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栄光は誰のために  作者: ながいわかれ
プロローグ
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3/3

時間(とき)

電車に乗ってぼんやりと窓から外の景色を見ている一人の青年・・鹿島 透。

透にとって黒羽 律はただの通り過ぎた対戦相手の一人であった。

彼は試合後,いつもあてなく電車に乗って過ごしている。

・・・昨日の試合のことは、ほとんど思い出していなかった。

その代りと言っては何だが、二週間前から気になっている、自分の右の軌道について考えていた。

〝肘の抜き方を変えれば、10センチは短くなるはずだ・・。”


・・・透の練習は身体そのものに向かっていた。

スクワット・スプリント・首・体幹・・。

減量苦でも落とさない筋量の下限を、自分の身体で探っている。

ジャブを一つ分解した・・

足の踏み込み・股関節の回旋(かいせん)・肩の内旋(ないせん)・肘の伸展(しんてん)・拳(こぶし)の到達・・

・・それぞれに固有の遅れがある。

どこを削れば全体が縮むか⁉

一週間・・左足の角度だけを変えて打ち続けた。

次の一週間は体重の乗せ方だけを変えてみた・・。

ミット持ちのトレーナーは,透が何を試しているのか聞いては来なかった。

・・聞いたとしても答えないことを知っていたからである。

透は思い出して、”ニヤリ”と頬の筋肉が緩んだ。

スパーリングの時・・相手が何をして来るのか分からない状況の時だけ、身体は考えるより先に動く。

その瞬間(とき)にだけ、頭で組んだ理屈が正しかったかどうかが一度に判明する。

・・透は毎日、自分という装置を分解しては組み直している・・・”止めてください、、、。”

「・・やめる?・・何を⁈」

透は瞑想をやめ現実に戻った。

電車は心地よいリズムを刻んでいる。

透が辺りを見回すと、同じ車両の端っこで酔っぱらいが、女子高生に絡んでいるのが目に入った。

「・・いいじゃねえか,ネエチャン!」

女子高生はうつむいたまま黙っている。

「何とか言えよ!」

酔っぱらいの顔がより一層赤くなった。

他の乗客たちは、見て見ぬふりをして動かない。


「・・もう、やめといた方がいいですよ。」

鹿島 透はゆっくりと立ち上がるのであった。




黒羽 律には、試合に負けた悲壮感はない。

早すぎるストップも、一夜(ひとよ)越したら気にならなく成っている。

最も会長達はJBCに提訴すると意気込んではいるが・・・。


試合の三日後、律は自分の部屋でノートを開きながら、試合を振り返っていた。

“ デビュー戦の対戦相手の右は、、特に右フックは、僕の想定値をはるかに超えてた。”

律は前提を更新した。


律にとって鹿島 透はデーターを集めるだけの、ただの通りすがりのボクサーである・・それ以上でもそれ以下でもなかった。

律の練習方法はプロに成っても外側に向かっていた。

まず、ボクシングそのものを学んだ。

プロの採点基準の条文、有効打の定義、ジャッジの視野、ラウンド間の回復生理、体重と打撃出力の関係。

律のノートはボクシングの教本と云うよりは、ボクシングという競技の仕様書に近づいて行くのであった。

人間をも学んでいく・・試合映像を集めて分類をする。

・・この選手は下がるときに左手も下がる・・

・・・この選手は右を打つ前に息を吐く・・・

・・この選手はロープを背にしたときにだけ、判断が0.2秒遅れる・・。


”癖というものは、当人が意識していないから癖なんだ。だから必ずある・・無いように見える選手は、まだまだ見ようが足りないだけだ。”

そして自身の基本は、異様なほど正確だった。

彼は他人の逸脱を突いて勝つ。


” ならば自分に逸脱があってはならない。”

それが高校時代から、プロに成ってからも続く律の考え方である。

律の左ジャブは教本の図をそのまま立体にしたようであった。

「お前の練習方法は、見ていて面白みはないが、狂いもない・・・ただ・・、お前楽しいか⁈」

前に一度だけ、ジムの会長である永野が聞いてきた。

律は少し考えてから答えた。

「その瞬間(とき)が・・・分かっていくのが楽しい。」それは嘘ではなかった。


律は”パタン”と、ノートを閉じて立ち上がった。

コンビニのアルバイトに行く時間であった。





「葵(あおい)早く食べなよ」

ここは都内にあるカフェレストラン【ポラリス】である。

土曜の昼下がり二人の女子高生がテーブルに向かい合って座っている。

午後二時を回っているせいか、客の入りは半分ほどに落ち着いている。

「もう、映画に間に合わなくなるよ⁉」

立壁楓香(たてかべふうか)は、パスタを味わいながら食べている桐島 葵にため息をついた。

「まだ大丈夫だよ。」

パスタを頬張りながら、葵は余裕の顔を見せた。

「もう・・・。」

楓香は苦笑いを浮かべ・・・隣のテーブルの椅子の上に置かれている一冊の週刊誌に目が留まった。

そのテーブルで、10分ほど前に老夫婦が食事をして居たのを楓香は覚えていた。

テーブルの皿などはホールスタッフが片付けていたが、週刊誌は椅子がテーブルの下になっていた為にホールスタッフも気が付かなかったのだろう。

楓香は自分の座っている椅子を少しずらして、週刊誌を手に取り、ホールスタッフの姿を目で探した。

「アッ!・・楓香、ちょっと見せて。」

そう言うと、葵は週刊誌をひったくるようにして楓香から取った。

「・・やっぱりあの電車(とき)の人だ。」

葵は週刊誌の表紙をまじまじと見つめている。

【巻頭カラー‼ボクサーの明日】と、題して鹿島 透の顔写真が大きく載っていた。

ペラペラと葵はページをめくり記事を読んで行く。

楓香は、キョトンと狐に包まれた顔をして、そんな葵を眺めている。

「・・ど、どうしたの葵?」

「ボクサーだったんだ⁉」

楓香には答えず、週刊誌を見ながら葵はポツリと呟いた。

「えっ??」と、楓香。

「二ケ月くらい前、私が体調不良で早引きした日・・・。」

葵は遠くを見る目になった。

「電車で酔っぱらいに、絡まれたのを助けてくれた人・・⁉」

そう言うと楓香は、週刊誌を奪い取って表紙の写真を見た。

「二か月も前よ、、間違いじゃあないの⁈」

楓香は表紙の写真と、葵の顔を代わるがわる見比べるのであった。

゛見間違えるわけがない・・あの時、私に絡んでいた酔っぱらいの暴力にも屈せずに、次の駅で酔っぱらいと一緒に降りて行った人だ。”


その週刊誌の特集の最後の行(ぎょう)には鹿島 透の次の試合の日程が書かれていた。

日時 ○月✕日15時 第一試合開始

場所   後楽園ホール

第三試合 フェザー級六回戦   鹿島 透 (コメクラ)VS朧 才蔵(伊賀)








HARUKI 一点より

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