少女の恋とは如何なるや?(ユキ視点)
わたしの方へと振り向いたその『ヒト』はとても美しかった。
人非ざる耳と尾を持ち、魔性に近い美を持ち、海底の様な深い藍の瞳を持っていた。
「…あの…そこに、誰か…いますか?」
胸の動悸を抑え、今更な言葉を放ちながら、ゆっくりと茂みから完全に顔を出す。
茂み越しよりもはっきりと見える裸に自然と頬が熱を持つのが分かった。というか色々と全部見えてしまってわたしの理性がガンガン殴られている気がするが今はそれどころではない。
「す、すいません!その!水浴び中だとは!ごめんなさい!」
下手な芝居だと思う。が、覗き魔と間違われないためにもこれで押し通すしかない。たまたま顔出したらそこにいましたという設定で大げさに慌てふためく。
いや設定も何もそこにいたのは偶然なのだから間違いではないのだが、その後しばらく見惚れてしまったのはまずい。がっつり見てましたとか言えない。もっと見たいとか殊更言えない。
今はとりあえず謝る時間だ。自然に、子供らしく、邪な感情を見抜かれぬ様に注意しなければならない。
「ごめ、ごめんなさい!!!!!」
未だ裸の相手を見て勝手に赤くなる頬に今は感謝した。相手は羞恥の為と思ってくれるだろう。真実味は増す。
(実際は好みど真ん中の美人の裸を見て滅茶苦茶興奮してるだけなんですけどね…)
必死に意志の力で抑えつけなければ欲望どころか鼻血も出かねなかった。危うい。流石に乙女の自覚はあるのでそれは勘弁したい。
なりふり構わぬ謝罪のお蔭か、相手もそれほど気にしてはいないようだ。その上、わたしを見つめる瞳はなにか面白いものを見るような目で暗く煌めいていた。
(あぁ、その目は反則…!反則です…!)
その瞳はわたしの動悸をおかしくさせる効力をもっていた。具体的に言うと心臓が早鐘のように高鳴って息が苦しくなる。
そんな状態でも相手の様子をじっくり見てしまう体の正直さが恨めしい。
視線の先、綺麗な体を伝う水滴が艶めかしい。わたしの様子に笑みを浮かべた際にちらりと覗いた犬歯にどきりとする。ゆらりゆらりと尾が揺れる度に目が追ってしまう。
彼女のひとつひとつの動作に魅了されていた。こんなのは初めてだ。一目惚れなんて今までしたことがない。わたしは相手を知って徐々に好きになっていくタイプのはずなのに。
(でも顔は死ぬほど好みなんですよね…お母様の様な優しげな美人も好きなんですが此方の方がタイプ……)
悶々と考えて、ふと我に返る。こんなことしてる場合ではない。相手も許してくれたようだし、すぐ退散して森の中を彷徨いに行かなければならない。
死にに行かなければ。何としても行かなければいけない。でも少しだけ話はしたい。少しだけ、そう少しだけ、できればちょっと触ってみたりして。
……いけない。邪な気持ちがわたしの覚悟に割り込んでくる。そんな不純な動機で覚悟が揺らぐとか死にたい。いや死ににいくんだけど。
とにかく、適当にもう一度くらい謝って会話を切り上げるべきだ。そう思って覚悟を決めて口を開き――。
「あ、あの、お姉さんほんとごめんなさい、わたし――」
「いいよ、気にするな。どうせ女同士だろ」
「そ、そうですよね!!でもお姉さんすっごく綺麗ですよね!!」
「………はぁ?」
駄目でした。自分の欲望に勝てませんでした。思わず本音が口から飛び出る不具合が起きました。
(ほらー!お姉さんめっちゃ怪訝な顔でみてるじゃないですかわたしの馬鹿ー!!!)
顔を覆いたくなる羞恥に耐えながら、恐る恐る相手の様子を見ると矢張り怪訝な顔のままわたしを見つめている。
わたしの今の姿は12歳の子供だ、一応子供の無邪気な言葉で押し通すことも可能だと自分なりにフォローしようと試み。
「私が綺麗なわけないだろ。変な事言うな――」
「変な事じゃありません!!!お姉さんすごい綺麗です!!!!思わず見惚れてしまいました!!!!!!」
「えっ」
本音ポロリ2回目により完全に動きを止めたお姉さん。
でも折角の美貌を自覚していないとか許せない。わたしを一目惚れさせたくせに、と完全に見当違いな怒りがわいてくる。
わたしが死ぬのはこの後で良い。今はとにかくこのお姉さんだ。
このわたしを魅了して止まないお姉さんを知りたい。話したい。触りたい。少しの時間でいいから。死ぬ間際の少しの我儘。
だからわたしは、己の心にかかった理性という名のストッパーを外してお姉さんとの距離を縮める事にした。
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両親と一緒に帰宅して、その後もひたすら抱きしめられてやっと自分の部屋で一息つくころには夜になっていた。
疲れた体をベッドに横たわらせながら今までの事を思いかえしてみる。どうせ死ぬから、せめて死に土産に、と一目惚れ相手と少し距離を縮めようとした結果が今の状態だ。
(何が如何してこうなったんでしょうか…)
主に自分のせいではあるのだが。結局目的を果たせずに猫耳美人とひたすらちゅっちゅして帰ってきたとか意思脆弱もいいところである。
夢の様な時間であったが、思いかえすだけでも悶えてしまう時間でもあった。
たしかに最初に誘ったのは自分だ。でも本当にしてくれるとは思わなかった。
(羨ましいなんて…邪魔したいなんて言うから…)
自殺をしようとしたら止めるのは当たり前かもしれない。でも、邪魔をしたいだけなんて言われると思わなかった。
しかもその前にわたしはお姉さんに告白紛いのこともしたのに。善の言葉でなく邪の言葉で止められた。
なんだか新鮮だと思った。もっと知りたいと思ってしまった。
わたしのことを知って、それでも変わらず話してくれた『半魔』のヒト。
死ぬのを己の感情で止めたくせに、結局わたしの我儘に色々と応えてくれたヒト。
わたしの本当の名前を呼んでくれたアイさんというヒト。
今まで頑なに死ぬことだけを考えていた頭を蕩けさせていく。
なぜこれほどまでにしてくれるのか。
(……瞳のせい?)
魔を惹きよせる瞳。完全に無関係かと言われると否だと思う。
アイさんにはわたしの瞳の事を話さなかった。何故かはわからない。ただ何となく警戒されたり嫌われたりしたら嫌だなんてそんな曖昧な理由だ。本来なら話さなければいけない事なのにわたしは口を噤んでしまった。
(今更言っても、怒らせるか嫌われるだけですかね)
それならそれで諦めがついて死ねるかもしれない、そんな事も考えて。やっぱり嫌われるのは嫌だななんて考え直して。
やはり今のわたしはおかしくなっているのかもしれない。
「…でも、アイさんだって悪いと思うんです」
思わず口に出してしまう。拗ねたような言い方になってしまったのは仕方ない。
アイさんと初めてのキスを思い出す。唇が離れた瞬間のアイさんの顔。ギラギラと獣の様な瞳でみられた一瞬。わたしがいた前の世界、あの時、あの男と似た輝きを見た一瞬。
わたしはそれに悦んでしまった。
好きな人にそういう目で見られる、その事であの時と違って言い様もない悦びを感じてしまった。あのまま食べられてしまいそうだった感覚を思い出してぞくぞくと背中に震わせる。
こんなの初めてだ。あんな目で見てきたアイさんが悪い。
ただでさえ一目惚れだったのに、あの目で完全に心が囚われてしまった。もっとあの目で見られたいと、触れたい、好かれたいと本能的に欲してしまった。
「だからアイさんのせいです…死ねないのも、秘密を作ってしまうのも、全部アイさんがわたしを惚れさせたから悪いんです…」
身を起こし、膝を抱える様にして呟き続ける。無性に寂しいと思ってしまった。あの瞳を、あの唇を、欲しいと感じてしまった。
こんなに欲してしまうなど、自分はひどい淫乱なのではないかと危惧してしまう。でもそうしたのはアイさんだ。アイさんが悪い。会いたい。寂しい。
こんな事で泣きたくなってしまうなんて今までなかったのに。
「……今日離れたばっかりなのに、会いたくなったじゃないですか……アイさんの馬鹿…」
膝に顔を埋めて。八つ当たりのように呟いて。
「――そう思うだろうと思って会いに来てやったのに酷い言い種だな」
窓辺から聞こえた声に。心臓が壊れそうなほど高鳴って。
「アイさん!?」
「大声出すな。お前の親に見つかったら後々面倒だろうが」
窓の外、その近くの木の枝に相変わらず猫を取り巻きに置きながら。悪戯っこのような笑みを浮かべて。そのヒトはそこにいた。
ゆらりと尻尾を揺らしてわたしを見つめる瞳を暗く煌めかせる。
「夜の散歩に誘おうかと思ったんだけどな、止めとくか」
「っ!?や、そ、そんな嫌です、行きます、一緒に行きます…!」
意地悪な声。にんまりとした笑み。ひどいと思いつつ、嬉しいと感じてしまう自分に新たな性癖が開花しつつある気がして少し不安になる。
でも仕方ない。会いたいと思っていたのだ。アイさんという存在を心から欲していたのだ。
「だから騒ぐなって……ほら、掴まれ」
アイさんの腕がわたしの方へゆっくり伸ばされる。その手を握ればしっかりと握り返してくれる。温かいと思う間に引き寄せられて、その体に抱きとめられる。
また心臓が激しく騒ぎだす。こんな密着してたらきっとこの心臓の音もばれてしまうだろう。なんだか無性に恥ずかしくなって隠す様にアイさんの肩に顔を埋めた。
「心臓うるさい」
「……何で言うんですか、そういう事は黙ってるのがお約束ですよ」
「わざとだ。ユキを恥ずかしがらせたかっただけ」
「アイさん変態ですか」
「それはユキに言われたくないな…」
失礼な、と思いつつも心当たりがありすぎるので否定できなくて口を噤む。
アイさんの楽しげな声が、密着しているところから伝わる高めの体温が、落ちない様にしっかりと体にまわされた腕の力が、わたしの思考を溶かしていく。
「なんだか意地悪になってません?」
「ユキのせいで折角狩った鹿を森に忘れたからその仕返し」
「え、ご、ごめんなさい」
「………冗談だ、その日のうちに会いに来たのがちょっと恥ずかしくて意地悪した」
(アイさんかわいすぎですか)
「アイさんかわいすぎですか」
しまった心の声が口からうっかり溢れ出てしまった。心外だと不満げな顔をするアイさんが可愛い。
拗ねられて夜の散歩を中止にされてはたまらないので冗談ですと強く抱きしめると、アイさんがゆっくりと息を吐くのが分かった。
「ったく……行くぞ、しっかり掴まってろよ」
「はい、絶対離しません」
「………なんか別の意味に聞こえるのは気のせいか」
気のせいです。多分。きっと。今は。
アイさんがわたしの事をどう思ってくれているのか、わからない。でもきっと嫌いではない、と思う。
わたしと同じ意味で好いてくれているのなら――わたしに惹かれてくれているのなら。その時、わたしの瞳の事を話そう。
それで彼女が離れるのなら、その時はもう未練はない。
それまでは、それが少しの間だとしても、この温もりを感じていたい。
「アイさん」
「なんだ?」
名を呼ぶ。その瞳の色と一緒にわたしの想いを含めたその名前。
「好きです」
「……………知ってる」
返ってきた言葉が嬉しくて、切なくて。
「本当に、大好きです」
――あなたはわたしの愛、そのものだから。
ユキさんの重い愛の巻。
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