スタート
「まだ追いつける範囲内だ!!ファイナルラップでブチ抜く!!!」
「一回俺を前に出して抜き返せると思ってんのか?」
伏見瀬名、18歳。
受験勉強が終わり、彼はロクに外にも出ずに馴染の友人とゲームばかりしていた。
「あーもう!!立ち上がり速すぎだろ!!おめーニトロブーストでも積んでんのかよ!?」
「根本的にアクセル操作が違うのよ。指先の魔術師の名は伊達じゃねーの。」
彼はハードウェア純正のコントローラーでプレイする、いわゆる『PAD勢』であった。
「そういえば、昨日の富岡さんの配信観た?」
「観たよ。富岡さんもすげえよな、今年からGT500だっけ?」
今日ではレースゲームプレイヤーがリアルのレースに参戦することも珍しくない。
2011年にヤン・マーデンボローがGTアカデミーを介してリアルレースに参戦して以降、そういった例は後を絶たない。
富岡祐介は、ゲーム出身のドライバーだ。
昨年度後半からSUPER GTというレースカテゴリーの下位クラス、GT300クラスにスポット参戦を果たし、実力が認められ晴れて上位クラスであるGT500のシートを獲得した。
SUPER GTとは、市販車をベースに改造したレースカーで戦うレースカテゴリーである。
市販車をベースにしたとは言っても馬力や車重、そして内装などほぼすべての部分が改造されており、もはや市販車の面影はないに等しい。
中でもGT500クラスは最高時速300キロを超えるモンスターマシンを操らなければならない。
また、SUPER GTに限らず市販車をベースにしたレースカーを通称「箱車」と呼ぶ。
「さて、もう最終セクターだけど何か言い残すことは?」
「オレは絶対諦めねえ!!!」
瀬名と友人…佐川琢磨との距離は最終ラップ突入時の0.5秒から1秒以上の差に広がっていた。
鈴鹿サーキットの最終セクター、高速コーナーに二台は差し掛かる。
二人が乗っているのはF1マシンであり、このコーナーならばアクセル全開で抜けられるクルマである。
瀬名はできるだけ速度を落とさない走りを心掛けていた。
必然的にクルマ路面の幅をいっぱいに使った軌道を描くことになる。
通常であればなんてことないコーナー。
ドライバーからすれば安息の地ですらある。
しかし、その時の彼はほんの少しではあるがクルマの車幅を読み違えていた。
コーナーの中ほどでインにつく際、内側のタイヤが芝生に落ちる。
瀬名は急激なグリップ力の低下にいち早く気付き、車体を安定させようとハンドルを操作する。
だが、姿勢を崩した時速310キロで走るF1を宥めるのは人類にとって至難の業。
彼はまだその領域に達していなかった。
車体はイン側に巻き込み、制御を失った。
そのまま外側の壁に激突、瀬名のクルマは走行不能に陥った。
「ハイ乙~~~!!お前は安定を取るっていうことをしなさすぎ!!」
「おめーマジで明日会ったらシバき回すからな」
ジュースを賭けた勝負は、琢磨の勝利で幕を閉じた。
翌日。
今日は瀬名たち二人の在籍する光岡大学附属の高校の卒業式である。
『卒業証書、授与。』
司会の副校長の声がマイク越しに響く。
瀬名たち生徒は、名前の五十音順に並んでいる。
瀬名と琢磨は前後一列違いで隣り合って座っていた。
「んで?何飲みたいん?」
「エナドリ」
「なんで高ぇやつをピンポイントで…」
卒業式の真っ最中だというのに二人の会話は途切れることが無かった。
そうこうしているうちに琢磨の名前が呼ばれる時間が近づいてきた。
「コーラ!!コーラにしない??」
「エナドリ」
琢磨は頑なにエナジードリンクを要求して体育館のステージへ向かった。
「210円かぁ~~」
コーラになったとしてもたかだか50円の差なのだが…。
しばらくして、琢磨が帰ってくる。
「副校長が後で職員室来いってよ」
「マジ?喋ってんのバレたん??」
当然である。
琢磨は後ろを向き、瀬名は身を乗り出して話し込んでいたのだから。
遠くから見ても異常なのは一目瞭然である。
「よし。ホームルーム終わったらダッシュで逃げるぞ」
「オレも同じこと考えとったわ」
この日の校門を出てしまえば、もうこの学校に関わることはない。
反省することもなく、二人はそのまま話し続けた。
「はい、ではこれで最後のホームルームは終わりだ。みんな、元気でな。」
担任のその言葉で、生徒はゾロゾロと教室から出始めた。
「それと、伏見と佐川は残れ。ちょっと『お話』があるからな…」
「「おつかれっした~」」
「残れって意味知ってる?」
瀬名と琢磨は目配せをすると、二手に分かれた。
教室には前後二つのドアがある。
そのドア両方から同時に出れば、どちらかは逃げ切れる。
どちらかが逃げて、もう一方の外用の靴を持ってくる。
この教室は一階にあるため、窓からも逃げることができるのだ。
「あっ!ちょっ!おいお前ら!!!ちょっと誰か!!佐川捕まえて!!!」
二人の担任は周りの人間に助けを求めた。
必然的に担任の目線は瀬名から離れる。
瀬名の目はそれを見逃さなかった。
「ん?あれ?どこ行った???」
瀬名はその瞬間に下駄箱の方向へ走り去っていた。
「同窓会でまた会いましょうね~!!」
この勝負は、悪ガキ二人の完全勝利で終わってしまった。
「今日この後どうする?オレ暇なんだけど」
「あふぉほいふぉうへ」
「飲み込んでから喋れ」
瀬名はコンビニで買った焼きそばパンを頬張りながらこう言う。
「あそこ行こうぜ。いつものバーに」
「アリ寄りのアリだな」
二人の家の近くにはクルマ好きが集まるバーがある。
平日は夜しかやっていないのだが、今日は土曜日。
昼間から営業している。
もちろん彼らは未成年なのでお酒は飲めないはずなのだが…
ここにはラジコンができる施設やミニ四駆のコースなどがある。
しかし、二人のお目当てはそれではない。
「「こんにちは~!!」」
「お、瀬名くん琢磨くんよく来たね!」
二人は酒も飲めないというのに、ここの常連だ。
「今日学校だったの?」
「卒業式っす」
「お~、おめでとう!」
顔見知りの常連たちが口々に二人に話しかける。
「シミュレーター空いてるよ~」
「マジっすか!やります!」
ここには本格的なレーシングシミュレーターが常設されている。
家にハンドルコントローラーの置き場所がない瀬名にとっては、実際にペダルを踏める唯一の場所となっている。
瀬名がシミュレーターのコックピットに座る。
シミュレーターを起動すると、ハンドルがグルンと一回転する。
ハンドルコントローラーの起動時によく見られる光景だ。
「瀬名、飲みもんいる?」
「あ、じゃあノンアルのカシスオレンジ。これでお前のエナドリも買っていいから。」
そう言って瀬名は琢磨に千円札を手渡す。
「随分気前良いな。さっきあんなに渋ってたのに。」
バーの飲み物は自動販売機やスーパーで買うよりも格段に値段が張る。
しかし、レーシングシミュレーターを前にした瀬名にはそんなことはどうでもいいのだ。
今は走ることで頭がいっぱいなのだろう。
瀬名はアクセルを踏み、コース脇にあるピットロードから飛び出した。