相談中
「――落ち着いたか?」
「…はい、もう大丈夫です」
ユキはしばらく静かに涙を流していたが、そう答えた時にはもう瞳が潤んでいるだけだったので安心する。
皆が見られている前で泣いてしまったことが恥ずかしいのか、少し頬も赤らんでいた。そういう所も可愛いと思う。
「ん、良い子だ。――そういうわけだから、レイラとカインもあんまり気にすんなよ。二人にも感謝してるんだからさ」
「アイさん…はい、ありがとうございます」
ユキと一緒に顔を青くしていた二人もその表情を和らげて微笑んでいた。良かった、あまり悲しんでいる顔は見たくない。
三人ともどうやらもう大丈夫そうだ。ほっとして息を吐くとユキが嬉しそうに擦り寄ってきた。可愛いけれど恥ずかしい。ユキ以外の視線がとても気になる。
「すまん、いちゃつくのはいいんだが、結局どういう事なんだ?」
「いちゃっ……いや、うん、つまりレティとあのツェビって女の瞳が、魔物とか魔族を操る力を持ってるってことかな?」
おっさんの言葉に一瞬詰まりながらも、私の感じた限りでの予想を述べる。でも操る、というよりは――。
「正確には『惹きつける』ですね。自分の事を好きにさせるというか……多分、ツェビさんはそれを利用しているんだと思います。『好き』だから、『言う事を聞いてくれる』ようにしている、でしょうか」
「あぁ、確かにそんな感じだな。一瞬、あの女の事を好きだと錯覚しそうになった。レティがいなきゃあのまま惚れてたんじゃないか?」
「………アイさん?」
「え、ちょ、レティ顔こわいちかいまてまてまて」
軽い冗談で言ったつもりだったのにユキの顔が怖い。笑ってるのに目が笑ってない。しかも近づいてくる。あのなんで両手で顔固定してくるんですかちょっと待て、ほんと待て、すみません待って。
「嬢ちゃん、後で二人っきりにさせてやるからちょっと我慢しような」
「……分かりました」
「え、おっさん待って何か今のレティと二人になったらやばい気がする」
がっしりと抱きついて離れないユキに痛みと恐怖を感じながら訴えてみる。怖い笑みから拗ねた顔になったユキが可愛いとは思うのに冷や汗が止まらないのは何故だろう。
そこはかとなく身の危険を感じる。
「お前が悪い、諦めろ」
「ここはアイさんが悪いですね、諦めてください」
「そうだな、アイさんが悪いな」
「誰も味方がいなくて辛い……」
おっさんだけならまだしも、レイラとカインにも見捨てられてとても辛い。辛いけどいつまでも抵抗していても無駄なのは分かったので諦める。
拗ねたままのユキの頭を撫でながら、中断していた話を進める事にした。ちなみに頭を撫でた時にふにゃりと口元を緩ませたユキは反則的な可愛さだと思う。
「えーと…なんだ、とりあえずどうするかだな」
「森の件はギルド次第だが、しばらく猫は森に行かない方が良いな。最低でもその怪我が完治するまでは動き回るのは禁止だ」
「わ、私の生活が……」
「ブラッドベアの素材の金でしばらく大丈夫だろ」
確かに金だけならブラッドベアの素材で随分と潤う筈だから問題は無い。しかしそれとこれとは話が別だ。
「うーん、後は怪我して家にこもりきりなんてバレたら狙ってきそうな奴ら居るんだよなぁ」
「あぁ、猫の所はそういう奴らがゴロゴロいるんだっけか。デュランさんもそうだったが、よくあんなところに住んでるな…」
「あそこは訳あり連中ばっかりだからな、弱みを見せない限りは私みたいなのは住みやすいんだよ」
それに悪い連中ばっかりでもない。爺さんがいた頃はよく酒を酌み交わしていた奴らもいた。
私だけになってからは一度も言葉を交わさなくなったけれど、それでも『何もしてこない』という事で感謝はしている。
だから半魔である私を襲ってくるのはよっぽどの身の程知らずなわけなのだが、最近では懲りたのかそういう事は少ない。しかし怪我をしているのなら話は別だ。これ幸いにと思う奴もいるだろう。
別にそれで私をどうにかできるなんて思ってはいない、その程度なら撃退できる。けれど対応するのが面倒くさいし、動くと痛いのは変わらない。
「家にいて怪我が悪化されると困るな…どうする、此処にしばらく泊まるか?」
「それはありがたいけどおっさんの部屋を占領しっぱなしなのも悪いよ。店の方も冒険者やらいっぱいくるし、私の姿を見られたら不都合だろ。ただでさえおっさんは私が小さい頃から交流があったって睨まれてんのに…」
「そんなの気にはしねぇが、確かに良い歳の女を男一人の家に泊めとくのも悪いか。娘同然のお前にはこれっぽっちも食指が動かねぇがな」
「そもそももう歳が……いたいいたい」
頭を拳でぐりぐりされた。本当の事なのに酷い。厳ついし筋肉質だけれど割と歳食ってるのに。それを言ったらまたぐりぐりされそうだったので黙っている事にした。
「……あの、アイさんってどこに住んでるんですか?」
「あぁ、レイラ達は知らなかったっけ。49番だよ」
「49番!?え、えっと、近所から聞いた話だとかなり治安が悪いって聞いてるんですけど…」
「そうだな、あんまり良いとは言えないな」
心配そうなレイラとカインには大丈夫だと笑いながらも、黙ったままのユキの顔色を窺うと予想通り心配そうな顔をしていた。
ユキは一度森までの道、あの通りの雰囲気を知っているから余計に心配なのだろう。頬を突いてやるとその指を握られた。可愛い。
「アイさん、俺達の家で良ければしばらく泊まっていきませんか?」
「あぁ、それいいわね!アイさんなら歓迎ですよ!」
「アイさんが来てもらえるなら嬉しいです!お風呂一緒に入りましょうね、背中流しますよ!」
「いやいや、待て。レティは落ち着け。レイラ達の家は23番通りだろ?そんなとこに半魔が居座るなんて駄目だ!」
勝手に盛り上がる三人を慌てて止めに入る。きっと楽観的に考えているのだろうけど、そんな恐ろしい事できるわけがない。
おっさんの店――37番通りにさえ、昼間は近寄るのに気を付けているのだ。日が昇っている時にユキの家にいるなんて危険すぎる。
「いつも夜はいてくれるのに…」
「それは夜だから人目も少ないし、窓からでも見えにくいからな?もし昼間に近所の奴らにでも見られてみろ、あっという間に噂になるぞ。お前達まで疎まれる様になったら……そんなの、辛すぎる」
「アイさん…」
今まで自分が受けてきたその悪意を大切な人達が受けるのは嫌だ。私は慣れているから、どうだっていい。でもユキ達は別だ。この人達は守りたい。
ユキの手が私の頬を優しく撫でる。多分酷い顔をしているだろう私に、何処までもユキは優しく触れてくる。
「つまり、窓とかから見えなければいいんですね。それなら暫く私の部屋のカーテンを閉めておけば問題ないですよね」
「それでいいわね、レティの部屋はもともと見えにくい位置に作っているし」
「いきなりお客が来る時もあるから、その時は各自フォローって事で。まぁ、3階はレティの部屋ぐらいしかないから大丈夫だろうけどな」
「え、ちょっとまって、自然な流れでレティと同室にされそうになっている……!?」
「嫌ですか?」
「嫌じゃないけど!そういう問題じゃなくないか!?」
「そういう問題なんだろ、嬢ちゃん達は。疎まれるとかそんなんよりもお前の方が大事なんだよ、分かってやれ」
困惑で頭を抱えた私を軽く笑いながらおっさんが撫でた。髪の毛がくしゃくしゃに乱れて恥ずかしい。ユキがすぐ指で梳いてくれた。優しい。
いやそういう事を考えてる場合じゃない。人の悪意は凶器だ、優しい人ほど傷つける。分かってやれと言われてもそうそう呑みこめるものではない。
「アイさん、私達もそういう事は慣れてるんですよ。そういう対処ならお手の物です」
「それに俺達はちゃんと大切にすべきことを知っています。レティもアイさんも、まとめて俺達が守りますから!!」
レイラもカインも眩しいほどの笑顔だった。ユキは少しだけ複雑そうな顔をして、それでも私の手をぎゅっと握ってくれた。
そうだ、そうだった。この二人は、ずっとユキを守り続けていたんだ。前の街で『悪魔の子』として疎まれていたこの子を――でも、それなら、尚更。
「そんな、折角、レティが安心できる場所に来たのに私がまた迷惑かけるわけにいかないだろ」
「迷惑じゃない、俺達がしたいからするだけです。だから、一緒に俺達の家に来て貰えませんか?」
「レティの傍にいてあげて欲しいっていうのも正直あるんですよ。森での事も心配ですし……私達が守れるところは守ります、だからアイさんもレティを守ってもらえませんか?」
気にしない事なんてできるはずないのに、気にする事無く来てほしいと二人して誘ってくる。なんだ、ほんとに、どこまで押しが強いのか。
それにレティを守ってくれだなんて――この二人の娘を、そして『ユキ』という少女を、守れなんて。それができるのなら、私でいいのなら。そんなの。
「…本当に良いのか?」
「頼んでいるのは俺達ですよ、アイさん」
「歓迎しますよ」
「………それじゃ、その、よろしく、お願いします」
改めて頭を下げるとユキがその頭を優しく撫でてきた。それが何とも照れくさくて顔を上げると、レイラとカイン、そしてユキと嬉しそうな顔が目に入った。
何で私が家に泊まるだけでそんな嬉しそうな顔をするのか分からない。なんだか無性にくすぐったい気持ちになって困る。おっさんがにやにや笑ってるから恥ずかしくてむかついた。
「何だよ、おっさん」
「いや、随分と素直になったなぁと」
「どこが素直だよ、ひねくれ者で十分だ」
「アイさん割と素直ですよ?」
にこにこと笑顔でユキも割り込んでくるからちょっとしたお仕置きのつもりで髪の毛をくしゃくしゃにするように撫でておく。楽しそうな声でやめてと言われても説得力が無い。
それを優しい目で見てくる親二人の視線が何となく気恥ずかしいから困る。嫌じゃないから余計に、何も言えなくなってしまう。
「それじゃ、日が落ちたら皆で行きましょうか」
「え、いやそんな一人で行くよ」
「怪我人なんですから一人で動きまわっちゃ駄目です。ちゃんと隠していけばパッと見わからないでしょうし大丈夫ですよ。皆で行きましょうね?」
「う…わ、わかった」
レイラの有無を言わせない迫力に負けて頷いてしまう。流石ユキの母、強い。
くしゃくしゃになってしまったユキの髪を指で梳きながら、なんだか今日は押されてばかりだと思う。そういうのも嫌じゃない。
今までなかった、でも少し懐かしい気がする、ユキ達の『家族』の在り方が心地良い。何となく心がじんわりと温かくなるような気がした。
「さて。それじゃ――そろそろ、自分達は退散するか。あとで二人っきりにさせるって言ったしな」
「あぁ、そういえば。今のうちに家の片づけでも行くか」
「そうね、それじゃ二人とも日が落ちる頃に迎えに来るわね」
「ちょ、ま、ちょっとまて、おっさんあれ冗談じゃなかったのか――!?」
一瞬ユキが妖しい笑みを浮かべた気がしてゾクリと背筋に冷たい何かが通り過ぎた。
慌てて引き留めようとしたけれど、三人とも聞き耳持たずで出て行ってしまった。薄情者め。助けて。
「………」
「………」
静かになってしまった部屋に二人きり。何となく黙ってしまう。腕の中にいるユキは何を考えているのかわからない、少しだけ真剣で、少しだけ笑みを含んだ顔。
ぎゅっと胸元の服を握られてびくりと震えてしまう。ユキの瞳が私を見る。黄色の綺麗な瞳。私の好きなユキの瞳が今は少し私の心を乱す。
「あの……ユキ?」
「はい――やっぱり、アイさんにはその名前で呼んでもらう方が好きです」
そんな事を言って嬉しそうに微笑むのが可愛くて困ってしまう。それは私もそうだから。
『ユキ』――その名前を呼ぶのが好きだ。そう呼ばれた少女が嬉しそうな顔をするから、好きになった。
「アイさんは…わたしの事、好き、ですよね」
「今更なんだ?不安になったか?」
「…少し」
こてんと私の肩に頭を預けながらそんな可愛い事を言うから、大丈夫だとその白の髪に指を通す様に撫でてやる。目を細めるその顔が少し大人びていてドキリとした。
ユキはふとした瞬間にそんな顔をするのがずるいと思う。普段はとても可愛いのに、今は何だか、艶やかな雰囲気で目のやり場に困る。
「あの、アイさん」
「…なんだ?」
うろうろと目線を彷徨わせていると、頬を両手で挟まれる。此方を見ろと言われている様で、ゆっくりと目をやると少し潤んだ瞳と視線が合った。
しばらくそのまま見つめ合ってから、ユキが何かを言おうと口を開いて、また迷うように閉じた。何か言いたいことがあるのかと促す意味を込めて頭を撫でればその瞳が細められた。
「アイさんにもう一度…いえ、今度はちゃんと、『瞳』を使っていいですか」
「……理由を聞いていいか?」
「その……ツェビさん、の話を聞いて、もし…また、同じような事になって。その時、また抵抗できるかどうか、分からないじゃないですか」
「ん、まぁ、絶対ではないな」
「ツェビさんの『瞳』が効かなかったのは、多分あの夜、私が無意識でもアイさんに『瞳』を使ったからで――でも、ツェビさんの『瞳』の痕跡も残ってるから。だから、今度はしっかり『上書き』しておきたいんです」
どうやら、ユキには私では感じられない『痕跡』を感じているらしい。真剣な顔で確りと私の瞳を見つめてくる。
「朝の時は、何か違うなって少しの違和感だけだったんです。でもアイさんの話を聞いて、それが何なのか分かりました。アイさんの瞳に少しだけわたしの知らない『光』が――ツェビさんの痕跡が残っているんだって、分かったんです」
「…そうか。でもユキ、その『瞳』は使えるのか?」
「なんとなく、ですけど。あの夜以来、どうすればいいかは分かりました」
「そうか。それじゃ、もう一つだけ……なんであの夜、その『瞳』を使ったんだ?」
「え!?あ、それは、その…」
私の問いに、ユキの頬が赤く染まった。何やらとても恥ずかしそうにもごもごと口を動かしている。なんだ、そんな可愛い反応をされるとどうすればいいか分からなくなる。
「ユ、ユキ?」
「…………無意識に、使っちゃうとは思わなかったんです。ただ……あの時、月がとても綺麗だったから。その月に、その……アイさんに、好きに、なってもらいたいなって願ったんです、強く強く、お願いして…そうしたら、アイさんが抱きしめてくれて、嬉しくて…それで…」
「………」
「わたしを好きになって、とアイさんにも伝われって、思って…」
「そ、そうか…うん、そうか…」
とてつもなく心臓が五月蠅く鳴っている。そんな耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに、此方が恥ずかしくなってしまうほど私への強い想いを言われると。
(どうしよう。私の恋人が半端なく可愛い……)
恋人。そう、恋人だ。こんな可愛い子が恋人とか、なんというか、本当にいいのだろうかと不安になってくる。それでも真っ赤なまま、私の胸元に擦り寄ってくるのが愛しくてつい抱きしめてしまう。
誰かに対してこんなに甘くなる、というか甘えさせたいと思う事なんて初めてで困る。嫌じゃないけど、恥ずかしい。
「……よし、ユキ、もう一度私にその『瞳』を使ってみてくれ」
「――いいんですか?」
「あぁ、ユキの不安も尤もだし。それに―――今更、『惹きつけ』られても問題ないぐらいには、その……好き、だしな」
「………!!!!」
何だか照れくさいけれど、それでも大丈夫だと伝えたくて。最後の『好き』は、耳に囁く様にしか言えなかったけれど。
ユキはその囁いた耳の方に手を当てて、ずるいとだけ言って黙ってしまった。此方にも熱が伝わる位真っ赤になってしまっている。可愛い。
「ユキー?どうするんだー?」
「うぅ…やります、やりますから!今使ったらまた暴走しちゃいそうなんですー!」
少しだけ苛めたくなって、ユキを抱きしめたままゆらゆらと揺れて急かしてみるとユキの慌てたような声。
それも可愛いだなんて思ってしまうのは相当ユキに参ってしまっているのか。どちらにせよ『瞳』を使われても構わないと思えるぐらいに重症なのは自覚している。
「ユキは恥ずかしがり屋だな」
「アイさんには言われたくないです…」
真っ赤なまま拗ねられても可愛いだけなのだけど。くすりと思わず笑ってしまう。ユキが不満げに私を見つめてきたので撫でてやったらやはり口元はふにゃりと緩んだ。可愛い。
そのまま、まるでねだる様に私の胸元に頬を擦り寄せて見上げてきたのでドキリとする。思わず彼女の唇に目がいって顔を背けてしまう。
「アイさん」
「………」
「アイさん、こっち見てください」
「な、なんだ――」
渋々背けた顔を戻せば、何とも妖艶な顔で見つめてくるものだから言葉に詰まる。ユキの両手が私の頬を撫でて、それがいつもと違って誘うような触り方で、腰の辺りがゾワっと浮くような感じがした。
それでも視線を外すのは許さないとばかりに頬を撫でた手は確りと顔を固定してしまっているから逃げられない。ヤバい、何か知らないけどユキの変なスイッチが入ったらしい。
「アイさん、『瞳』を使う前に、お仕置きです」
「え、お仕置きって何で――」
「冗談でも『惚れてたかも』なんて言ったのはこの口ですよね?」
「あ……」
しまった、忘れられてなかった。緊張と、恐怖で尻尾が忙しなく動く。ユキがにっこりと笑った。ただその顔は、可愛いと言うよりも、なんというかその、大人びて、妖しいというか。
「だから、そんな冗談が言えないほどわたしの事を好きになって貰う為にもお仕置きしますね」
「いや、いやその、もう好きっていうか、何を――!?」
緊張で言い淀む私の唇をぺろりとユキが舐めたので驚いてしまう。
(え、舐めた?今舐めた?)
「ユ、ユキ、ちょっと――」
「覚悟してくださいね、アイさん?」
慌てる私にゆっくりと唇を重ねてきた後―――。
「―――!?!?!?!?」
私の知らない、知らなかった、感覚が。その、ユキの、舌が――。
―――とりあえず、すごかった、とだけ。
くちはわざわいのもと、なお話。
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