前世の話
長い一日はまだ終わらない。
店を閉め、約束のファミリーレストランへ向かう。夕方5時上がりのニコラ君と違い、こちらはきっちり夜の9時まで勤務、片付け清掃も含めると夜の10時前。時間的拘束としては中々ハードな部類の店長職、特段忙しい訳ではないが毎日終わり頃にはドッと疲れが押し寄せて来る。しかもこの後は尋問か反省会か、慰労会とは程遠い集まり。何をどう聞けば良いのか、つらつらと考えながら自動ドアを踏んだ。遠目から軽く手を挙げているニコラ君。頭一つ他の席を抜いて高く、姿勢正しい彼女は肌の色も相まって目立つ存在だ。待ち合わせに相応しいランドマーク・ガール。ガールと呼ぶには少し妙齢かも知れない。
「こちらです」
ニコラ君とファミリーレストランの席で向かい合う。これはこれで中々新鮮なシチュエーション。この10年で二人で店外で会うのは初めてではないだろうか。少なくとも過去の記憶にはない。仕事としての付き合いは長いが、私は彼女の事を何も知らない。
「お待たせしました」
「いえ…」
こんな風にお話するのは初めてですね、とはにかむ様に軽く笑う彼女。改めて見るとハーフなのだろう端正な顔立ちに褐色の肌、薄黒いロングの髪に切れ長の瞳。美人とは彼女の事を言うのだな、と妙に納得してしまう。
「今朝は、申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらこそ」
「…」
「あの」
聞きたい事は幾つかあるが、順番と言い回し方が難しい。
「私の事について、教えて下さい」
「はい?」
「いえ、『猊下』と呼ばれていましたが…」
「…」
「すみません、私は前世を知りません」
存じております、と寂しげに呟く。視線は窓の外の花壇の花を見つめている。店内の照明に照らされた小さな花の影は、昼間の影よりもはっきり濃くしっかり黒い。
「まず、猊下とは何ですか?」
「猊下とは…猊下、『賢者様』の事です」
「賢者?」
「ここではない世界、その世界で猊下は『賢者』であらせられました」
「賢者と言うと、何か知の大家と言うか、見識の広い識者と言うか…」
「猊下は偉大なる知の賢者。理を知り法力に長け、我等を守り導く光」
「…大袈裟な」
ふふっ、と嬉しそうに笑う。
「猊下はいつもそう仰います」
「?」
「皆が賢者様、大賢者様とお呼びになる事を、とても嫌がられて」
「確かに賢者と言われても」
「猊下とお呼びする事はお赦し頂きました」
「仰々しい呼び方ですね…」
「誰かが聖下とお呼びしたら、下衆と一緒にするなとお怒りに」
コロコロと笑う彼女。思い出話なのだろうが身に覚えが全くないのが悲しい。
「私の前世は賢者でしたか…ニコラさんはいつから、私の事をご存じで?」
「…お会いした時からです」
申し訳なさそうに俯く。尋問している訳ではないのだが。
「私はこの世界を辿ったと申しますか…猊下をお探しして」
「辿る?」
「ここではない世界から転移した、と言えばお分かり頂けますか?」
「転移…それはつまり」
私の事をずっと前から知っていて、違う世界から追って来たと言う事か。
「ストーカー」
「違います」
「失礼…」
思わず二人同時に軽い溜息が漏れる。
「何となく分かりました。ニコラ君は今もエルフで、違う世界から来たと」
「仰る通りです」
「姿を変えているのは魔法?」
「はい」
「この世界に魔法があるのか…」
「向こうよりはかなり微弱ですが、この世界にもエーテルは存在します。精霊の加護も少々」
「ファンタジーですね」
「猊下なら…すぐに魔法を使える様になられるかも知れません」
「ぜひ教えて下さい」
「私が?」
猊下にお教えするなんて…畏れ多い。会話の合間合間に感情の揺れ幅が変化する為か、時折華奢な体を左右に揺らす。忙しい心の動きが波風となってこちらにも伝わる。
「猊下とこうして…お話出来るだけでも光栄です」
「今まで10年ですか、一緒のお店でしたけれども」
「ずっと素性を隠して参りました」
「なぜ、隠されていたんです?」
「それは……信じて下さるとは思えなくて。前世のご記憶も失われいるのに」
急にこんな事をお話したら、痛い女だって思われますよね?と続ける彼女に、確かに、と相槌を打つ他選択肢はない。信じろと言われても今朝実際に彼女本来のエルフの姿を見、また魔法の顕現を観なければにわかには信じられなかったであろう。正確に言えば正直未だに半信半疑、心地よい音楽の様な彼女の声色に乗って流れ聞く説明はあまりに現実離れしていて、真剣に聞いているつもりでもやはりフワッとした感覚しか覚える事が出来ない。




