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トリップ◎ブラザーズ  作者: 冬城カナエ
22/24

Chapter5-1 100分の10

 ベンジャミンは鼻歌を歌いながら、ブラウンの電動ハブラシで歯を磨いていた。医者に勧められた日本製ではなく、特段の理由もなく選んで買ってきた歯ブラシだ。細かい振動が、早朝のまだ醒めきっていない脳に適度な刺激を与えてくれる。

 あのヴァンパイアの夜会に出席してから3日が経っていた。

 “未来からの闖入者”から“スコットランドヤードの警視”に戻った彼は、あの日のことを思い出しながら、朝のゆるやかな時間を過ごしていた。これから出勤するのだが、早朝に気持ちよく目が覚めたので充分な時間があったのだ。

 彼はヴィクトリア時代の貴婦人メイベルの夢の中に囚われ、現在でも一週間ほど欠勤したことになっていた。しかしそれも、部下のクライヴが検査入院をしていたことにしてくれたおかげで穏便に済ませることが出来た。

 ジェレミーはあの一夜で命を落としたレベッカのことを気に病んでいた。ベンジャミンも初耳だったのだが、彼女は人造人間だったそうだ。黒ノ女王から受けた傷が深すぎて彼女は再生できなかったのだ。自分の責任も感じたのだろう。ジェレミーは弔いの後もう少しだけ傍にいてやりたいと、今夜まで向こうに留まると言って、まだ現代には戻ってきていない。

 以前、言霊の師匠であるクラウドに“薬は弟と一緒に飲まないと、違う世界に行ってしまうかもしれない”と警告されてはいたが、ベンジャミンはあまり気にしてはいなかった。

 なぜなら、すべてが片付いたからだ。

 ベンジャミンは満足そうに思い起こし笑顔を浮かべてみせる。



 黒ノ女王=パメラとは、随分と長く話をした。

 ベンジャミンは、彼女が自分の妻アイリーンではないことを、ちゃんと理解していた。そして、メイベル・ヘレナ=カールトンとも“別人”であることもだ。

 二人は、ロンドン塔のテラスをこの夜だけ拝借して、じっくりと話し合った。彼女が冷静さを取り戻すまで少々時間がかかったが、明るすぎた月の光がそれを手伝ってくれたのだ。

 パメラは“メイベルのために”デニスを殺さねばならないと、何度も言った。メイベルの兄デニスは既に救いようがない悪人であり、彼が世の中に存在する限りメイベルは苦しみ続ける、と。命すら狙われるかもしれない。デニスがいる限り、メイベルの魂は安らぎを得られないのだと。

 それはそうだろう、とベンジャミンは肯定した。

 しかし、彼は最後に反論した。君は一つだけ嘘をついているね、と。

 ──メイベルのために、は嘘だ。

 ベンジャミンは穏やかに、しかし鋭く指摘したのだった。

 ──デニスを殺したいのは君だ。

 違います、とメイベルは主張した。メイベルだって、兄を憎んでいるはず。彼女は声を荒げてそう言った。

 ベンジャミンは根気よく話した。彼は、メイベルの夢の中を彷徨ったこと。そして彼女の夢の中で見たことを話してやったのだった。

 庭の噴水で遊ぶ、幼い二人の兄妹。その姿がメイベルの気持ちそのものだった。彼女は優しい兄の思い出を大切に、大事な宝物のように心の奥にしまいこんでいたのだ。

 ベンジャミンは言霊スペルを使って、その映像を夜空に映し出してみせた。パメラは言葉を無くし、幼い二人の兄妹の姿に見入り──そして、ただ首をゆるゆると横に振ってみせたのだった。

 分かりました。ぽつりとパメラはそう言うと、ベンジャミンに向かって、たおやかに頭を垂れて礼をした。

 ──さようなら。

 ベンジャミンも薄々分かっていた。存在価値をなくしたパメラがどうなるのかを。ただ彼には何もできなかった。彼に出来たのは、憎しみのままに月妖を殺すこと以外にもパメラが夢中になれることがきっとあるはずだと信じることだけだった。

 彼もさようなら、と彼女に別れを言う。

 去り行こうとしたパメラは最後に振り返り、名前を尋ねてきた。頬をほんのり桃色に染めながら。彼女は今の今まで、自分の過ちを正してくれたこの紳士の名前を知らなかったことを恥じたのだ。

 もちろん、彼はにっこり微笑んで教えてやった。



 ベンジャミン。ベンジャミン・ハロルド=シェリンガム。



「……さん、というのは貴方のことですか?」

 電話の向こうで、自分の名前を連呼されて、ベンジャミンは急速に現実に引き戻されていた。ここはロンドン。しかも大魔都グレート・バビロンではなく2006年の英国の首都だ。

 混乱した頭を掻きながら、彼は壁の時計を目線で探した。まだ6時半だった。

 けたたましく電子音を撒き散らしていた携帯電話の通話ボタンを押した途端、知らない若い男が大きな声で自分の名前を言うのだった。ベンジャミン=シェリンガムさんというのは貴方ですか、と。

「確かに私がそうだが、貴方は?」

 警察官らしく、慎重に言葉を返すと相手は早口で続けた。

「こちらはシティ警察のジェス=ライト巡査です。エイドリアン=オースティンという方をご存知ですか?」

 なんだそっちも警察官じゃないか。ベンジャミンは幾分かムッとした。まるで一般市民に対するようなクチの聞き方だ。おそらく相手はこちらのことを知らないのだろう。シティ警察とは、ロンドンの中心に位置する金融街のシティだけを管轄している警察組織である。ベンジャミンのことを知らないのも有り得ることではある。

 と、ベンジャミンは眉を潜めた。エイドリアン、だって?

 こういう聞き方をされる時は……。一瞬にして彼の“警察官の脳細胞”が状況をいくつかに絞りこんでいた。

「いいか、君」

 すぐにベンジャミンは口調を変えて言った。

「私はスコットランドヤード超常犯罪調査部長のベンジャミン=シェリンガム警視だ。エイドリアンは私の部下だが、彼に何かあったのか?」

 電話の向こうで、相手が息を呑んだのが分かった。

「しっ、失礼しました! その……」

 ライト何某は続く言葉を言い淀んだ。少しの間があった。一般市民に対してなら、彼は間髪入れず事実を伝えていただろう。

 ベンジャミンは目を閉じた。この嫌な間は……知っている。

「彼は、数分前にセント・バーソロミュー病院に搬送されました」

「心肺停止状態か」

 鋭く口を挟むベンジャミン。

「そうです。私が駆けつけたときには微かに意識がありました。それで彼が自分の名前を言うのを聞くことが出来ました。携帯電話やその他の所持品は何もなく、手にしていた紙切れに貴方の名前と電話番語が記入されていたのです」

「分かった」

 答えて、ベンジャミンは動き出していた。着替えてすぐに家を出るのだ。

「詳しいことは後で教えてくれ。彼の家族には、私から連絡をとっておく」

 彼は電話を切ると、今度は職場への電話を掛けた。コール音を聞きながら、無意識に弟の姿を探した。……ああそうか、まだ戻ってきてないんだったな。ベンジャミンはそう独りごちて、リビングを後にした。



 * * *


 

 長い沈黙のあと、クソッと吐き捨てたのはレスター=ゴールドスミスだった。彼は握った拳をデスクに叩きつけると、足早に部屋を出ていこうとする。

 スコットランドヤードの地下の一室。超常犯罪調査部[UCB]の主要メンバーが20人ほど集まっていた。部屋の照明はいつものように暗い。そして皆、無言である。言葉を発したのは、警部補のレスターだけだった。

「レスター」

 低い声で、ベンジャミンは部下を制止した。

「……便所だよ」

「なら、もう少し待て。話は終わってない」

 強い視線を向けると、レスターも負けじと強い視線を返してきた。彼の頬の大きな傷も相まって、その形相はマフィアも怯むような凄まじいものだった。しかしベンジャミンは屈しない。しばしの間の後、フンと鼻を鳴らしたレスターは手近な椅子を引き寄せ腰掛けた。不服そうな態度がありありと見てとれる。

「ありがとう」

 ベンジャミンは淡々と言い、部下たちに向き直った。

「……エイドリアンの葬儀については、今話した通りだ。皆で彼を送り出してやろう。彼の事件ケースについては状況次第だ。私は殺人調査部と連携した調査も検討している。いずれにせよ、今は情報が少なすぎる。司法解剖の結果を待って、それからだ」

「それじゃ遅せぇんだよ!」

 強い口調でレスターが声を上げた。

「エイドリアンを殺した奴を、みすみす逃すのか!?」

「そうじゃない」 

 答えながらベンジャミンはレスターだけでなく、他の面々の顔をゆっくり見渡していた。

 だいたい皆同じように不安や悲しみの表情を浮かべていたが、ベンジャミンはそのほぼ全員が同時に考えていることを読みとっていた。


 どうせ、エイドリアンの死は病死か何かにされる。

 彼が現代科学では解明されていない“何らかの存在”に殺されたというのに──。

 

「──はっきり言うぞ、レスター」

 ベンジャミンは心を決め、強い口調で切り出した。

「情報が少ないまま闇雲に動けば、次に殺されるのはお前だ」

 ぐっ、とさすがのレスターも言葉に詰まる。ベンジャミンは、他の者たちの方を向き直り落ち着いた口調で告げた。

「皆も勘違いしないでくれ。私はエイドリアンの件で、泣き寝入りをするつもりは全くない。我がUCBはこの事件の解決に向けて総力で挑む。だから」

 と、レスターに、「お前は単独行動を控えろ。俺の読みだと犯人は単独犯だが、その分隠密行動に長けているはずだ。1対1で挑むのは英雄的かもしれんが、確実にエイドリアンの仇を討つなら多くの戦力をもって挑むべきだ」

 常に紳士的なベンジャミンが、語気を強めたせいかもしれない。室内はシンと静まり返った。当のレスターも返す言葉もなく、うつむいて床を見つめている。

「話は終わりだ」

 ベンジャミンは一方的にそう言い終えると、さっさと自分のデスクに戻った。そして内線で様々な部署に電話をかけはじめた。

 それを見て、ひとりが席に戻り、また一人二人と他の者ものろのろとゆっくりと席に戻っていった。最後にレスターは悔しそうな目でこの部屋の主を見つめると、もう一度クソッと吐き捨て、自分の席に戻ったのだった。



 死んだエイドリアン=オースティン警部補は、休暇中に災難に遭った。離婚した妻と共に暮らしている息子と久しぶりに会う日だったそうだ。息子は今年で20才になったところで、父と子は夕方にピカデリー・サーカスで待ち合わせをして、ソーホー界隈をブラブラし食事をして軽く飲んで別れた。

 最後に行った店は、ジラルド・ナナという小さなクラブだった。

 そこでエイドリアンは息子に用事があるからと告げて店を後にした。その約20分後、シティのレドンホール・マーケット ※ にある狭い路地裏で倒れているところを発見された。彼は携帯電話を財布も持たず、紙切れだけを手に胸を押さえていた。

 目立つ外傷はなし。

 詳しくは解剖の結果待ちだが、とベンジャミンは心の中で思考を重ねる。おそらく「事件性なし」と判断されるだろう。ざっと集めた情報を精査してみて、彼の勘がそう告げていたのだ。なにしろ以前の自分──殺人調査部にいた自分なら、そう判断するに違いないからだ。

 しかし2点だけ、不審な点がある。

 ベンジャミンはデスクの上にある現場の写真をコツコツと指で叩いた。

 まず一つ。彼がメモ以外に何も持っていなかったことだ。彼の財布や携帯電話などは今でも見つかっていない。息子と会っていた時には保持していたはずである。もし襲われたのでなければ、それはどこに行ってしまったのか。

 もう一つは、彼の死因だ。エイドリアンの命を奪ったのは、おそらく急性心不全などの致死性の高い発作だろう。しかし彼には持病はないはずだった。もし、それが──“人為的に起こされたもの”だったら?

 そこまで考えてベンジャミンは顔を上げた。

 パソコンの画面の真ん中で、小さな小窓が点滅していた。クライヴからだった。

 ──18時に、俺の家に来てくれ。

 ベンジャミンは、チラりと部下の方を見、目配せしてみせたのだった。



 * * *



 クライヴは、まさにソーホー地区の古いアパートの一室に住んでいた。訪ねるのはベンジャミンも初めてである。先の見通せない狭い路地に入り込んでいくと、遠くで中国人の女たちが何か言い争いをしているのが聞こえてくる。アパートは石造りの頑丈なもので、クライヴの部屋は最上階の6階にあった。

 扉をノックすると、中から入れよとぶっきらぼうな声が聞こえた。ベンジャミンは部屋を間違えていなければいいがと思いながらその押し戸を開いた。扉はそれを嫌がるようにギシギシと音を立ててゆっくり開く。

 すると、そこにはいきなり「マトリックス」の世界が広がっていたのであった。

 「よく来たな」

 天井から垂れ下がるコードをかき分け、救世主ネオ……ではなく、クライヴがのそりと顔を出した。所狭しと並べられたモニターがベンジャミンを取り囲んでいる。それはまるで巨大な生物の体内のようでもあった。

 呆気に取られたベンジャミンは部屋の中を右へ左と視線を泳がせた。天井から壁、床にいたるまで、様々なパソコンやモニター、電子機器のたぐいが置かれている。中には炊飯器のようなものやら、どうみてもガラクタにしか見えないものまで全て無骨な太いコードで繋がれているようだ。

 クライヴは太った身体を器用に操り、足下に無数に広がる様様なコードを踏まないようにしてこちらに歩いてきた。

「すご……いところに住んでるな」

「いい部屋だろう」

 自慢げにうなづくクライヴ。「ここには、1992年まで魔女が住んでいた。それを俺が譲り受けたんだ」

「魔女?」

「その話は長い。いつか気が向いたら話してやるぜ。そんなことよりコレを見ろ」

 部屋の主は自慢話を簡単に切り上げると、上司に向かって顎で奥の方をしゃくってみせた。そこにはひときわ大きなモニターがあり、パソコンのデータや画像が映し出されている。

 エイドリアン=オースティンの事件写真だった。それを見て、ベンジャミンは気を引き締めてクライヴを見下ろした。

「君も……彼が殺されたと思うか?」

「ああ。ケースBだな」

 ニヤッとクライヴは口端を吊り上げてみせた。ケースB。ベンジャミンが赴任してすぐにクライヴに作ってもらった事件のデータベースの分類である。

 ケースAは、間違いや勘違いから被害届けが出されUCBに回されてきた事件。反面、未解明な点の多い迷宮入りの事件をケースBに分類したのだ。懐かしい、とベンジャミンは短い回想をする。クライヴから初めて“王立闇法廷”の話を聞いた、あの夜が遥か昔のことに思えてくる。ほんのひと月前の話だというのに。

「エイドリアンが関わった事件の中から、ケースBを探ってみた。この1年に35件ある」

「35件か。ずいぶん多いな」

 ベンジャミンは全てを察してくれている部下を頼もしく思った。彼も当たりをつけているのだろう。エイドリアンが、過去に関わったケースBの事件の絡みで何らかのトラブルに巻き込まれ……超常的な何かにより殺されたのではないか、と。

「その中で、ソーホーやレドンホールマーケットに関連するものは?」

「ソーホーで起きたやつが5件だ」

「よし、そのファイルを見せてくれ」

 さっとクライヴが差し出した紙の束を受け取りながら、ベンジャミンはふと、モニターに映し出されている古ぼけた胸像写真に気付いて目を留めた。

 印象的な太った男の胸像写真である。クライヴと同じ眼鏡をかけ、長いモジャモジャした髪をそのままに、小さなトップハットを頭に載せている。ありていに言ってクライヴとそっくりだった。

「──ギルバート=コルチェスター。俺の先祖であり、俺がアッチの世界でたまに使わせてもらってるアイコンだ」

 彼の視線に気付いて、クライヴが教えてくれた。説明になっていないようなものだったが、ベンジャミンは意味を大体理解することができた。

「ああ。弟から聞いたよ。君がそのギルバートの身体を使って、ジェレミーを助けてくれたんだろ?」

「……そうらしいな」

 かぶりを振るクライヴ。

「らしい?」

 ファイルを繰る手を止めて、部下を見るベンジャミン。

「俺自身の記憶だと、あの時ギルバートはジェレミーを助けちゃいねえんだ。ギルバートは黒ノ女王にやられてからすぐ目を覚ましちまったんで、俺が身体を拝借できなかったんだ」

 ベンジャミンは眉を寄せた。クライヴが言っていることがよく呑み込めない。

「んー。俺は、アンタに向かって、アンタがどうやって世界をトリップしてるか説明したはずだよな?」

 首をかしげるベンジャミン。

「つまり、今の俺はあんたが会ってた俺とは違うってことだよ。あんたに協力したのは“俺α”で、今の俺は“俺β”ってところか? 俺の方は、パソコンにゲームプレイのデータをバックアップしてるから、そのいくつかを探って、今のアンタが何をしてきたのかは、なんとなく察してるがな」

「クライヴ、済まんがその……」

「分かったよ。もう一度、言い直してやる」

クライヴは太った腹をなでながら溜息をつき、ゆっくりと続けた。「要するに、俺とあんたは今、お互いの記憶を共有していないってことだよ。あんたは1888年のロンドンで歴史を変えたらしい」

 語気を強めるクライヴ。

「だからいいか? あんたは以前とは違う世界に、今、存在してるんだ。意味、分かるだろ?」

 相手の言葉を噛み締め、ベンジャミンは下唇を舐めた。ゆっくりと息を吐く。

「俺が歴史を変えちまったのか?」

「そうだよ」

「一体何が変わった? まさかエイドリアンの事件も俺のことが原因で?」

「分かんねえよ。だから今から調べるんだ」

 放心したようなベンジャミンを尻目に、クライヴはさっと椅子を引いてパソコンに向かった。上司に背を向けたままで、何事か打ち込むとパソコンの画面に大きくヤフーの画面が表示された。

「エイドリアンのことよりも、ちょっと先にこのことを片付けた方が良さそうだぜ。おい、部長。何でもいい。戻ってきてから何か違和感のあったことはないか?」

「違和感……」

 ベンジャミンも近くの小さなドラム缶のようなものの上に腰掛けた。ぼんやりとヤフーのロゴを見ながら今朝起きてから現在までのことを思い出す。

 朝に電話があって、急いで出勤し、UCBの部室で部下たちを集めて話をして……。いつもと変わらないような、何かが違っていたような。

 ハッとベンジャミンは顔を上げる。すぐに気付いたことが一つあった。

「UCBの人数が増えているような気がする。俺が赴任した時は30人弱だったはずだが、さっきは40人ぐらいいたな?」

「ははあ、なるほど。人数な」

 ふんふんと首を縦にふるクライヴ。

「確かに今の俺らの部の人数は45人だ。しかしアンタの“前の”世界じゃなんでそんなに少なかったんだ? 事件が少なかった、のか?」

「そうかもしれないが……」

 ふとベンジャミンは、自分が手にしたケースBのファイルに目を落とした。本当に深刻な事件であり、超常的な何かが関わっているホンモノの事件。

 ケースBの発生確率は──100分の5、すなわち5パーセントだった。

「クライヴ、ケースBの発生確率は?」

 暗い声で彼がそう切り出すと、クライヴもすぐに察したらしくわずかに眉を寄せた。

「──100分の10だ。10パーセントだよ」

「そうか」

 予想された答えではあったが、ベンジャミンは衝撃のあまり首をゆるゆると横に振った。自分の記憶では5パーセントだったということをクライヴに言うと、彼も珍しくショックを受けたように黙り込んでいた。

 ベンジャミンは自分の身に起こったことを理解していた。彼はケースBが5パーセントの世界から、10パーセントの世界へと“歴史を変えてしまった”のだった。何が原因でそうなったのかは分からない。デニス=カールトンを殺さなかったからなのかもしれない。分からない。しかし、未解決の超常的な存在による凶悪事件の発生率を増やしてしまったのだった。

「他には何かないか?」

 うなだれるベンジャミンに、クライヴが声を掛けた。

「そうだな……」

 こんなことでショックを受けていてはいけない。なんとかせねばとベンジャミンは自分を奮い立たせるように拳を握りながら記憶を辿った。

 他にも……何か記憶と違うこと……。

 また、何の気なしにパソコンのモニターを見る。ヤフーのサイトの右側の動画が切り替わった。ひょろひょろとした男が出てきて銃を乱射しているコントらしきものが始まった。

 メッセージが出る。『ニック=ウォルターズのお笑いDVDシリーズ“空飛ぶ奥様SOS 宇宙ニッキーマウスの大暴走 シーズンZ”好評レンタル中!』またコントが始まる。繰り返し。

 クライヴもそれを見た。


 ──アッ!!!


 ベンジャミンの定まらなかった焦点が、急にニック=ウォルターズに釘付けになった。ガタンと椅子を蹴飛ばし立ち上がった彼は、モニターにかじりつくように近寄った。

 どうした、とクライヴが声を上げたが、もうそれは彼の耳に届かなかった。

 そこに居たからである。

 パソコンのモニターの中に、ニック=ウォルターズと名乗っている人気コメディアンとして、あの男が。


 1888年に、デニス=カールトンだった男が、そこに映っていたからであった。




(続く)


 

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※レドンホール・マーケット:シティに昔からある生鮮の市場です。昔ながらの町並みが残っています。


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