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猫の愛とは如何なるや?  作者: よるの
19/38

傷の理由―後編

『あいつら』と出会う前から、微かな違和感は感じていた。

いつもの狩り場でいつもの様に中級から下級クラスの魔物を狩っていた時だ。明らかに数が少ない。

獣に至っては姿さえ見かけなかった。今まで狩りを行ってきてこんな事はありえなかった。

狩りで生計を立てている以上、森に何か異変があると困るのは私の方だ。だから一応見回りをしてみることにした。


(……やっぱり明らかに魔物の数が少ないな)


見回りの中で時折見かける姿はホーンウルフや蛇型のシャドウスネーク等の中級クラスの魔物。しかし此方に襲い掛かる節はなく、何処かへ逃げる様に去ってしまった。これもあり得ない事だ。


鹿を多く見かける場所も閑散としていた。しかし、その木々に大量の血液が飛び散っているのを見ると何かが『狩り』を行ったらしいことは分かる。


森の奥――ブラッドベアが縄張りとしている場所に近づくにつれ、その違和感は強く、はっきりとしてきた。これ以上近付くのも危険だと自分の本能が告げてくる。

まだ縄張りから余裕があるとはいえ、何があるかは分からない。油断は禁物だ。


(危険な場所では常に音を警戒しろ――だっけか)


狩りを教えてもらっている時に爺さんがよく言っていた言葉だ。姿は隠せても、音を完全に消すのは難しい。少しの音も聞き逃すなと言っていた。

しかし不自然なほど音がしないのが余計に不気味だ。普通ならば最低でも小鳥の声ぐらいは聞こえてくる筈なのに。


(これはちょっとやばいかもしれないな……)


いったん戻ろう。換金ついでにおっさん辺りに教えて、ギルドの方で調べてもらうのもいいかもしれない。

狩りで生計を立てている奴は私の他にも沢山いる。おっさんなら半魔の言葉でも少しは気にかけてくれるかもしれない。何よりこの場から離れたい。悪い予感がする。

静かな森の中で、なるべく音を立てない様に注意をしながら背を向ける。その時だ。


がさり、と明らかに風の音ではない異質な音。草を踏みつぶす足音。


「あぁ、なぁんだ――半魔じゃん」


「こんな所で穢れた者を見るとは思わなかったな、殺すか」


何処か笑っているような女の声、心底不快そうな女の声、そんな声と共に。

がさり、がさり、がさり。音がだんだんと近く、多く、広範囲で。


『ガザッ!!!!ガザザザザザザザザ!!!!!』


静かだった事が嘘の様に私の周囲で、まるで囲む様に狼達がその姿を現した。

20頭はいるであろう、その目には明確な殺意をともして私を見つめている。ただの獣がこんな統率を取る事はない。普通ではないことが即座に理解できた。

そして、その狼の囲いに悠然と入ってくる二人の女の異質さが私の本能に危険を知らせてくる。


「なっ…!」


「喋るな半魔、耳が穢れる」


忌々しげに私の声を遮ったのは黒い鎧の騎士だった。声で女だと分かるが、背が高い。歳も私と同じぐらいありそうだ。

太腿辺りにまでなる伸ばしっぱなしにしたような黒髪は手入れがあまりされていないようで、前髪で顔があまり見えない。それに相俟って白を通り過ぎて最早青白い肌が余計に不気味だ。

そして何よりも、髪の隙間から汚物を見るような、冷酷な色を浮かべた澱んだ赤い瞳があった。あれは悪意そのものだ。私の存在を許さないと言っているような悪意に思わず体が緊張で強張る。


「あっはははは!クロちゃんってば可哀そうじゃぁん!ごめんねークロちゃん半魔のこと大っ嫌いだからさ、まぁ誰でも嫌いだろうけどっ!」


ケタケタケタと笑い声をあげるのは―――『それ』を認識した時、息が止まりそうだった。


フードに隠されていながらも微かに見えるその白い髪が、その黄色い瞳が、私が気に入っている少女と同じで。しかし、その同じ髪、同じ瞳で、これ以上ないほど歪な笑みを浮かべていた事にぞっとする。

歳は18ぐらいだろうか。顔だけ見れば綺麗な顔立ちの美少女だと言えるのにその笑みがすべてを台無しにしている。

その格好も黒い鎧を着た女と対照的に森の中に似つかわしくない、フードがついた真っ白なロングローブ。ローブから覗く肌もユキと同じくらい白い為に周りから浮いている。まるでそこだけ別世界のように思えた。


「ねね、折角だから『友達』にしちゃう?」


「穢れた者は不要だ」


「えー、でも半魔って意外と下手な魔族よりも強いのってクロちゃんも良く知ってる癖にぃ」


緊張している私を余所に二人は言葉を交わしている。友達?いらない?好き勝手に言われているようだが、それどころではない。

クロと呼ばれた女の着た鎧の右肩部分に竜の頭を交差する剣で貫いた金の紋章が施してあった。それは昔、嫌と言うほどに見た『帝国』の紋章だ。

そして『帝国』では黒い鎧は特別な意味を持つ。ある程度の功績を積まないと所持する事さえ許されない。最低でも佐官クラスと見るべきだ。一筋縄ではいかない相手であることが分かる。


「………ツェビ、あまりふざけるな」


「あははは!怒った?怒った?ごめーん、許してクロちゃぁん!!」


そして何より恐ろしいのはそんな帝国の黒騎士相手に平気な顔でその腕に抱きつく白い女だ。ツェビと呼ばれていたが、どう見ても兵士ではない。

その姿は戦いどころかこの森を歩くのさえ不向きだと言うのに。それ故に異質だ。何をしてくるか分からない。


「……とにかく不愉快だ、さっさと始末しろ」


「はぁい。それじゃそこの半魔のおねーさん?悪いけど死んでくれる?」


黒騎士はその腕を振り払わないものの、その澱んだ眼に更に嫌悪を乗せて私を睨んできた。それだけで鳥肌が立つほどの殺気が感じられて正直怖い。

白い女もそうだ、軽い口調で、あっさりと、死んでくれと言ってくる。異様だ。恐ろしい。


「…死ぬのは、勘弁してもらいたいんだけどな…」


「喋るなと言わなかったか、半魔」


「んー。私自身は別にどうでもいいんだけどさ、クロちゃんが殺せっていうしなぁ」


白い女は相変わらずにこにこと歪んだ笑みだ。しかしその目は笑っていない。暗い光を灯した黄色い瞳が真っ直ぐに私を見つめてくる。


(これはもう駄目かもしれないな…)


良かったと思うのは、ここに猫達がいないと言う事だ。心配性の猫達があの少女のところに行っていて良かった。家族同然の彼らが殺されてしまうなんて辛すぎる。

ゆらりと揺れる自身の尻尾が目に入る。あぁ、半魔だと、穢れた者だと、殺されるのが嫌で帝国から逃げてきたと言うのに結局は無駄だった。


(まぁ、でも……良く生きた方かな)


本当ならもっと早くに死んでいた筈だ。母が守ってくれなければ、爺さんが拾ってくれなければ、生まれたその時に、または逃げた先の森で、死んでいたのだ。


(思えば、半魔なりに恵まれていたかもな)


疎まれても、傍にいてくれる人達がいた。猫がいた。私を好きだと言ってくれる人がいた。


(――ユキ)


会えなくなるのは嫌だな、なんて思った。

目の前の白い女と同じ髪と瞳を持つ少女。それでもユキなら、美しいと、その髪と瞳が気に入ってるのだと言えるのに。


(あぁ、嫌だな。嫌だ。生きなきゃいけないのに。私は約束したんだ。生きろと言われたんだ。それに私がいなくなったら――ユキが死ぬかもしれないのに)


それが一番、嫌なことだと思った。


「どうにか見逃してもらえないか?ここはルーストラ国だ。半魔であっても殺せば罪だぞ」


「あっははは!見つからなければ大丈夫でしょー?」


黒い女が睨み、白い女が嗤う。ひりつくような殺意。体が震えてしまうのを必死に我慢する。弱みを見せたら即座に殺されてしまう予感がした。


「でもでも、どうしよっかなぁ?おねーさん美人だからちょっとサービスしちゃおっかぁ?」


「ツェビ、お前……」


「あははは、クロちゃん睨まないでよ。ほら、さっき『友達』にした子にやらせるからさ。もしそれで生き残ったなら考えてあげるって事でどう?」


「……アレが相手か。ふん、分かった、好きにしろ」


再び聞こえた『友達』に激しく違和感を感じる。この森の中で友達にしたとはどういう事だ。この狼達のことではないのか。

稀に私と同じように獣と意思疎通ができ、自らの群れをつくる事ができる者がいる。しかし白い女がそのような生易しいモノではない気がした。


「それじゃぁ――おいで、私のお友達」


白い女が歪んだ笑みで呼ぶ『友達』は。彼女たちの背後から現れたその姿は――。


「………っ!?ブラッド…ベア…!?」


赤黒い毛で覆われた巨体。獰猛な目。恐ろしい牙。上級クラスの熊型の魔物。ブラッドベア。

その凶暴性から飼いならす事などできる筈はない。しかし彼女達には襲い掛からず、相対する私にだけその殺意を向けてくる。

それは明確に白い女の支配下にあるという事だ。あのブラッドベアが人の言いなりになっているという事が信じられない。信じられない事が目の前で起こっている。


「死なない様に頑張ってねーおねーさん」


笑顔のまま気軽に手を振る白い女が、ブラッドベアを従えている事を当然と見ている黒い女が、私が生きてきた中で信じられない事ばかりが起こっている。

しかし呆然としている事は今の私には許されていない。


『ガァアアアアア!!!』


ビリビリと空気が震えるほどの咆哮。ブラッドベアの殺意が全身に叩きつけられているようで冷や汗が全身から噴き出る。

まともにやりあって勝てる見込みは少ない。けれど何時もの有利な地形に誘い込むことさえ今は出来ない。逃げようとすれば狼が、ブラッドベアが、そしてあの黒い女騎士が確実に殺しに来るのは分かっている。


(くそ…僅かなチャンスに賭けるしかないか…)


神経を耳に、目に、集中させる。相手の一挙一動を見逃さない様に、相手の殺気をすべて感じ取れるように。

この膂力と猫の様に尖った爪でどれだけの事が出来るのか。そんなの分からないけれど、死ぬわけにはいかないのだ。


「こいよ、熊野郎!!!!」


私の挑発と同時に、ブラッドベアが恐ろしい速さで迫り、その爪で容赦なく殴りかかってきた――。





―――痛い。辛い。苦しい。避ける為に必死に体を動かしているものの、足も腕も鉛のように重い。


『グル!!!グガァ!!!!』


それでもその巨体で動けば小さな隙ができる。それを狙って隙が出来た腕に爪を突き刺すけれど分厚い毛皮に阻まれてその効果は浅い。

腕を振り払われ、その力強さに体勢が崩れる。獲物が見せた隙を見逃すほどブラッドベアは甘くない。凶悪な爪が胴を狙って振り抜かれる。


「ぐっ!!!…がぁああ…!!」


全力で飛び退いてなんとか直撃は免れたものの、ざっくりと左の脇腹が抉れてしまった。避けなければそのまま真っ二つといったところか。恐ろしすぎて思わず笑ってしまう。


「ハハッ…ったく、こんな、無茶苦茶すぎる…!!!」


ボタボタボタと血が溢れる。血の臭いに興奮したようにブラッドベアが、狼達が咆哮する。五月蠅い。私の血はお前らの興奮剤じゃない。


「もう駄目かなー?死んじゃう?」


面白い見世物を見ているかのように楽しげに白い女が嗤っている。黒い女は無関心だ。ただ逃げない様に見張っている、という感じか。

ああもう、懐かしい。帝国ではこんな理不尽がいつも傍に在った。一つの命を命と思わないような、そんな奴らが沢山いた。


「死んで…たまるかよ…」


「おお!頑張るね、おねーさん!でももうやばくない?ていうか長引くとクロちゃんが不機嫌になっちゃうからそろそろ決着つけてよねー」


笑顔で無茶ぶりを振ってくる。早く決着をつけられるなら私だってそうしたい。

私は全身ボロボロで。爪の傷など至る所にある。それに伴って失われる血で頭がふらふらとする。それでも目を凝らす。下手に殴ってもあまりダメージは与えられない。

それならば――。


『グォオオオ!!!』


血の臭いで興奮しきったブラッドベアが突っ込んでくる。ギラリと何でも噛み千切ってしまいそうな凶悪な牙を剥く。


(――これを待っていた!!!!)


狙うのは目だ。視覚を奪う。ただその一点。

私の腕に噛みつこうとするその一瞬――顔面が疎かになった一瞬の隙に両手をブラッドベアの目に叩きつけて火魔法を発動させた。

私が使えるのは初級だけれど、ある程度の強い炎は出せる。爪で突き破れない瞼も、焼かれるとなると話は別だ。私の掌から噴き出た炎が瞼ごと、そしてその僅かな隙間に入り込んだ熱が目を直接焼き焦がす。

ジュウゥっと焼ける音と共に肉が焼ける臭い。ブラッドベアは悲鳴の様な咆哮をあげて離れた。


『グガア!ガァアア!!!!』


「うわーえぐいなー。あの子はもう駄目かな、両目完全に潰されちゃったみたいだしぃ」


「半魔程度に負けるなら元々使えないものだったんだろう、処分する手間が省けるな」


顔で燃える炎を何とか消そうとブラッドベアが暴れまわる。しかし魔法で作られた炎はそう簡単には消えない。段々と広がる炎がブラッドベアの目玉を確実に燃やしていく。

それを見ても何の感情も感じさせない声で、目で、二人の女は苦しむブラッドベアを不要物と断じた。


苛立ちが頭の中を巡る。勝手に使って、勝手に不要とされて、理不尽な目にあって、本来なら森の奥の巣で平穏に過ごしていた筈なのに。

痛みを訴えるブラッドベアが無性に哀れに思えた。そして傷つけた私自身にどうしようもない罪悪感を覚えた。先程までの殺気は既に薄れ、そこにはただ苦しむ命があった。


(すぐ楽にしてやるから―)


目を焼かれる痛みは想像を絶するだろう。暴れる力もだんだんと弱くなりながら、その呻き声が、荒い息が、苦痛を訴えている。少しでも熱を逃がそうとしているのかだらりと口を開けているのが尚更痛々しい。


(ごめんな、こんな事に巻き込んで――)


その隙だらけの、開いたままの口へ思いきり腕を突きこむ。外側と違って内部は柔らかい。せめて苦しむ事も無い様に、口内から脳へと自らの爪を突き入れた。


『――ァ――ッ』


どしゃりと重い音を立ててブラッドベアは倒れ込んだ。私も倒れそうだ。足が重たい。もう動きたくない。

苦しませた炎だけは消そうと水魔法で消火する。水蒸気を立てながら鎮火したその顔は見るも無残だ。心の中で何度も謝りながら焦げた目の部分をそっと撫でた。


「茶番は終わったか」


ぞっとするほど冷たい声と同時に、思い切り背中を蹴られて無様に倒れてしまう。痛い。こんなにあっさりと食らってしまうなんて悔しい。

それほどまでに消耗しているのだと自覚した。体中の傷が一斉に更なる痛みを訴えてくる。あんな凶悪な爪に抉られたのだから当たり前か。


「助けてくれるんじゃなかったのかよ…」


「やだなぁ、考えてあげるって言ったんだよ」


「考えるまでもなく、半魔には死を。それが帝国の掟だ」


「…でもクロちゃん、あの熊さんのかわりにならないかなぁ。強いよ、そのおねーさん。獣人の半魔なのに魔法使えるし、美人だし」


「美人は関係ないだろう」


不愉快だと無防備な背中を踏みつけられる。悔しい。しかし、少しでも抵抗すれば即殺されそうな事ぐらいは分かっている。下手に動けない。


「まぁまぁまぁ、ね、お願い。どうせ使い潰されて死ぬんだから一緒じゃない?とびっきりの激戦地に送り込んであげるからさぁ!」


白い女は笑顔で恐ろしい事を言っていた。使い潰すなど、私がその女に『使われる』前提で話している。

そんなのは嫌だ。私は自由だ。自由になる為に逃げて、生きてきたのだ。ギリッと噛みしめていた唇の痛みでふとすれば手放しそうになる意識を繋ぎとめる。


「……分かった、だが使うなら私の視界に入らない様にしろ」


「やったぁ!クロちゃん愛してるぅ!」


「調子に乗るな、不愉快だ」


背中を踏みつけていた足に更に体重がかかって息が苦しい。とんだとばっちりだ。

何だかんだで黒い女は白い女に甘いらしいことが分かったけれど、今はそれどころじゃない。


「それじゃおねーさん、私と『友達』になろう?」


「だれ、が、お前と―っ!?」


うつ伏せのまま、髪を掴まれて無理やり顔を引き起こされる。首も髪も痛い。しかしそれよりも、白い女の顔が目の前まできていて。ともすれば唇が触れ合ってしまいそうなほどに至近距離。

真っ直ぐに見つめてくる暗い黄色の瞳。目線を逸らす事すら許されない、その強い瞳の力に体が強張る。ぐらり、と頭の中で何かが湧き上がってくる。

彼女の言葉が脳裏に直接響く様に紡がれる。


「ねぇ、私の事すきだよね?私のこと愛してるよね?私の友達になるんだよね?『私のいう事なら何でも聞いてくれる』よね?」


「あ、あ、ぐ――」


彼女の言葉が脳裏に刻まれる様に何度も何度も頭の中に反芻される。思考がかき回される。


(すき、すき、すき?あいしてる?すき、だいすき、あなたがすき、すき――ちが、う)


私のモノではない何かが私の中を塗りつぶす。すきじゃない。すきになる。すきにされる。こわい。だれか。わたしは、わたしのこころは。


わたしのまえに、きいろのひとみ。きれいなひとみ。


――――でも、ちがう、わたしのすきなひとみじゃない。これじゃない。


(―――ユキ)


まっしろになっていくあたまのなか、ふとうかんだのは『ナニカ』のなまえ。だれ?だれの、なにの――。


『アイさん』


こえがきこえる。みみにのこっている。あのこのきれいなこえ。とくべつなこえ。


『月が、綺麗ですね』


つき、きれい、月。あの夜。時計塔。そう呟いた顔。少女の顔。


笑みを浮かべているのに今にも泣きだしそうなほど切なそうで。大人びた顔を浮かべたその少女。


月の光に映える綺麗な白い髪。私を見つめる、潤んだ黄色の瞳。そう、あの瞳。私が惹かれるのはあの少女の瞳だ。



『アイさん』


『愛してますよ』


肌に触れた柔らかさを、温かさを、その声の愛しさを、その瞳の美しさを、言葉を交わした、その想いを。


(――ユキ!!!!)


名前を。その少女を思い出す。そして同時に湧き上がる怒り。私の最も大切な部分を塗り潰されそうになった怒り。


(ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!!!!!)


(私が、お前を好きな筈がない、好きになる筈がない!!)


(私は認めない!私の心にお前が入ってくるのを認めない!私の心の中に入れるのは―――!!!)


未だかき回される思考の中、強く、強く否定する。ぼんやりとした視界がだんだんとはっきりとして、陶然と見つめていたその瞳を強く睨みつけた。


「……え?は?何?おねーさんてば、もしかして」


「うるさい、私の中に、はいってくるな――!!!!」


叫んだ瞬間、ガツンっと後頭部に衝撃が走って地面に思いきり顔を叩きつけられる。どうやら容赦なく頭を踏まれたようだ。踏み躙る様に圧力をかけられ頭も顔も痛い。

私の反抗に対して、白い女の顔色も黒い女の顔色も見る事は出来ないけれど良い顔はしていないだろうと言う事は分かる。


それでも、無理やり誰かのものになんてなりたくない。例え命がかかっていたとしても、私の心は私だけのものだ。


「……どうやら自分の立場も分からないゴミの様だ。ツェビの物になる事すらできないというのなら今すぐ死ね」


頭上から降りかかるのは何処までも冷たい黒い女の声。きっとあの澱んだ赤い瞳で私を睨みつけているんだろう。半魔に対する『帝国』の人間らしく、その存在すらも否定する眼つきで。

憎悪が、殺意が、全身に感じられる。ひやりとした刃の感触。私の命を奪うその刃が首に当てられているのだと分かって息を呑む。


「――待って、殺しちゃ駄目」


その殺意を止める声は驚くほど静かな声だった。あの白い女の、先ほどの笑みを含んだ声ではない、違和感すら感じるほどの静かな声。


「クロちゃん。殺さないで。そのおねーさんは放っておいた方が良い」


「ツェビ、お前、何を言っているのか分かっているのか?半魔を放っておいた方が良いだと?ふざけるなよ、半魔は殺すべきだ、その存在すら――」


「クロちゃん―――ねぇ、クロウディア。お願い、殺さないで」


グッと黒い女が押し黙るのが分かった。迷っているのか、その刃は微かに揺れている。

何故いきなり白い女が私を庇うのか分からない。分からないけれど、下手な行動を起こすわけにはいかないのでなるべく息をひそめて成り行きを見守る。

いざとなったら――最期に、ひと暴れする覚悟も決めながら。


「何のつもりだ、ツェビ!!!」


「理由は後で教えるから――ツェッビラルダ・アルキウス=フェダル・アルマ・フィラムの名において、損はさせないから。ねぇ、クロウディア・ウルフェリュート中佐?」


「………」


やたらと長い名前が白い女の名前らしい。『帝国』ではまずありえないその名づけ方はエルフやドワーフが多く住む『フェーレンス王国』の生まれである事が分かる。

そして黒い女はやはり佐官クラスだった。実力主義の帝国において黒鎧の佐官という時点でかなりの実力者なのは確定だろう。


「…良いだろう。元々、ゴミを処分する任務ではない。帰るぞ、ツェビ」


「はぁい!話の分かるクロちゃん愛してるぅ!素敵!」


「うるさい。調子に乗るな。……命拾いしたな、半魔。しかし、次に私の視界に入れば殺す、いいな?」


「………精々、隠れて生きるよ」


「ふん、そのまま野垂れ死んでも構わないがな」


頭に乗っていた重みが消え、首に当たっていた刃も鞘に入れられる音が頭上で響いた。もはや私を見るつもりもないのか、振り返りもせずに森の奥へと姿を消す黒い女の背を見送る。

何が起こったのか、何で助かったのか、理由は分からないけれど何とか命は繋がったらしい。

全身の力が抜けて深く、静かに息を吐く。生きている。なんとか、死なずに済んだ。


「よかったねぇ、おねーさん。君の『ご主人様』にもよろしくね?」


にんまりと歪な笑みを浮かべて、意味不明な事を言いながら白い女も黒い女の後を追った。よろしくといわれても主人も何もいないのだが。

周りを囲んでいた狼もいつの間にか姿を消していた。どうやら二人のどちらかの『群れ』らしいのは分かる。多分、黒い女の方。そんな気がする。白い女の方はそれ以上の『ナニカ』だ。


二人と狼が消えて静かな森の中、傷の痛みに耐えながらなんとか起き上がる。放っておいてもいいレベルの傷ではないのは私でも分かる。

何を言われるか分からないけれどおっさんの所へ行こう。深い傷ぐらいなら縫ってもらえるかもしれない。

ブラッドベアの死体は―――迷ったが、持っていこうと思った。無駄死ににはさせない。狩った者の務めぐらいは果たさなければ、狩人失格だ。


「よっと…くそ、重いな……」


ずっしりと体に圧し掛かるブラッドベアの重さが辛い。それでも捨てるつもりはない。ゆっくりとだが、帰路へと歩を進める。


「あー…ったく、痛ぇ………」


痛みを耐えながら歩くなか、頭の中は「この怪我をどうユキに言い訳しようか」とずっと考えていた。



よもやその行った先で出会う事な知りもしないで―――。



******



「――っとまぁ、こんなとこか」


昨日の事を思い出しながら掻い摘んでユキ達に説明し終わると、皆が皆、押し黙ってしまった。

私の心情とかはなるべく省いて淡々と説明したつもりだがショックが大きいらしい。ユキとレイラ、カインの顔を見るとやはり思い当たる節はあるのか顔を青くしていた。


「……よく、生きて帰れたな」


「あぁ、私もそう思うよ」


「猫、その話はギルドに通して大丈夫か?」


「どうだろうな…でも帝国が何か企んでそうなのは間違いないから、気を付ける様には言っておいた方が良いかも。森も元に戻ってるか分からないし」


「そうだな、帝国の騎士が来たってだけで問題だ。詳しくは省くがギルドに話しておこう」


「あぁ、よろしく頼む。おっさんならちゃんとギルドの信頼も厚いし聞いてもらえると思うし」


「お得意様だからな」


軽く笑ったおっさんに後は任しても良さそうだ。流石に冒険者相手にも商売をしてるだけあって頼り甲斐がある。


(さて、問題は――)


家族揃って顔を青くしたユキ達に再び目線を映す。特にユキは辛そうにしていた。予想はしていたがその姿に心が痛む。

そんな顔を見たいわけではないのに。ユキの頬に手を伸ばすと、怯える様にぴくりとその体を震わせた。怖がることなど何もないのに。


「……そんな顔をするな。レティは悪くないだろ?」


「で、でも、わたしもそのツェビ、さん…という人と同じ、で――」


「うん、そうだと思ってた」


こつりとユキの額に自分の額を合わせる。間近に見える黄色の瞳。今は潤んでいるけれど、それも綺麗だなんて思えた。

あの夜の散歩のとき、私はユキの瞳の力で暴走したのは分かっている。あの女に瞳を使われたときも、もっと強烈だったが似たような感覚だった。


「だから、私はお礼を言わなきゃな」


「え…?」


「私があの女に操られそうになった時、レティの瞳を――レティの事を思い出した。それで、あの瞳を拒否できたんだ」


ユキに柔らかく微笑む。大丈夫だと、私の気持ちを込めてその瞳を見つめる。


「ありがとな、お蔭で助かった」


「あ……そんな、わたし、は」


「いいから」


抱きしめるとその温もりが私の心を落ち着かせてくれる。ユキにとってもそうであってほしいと思う。

難しい話は後でもいい。今は彼女の心の方が大事だ。罪悪感なんて感じる必要なんてない、そんなものはいらないのだと分かってほしい。


「ありがとう、私に出会ってくれて、私を好きになってくれて――私を守ってくれて」


「………はい」


涙交じりの声が、その響きが、悲しみの色を伴っていない事に安心して。


ゆっくりと、その綺麗な白い髪を彼女の涙がおさまるまで撫で続けた。

隠していたものを許された話。


ブックマーク、アクセスなどなど、いつもありがとうございます!評価、感想などもお待ちしております。

何時の間にか6000PVも超え、嬉しい限りです。これからも頑張ります!


次回もよろしくお願いします。

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