第23話 鳥かごの外側
殺気、とまでは言わぬが、それに似た剣呑な気配が、六つの人影から立ち上っていた。
「じゃ、オイラはこれにて失敬。あと、ちょっとした忠告。このボンには手を出さねぇほうが身のためネ」
「んだと? こんなガキ一人に何ができるってんだ」
「さぁの」
俺を取り囲んだ六つの人影のうち、薄汚れた外套で顔を覆った小柄な男が、大柄な頭らしき男に耳打ちするや、その場からふわりと宙へ身を躍らせた。
(あ奴―――)
常人ならばただの外套の翻りと見紛うところを、俺は見逃さなかった。あれは布ではない。関節から先が確かに羽ばたいていた――両の腕が、そのまま翼になっていた。
瞬く間もなく、影は朽ちた屋根の向こうへと滑るように消えていく。追おうにも、眼前の悪漢五人を放置して背を向けるわけにはいかない。
得物は棍棒が二本、刃こぼれの目立つ短剣が三振り。足運びはばらばらで、間合いの詰め方一つ取っても素人の域を出ない。
(奴がいれば、多少は歯ごたえがあったやもしれんが)
スルトの裏山で幾度となく相手取った、名もなき魔獣のほうがよほど骨があった。
耳打ちされていた最も図体の大きい男が、下卑た笑みを浮かべて一歩前へ進み出た。この群れの頭だろう。
「兄ちゃん、身なりの割に、いい金を持ってるそうじゃねぇか。大人しく懐を出しな。痛ぇ思いはしたくねぇだろ」
「――あいにく、大した中身ではございませぬ。無駄足を踏ませて申し訳ない」
殊勝な物言いに、頭が一瞬呆気に取られる。だがすぐに舐められたと思ったか、顔を歪めて吠えた。
「舐めた口――」
男の怒号は、そのまま喉の奥へ押し戻された。
かわす、打つ、払う。
呼吸を一度吸って吐く間に、棍棒が宙を舞い、刃がこぼれ落ちる。みぞおちを突かれ、頭を打たれ、五人の悪漢は自分が何にやられたのかも分からないまま、次々と石畳へ崩れ落ちていった。
技と呼ぶまでもない、ただの片づけだった。
舌打ちを堪え、襟首を掴んだままの頭を引き寄せた。
「さっきの、あの獣牙族……翼人は何者か」
「ひっ……し、知らねぇ! 本当に知らねぇんだ! 奴からはネタを買うだけで……名も面も、拝んだことなんざねぇんだよ!」
半泣きでまくし立てる瞳に、偽りの色は見当たらない。この男もまた、裏通りの小ずるい影に踊らされていたに過ぎぬらしい。
俺は襟首を握る手にわずかに力を込め、静かに言葉を重ねた。
「ネタとやらの中身は」
「うぐっ……! ひ、一人モンで……ギルドで金をたんまり預けた……世間知らずのガキが歩いてるって……!」
やはり、商業ギルドの窓口を見張っていたのか。
あの獣牙族は獲物の戦力など斟酌せず、ただ「金の匂い」という情報だけを売ったのだ。さっさと立ち去ったのは役目を終えたからであり、去り際の忠告は、獣牙族特有の勘で俺の気配を察して色を付けただけなのだろう。
掴んでいた手を放してやると、男は荒い呼吸を取り戻し、石畳に額を擦りつけて許しを乞うてきた。
これ以上、あの鳥について得られる情報はなさそうだ。今なすべきは追走ではなく、この場の始末だった。
「貴殿ら、これまでに人を殺めたことは」
「な、ない! 誓ってねぇ! 脅して身ぐるみ剥ぐだけの、けちな真似ばかりで……!」
アジェンテとして、騎士団へ突き出すべきか。頭の隅でそう自問した。だが人を手にかけたことのない、ただの恐喝の徒と知れた以上、これ以上の裁きは俺の分を越える。
(それに――)
手元に残る金は、白銀貨二枚と真鍮貨二枚、それに細かな端数ばかり。母上より預かった路銀の大半は、すでに商業ギルドで一枚の証文へと姿を変えている。これしきの手持ちのために五人がかりで袋小路へ誘い込んだのかと思えば、腹を立てる気すら失せていた。
「此度は見逃して進ぜましょう。ただし――」
条件を一つ、付け加えた。
「貴殿にはこの町の裏の事情、包み隠さず話していただく。話せる場所へ案内を。……安酒の代金くらいは、私が出しましょう」
「へ、へい! ありがてぇ!」
頭は拍子抜けした顔をした後、縋るように何度もうなずき、残る四人は蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
案内されたのは、うらぶれた細道にひっそりと佇む、薄暗い大衆酒場だった。
建て付けの悪い木戸を開けると、鼻を突くすえた酒の臭いとともに、人相の悪い無頼漢たちがたむろする光景が目に飛び込んでくる。足元には隙間風が吹き荒び、よくこれで店が成り立つものだと逆に感心してしまうほどだった。
「おいダグ! 今日の財布は坊主かよ、ギャハハ! 俺らにも一杯奢れや!」
赤ら顔の男が酒瓶を片手に絡んでくるのを、ダグと呼ばれた頭は血相を変えて割って入った。
「よ、よせてめぇ! この方に手ぇ出すと命がいくつあっても足りねぇぞ!」
「あ~ん? 何いってんだお前……ヒック」
「おい、揉め事なら表でやれ。酒が不味くなる」
カウンターの奥から、目つきの鋭い店主がドスの利いた声を上げる。俺が会釈を返して卓に着くと、ダグの剣幕に気圧された酔客は大人しく引き下がっていった。
「いい店ですな」
「……か、勘弁してくだせぇ。俺たちゃこんな店しか知らねぇんでさ」
「こんなで悪かったな」
店主が無愛想に、濁ったエールの入った木ジョッキを二つ、ドンと卓に置いた。
ダグの口から語られたのは、大通りの賑わいとはかけ離れた、マイルズの裏の顔だった。
「大通りの向こう、大河を渡った先に、日の当たらねぇ一帯があるんでさ。冒険者や商人が落とす金は、そこまでは流れてこねぇ」
働けど働けど、日々の飯にも困る者たち。物乞いすらできぬ幼子は、大人に言われるまま盗みの片棒を担がされる。ダグ自身も、かつてはそうして育った口だという。
「それと――夢見草、って呼ばれてる代物がある。あれを吸えば、腹が減ってることも、明日の当てがねぇことも、忘れられる。安く売り捌く連中がいてよ、一度手を出しゃあ、後は坂道を転げ落ちるだけでさぁ」
街の外れを見回る役人の中にも、袖の下で見て見ぬふりを決め込む者がいる、とも零した。
俺は口をつぐみ、濁った酒を見つめた。
スルトの村では、飢えに苦しむ者はいなかった。誰もが互いを気にかけ、貧しくとも笑って暮らせた。あれが、いかに得難い幸いだったか。
(俺はまだ、この世界の半分も知らなんだ、ということか)
堅牢な城壁と華やぐ大通りの裏に、これほど深いぬかるみが横たわっている。冒険者として歩みを進める以上、いずれは否応なく向き合わねばならぬ現実の一端を、今日ここで突きつけられた気がした。
「もう行きます。二度と、袋小路へ人を追い込まぬように。……次は、刃でお応えせねばなりません」
席を立ち、ニットさんの教えに則って白銀貨を一枚、パチリと卓に置いて店の扉に手をかけた。
安酒二杯とささやかなつまみ、わずかな昔語りへの対価としては、あまりに過分な銀の輝き。裏通りの日銭暮らしにしてみれば、二十日あまりは贅沢に食いつなげる大金だ。
卓の銀貨を凝視したダグの目が、驚愕で見開かれた。
「う、うおぉぉぉっ! 約束する、二度としねぇ! 俺ぁダグってんだ! 旦那、名を、名を聞かせてくれよ!」
「ジン」
「愛してるぜ、ジンの旦那ぁ! 何かあったら俺を使ってくだせぇ! 裏の案内ならぜってぇ役に立ちますからよ!」
(旦那はよしてくれ……)
背後で沸き立つ酒場の喧騒を背に、俺は木戸を押し開けた。
陽は完全に落ち、路地には冷たい夜の帳が下りていた。
まずは安全な宿を確保するのが先決だ。俺は居住まいを正し、大通りの灯りを目指して足を踏み出した。
◇
路地裏から少し離れた廃屋の屋根の上で、羽を休める影が一つ。
「――くわばら、くわばら」
フードの奥で、鳥のような双眸が忙しなく瞬いた。
(あのボン、ただ者じゃないヨ。金の匂いにゃ敏いつもりだったけど、今回ばかりはあいつらには気の毒なカモだったのヨ)
懐に収めた報酬の重みを確かめ、ラニウスは小さく息をつく。自分とて人間相手に遅れを取るつもりはない。実際、遠くから見張っていた分には特に何も感じなかった。だが、あの一瞬、視界に入れられただけで本能が早く逃げろと叫んだ。
(義理立てはしたし、後のことは知らないネ。けど、あいつらが殺された日にゃ、オイラに疑いがかかっちまうこともありうるネ。万が一にも人間に牙立てたなんて、女王様の耳にでも入ってみるネ。オイラの首、鳥かごに逆戻りどころじゃ済まねぇヨ)
牢を抜け出し、山を越え谷を越え、ようやく拾った命だ。誰かを害してまで守るような義理は、どこにも持ち合わせていない。
「……もうこの町は離れたほうが賢明だネ」
ただ懐を肥やし、日銭を稼ぎ、目立たず生きる。それだけで十分だった。
夜風に紛れ、影はもう一度羽ばたくと、灯りの少ない路地の奥へと姿を消していった。
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