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トリップ◎ブラザーズ  作者: 冬城カナエ
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Chapter3-2 月妖ブラザーズ

 シェリンガム兄弟は、同じ動き(ユニゾン)で振り向いた。

 狼女と反対側。路地の入口のところに影が二つ。シルエットの形からして男性と女性のペアだ。

 そこまでだ! と言ったのは男の方か? 二人がそう思った時。男は気取った仕草でトップハット※を外し、傍らの女にそれを渡すと、一歩踏み出して月光の下に姿をさらした。

 それは栗色の髪をした若い男だった。紺色の礼服のような古風なスーツの上に黒いマントを羽織っている。きちんと手袋をはめた手にはステッキだ。伝統的なヴィクトリア時代の紳士の装いである。

 ゆらり。何も言わずに男は、ステッキを上げて先端を二人に向けた。カチッという何かの音。刹那。

 ──シュッ。

 ベンジャミンと、ジェレミーの間を。二人の頬をかすめて何かが飛んだ。

「えっ!?」

 ハモッた二人。背後のギャッという悲鳴に振り返る。

 狼女は顔を押さえ、慌てて2、3歩後退していた。

「殺してはならん。どんな月妖ルナーでも、裁きを受ける権利を持つのだからな」

 やっと男はそう言うと、ゆっくりとした動作でステッキを元に戻した。──仕込み銃か? ステッキから何か銃弾のようなものを発射したようだ。

「通りかかって見て見ぬ振りも出来なかったのでな。何か因縁があるようなら、話を聞いてやろう」

 そう言い終えて、傍らの女から自分のトップハットを手に取る。

「……レベッカ、頼む」

「はい。マスター」

 彼の背後にいた女の影が、跳んだ。

 信じられないほど高く跳躍した影は、二人のすぐそばに着地した。それは地味なワンピースを着た艶やかな黒髪の少女だった。ザッ。体制を整えた彼女は、色のない目でベンジャミンとジェレミーをそれぞれ一瞥し、眉を上げて前方を見た。そこに居るのは、狼女のナンシーだ。

「子犬ちゃんかよ」

 ボソリとつぶやく少女。その、らしからぬ低く抑えた声色にギョッとするのもつかの間、少女は長い黒髪を揺らして二人に視線を戻した。ビュッと腕を伸ばすと袖から飛び出てきたのは──鉄の鎖。

「おい」

 可憐な少女は鉄の鎖を両手で持ち、ドスの効いた声で言った。

「そこでおとなしくしてろよ、オマエたちは後回しだ」

 ぽかんとするベンジャミン。ジェレミーは咄嗟に身構えている。

「レベッカ、いいから、人狼の方を!」

 すると、後ろの男が叱咤するような声を上げた。少女は背筋を伸ばし、はいッと威勢の良い返事をした。彼女は慌ててナンシーの方を見たが、狼女は四つん這いになって逃げ出すところだった。

「マスター、追いかけます」

「頼む」

 短い言葉のやりとりのあと、少女は無骨な鎖を手にしたまま狼女を追いかけていった。少女とは思えないほどの脚力で、である。


「さて」

 男は二人に近づいてきて、値踏みするように兄弟の顔を見た。はっきりした目鼻立ちをもった美男子である。年齢は30代前半ぐらい。映画俳優で言うならば、オーランド・ブルーム※といったところか。

 居住まいを直すベンジャミン。拳銃を手にしたままのジェレミーが、前に出ようとするのを手で制して止めた。

「君たちから話を聞きたい。おとなしく付いてきたまえ」

 ゆっくりとした口調で男は言った。胸ポケットから金色の時計を出し、時間を確認しながら、である。

「あんたは警察官か?」

「いや違う」

「なら、逮捕権はないはずだ。俺たちは行かない」

 ベンジャミンは胸を突き出し、まっすぐに相手を見据えながら言った。男は、フンと興味深そうに鼻を鳴らす。

「ヤードにだったら行くのかい?」

「行ってもいい」

「なぜだね?」

「俺が、ヤードの刑事だからだ」

 ほう、と男は声を上げた。

「君は警察官か。名前は?」

 小さく舌打ちするベンジャミン。……仕方ない。彼は一瞬の逡巡のあと、口を開いた。

「シェリンガム。階級は警視。こいつは俺の弟だ」

「シェリンガム?」

 聞き返した男の声が、なぜか奇妙に上ずっていた。──おや、と思いベンジャミンは相手の顔を見る。しかし表情を読まれる前に、相手はまた柔和な笑みを浮かべてそれを隠した。

「あんたは?」

ベンジャミンは鋭く訪ねる。「俺たちだけに名乗らせておいて、だんまりかい? それとも名前はジョン・ブル卿か?」

「分かったよ」

 クスと笑って、彼は目を上げた。二人の顔をたっぷり時間をかけて見比べて。それからはっきりとした声で言った。

「僕は、アボットだ。王立闇法廷ロイヤル・コート・オブ・ダークネスの、カーマイン・クリストファー=アボット。君たちのような月妖が悪さをしないか見張っている機関の責任者だよ」

「──何だって!?」

 声をハモらせて。二人の兄弟は驚いて顔を見合わせた。


 昼間、自分が職場で見た書類。「業務委託に関する覚書」。日付は100年前。クライヴの言葉。月妖。政府。魔女裁判……。様々な言葉が浮かんでは消え、ベンジャミンの頭の中で乱れ飛んだ。

 その中で、最後に残ったのはクライヴの言葉だった。

 月妖呼ばわりされた人間がたどるのは、悲惨な末路──。

「ほう。君たちは我が王立闇法廷のことを知っていたようだな」

「待て!」

 真剣な面持ちでベンジャミンは声を上げた。彼の認識が正しければ、王立闇法廷は月妖を秘密裏に裁き絞首台に送り込む組織なのだ。そのトップと道端で遭遇してしまったのは不運としか言いようがない。そして、この状況は──非常にまずい。

「俺たちは月妖なんかじゃない」

 誤解を解かなければ。隣にいる弟をちらりと見ながら、ベンジャミンは相手を威圧するように睨みつける。

 ──ん? 

ベンジャミンは、弟にまた視線を戻した。一瞬だけ見た弟の表情に、違和感があったのだ。なぜか、どういうわけか。ジェレミーは感激したような目をして、兄とカーマインとを交互に見比べていた。

まるで贔屓にしているサッカー選手にでも出会ったような、そんな目つきである。

疑問を感じるベンジャミン。何だ? どうしてジェレミーはそんなに嬉しそうにしているんだ?

「みんな最初はそう言うんだよ」

 男、カーマインは、兄弟の様子には無頓着な様子で続けた。

「他人を八つ裂きにして心臓を喰らった後に、“俺は月妖じゃない”と叫ぶ者もいる。貴婦人の喉に喰らい付いてその命を奪っておきながら“彼女が血を吸って欲しいと言ったんだ”と主張する者もいる」

「俺たちは、正真正銘の普通の人間だ!」

 内心焦りながらも、鋭く言い返すベンジャミン。

「それは笑えない冗談だな」

カーマインは淡々と返してきた。「何もない空間から拳銃を取り出したりできるのか? 普通の人間に?」

「アハ、言えてる」

 うぐ、と言葉に詰まった兄の横で、ジェレミーがあっけらかんと笑った。兄をチラチラと見て、目で何か伝えようとしている。“ほら、ジャム。分かんないの? アレだよアレ”といった具合に。

「君は悪夢ナイトメアだな」

 カーマインはジェレミーを見ながら言った。悪夢? と首をかしげているジェレミーから、ベンジャミンに視線を移し──

「君の方は、まじない師だろう?」

「はぁ?」

「いや、言霊師スペルキャスターという言い方をした方が良いか」

「あんた、何の話をしてるんだ?」

 急にうさんくさい話になってきた。相手が何を言っているのか分からず、ベンジャミンは眉を寄せた。自分たちに言い掛かりをつけて魔物呼ばわりして、そのまま絞首台に送る気か?

「自覚がないのか」

 ふむ、と言いながらカーマイン。

「刺青は? 刺青はどうだ。君は身体のどこかに刺青を入れてやいないか?」

「何?」

 刺青? 刺青だって!?

 さすがのベンジャミンも驚いた表情を隠せなかった。何故、初対面のこの男が、妻のアイリーンに入れてもらった胸の刺青のことを知っているのか。得体の知れない恐怖を感じ、彼は慌てて問い返した。

「ど、どうしてそれを知ってるんだ」

「ははあ。呪文の使えない言霊師スペルキャスターか。面白い。」

 ヴィクトリア時代の青年紳士は、ゆったりと腕を組みながら笑う。ベンジャミンの反応を面白そうに見つめている。その仕草は、癇に障るほど上品で優雅である。

「君の質問に答えてやろう。僕には少々の魔術の心得がある。だから君たちの能力も大方分かるし、君たちがまだ血の匂いをさせていないことも分かるんだ。よって、君たちを拘束するつもりはない。ただし」

 一度言葉を切って、男は語気を強めて続けた。

「こんな時間にこんな場所を、帽子も手袋も身に着けずに出歩くようなスコットランドヤードの警視は、僕の知り合いには一人も居ないということも付け加えさせてくれたまえ」

「……俺たちをどうする気だ」

 言い逃れするにはタイムオーバーのようだ。そう思いながら、低く押し殺した声でベンジャミンは問うた。ジェレミーを守りながら、この状況をいかに脱出するか、最もリスクの低い戦術は?

「おいおい、よしたまえ。くどいようだが、僕は君たちから話を聞きたいと言っただけだぞ?」

 カーマインは落ち着き払った様子で、腕を解き肩をすくめてみせた。

「いきなりニューゲイト監獄に連れて行くなんてことはしないさ。そこに僕の車を停めてある。ティータイムには遅すぎるが、僕の私邸に君たち兄弟を招待しよう」

 そう言いながら、彼は手袋を嵌めた手で表通りに停まっている馬車を指し示した。少しでも距離が離れると、みな霧に包まれてその輪郭を隠してしまう。ぼんやりとしたランプの明かりが馬車からぶら下がって揺れているのが見えた。

「付いてきたまえ」

 カーマインは、くるりと兄弟に背を向けて歩き出した。その様子にベンジャミンは少し驚いた。この状況で自分から背中を見せるとは……。度胸があるのか、命知らずなのかどちらかだ。

 よく見ると、彼は左足を引き摺るようにして歩いていた。どうやら少し足が悪いらしい。ステッキは武器やファッションとしてだけでなく、彼にとっては歩くために必要なものなのであろう。

 ベンジャミンは、隣りを見た。

 弟は、やはり期待に満ちた表情で、兄を見、そしてカーマインの背中を見た。付いて行く気満々といった感じである。

 小さく舌打ちをしたベンジャミン。仕方なく青年紳士の後を追って歩き出す。するとジェレミーもステップを踏むような足取りですぐ隣りを付いてくる。

「すごいね、ジャム。アボット卿だよ。ウワァァ感動するぅ」

「???」

 弟の小声に、ベンジャミンは大いに眉をひそめた。どういうことだ?

「お前、あいつを知ってるのか?」

「エッ、ジャムは知らないの? あのアナ・モリィが」

「──君たち」

 カーマインが二人に声をかける。馬車のステップに乗り、御者の手を借りながらこちらを振り返っている。

「早くしたまえ」

 急かされ、二人は会話を中断し、いそいそと馬車に向かった。馬が首をめぐらせ荷が増えることを嫌がるかのようにヒィンと短く鳴いた。タクシーよりはずっと高いところにあるステップを踏み、シェリンガム兄弟は馬車に乗り込む。

 乗りながらベンジャミンは弟の言葉の意味を考えていた。──アナ・モリィ?


 アナ・モリィと言えば、かのアナ・モリィ=シェリンガムのことだろう。しかし、ここでどうして彼女の名前が出てくるんだ?


(続く)


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※トップハット: いわゆるシルクハットのことです。

※オーランド・ブルーム: ロード・オブ・ザ・リングで、エルフのレゴラスを演じた俳優

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