第15話 日常へ繋ぎ止める者
「はぁ」
しかし、どうしたものか。
「ダメだ、落ち着かない」
俺はあちらこちらへと動いていく思考に翻弄されていた。指先が冷たい。周囲の声が、遠くに聞こえた。
休み時間、喧噪から離れて俺は階段に座っていた。人通りは少ない。そのうちの何人か、こいつは何をしてるんだ、という目で通り過ぎていく。ほっといてくれ。
俺は怖がっている。それは認めよう。それこそ、あんな子どもが適合者になっているくらいだ。学校に紛れていても、おかしくはない。
まぁ、でも、魂の変容だっけ? 欲望に忠実になるとか。そんな理性ぶっ飛んだ連中が、学校なんていう理性の象徴みたいな場所に好んでくるわけないか。人の目も気にするんだった。
そうなると、だ。そういうことだったら、今みたいに人気がないところよりも、人が多いところにいった方が安心か。俺は立ち上がった。
そのとき、微かに近くで靴の音が鳴った。
「よっ、ユーダイくん」
「うっひゃああ!」
何者かに肩を叩かれた拍子に、反射的に前に飛び退いた。勢いよすぎて転びそうになる。何とか体勢を整えつつ、慌てて後ろを振り返る。
「なんなの、その反応」
そこにはきょとんと呆ける神谷の姿があった。目をパチパチと何度か動かして、たぶん俺を叩いたであろう手が宙でさまよったままだ。
息が荒い。何とか、神谷には気づかれないように、鼻で大きく深呼吸する。このまま話すと、声が裏返りそうだ。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。神谷は適合者じゃない。この子の瞳は、あの少年と違って濁っていない。
俺は何とか落ち着こうと、自分に言い聞かせる。
「あ。ああ。ちょっと、びっくりしただけ」
それだけ絞り出すのが精一杯だった。
「ふーん。びっくりしただけ、ね」
あまり納得がいっていない様子で神谷は首を傾げる。
「急に触ったあたしも悪いけど。本当に何ともない?」
神谷の表情は、病院で俺が話しかけた時に似ている。怪しんでいる。俺は「何ともない、何ともない」と繰り返すだけ。そんなロボットみたいな俺の反応に、神谷はますます眉根を寄せていぶかしむ。
「何か、隠してない?」
何か、と言われればあるんだけれども、神谷に話すことじゃないよな。巻き込みたくないし。
血だまりで倒れている現場を見せた相手に今度は命がけのゲームに強制参加させられてます、なんて言ってみろ。たぶん、こいつは気に病む。付き合いは短いが、それぐらいは分かる。
だから俺は必死に首を横に振った。
「考え事してたんだよ。ずっと。だから、周り見えてなかった」
俺の口から、ようやくもっともらしい嘘が出てきた。心も落ち着いてきたから、表情も平静に戻っているはず。
神谷の目から、徐々に疑念の色が薄れていった。
「ふーん、あ、そ。あたしに言いたくないなら、良いんだけどね」
あ、信じてはもらえてないっぽい。素っ気ない態度にはなったけど、言葉の端々にこっちを気遣う様子が残ってる。
やっぱり、この子、良い子だな。本当に分かりづらいけど。
「平気平気。本当に平気」
わざと冗談っぽく振る舞う。これで、これまでの奇行もごまかせるはずだ。
「……本当に平気だったら、いいんだけどさ」
「ん?」
神谷は小さく呟いた。その声は俺には届かない。聞き返そうとすると、今度は神谷が「なんでもない」とこちらを突き放してきた。
そう言われると、俺は追求できない。俺も追求して欲しくないもんな。
さて、こうして何とか神谷の追求を逃れたわけだけど。この後、どうするんだ? 神谷との会話デッキなんて、俺は持ってないぞ。
それにしても、神谷はどうしてここにいるんだろうか。
「?」
俺の視線に、神谷は腰に手をあてて首を傾げている。
俺もフラフラと人目を避けて、ここまで来た。ここって普段、俺達の学年が使う場所じゃないんだよな。まさか、俺を探していたわけじゃないだろうし。
「いや」
ありえるのか、俺への用事。そうじゃないと、わざわざ声をかけたりしないか。それなら、ずっと神谷が次の動きを見せないのにも納得がいく。
「えっと、何か俺に用があった?」
「別に」
撃沈。
即断で否定された。その言い方があまりに冷たかったから、背筋がゾクッとした。あれ、さっきまで俺のこと心配してくれていませんでした? 本当に分かりづらいな、この子。
まだ無表情のリィナの方が分かるぞ。俺は大きく息を吐いた。
なんか急に疲れを感じた。たくさん誰かがいる教室で座ってた方が心安らかだったかもしれない。
「じゃあ、用がないなら俺はここで」
俺が立ち去ろうとすると、神谷は少し目を開いた。
「あ、ちょっと待って」
「ん?」
予想外。神谷は食い気味に俺の動きを止めてくる。神谷は珍しく慌てた様子だ。何だろう。
「用事思い出した」
神谷は携帯電話を取りだして、画面を見つめている。呼び止められたからには話を聞かなきゃいけないんだろうが、神谷はそんな俺を置いてブツブツと独り言を言っている。聞き取れない。
「よし」
なんか、気合いを入れる言葉は聞こえてきた。いったい何だろうか。
「ユーダイくん、放課後暇?」
顔をあげた神谷が勢いよく聞いてくる。その目の力が強すぎて、狙われた鳥のように首をすくめてしまった。
暇か、暇じゃないかと言われると判断しづらい生活をしているけれども。
「時間なら作るけど。何かあるの?」
そんな俺の返答に、神谷は彼女にしては分かりやすい喜びの表情を浮かべた。
「それで、何があるかと思えば」
俺は放課後にスーパーマーケットへと出向いていた。
日常の風景にほっとする。俺よりも小さい子をつれた母親の姿が見える。大変そうだが、幸せそうだ。たぶん、夕食の買い出しに来たんだろうが本来の目的を忘れてしまっている主婦達の談笑が聞こえる。大丈夫かな、時間。
あ、タイムセールの放送。急がねば!
「いやいや」
走り出そうとして、立ち止まる。今日は俺の買い物がメインではないんだ。連れ添いの助けになるべく、ここにいる。
「えっと、これはどういうこと?」
横を見ると、神谷はうんうんと唸っていた。
ここは、俺もよく使う場所だし、神谷もどうやらよく来るらしい。
当然、マンションの隣の部屋に住んでいるのだから生活圏はかぶっている。今まで、よく鉢合わせしなかったものだと思った。
「それが買い物リスト?」
「うん」
神谷は、何かおとなしい。携帯電話の画面を見て、小さく息を吐く。どこか弱々しくて、俺はここで初めて神谷の身長が俺より低いことを自覚したくらいだ。
神谷は実際、俺より背が低い。まぁ、俺も男子の中では高いとは言えないけど。なんだろ、神谷は姿勢がいいのかな。普段は、もっと大きく見えるんだ。
それが今はいつもより小さく見える。たぶん、画面覗き込んでいるせいで、猫背になってるんだな、こいつ。
「あー、やっぱり分かんない」
今は苦手なものに向き合っているせいか、言葉も歯切れが悪い。
「俺にも見せて」
「はい」
素直に差し出してきた神谷から端末を受け取る。そこには彼女の親とのメッセージが表示されていた。
……神谷って、親相手の言葉遣い、丁寧だな。ママ呼びだし。
そんなプライベートな部分はあまり見ないようにして、神谷が俺に頼んできた「買い物リストの翻訳」とやらをやってみる。
「ああ」
俺は、苦笑いを浮かべた。これは確かに分かりづらいのかもしれない。




