夢
5月4日、富士スピードウェイ。
「お疲れ、瀬名くん」
「おはようございます。」
時刻は午前9時。
初夏の陽気が燦燦と降り注ぐ中。
「お疲れ様です、朝早くからスイマセン」
私服の3人は、グランドスタンド裏にて会した。
早朝の富士スピードウェイでは、サーキットに似つかわしくない静寂が辺りを包んでいる。
しかしその静寂も、じきに終わりを迎える。
今日はSUPER GT第2戦、富士3時間レースの決勝日である。
「いきなりスーパーGT見ようだなんてどうしたんですか?」
心底不思議そうに長谷部が問う。
『できることならなんでもやる』と言ったものの、想定していたのはアドバイスを求められたり、練習を一緒にやりたいという申し出だと思っていた。
「せっかくクルマ好きの彼女さんがいるんだから一緒に来ればよかったのに」
「その話はやめてくださいよ…」
瀬名は若干恥ずかしそうに桑島を睨む。
「理由は特にありませんよ。でも強いて言うなら…」
グランドスタンドの通路を抜けると、国内最長を誇るホームストレートが眼前に広がる。
「俺の、『夢』を共有しておきたかったんです」
4月の開幕戦の後、地元へ戻る道中。
「瀬名、ウチの親父から一緒に飯を食わないかって連絡が来てる。どうする?」
あの後結局トップを守り切ることに成功した可偉斗が言う。
時刻は午後7時半。
もう瀬名たちの胃袋はすっからかんである。
瀬名は喜んで了承した。
指定された集合場所に移動すると、可偉斗の父、崇斗の他に見覚えのある顔が2人。
1人は今シーズンからSUPER GTの監督に転向した松田優次。
そしてもう一人は…。
「久しぶりだな、瀬名。いい走りだったぞ。」
F4チーム、StarTailのチームオーナー。
「父さん…!」
そして、伏見瀬名の実の父親。
伏見稔だった。
久しぶりの再会に、二人は熱い抱擁を交わす。
片やかつて日本最速と呼ばれた元レーサー。
片や今もなお新星を輩出し続ける最高の指導者。
この二人を招集できたのは小林崇斗の人脈と人柄がなせる業だろう。
そしてこの時期、この段階でこの二人と顔を合わせることは瀬名にとって大きな意味を成す。
技術面でもそうなのだが、何よりも大事なのはモチベーション。
将来のことを見直す良い機会となる。
「実力的にはもう充分戦える域に達してると思いますよ。お父さん…稔さんもそう思うでしょう?」
「あの松田さんが言うのならそうなんでしょうね。」
「またまた…レーサーの力量を視ることに関しては天下一でしょうに」
そう言って二人は笑う。
「ハイ、そこまで。父さん謙遜しない!松田さんも乗せちゃダメですよ!」
かつて瀬名が夢を語った時よりも、松田と瀬名の距離は縮まったように思う。
瀬名の実力を認めたというところが大きいだろう。
「さて、それでは今後のことについて話し合いましょうか。」
ひとしきり笑い合った後そう切り出したのは松田優次。
「今シーズンが終わったらすぐにスーパーGTに招集しても問題は無いのですが、もう一声経験値が欲しいですね。」
「そこで稔さんのチームってわけですな。」
「そういうことであれば、ウチは是非にでも…」
「ちょっと待った」
父親の声に待ったをかけたのは瀬名本人だった。
「父さん、俺を父さんのチームに入れるのは『今シーズンの最終戦で勝てたら』にしてくれないか?」
隣に座った稔は驚き、聞き返す。
「え、なんで?瀬名は一刻も早く上のクラスで戦いたいものだと思ってたんだけど…」
「これは俺の覚悟っていうかなんというか…ほら、俺って追い込まれないと力を発揮できないタイプだから。」
なんだかよくわからない事を言う瀬名。
「それに、最後にビッグレースで勝つところを見せたい人がいる。本当は最後だなんて言いたくないんだけどさ。そういうことだよ」
瀬名の本心は後半に全てが内包されていた。
その場にいる全員が並々ならぬ覚悟と、必ずやり遂げるという気持ちを感じ取った。
親としても、子供の気持ちは尊重したいものだ。
「よし、分かった。瀬名はやると決めたらやるもんな。」
そう言って稔は瀬名の頭をワシワシと撫でる。
「決まりですね。じゃあ瀬名くん、S耐頑張るんだぞ!」
「僕らも全員、応援してるから。」
業界人たちの激励を受けた瀬名は、ただ一言だけ。
「勝ちます。」
そう告げた。
「俺の夢は松田さんのチームで勝つことです。彼のファンとして、そして一人のレーサーとして。」
松田のいるピットガレージを見つめながら、二人に瀬名は言う。