修行
「SUPER GTに参戦するには国際B級ライセンスが必要だ。いきなり参戦することが出来るわけではない。」
モータースポーツには『ライセンス』というものが存在する。
これはレースに対する参加資格のようなもので、いくつかの種類が存在する。
今回瀬名が目標とする国際Bライセンスを取得するためには、『国内B』『国内A』『国際C-C』ライセンスを順番に取得する必要がある。
「国内Bと国内Aは比較的簡単に取得できる。サーキットで走り、講習会を受講するだけでいいからな。だが問題は国際C-Cだ。」
国際C-Cライセンスを取得するためには、競技に10回以上出場する必要がある。
「大学生として出場する大会はこの10回にカウントされません。なんとかして公認の大会に出場する必要がありますね。」
レースに出場するにはそれなりのお金と時間、そして優秀な人材が必要となる。
「どのレースに出場するのがいいですかね?」
瀬名が訊く。
「F4…と言いたいところなんだが、F4も事前にレースに参加していないと参加資格が無いんだ。通常、プロレーサーは幼い頃からカートの大会などでレースに参加している。だからこの参加資格に引っかかることはないんだが…」
瀬名はかなりイレギュラーな状態でプロになろうとしている。
それだけ、厳しい条件になるのだ。
「…瀬名くん、キミのクルマって車種はなに?」
松田は何か思いついたようにそう訊いた。
「え?ホンダのフィットですけど…」
それを聞いて崇斗もハッとしたように指をパチンと鳴らした。
「スーパー耐久か!」
スーパー耐久。
『S耐』の愛称で知られる、箱車レース。
SUPER GTが2つのクラスに分かれているのに対して、S耐は9つのクラスに分かれたレースである。
それだけでも途轍もない台数で争われるレースだということが分かるだろう。
その9つのクラスの一番下、ST-5クラスに参戦できる車種の一つが瀬名のクルマである、ホンダ・フィットなのだ。
「ただし、参戦するのは良いとして…キミの運転には若干のぎこちなさが感じられる。日常生活でその程度では、ハッキリ言ってレースではまず勝てない。」
それを聞いた瀬名は少し顔を赤くしてうつむく。
「親父、それに関しては部活の中で今年度中にどうにかしよう。瀬名は光岡のエースになれる。そんな気がするんだ。」
可偉斗がフォローを入れる。
「瀬名くん。」
松田がうつむいた瀬名の頭を人差し指でポンポンと叩きながら。
「僕の後を継ぐつもりなら、文字通り死ぬ気で頑張るんだ。生半可な努力では、スタートラインに立つことすら許されないよ。」
優しく、しかし圧のある言葉だった。
だが、その言葉は確実に瀬名の心に火をつけた。
1か月の間、瀬名と琢磨は体幹のトレーニングを中心に自主練習を重ねた。
瀬名に関してはそれに加えて、件のバーにあるシミュレーターを使用しての練習を行う。
その練習風景は鬼気迫るものだった。
瀬名をよく知る常連客から見ても、普段の遊びに来る瀬名とは表情も纏うオーラも違っていた。
心なしか筋肉がつき、太くなった腕に汗を滲ませてハンドルを握る。
注文する飲み物は、スポーツドリンク。
ひたすらストイックに走り続けた。
練習を続けていくうちに、彼の実力は新たなステージへと達する。
PADでのアクセルワークはどんなに細かくても『弱』『中1』『中2』『強』の四段階で限界だった。
現実でも日常生活程度ではそこまで細かなアクセルワークは必要とされない。
しかしシミュレーターによる限界領域での走行で、瀬名はアクセルに10段階ほどの強弱をつけることに成功した。
自分で意識してやったことではない。最速を目指しているうちに、自然とそうなっていった。
アクセルを踏む経験を重ねるうちに、右足の感覚が研ぎ澄まされていったのだ。
結果、状況に応じて最速と思われるアクセル強度を瞬時に発生。
マシンの限界性能を引き出すに至る。
ゴールデンウィークに入る頃には、京一を抜き関東タイムランキングのトップに躍り出た。
一方そのころ、琢磨はというと。
「ここは大事そうだな…」
分厚い本に蛍光ペンで線を引いていた。
勘違いしないでほしいのだが、琢磨は大の勉強嫌いである。
机に向かったのなんて、受験前の2か月くらいのものである。
彼の両親もとうとうおかしくなってしまったと思い、積極的に声を掛けるようにしている。
ただし当の本人はそのことを全く理解していなかった。
彼が開いている本は、自動車整備の専門書である。
瀬名とのポテンシャルの差を自覚した彼は、ラジコンのセッティングの知識と経験を活かしてサポート役に徹することにした。
前にも書いた通り、ラジコンと実車は基本的なつくりは同じである。
どこをいじればどんな挙動の変化をするか、などは頭に入っている。
その知識を実車に当てはめていくのだ。
1か月の間に、琢磨は現状の自動車部のエースメカニックである亜紀と同等かそれ以上の能力を身に着けた。
そして、瀬名たちの謹慎が解けた5月18日、土曜日。
全関東学生ジムカーナ選手権大会が開催される。