第五節 「忠告」
足場の悪さをものともせずに、つかつかと進んでいく枢木のあとについて、隆希たちも森の中を進んでいた。
どうやら、枢木は隆希の父である季詠に頼まれていたらしい。銀埜の情報によると、枢木という一族は全国さまざまな場所の霊地を守る役目を担っているという。おそらく、この老爺はここ青木ヶ原樹海の守人なのだろうということだった。
「眼鏡のお前さんは、気づいておるじゃろ。あの霊力の変化に」
枢木は進みながら、前方を指さした。
「ええ、まあ……」
銀埜は曖昧に答える。
隆希にはさっぱりだったが、どうやらそちらの方向に何かがあるらしい。自分だけわからないのは歯痒かったが、こればかりはどうしようもなかった。
「儂も、四六時中見張っていることはできんからな。どうも穴を突かれたらしい」
枢木はある場所で立ち止まると、ゆっくりと屈みこんだ。
隆希たちもその場所を取り囲むようにして覗きこむ。
「ここだけ方向性にズレがある。僅かじゃがな、魔術使用の痕跡じゃろう」
口調は普通だったが枢木の表情は何処か険しかった。枢木はそこらに落ちていた樹の枝を用いて地面に小さな魔術陣を描いた。それから、懐からナイフのようなものを取り出し、樹の枝を五センチほどの長さに切り分け、陣の上に配置した。
「急拵えでも、効果は保証しよう」
枢木は数節の呪文を詠唱した。
何の魔術を使ったのかは分からず、隆希はじっとその様子を見ていたがふと、強い人為的な魔力がその陣のところから噴き出してくるようだった。
「残留魔力の増幅ですか」
銀埜が尋ねると枢木はゆっくりと頷いた。
「儂らの間では記憶尋ねというがね。さすがに今の残存魔力量では判別まではできんからな。判別ができる量にまで増幅してやる。土地の魔力あってこその魔術じゃよ」
言いながら枢木は更に表情を険しくしていった。
隆希もその理由がなんとなく分かっていた。薄く感知状態に入って魔力の増幅を観察していた隆希は噴き出る魔力の異質さに驚いていた。それは呪界の自然的魔力の異質さにも匹敵していた。
感知状態に入った隆希の目には魔力の流れがぼんやりと視覚化されていた。あたりは薄紫色の靄のようなものに包まれている。これがここの土地の魔力であろう。そして、ちょうど魔術陣のあたりから噴出している魔力は様々な色を帯びたものだった。いろんな色のリボンが螺旋を描いているように見えた。
普通ではありえないことだった。魔術に複数の種類の方向性を持った魔力を使用することはないことはない。それでも一つ二つ程度であるし、だいたい多種の魔力を必要とする魔術自体がほとんど存在しないのだ。
「あの糞坊主め……。また厄介なものを……」
枢木はそう言いながら、顔を上げ隆希たちの方を向いた。
「これはまた複雑怪奇な魔術じゃよ。多種混合魔術とでも名付けようか。西洋魔術と東洋魔術、両方の性質を持った、いわば和洋折衷な魔術じゃな」
「と、いうと……?」
隆希はすぐに問い返した。
東洋の魔術と西洋の魔術では根本的な仕組みが違う。魔術は基本的にそれぞれの地域ごとに相容れないものであることが多い。少なくとも隆希の知識の上では魔術とはそういうものであった。
そのため、両方の性質を持つ、と言われてもいまいちピンと来なかったのだ。
「おそらく、魔具の使用と思うんじゃが、魔具精錬方法自体はどうも東洋……とくに日本系じゃ。じゃがな、魔具の上から別の魔術がかけられておる。それは西洋魔術のようじゃのう。普通そんなことはありえん。儂の知る限りでは拒絶反応が起きるはずなんじゃがな」
首を傾げる枢木に銀埜が付け足した。
「俺は、昔魔具の専門家からその話を聞いたことがあります。確かに、東洋式魔具に西洋のエンチャントは出来ないようです。逆なら何故か可能らしいですが……」
銀埜の補足に、枢木はそうか、とうなずいた。
「いずれにせよ、この魔術痕跡が奇怪なものであることに変わりはない。ルールに反する魔術が使用されとるということは、一般論では片付かない魔術を使用している魔術師がおるということだ」
枢木はぎょろりと目を見開いて、隆希たちに告げた。
「坊主ども、悪いことは言わん。季詠には儂から言っておくから、この事件に関わるな。死ぬぞ」
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「関わるな、か……。そりゃあまあ、死にたくはないけどな」
隆希は淡泊な色の天井を見上げながらそう呟いた。
枢木と別れたあと、二人は、銀埜があらかじめ予約していたという宿の一室にいた。宿、と言っても、ビジネスホテルじみた無機質なものだ。
関わるな、と忠告はされたが、すぐに帰るわけにもいかなかった。隆希は何度か季詠に連絡しようと試みたのだが、どうもつながらなかったのだ。結果、二人は宿に足止めを食らってしまった。
「なあ、銀埜。お前はどう思うよ」
隆希は銀埜の方へ目をやった。銀埜は小さなテーブルに向かってなにやら作業をしていた。
手元にはいくつものビー玉。銀埜はそれらを布で磨いているようだった。
「どう、って。別にどうもしないさ。死ぬときは死ぬ、人間そういうものだろ。お前の親父さんの反応がない以上、今はどうすることもできないだろう」
「まあ、そうだけどさ」
隆希は肩をすくめ、ベッドの上に横になった。窓から外を見てみると、日は陰り、夕色の光が景色を彩っていた。
隆希は知らずため息をついた。
久々に父親に呼び出されたと思ったら、どうも面倒な事件に巻き込まれてしまったらしい。
半月前の一件もあり、隆希は精神的にもすっかり疲れていた。
魔術師との衝突などうれしく思う人間なんてそうはいない。そのうえ、自分の命も関わるかもしれないとなればなおさらだ。
枢木の忠告が重く感じられた。
確かに、あの場所にあった魔力の残痕は異様なものに思えた。枢木はこの魔術の使い手は普通の奴ではないと言っていた。
ならば、どんな魔術師であるというのだろう。
そんなことを考えていると、ふいに銀埜の声が聞こえた。
「ときに隆希、全く今回の件とは関係ないことなんだけどさ、ちょっと聞いてもいいか?」
体を起こし、銀埜を見てみると、彼は自分の手元も見ているままだった。
隆希は銀埜の言葉に応じた。
「ほら、いつもお前パソコンで何か難しいこといじってるの、あれなんなんだ?」
唐突に思ってもいなかったことを聞かれ、隆希は目を丸くした。
ただ銀埜に他意はないらしい。純粋に気になっていたようだ。
隆希は懐から黒いカードを取り出しつつ答えた。
「あれは、父さんの薦めで開発中の電子応用魔術だよ」
「え?」
そこで銀埜は初めて顔を上げ、隆希の方を見た。
「簡易魔術の一つの型としての、パソコンによるデータ管理。パソコン上で回路を組み上げてしまって、あとは印刷してカードとして使うっていう、なんとも味気のない魔術だよ」
隆希は目の前でカードをひらひらとさせた。銀埜はそれを食い入るように見る。
「確かに、協会でもその手の魔術は研究されていると聞くが……日本でも研究されていたんだな。簡易魔術と言うよりは魔具の類か?」
「いや、そうでもないよ。俺が使ってるのは召喚術だけれども、このカードを使ったって、基本的に俺しか使えない。事前詠唱型の簡易魔術。あとは、起動させるだけですむからな」
「なるほど……。召喚術の弱点克服にもなる……のか……」
隆起はうなずく。
通常、召喚術は他の一般的な魔術に比べ術を発動するのに時間を要する。魔術陣や魔術詠唱は必須となり、その他複雑な手順を踏むことが多い。そのため、多くの召喚術師は必要な場面になる以前に術を発動しておくか、事前詠唱という手段をとる。しかし、これまでの一般な事前詠唱は紙などに自筆する事であった。そうでないとその紙自体に魔力を込めることができないからだ。タイプライターが普及し始めた頃から、その手の機械を用いての事前詠唱の実験も試みられてきたが魔力の定着が難しく、成功には至らなかった。
「それにしても驚いたな。協会ではまだ実用段階にはないらしいが……」
「まあ、パソコンの発展のおかげって感じだよ。科学が魔術に少しでも近づいてきたということじゃないかな」
「そう……か。そういうものなのかなぁ」
いいながら銀埜はまた作業に戻った。
隆希もカードをしまい、またベッドに横になろうとした。ちょうどそのとき、隆希の携帯が鳴った。
父からかと思い、画面を見てみると、父季詠ではなく美波からの着信だった。
隆希はすぐに通話ボタンを押した
「もしもし、美波どうかしたか?」
「あ、あ、蒼河くん、ちょっとね……あの――えっと、その」
隆希は首を傾げる。どうも美波の様子がおかしい。やけに何かに動揺しているような口調だ。
「どうしたんだ、そんなに焦って」
落ち着くようにと言い、隆希はあくまで冷静に聞いた。すると、返ってきたのは驚くべき内容だった。
「玄恵たちが、玄恵たちがいなくなったの――!」




