光は消え、友香もいない。
ぎゃあぎゃあという烏の声。
ごぉぅんごぉぅんという鐘の音。
バキバキと何かが押しつぶされる音。
様々な音が不協和音のように不快に響いていた。




