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第1章-夜のはじまり-「黒い猫」

 雑踏も好き。

 けれど、夜の静けさも好き。

 文明も好きだけど、自然も好き。

「今夜は風が気持ちいいね」

 ワイシャツにベストを着た学生スタイルの青年が、学校の屋上から夜の町を見下ろしていた。

 青年が後ろを振り向くと、そこにはひとりの少女が立っていた。

「アタシは夜のが好き。昼間は苦手」

「日の下もいいものだよ」

 青年は言う。

 半分だけ夜の仲間になってから数日、青年は夜な夜な夜の少女と会っていた。

 名はリサ。

「カイトはまだまだ人間なのね」

 リサに言われ青年――戒十[カイト]は静かに笑った。

 数日前のこと、戒十は放課後に友達とゲーセンに行き、その後も深夜まで遊び歩いていた。

 駅近くとは言え夜は暗く、店のほとんどは閉まっている。

 最後の店を出て天を見上げると、夜空には月が輝いていた。星はよく見えない。汚れた街の空気は星の輝きを奪ってしまうのだ。

 電車の終電まであと少ししかない。

 戒十は足早に駅へと向かった。

 しかし、その足がふと止まる。

 右手の奥に見える曲がり道から、ガサガサと物音が聞こえた。

 野良猫かなと思いながら、戒十は目を離して歩き出そうとしたが、暗闇の奥から自分を、見据える光る眼を見て、自然と足が止まってしまっていた。

 光る眼は地面に近い位置にあり、動きもせず瞬きもしない。

 野良猫か野良犬か、そのときの戒十は猫だと思っていた。けれど、今になって思えば、それがなんであったかはっきりしない。記憶がとても曖昧なのだ。

 光る眼がじわじわと近づいてくる。恐怖感はなかった。まるで催眠術に掛けられてしまったように、何の感情も沸かなかった。

 眼だ、その眼に魔力がある。

 しかし、その眼が近づいてくるにつれて、戒十の背筋に冷たい風が吹き、言い知れぬ不安感が躰を包み込むのだった。

 電柱に取り付けられた街灯が、チカチカと接触不良を起こす。

 ――嫌な感じがする。

 戒十はその場から逃げようとしたが、すでにそのときには黒い影が戒十の眼前に飛び込んできていた。

「わあっ!?」

 一瞬、なにに襲われたのかわからぬまま、戒十はアスファルトに尻餅を付いて転倒してしまった。

 刺すような痛みが戒十の首筋に刺さった。

 一時的に記憶が飛んでしまったが、反射的に戒十は首の辺りを振り払い、急いで立ち上がった。

 すぐ下を見ると、そこには黒い毛並みの猫が、光る眼で戒十を睨み付けている。

 その猫に恐ろしさを感じ、後退りながら痛みの走った首筋に触れてみた。

 ――濡れている。

 ゆっくりと手を離し、濡れた感触のあった指先を見ると、赤い血がべっとりとこびり付いているではないか!?

 恐ろしくなった戒十は一目散に走って逃げた。

 夜の街に足音が反響する。

 あの猫が追いかけて来るのではないかと、戒十は何度も後ろを振り返る。

 影、影、影、そこら中にある影が、すべてあの黒猫に見える。

 ガサガサ、ガサガサと、そこら中で音がする。

 まるで街全体に追いかけられている気分だ。

 息を切らしながらやっと駅の前まで走ってきた。

 明かりが見える。

 まばらだが人の気配もする。

 戒十はほっと胸をなでおろし、荒れてしまった呼吸を整えた。

 後ろを振り向くが、もうあの言い知れない恐怖は追ってきていなかった。

 改札口を通り、階段を登ってホームにつくと、そこにも数人の人が居り、戒十の不安をやわらげてくれた。

 鳴き声が微かに聞こえた。

 戒十は急いで辺りを見回すが猫なんていやしない。

 ホームまで猫なんて来られるはずがない。

 やがて電車が来て、足早に電車に乗り込んだ。

 しーんと静まり返った車内。

 席に座って寝ている者がほとんどだった。

 席はいくつか空いていたが、戒十はドアの側に立ち、外の景色を眺めた。

 空は黒い、それに比べて地上はキラキラと光っている。

 急に戒十は胸を鷲づかみにされるような気分になってしまった。

 ビルの光が猫の光る眼に見えたのだ。

 そして、どこからともなく猫の鳴き声が――。

 耳を塞いだが猫の鳴き声は鳴り止まない。

 幻聴だ。これは幻聴だ。気のせいだと自分に言い聞かせると、猫の鳴き声は聞こえなくなった。

 やっぱり気のせいだったんだと安心して、猫のことを忘れようと努力した。

 そして、その後は何事もなく家に着き、ベッドの中で深い眠りに落ちたのだった。


 なにかにうなされ、戒十はベッドから飛び起きた。

 悪夢を見ていたのかもしれない。けれど、何にうなされていたのか、まったく覚えていない。

 夢を見たのか見ていないのか、それすら覚えていない。

 ただ、背中に張り付くじっとりした汗が、なにかあったことを物語っていた。

 カーテンの隙間から差し込む光が眩しい。

 戒十は薄目で光を眺めた。

 いつもより眩しい感じがする。

 ベッドから降りて重力に引き寄せられるように、カーペットに手を付いてしまった。

 身体が重い。

 倦怠感が身体を鉛のように重くしている。それでいて、不思議なことに気分は悪くない。むしろ爽快と言ってもいい。

 時計を見ると余裕で遅刻だった。

 今から学校に行けば3時間目に出られるだろうが、今さら行く気も起きない。なにか楽しいことがあるわけでもない場所に、進んでいく気はなかった。

 高校入学から2ヶ月。クラスにはまだ馴染めていない。これから馴染めるかという質問に関しても、おそらくノーと答える。

 今の高校を選んだ理由は自宅に一番近かったからと、中学時代のツケが回ってきたからだ。自分のレベルに合った高校を選んだわけではない。

 そのため戒十は同級生達をいつも上の目線から見下ろしていた。

 ――こいつらみんなバカだ。

 戒十は重い足取りでリビングに向かった。

 広いマンションの部屋ではないので、ダイニングキッチンからトーストの焦げた匂いが香ってきた。

 リビングに行く前に、寄り道をしてダイニングキッチンに向かった。

 テーブルの上に置いてある食べかけのトースト。同居人が食べきれずに放置して出かけたのだろう。

 戒十の食事の用意はない。いつものことだが――。

 食べ残しのトーストをひとかじりして、戒十はすぐにキッチンの横のゴミ箱に捨てた。

 そして、リビングに着いた戒十は柔らかなソファに腰を深く掛けた。

 テレビのリモコンに手を伸ばすが、その手を引っ込めてぐったりとソファにもたれ掛かる。今は音を聞きたい気分じゃなかった。静かな時間を過ごしたい。

 窓は全て閉めてあるにも関わらず、今日はいつもよりも外の音が騒がしい。風が吹き付ける音、どこかで工事をしている音。

 部屋の中もいつもより敏感に音を感じる。

 冷蔵庫のハム音や時計の針が動く音。

 外になんか出たら、この感覚がもっと研ぎ澄まされるかもしれない。喧噪に耐えられなくなりそうだ。

 いつもの自分と違うことに戒十は気づきはじめていた。

 精神的な変化ではなく、おそらくは肉体的な変化。

 高熱でうなされているような、倦怠感と妙な感覚の鋭さ。

 ふと、戒十は首筋に手を触れた。

 太い針で刺されたような傷跡が二つ、かさぶたのように盛り上がっている。

 黒猫に襲われたことが脳裏に浮かぶ。

 もしかしたら悪い病気をもらったのかもしれない。

 髪の毛をかき上げながらおでこに手を当てる。

 あのときは言い知れぬ恐怖を感じたが、今は冷静にあのときのことを考えられる。

 黒猫のような動物に飛び掛られた。いや、今考えると黒猫よりもひと回りもふた回りも大きかったような気がする。

 ――黒豹の子供?

 そんなものが街中にいるはずがないと、笑いながら戒十は首を振った。

 玄関のチャイムが鳴った。

 1度目は無視をした。

 2度目も無視をした。

 しかし、3度目でうるささに耐えられなくなって、玄関のドアを怒りを込めて開けた。

 そのまま悪態でもつこうとしたが、きょとんと相手の顔を見上げてしまった。

「女?」

 と尋ねてしまったのは、相手が男だと思ったからだ。

 自分よりも10センチ以上背が高く、年齢も戒十よりも高そうだが、中性的なせいか20代っぽいが年齢不詳というぴったりくる。

「男だ」

 サングラスの下で形の良い口が澄んだ声を発した。この声音も中性的だ。

 全身を黒で包んだ男は、男性モデルではなく、女性モデルのようなスレンダーなボディをしていて、長く細い黒髪も女性のようなコシと艶がある。

 肌の質もきめ細かくて、女性のように瑞々しい。サングラスで瞳が見えないが、美形なのは高い鼻や他のパーツを見れば分かる。これで胸さえあれば女性だ。

 謎の男はブーツを脱いで勝手に家の中にあがった。

 戒十は手を出しはしたが、なぜか本気で止める気はしなかった。まるで相手の魔性に魅せられてしまったようだ。

 一直線の廊下をまっすぐにリビングに向かい、謎の男は部屋中のカーテンを閉めてサングラスを外した。

 真っ黒の瞳はどこまで深く、切れ長の目は鋭さを持ち、その形の良さはやはり他のパーツに比例している。

 戒十は謎の男に涼しい顔で眼差しだけを不審に向けた。

「あんた……母さんの新しい恋人……じゃないな」

 母は人から愛を注がれ求められ、追われるタイプだ。目の前の男もそんな印象を受けた。

「おまえに用があって尋ねた」

 戒十が瞬きをひとつした刹那、謎の男は戒十を唇が迫る距離に移動していた。

 動揺する戒十の首筋を男の指先がなぞる。

「噛まれているな」

「……だから?」

 戒十は喉から声を搾り出した。おびえではなく、緊張で声が震えてしまった。

「今さら噛まれた時間を聞いても手遅れだろうな……手遅れだ」

「手遅れってなんだよ!?」

「今からワクチンを打っても手遅れだと言うことだ。そのくらい察しろ、バカが」

 最期の言葉によって戒十の緊張が一気に解けた。ひとからバカにされることほど、戒十に屈辱を浴びせることはない。

「僕のどこかバカなんだ!」

「ガキはみんな頭が弱い」

 ガキ扱いされることも戒十のプライドを傷つけた。

「僕は周りのやつらと違ってガキじゃない」

「ませたガキも歳を重ねれば、あのときはまだまだガキだったと恥を知る。おまえはきっとそういうタイプだ」

「あんただって20代かそこらのガキだろ。人生を重ねた年寄りみたいなこと言って、だいだいおまえいくつなんだよ」

「知りたいか?」

 相手の息遣いが聴こえるほどに男の顔が戒十に近づいた。

 人を惑わす妙な艶っぽさを持っている。男とも女ともつかない色香が、戒十の熱を上げた。それに気づいたのか、男は艶然と唇を綻ばせた。

「心拍数が上がっているぞ?」

 隠したい真実を突かれたことに、戒十の体温は余計に熱を帯びてしまった。

「うるさい、離れろよ」

 男の胸板を押し飛ばし、戒十は壁際に後退りをした。

 汗がどっと出ていることに気づいた戒十は、できるだけ涼しげな顔をしようと努めた。

 男はそれを全て見透かしたように悪戯に笑い、ソファに足を組んで腰を掛けた。

「歳か……そうだな、おまえの10倍以上は生きている」

「……は?」

 嘘だろとは付け加えられなかった。

 冗談を真実だと納得させる雰囲気を男が持っていたのだ。実は宇宙人だと言われても、納得してしまうかもしれない。

 戒十は低いテーブルを囲んで男の向かいのソファに腰掛けた。

「あんたどこの誰で、僕になんの用があって来た?」

「名前はシンとでも読んでもらおう。おまえの名はなんだ?」

「僕の名前も知らないで僕に用があってきたのか? 三倉戒十[ミクラカイト]だよ」

「おまえが本当に噛まれたのかそれを確かめに来た。だから名前は重要ではなかった」

 あれに噛まれたことによって、やはりなにかの病気にかかったのだと戒十は確信を深めた。

「危険なウィルスに感染して、僕はこれから病院に隔離されたりするわけ?」

「おまえらの常識に照らし合わせれば現実的な回答だが、真実はもっと突拍子もない」

「ウィルスに感染して怪物に変身するとか……バカらしい」

「近いな」

 冗談を真実だと思わせる雰囲気。

 思わず戒十は顔を強張らせた。

「……バカらしい」

 吐き捨てる戒十の瞳を、シンの切れ長の眼が射抜いた。

「おまえが真実を受け止める気になったころにまた来る」

「おい、あんたなんなんだよ!」

「日が落ちた頃から気を引き締めないと、本当に病院に隔離されることになるぞ」

 そう言い残してシンは勝手に玄関から出て行った。

 玄関の閉まる音がするまで戒十は動かなかった。追って聞きたいことは山ほどあったが、今追ってもどうにもならないような気がした。シンがまた来るというのなら、それを待つしかなかった。

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