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猫の愛とは如何なるや?  作者: よるの
16/38

『おはよう』

アイ視点に戻ります。

微睡んだ意識が最初に感じたのは匂いだった。


(………良い匂い…)


思わず惹きよせられる、甘くて、とても落ち着く匂い。何処かで嗅いだような気がして思い出そうとするけれど、ぼんやりとしてはっきりと思い出せない。

しばらくその匂いに浸っていると、頬に温かい感触。撫でられていると感じる心地良さ。その後、唇にそっと触れてくる柔らかいなにか。その感触が気持ち良いと感じて、自ら唇を寄せてしまう。


「……んっ…」


柔らかくて気持ちいい感触を再び味わっていると甘い声が聞こえた。その声に腰のあたりがざわざわとするような、でももっと聴きたくなるような不思議な感覚。

その感覚の正体を知りたくて手で弄れば温かく、柔らかい感触。もっと感じたくて引き寄せれば私の腕の中に馴染みきっているかのようにすっぽりと納まった。


(……落ち着く)


この温かさと匂いと柔らかな感触。再びずるずると眠りに誘われてしまいそうで。

スルスルと尻尾が抱えているモノの足に巻きつく。尻尾が擦れる度にびくりと震える感触が腕の中で伝わってくる。


(……あし?)


あし。足。尻尾が巻きついているのは足だ――では、だれの?

眠気に誘われて頑なに閉じたままだった瞼をゆるゆると開けると、朝日が目に入って眩しい。しかしそれより気になるのは目の前の白と黄と赤の色。

朝日に照らされた白い髪がキラキラと煌めいていて、私を見つめる黄色の瞳は何故か潤んでいて妖艶で、白い肌に紅潮した頬や赤い耳が際立っていて――。


「……ユキっ!?~~~~っ!?!!!」


「アイさん!?だめです、安静にしてください!!!」


目の前の人物を認識して、その人物に私がした事を理解して、頭が一気に沸騰した様に熱くなって思わず身を起こせば息も止まる様な激痛に襲われた。

左の脇腹からの酷い痛みに呻くと、陶然としていたユキが今度は焦ったような顔で私を寝かせようと体をベッドへと優しく押してくる。


「もう、折角縫ったのに…激しく動いたら開いちゃいますよ?」


激痛に負けて大人しくベッドへと体を横たえれば、ユキが幼い子供をあやす様に頭を撫でながら微笑んだ。その年に似合わない大人びた顔になんだか恥ずかしくなって目を逸らす。

目を逸らした先で気づくのは見慣れない部屋だと言う事。そういえばベッドから見える天井も私の家ではない、馴染みが無い天井。


「……ココは?」


「おじ様の部屋ですよ。あの後、中々起きなかったので今日は泊めると言う事でおじ様の部屋に運んだんです」


「そうか…ユキは何でここに?」


また店主のおっさんに迷惑をかけてしまったことに罪悪感を感じながら質問を続ける。

正直、意識がはっきりした事で体中から痛みとだるさが一気に訴えかけてきて辛い。その事から少しでも意識を逸らしたかった。ユキの声は心地良くて聞いていると痛みが少し和らぐ気がする。


「アイさんが心配だったので、我儘を言って一緒に泊めてもらえる事になったんです」


「成程な。………あと、寝てる私にキスしただろ?」


私の頭を撫で続けていたユキの右手を左手で絡める様に握って、微笑みを浮かべていた顔に探る様に目を向ける。

その視線にユキは恥ずかしげに目を伏せた。治まりかけていた頬の赤みが再び白い肌を彩る。それを扇情的だなんて感じるのは頭が寝ぼけているせいかもしれない。


「それは……アイさんだって、キスしたじゃないですか」


「私は寝ぼけてたからなぁ」


「その言い訳ずるいです!そもそもアイさんが無防備に擦り寄ってきたから悪いんですよ!?油断しきった可愛い寝顔にちょっと嬉しそうに緩んだ口元とかわざわざ顔寄せて匂い嗅いできたりとかどうやって我慢しろっていうんですか!!!」


「お、おう、力説やめような?」


怖いし恥ずかしいので止めてほしい。少しからかってやろうと思ったのに見事に私自身に跳ね返ってきて辛い。

でも擦り寄ってきたから悪いというのは心外だ。良い匂いをさせてるユキが悪い。あの甘い匂いはどうしようもなく惹かれるのだ。起きている時でもそう感じるのだから寝ぼけてるなら尚更仕方ないと思う。


「……でも、寝ているのに勝手にキスしたのは悪い事ですよね。ごめんなさい」


「いや、それは別に気にしてないけど。ユキの唇って気持ちいいし」


「ほらもうこっちは反省してるのに気持ちいいとか言っちゃうアイさんほんとうに自重した方が良いと思うんですけど襲われても仕方ないですよむしろ襲いたい!!!!」


「襲うな、落ち着け」


反省というか落ち込んでいる顔はあんまり見たくなくて正直に感想を言えばまた暴走し始めた。どうすればいいんだろうかこれ。ほっとくか。

両手で顔を覆って悶えているユキをとりあえず見なかったことにして、軽く服を肌蹴させて痛みの原因である傷を確認する。

一番酷い左脇腹の傷は大人しく寝ていても変わらずズキズキと無視できない痛みを訴えてくるし、背中や腕も動けばズキリと強い痛みを主張してくる。

しかし巻かれた包帯に血は滲んでいないし、結局は痛みだけで何処かが動かないなどの不備はない。回復力には自信があるのでしばらく大人しくしていれば問題はなさそうだ。


「傷、痛みますか?」


暴走が治まったのか、傷の確認をしている私に心配そうな視線を投げかけてくる。ユキが痛いわけでもないのに、その顔は痛みを堪えているかのように辛そうで。

視線の先はやはり腹の傷。深く抉れ、私でも塞がないと危うい傷だった。そういえばこの傷を縫う時にユキやユキの家族にも迷惑をかけた。無意識に暴れる私を抑えるのは大変だっただろうに。


「まぁな。でもしばらく寝てれば治るからそんな顔するな」


「………治るから、平気ってわけじゃないですよ」


ユキの指が、傷を確認するかのように腹に巻かれた包帯の上をなぞる。泣きそうな瞳。痛みを堪える顔。何故そんな顔をするのか理由が分からない。

私は『半魔』で、人間よりも丈夫で、怪我だってすぐ治る。傷は酷いが、治るのだからユキが気にするような事じゃない。


「分かってない顔してますね?」


怪訝な顔をしていたのか考えている事がバレた。最近常々思っている事だが、ユキの読心術みたいなものが上手くなってる気がする。それを言うとユキは「アイさんは変な所で鋭いからお互い様です」と言ってくるのだがそんな自覚はない。


「確かに治れば痛いのはなくなりますけど、傷ついたことには変わりません。わたしは治るから平気という以前に好きな人が傷つくのが嫌なんです」


包帯をなぞっていた指を引込めて、寝転がっていた私の太腿を跨ぐ様にして上に乗ってくる。体重をあまり感じないから気を付けて乗っているのは分かるが、上から見下ろされるのは何だか落ち着かない。


「ユキ、何を――」


「アイさんが傷つくのが嫌です。わたし以外の誰かがアイさんの体に、心に痕をつけるのが嫌です」


そう言いながら今度は腹の包帯の上にゆっくりと口づけをした。その光景が何だか背徳的でゾクリとした何かが背を駆け上った。


「お、おい、ユキ…!?」


「この痛みも、傷も、全部わたしに移せればいいのに…」


次々と包帯が巻かれた箇所に、私が負った傷の上に、口づけを落とすユキを止めようと手を伸ばそうとしてもユキの小さい手で抑えられてしまう。簡単に振り払えるはずなのにユキの顔を見ると何故か力が入らない。

怒っているのか、悲しんでいるのか、それともそのどちらもあるのか、複雑で苦しそうな顔。ユキにそんな顔は似合わないし、その願いは聞いてあげられないものだ。


「残念だけどな、この傷も痛みも全部私のものだ。ユキには渡さない」


「……わたしが頼りないからですか?」


「いや、ユキが傷ついてたり痛がってたら私が困る」


「え?」


困惑した顔に軽く微笑みかけて、痛みを堪えて身を起こす。慌てたユキをゆっくりと抱きしめると途端に動きが大人しくなった。

柔らかい、温かい、良い匂い。丁度肩辺りにあるユキの髪に顔を埋めて、感触や匂いを堪能していると恥ずかしげに私の名前を呼んだ。そういう時に出るユキの声は嫌いじゃない。


「私も痛いのは嫌だけどな。ユキにこうして触りたい時に触れない方が嫌だ、落ち着かなくて困る」


「あ、あの…」


「怪我しない様には気を付ける。でも絶対とは言えないから…だから、その時は痛みを肩代わりするよりも傍にいてくれ。こうしてると何となく痛みが和らぐ気がする」


「…傍にいても、いいんですか?」


「そのつもりじゃなかったのか?」


「…はい」


口元が嬉しそうに緩んだユキの顔に満足する。やはり見るなら苦しそうな顔よりも嬉しそうな顔の方が良い。

首筋に顔を摺り寄せられて少しくすぐったいが、離すのも勿体ない気がしてそのままにしておく。手持無沙汰に抱きしめていた手で彼女の髪を梳く様に撫でると心地よさそうに笑った。


(………こういうのも悪くないな)


じんわりと胸から広がる温かい何か。それが何かわからないけれど悪くはない。何となく離れ難くて、ユキもそう思っているのかそのまま何か話すという事もなく静かに過ごす。

ユキの髪をずっと撫で続けていたけれど、さらさらとした髪は手触りが良くてどれだけ触れていても飽きない。指に絡ませるように弄ぶと私の褐色の肌に白い色が映えて綺麗だと思った。


「――アイさん」


不意に呼ばれて、真正面からユキと視線が合った。黄色の瞳が朝日に煌めきながらも私を映す。


「わたしは貴女が好きです」


「それは何度も聞いた」


くすりと笑いあって、ユキの両手が私の頬へと添えられる。額を合わせる様にして、更に近く。お互いの瞳しか見えない距離。


「何度だって言います。大好きです、愛しています、アイさんを守りたい、傍にいたいんです」


「ユキ?」


「アイさん。わたしは、わたしの為に生きたい。最期まで生きて良かったと思いたいんです」


その言葉は特別な響きを持っていた。

最初に出会った時、死ににいくのだと言った少女。死にたいのだと願った少女。


一度死を選んでしまった少女。


その少女が目の前で、誰の為でもなく自分の為に生きたいのだと言った。それがどれだけ特別な事か。


「そのために、アイさんが必要なんです。わたしが生きたいと思える理由が貴女だから。貴女を愛して、守って、守られて、共に過ごしたいんです。最期まで一緒にいたいんです」


ドクリ、と心臓が跳ねあがったように忙しなく脈打つ。苦しい。なんでこんな。いきなり、そんな真剣な顔で。真っ直ぐ綺麗な瞳で。


「アイさんが好きです。アイさんの髪も、瞳も、体も、その耳も、尻尾も」


「優しくて不器用なところも、ちょっと意地悪で気まぐれなところも、無防備で危なっかしいところも、寂しがりで意地っ張りなところも」


「アイさんの笑った顔も好きです。真剣な顔も格好良いし、怒った顔もこわいけどドキドキします。悲しい顔はさせたくないけど、綺麗だと思います。寂しい顔はこれからさせません」


「ユ、ユキ!ちょっと、ちょっと待て…!」


頭が沸騰したように熱い。バタバタと尻尾が忙しなく動いているのが分かる。ユキの言葉に対しての処理が追いつかない。恥ずかしい。恥ずかしいのに不思議と嫌じゃないのが更に恥ずかしい。

なんだ、なんだこれ、心臓が激しく脈打ち続けて。喉が渇く。息が詰まる。それなのにユキの瞳から目が離せない。


「待ちません。わたしはアイさんが欲しいんです」


「欲しいって…」


「アイさんの全部が欲しい。一分一秒だって惜しいぐらい、アイさんと一緒に生きる時間が欲しいんです」


言葉を失う、とはこの事だと思う。頭が熱くて、真っ白で、何か言おうにも何も浮かんでこない。ただ目の前にはユキの瞳があるだけで。ユキの言葉が私に向けられるたびに胸を苦しくさせる。

いつも優しげに私を見るユキではなく、縋る様に、欲する様に、ただ私だけを見つめている彼女。


「選ぶのはアイさんです。どうしたいかを決めるのもアイさんです」


そこで初めて一瞬だけ目を伏せて。しかしまた真っ直ぐ私に向けて。


「アイさんのこれからの時間をわたしにください」


「最期まで、わたしと一緒に生きてください」


こんなに強い感情を向けられたのは初めてで、どう応えたらいいかもわからない。

苦しくて苦しくて苦しくて、なのになんでこんなに。


(嬉しい、なんて――)


母が死んだとき。爺さんが死んだとき。ずっと一人で生きていくのだと思っていたのだ。

大切な人が死ぬのが怖い。それなら大切な人が居なければいい、とも思っていたのだ。

それなのに。この感情は何だろう。まだ分からない。分からないふりをしている。認めるのが怖い。


それでも。


「ユキ」


「はい、アイさん」


「私より先に死ぬのだけは、許さないからな」


「…はい、もしそんな事になったらアイさんもつれていくので大丈夫です」


「大丈夫な事なのかそれ…」


あくまで真顔のユキに一抹の不安も過ったりもしたが。


「まぁ…私も、お前が傍にいないとつまらないからな」


「つまらない?」


「落ち着かない」


「落ち着かない?」


「………傍にいてほしい」


「はい、傍にいます」


嬉しげに、幸せそうに、蕩けそうな笑顔を浮かべる物だから、恥ずかしさも照れくささも、まぁいいかなんて思えてしまって。


「アイさん、好きです」


「知ってる」


「愛してます」


「それも、知ってる」


「知ってるだけですか?」


「調子に乗るな」


それでも全てユキの思い通りにいくのは悔しいから望む言葉は言ってやらない。

不満げにした顔に口づけをひとつ。すかさず返ってくるユキの唇。柔らかくて、甘い。


「アイさん、色々話したいことがあるんです」


「あぁ、聞くよ」


「それで嫌わないで下さいね?」


「簡単に嫌える相手ならこうしてないだろ」


ほっとしたように笑うユキが可愛い。恥ずかしげもなくそう思う。子供っぽい笑顔も、大人びた微笑みも嫌いじゃない。


嫌いじゃない――『好き』だ。


そう言えるまでは長くかかりそうだと我ながら素直じゃないところはどうしようもないなと思う。


「あと、今更ですけど。アイさん、おはようございます」


「ほんとに今更だな…」


「でも挨拶は大事ですよ?」


「挨拶なぁ…」


「だって、相手がいないと言えない言葉ですから」


それはとても大切な事だとユキは言う。

確かにそうだと思った。だって、私も昔は言っていた。


『おはよう、母様』『おはよう、爺さん』


目が覚めて、当たり前の様に傍にいてくれた人達。


『おはよう、***』『おはよう、猫』


もう忘れてしまった名前を呼んでくれた人、私に笑いかけてくれた人。

その人達を亡くしてからはその言葉を失っていた。思い出そうともしなかったのに。


「だから――おはようございます、アイさん」


失った言葉が再び私の下へ帰ってきた。泣きたくなってしまうような、この感情は何だろう。

分からない。分からないことだらけで、でも嫌じゃない。

優しいユキの眼差しが、私の言葉を待ってくれているようで。


「おはよう、ユキ」


その言葉を返せることが、堪らなく幸せな事だと知った。

挨拶は大事だよ、なお話し。


アクセス、ブックマーク、評価などなどありがとうございます。毎回励みにさせて頂いております!!嬉しい!!

次回もお付き合い宜しくお願い致します。

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