第二十二話 セドリックの昔話
王都の中心にそびえ立つ王城。
その執務室で、セドリックは一枚の報告書を眺めていた。
机の上に記されているのは二つの名前。
フィリア・アルヴェイン。
そして、リゼ。
しばらく見つめた後、小さく息を吐く。
「不思議なものだな……」
社交界で見かけただけのはずだった。
それなのに、どうしても気になってしまう。
特にリゼというメイド。
あの落ち着き方。
物怖じしない態度。
そして何より。
あの視線。
まるで物事の本質を見ようとしているような目だった。
ふと。
昔の記憶が蘇る。
◇◇◇
十年ほど前。
まだセドリックが幼かった頃。
王城の庭園で空を見上げていた。
雲一つない青空だった。
「先生」
隣に立つ男へ声をかける。
「なんでしょう」
返ってきたのは穏やかな声。
レオナルド・アスター・アルヴェイン。
当時から王国最高の知識人と呼ばれていた人物だった。
「なぜ空は青いのですか?」
子供らしい疑問。
セドリックは当然のように答えを待った。
だが。
「調べてみてください」
「え?」
思わず聞き返す。
レオナルドは真顔だった。
「何事にも理由があります」
「空が青いことにも」
「花が咲くことにも」
「人が笑うことにも」
セドリックは首を傾げた。
レオナルドは続ける。
「ですが多くの人は理由を知ろうとしません」
「当たり前だから」
「そういうものだから」
「仕方ないから」
「そう言って終わらせてしまうのです」
幼いセドリックには難しい話だった。
それでもレオナルドの話は不思議と嫌いではなかった。
「ですが」
レオナルドは空を見上げる。
「なぜ?」
「どうして?」
「本当にそうなのか?」
「そう考えることが大切です」
そして少しだけ笑った。
「分からないことは調べれば良い」
「人に聞くのはその後です」
「まずは自分で考える」
「それが学ぶということです」
しばらく沈黙。
そして、セドリックはぽつりと言った。
「先生は変な人ですね」
レオナルドは頷いた。
「よく言われます」
即答だった。
セドリックは思わず吹き出す。
だがレオナルドは気にした様子もない。
「セドリック様は、王太子となられるお方」
「王太子や国の上に立つ者は、多くの人の話を聞かなければなりません」
レオナルドは続けた。
「ですが、ただ聞くだけでは足りない」
「その意見は正しいのか」
「なぜそう考えたのか」
「何を見落としているのか」
「判断するには知識が必要です」
セドリックは黙って聞いていた。
「上辺だけではいけません」
「物事の根本を理解しなければ」
「正しい答えには辿り着けない」
ーーその言葉の意味を。
当時のセドリックは半分も理解していなかった。
◇◇◇
そして、現在。
執務室の窓から王都を見下ろしながら、セドリックは小さく笑った。
国家機密漏洩。
国家反逆。
危険な研究。
レオナルドについて語られる噂は数え切れない。
だが。
先生は何と言った。
"上辺だけではいけない"
"物事の根本を理解しなければならない"
ならば。
今広がっている噂もまた、鵜呑みにしてはいけない。
「先生……」
思わず口から漏れた呼び方。
セドリックは窓の外へ視線を向ける。
「あなたが反逆者なわけがない」
その呟きは誰にも届かない。
ただ春の風だけが静かに吹き抜けていった。
◇◇◇
ーー同じ頃。
アルヴェイン公爵家の図書室では、フィリアが机に突っ伏していた。
「どうしましょう……」
目の前には王城から届いた招待状。
何度読み返しても内容は変わらない。
王太子セドリック・ネス・アルカディアからの正式な招待だった。
「どうしましょう……」
再び同じ言葉が漏れる。
その向かいでは、リゼが相変わらず薬学書を読んでいた。
「何がでしょう」
「全部です……」
フィリアは力なく答える。
「王城ですよ?」
「はい」
「王太子殿下ですよ?」
「はい」
「私ですよ?」
「はい」
「大丈夫でしょうか……」
リゼは本を閉じた。
「何が問題なのですか?」
「全部です!」
フィリアの悲鳴が図書室に響く。
だがリゼは本気で分からないらしい。
少し考え込む。
「社交界では問題ありませんでした」
「そ、それはリゼがいたからです……」
「今回は王城です」
「余計に不安になります!」
フィリアは頭を抱えた。
その姿を見ながら、リゼはふと尋ねる。
「王太子殿下はどのような方なのですか?」
「え?」
「私はあまり知りませんので」
フィリアは少し考えた。
実際に話したことはほとんどない。
だが。
「優しい方だと思います」
「根拠は?」
「根拠ですか?」
「はい」
即答だった。
フィリアは困ったように笑う。
「何となく、です」
「……」
リゼは小さく息を吐いた。
納得したのかしていないのか分からない。
「お父様も、王太子殿下のことは高く評価していました」
「レオナルド様が?」
「はい」
フィリアは本棚へ視線を向ける。
「王となる方は、多くの人の話を聞けなければならない、と」
「なるほど」
「詳しいことは私も知りません」
「ただ、お父様はよく王太子殿下のお話をされていました」
「そうですか」
リゼは小さく頷く。
しばらく沈黙が流れる。
やがてフィリアは少し懐かしそうに笑った。
「お父様はよく言っていたそうです」
「分からないことは調べればいい」
「ですが」
「調べても分からないことは、人に聞けばいい、と」
リゼの視線が本棚へ向く。
「興味深いですね」
「そうですか?」
「はい」
即答だった。
「研究記録を見れば分かります」
「分かるものなのですか?」
「はい」
「記録には結果だけではなく、その人の考え方が残ります」
「何を疑ったのか」
「何を知ろうとしたのか」
「どのように結論へ辿り着いたのか」
「その人が見えるのです」
フィリアは少し驚いたように目を見開いた。
そんな風に考えたことはなかった。
リゼは再び本を開く。
「ですので」
「私はレオナルド様に少し興味がありますね」
その言葉に、フィリアは少し目を見開いた。
父のことを知りたい。
その気持ちは自分も同じだった。
図書室の窓から柔らかな風が吹き込む。
本棚に並ぶ無数の本。
そして、そのどこかに眠る父の足跡。
フィリアは静かに決意する。
父のことをもっと知りたい。
お父様が歩いてきた道を。
お父様が見ていた景色を。
少しでも知りたい。
そのためにも。
王城へ行こう。
そう思えたのは、きっと少しだけ前を向けるようになったからだった。




