入学
4月2日。
光岡大学の入学式を終えた二人は、とある場所に向かっていた。
第二駐車場奥にあるガレージ。
その近くに寄ってみると、かすかに金属音が響いている。
「こんにちはー!!!」
瀬名は二枚あるシャッターの、閉じている方の一枚を叩いて大きく挨拶をした。
「はーい!!ちょっと待ってくださいねー!!!」
自動車整備用リフトの下からこれまた大きな声が響いた。
それから少しして、ガレージの奥からメガネレンチを持った作業着姿の女性が瀬名たちのもとに歩いてきた。
「あれ、知らない人だ。失礼ですがお名前は?」
「伏見瀬名です。入部希望で…」
「同じく、佐川琢磨です」
「あー!!!新入生の子か!よろしく~。ちょっと部長呼んでくるね!」
長い髪をポニーテールにしたその女性は、慌ただしくまたガレージの奥に走っていった。
手持ち無沙汰となった瀬名たちは、ガレージに一歩踏み入れ、辺りを見渡す。
まず目を引くのは、リフトで持ち上げられたクルマだろう。
競技用と思われるそのクルマ。車種はホンダ・シビックEK9。
FF(フロントエンジン・フロント駆動)で扱いやすく、自動車部御用達の一台だ。
そして壁には整備用の器具と共に一枚の写真が飾られていた。
その写真には先ほどのシビックと、その前に立つ三人の人が写っている。
右には先ほどの女性が、そして左には体格のいい男性が立っており、真ん中に賞状を持った、落ち着き気味のツンツン頭の男性が弾けんばかりのいい笑顔で写っていた。
そうしているうちにガレージ奥のドアがガチャリと開く。
「おまたせ~」
「キミたちが入部希望の子だね?よく来てくれた!」
先ほどの女性の後についてきたのは、写真の左に写っていた男性だった。
「この学校の自動車部の部長をやらせてもらってる、三年の小林可偉斗だ。よろしくな。」
「さっきは自己紹介できなくてごめんね!私は二年の三浦亜紀だよ!覚えておいてくれると嬉しいな!」
瀬名たち二人は改めて先輩に自己紹介をした。
「ウチの部活は部員が少なくて、今いるのはおれらだけなんだ。だからキミたちが入部してくれると最高に嬉しいぞ!」
「本当は私と同じ二年に片山京一っていう人がいるんだけど、今は病気で入院してるんだ。彼すっごく速いんだよ!」
「あ、じゃああの写真の人ってもしかして…」
そういって琢磨が先ほど見た壁に飾られている写真を指さす。
「そうそう!真ん中の人が京一だよ。」
写真に写る片山先輩は、新入生の二人には輝いて見えていた。
「さて。ではウチの部活の活動内容をおさらいしようか。」
可偉斗のその言葉に、亜紀がホワイトボードに文字を書き始める。
五月、全関東学生ジムカーナ選手権大会。
「ジムカーナとは、サーキットを使わない競技だ。駐車場などの広い空間に目印となるカラーコーンを置き、決められたコースを走る。そのコースを走り切るまでのタイムで勝負をするんだ。」
六月、全関東ダートトライアル選手権大会。
「ダートトライアルっていうのは、舗装路じゃない土がむき出しになった路面でタイムを競う競技だよ。私はこれが一番好きだなぁ、土煙を上げながら走ってるのは見るのも楽しいんだよ!」
八月にはその両競技の全日本大会がある。
十月、関東学生対抗軽自動車六時間耐久レース。
「ダート路面で六時間走り、どれだけ長い距離を走り切れるかを競う競技だな。ドライバー交代もあるから、チームの総合力が試される。」
「この大会がキミたち一年生のデビュー戦になるよ。」
二月、関東自動車部 新人戦。
「一、二年生を対象にしたジムカーナ大会だよ。他の部員の多い学校では、下級生の活躍の場が少ないの。そんな下級生の活躍の場がこの新人戦ってこと!」
「以上の大会に加え、日々のマシン整備や駐車場を使った練習なんかが活動内容になるな。」
二人の新入生は、目をキラキラさせて話を聞いていた。
「真剣に聞いてくれてありがとう。今日はもう上がるから、入部記念にご飯でも行こうか!」
「可偉斗先輩が奢ってくれるってよ~」
「うん…まあそのつもりだったから良いんだけどさ…。」
「好きなもん頼んでいいぞ」
自動車部の面々は、大学最寄り駅近くの焼き肉屋で夕食を取っていた。
「じゃあミスジで」
「上ロース食べていいですか?」
「遠慮ないねキミたち」
可偉斗は財布を一瞥して少しうなだれた。
肉の到着を待つ間、全員で雑談をしながら過ごす。
「キミたちはなんで自動車部に入ろうと思ったの?」
「クルマ好きなの?」
二人は少し考えてから口を開いた。
「クルマももちろん好きなんですが、俺は走るのが好きなんスよね。」
「同じくっすね。ゲームで瀬名と走るのが楽しくて、実際のクルマも走らせてみたいと思ったんです。」
先輩たちはそれを聞いて満足げに頷いた。
「なるほどね。…それで、ぶっちゃけ二人は速いの…?どうなん?」
「超一流って訳じゃないですけど、そこそこイケると思いますよ。シミュレーターの関東タイムランキングで俺は2位、琢磨は6位です。」
その言葉に亜紀がニヤリと笑う。
「そのタイムランキングの1位はウチの京一だよ。」
「亜紀さん何位なんスか?」
「私?34位!」
亜紀は手のひらを額に当てて『タハー!』と笑った。
「亜紀も決して遅い訳じゃない。ただ、タイムアタックは苦手なんだよな。」
「そう!私レースなら速いんだからね!」
「京一はどっちも速いけどな」
「余計な事言わないでください」
亜紀は静かに可偉斗の首を絞める。
「可偉斗さんと亜紀さんはなんで自動車部に入ったんですか?」
「お、それ聞いちゃう?」
「私は京一に誘われたからだよ~。特にやりたいこともなかったし仲良い子についていけばいいかと思って!」
亜紀と京一は同じ高校出身である。
野球部の選手とマネージャーであったため、よく喋る仲であった。
「おれはなんと親父が昔レーシングドライバーだったんだ!珍しいだろ!!」
「あ、それウチもです」
「うそん」
「コイツの親父今F4のチーム監督やってますよ」
F4とは、モータースポーツのレースカテゴリーである。
F1は聞いたことがある人も多いだろう。F1マシンの様な形状のクルマのことを『フォーミュラカー』といい、そのフォーミュラカーでのレースはF1からF4までのクラスに別れている。
数字が大きくなるほど下位のクラスであると考えていただいて良いだろう。
フォーミュラカーにはF1からF4までのクラスの他にスーパーフォーミュラやフォーミュラEなど、様々なクラスがあるのだが、現時点での説明は割愛させていただく。
「おれのアイデンティティが…」
「なんかすんません」
「可偉斗さん!ダメっすよアイデンティティを他人に委ねちゃあ!」
亜紀がケラケラ笑いながら可偉斗の背中をバシバシ叩く。
先ほどの仕返しのようだ。
そうこうしているうちに皿に乗った肉が運ばれてきた。
「よし、食うぞ。手持ちのお金の残量的にもう当分は食えないからいっぱい食うぞ!」
震える声で可偉斗が言う。
「オレ焼くの上手いっすよ!任せてください!」
琢磨がトングをつかみ、カチカチと音を鳴らして肉を七輪に並べ始めた。
夜は更けていく。