深夜の秘密特訓と、距離感ゼロの反省会
時計の針が深夜十二時を回ったことを告げるように、スマートフォンの画面が一瞬だけ明るく点灯した。
結城八重の部屋は、デスクに並んだ二枚の大型モニターから溢れる青白い光と、部屋の隅に置かれたスタンドライトの暖色系の灯りが混ざり合い、どこか幻想的で、それでいて密室感の強い独特な雰囲気に包まれていた。
昼間の「学校」という公の場での緊張感。
そして「放課後の資料室」という密会のスリル。
それらをすべて通り抜けた後に辿り着くこの部屋は、俺たち二人にとって、世界で一番安全で、そして一番危険な「領域」だった。
「ねえ、〇〇くん……」
膝の上に頭を乗せたまま、八重がふわりと身を翻す。
仰向けになった彼女の瞳が、至近距離で俺を捕らえた。
前髪の隙間から覗くその瞳は、昼間の「暗いボッチ女子」の面影など微塵もなく、熱を帯びた潤いを宿している。
「……なぁに? 八重」
「さっきの配信のアーカイブ……一緒に見直さない?」
「アーカイブ? もう十二時過ぎてるぞ。明日も学校だし、そろそろ寝ないと……」
「やだ。……今日はまだ、〇〇くん不足だもん」
八重はぐっと腕を伸ばすと、俺の首元に手を回し、そのまま自分の体の方へと引き寄せてきた。
不意を突かれて体勢を崩した俺は、肘をついてなんとか彼女の上に覆いかぶさるのを防いだものの、顔と顔の距離はわずか数センチ。吐息が互いの唇をかすめるほど近くなった。
「っ……八重、近いって……!」
「いいじゃん。部屋なんだし、配信も終わったんだから……。今の私は『アリス』じゃなくて、〇〇くんだけの『八重』なの」
そう言って、彼女は満足そうに口元を綻ばせた。
画面の向こうで何万人ものリスナーを虜にしている「高嶺の花」なVTuberが、今、俺の胸の中で甘えるように身を寄せてくる。この現実のギャップに、胸が締め付けられるような愛おしさが込み上げてくる。
「……で、どの場面を見直すんだ?」
俺が覚悟を決めて尋ねると、八重は悪戯っぽく笑いながら、デスクの上のマウスに手を伸ばし、モニターの画面を操作した。
「ここ。……配信開始から十五分くらいのところ」
再生されたのは、今日のアリスの雑談配信だ。
画面の中のアリス(Live2Dモデル)は、愛らしい笑顔でリスナーからのコメントに答えている。
『アリスちゃん、今日の放課後はなにしてたの?』
画面に流れたリスナーのコメントを読み上げたアリスは、一瞬だけ言葉に詰まり、ほんの少しだけ頬を染めてこう答えていた。
『ええとね……放課後は、ちょっと秘密の“お手伝い”をしてたの。……私のことを一番理解してくれる助手くんと一緒に、秘密の作戦会議……かな?』
——その瞬間、チャット欄は大荒れ。「助手くんって誰!?」「スパチャ組のあいつか!?」「ずるい!」といったコメントが滝のように流れていた。
「……これ、配信で聞いた時もヒヤヒヤしたんだけど」
俺が苦笑いしながら言うと、八重は俺の膝に顔を埋めながら、ボソボソと呟いた。
「だって……本当のことだもん。私、嘘はついてないよ?」
「嘘はついてないけど! 身バレの危険度が高すぎるだろ。クラスの奴らに聞かれたらどうするんだよ」
「大丈夫だよ。クラスの誰も、あの『陰キャの結城八重』が、画面の中でこんなこと言ってるなんて思わないから」
八重は起き上がると、俺の真横にぴったりと体を寄せて座り直した。
肩と肩が触れ合い、彼女の体温がダイレクトに伝わってくる。
「それにね……。配信中、〇〇くんが『今日もアリスちゃん最高!』ってスパチャ投げてくれたでしょ?」
「ああ、投げたけど……」
「あの時、画面の向こうでね……本当は飛び跳ねたいくらい嬉しかったの。『目の前にいるのに、わざわざスパチャまでくれて、私のこと見ててくれてる』って思ったら……胸がキュッとなって、声が震えそうになっちゃって……」
八重は自分の胸元をギュッと握りしめながら、耳まで真っ赤にして告白した。
「だから……これはそのお礼」
「お礼?」
「うん。……目を閉じて」
言われるがままに俺が目を閉じると、ふわりと甘いシャンプーの香りが近づき、次の瞬間——額に、柔らかく温かい感触が触れた。
チュッ、と小さく控えめな音が、静かな部屋に響く。
「……っ!?」
驚いて目を開けると、八重は真っ赤になった顔を両手で覆い、身を縮めていた。
「……これ、スパチャの『お返し』。……配信ではリスナーみんなに『ありがとう』って言うけど、こういう特別なのは……〇〇くんだけにしか、しないんだからね」
照れくさそうに、でもどこか誇らしげに俺を見つめてくる彼女。
学校での静かな姿、配信での華やかな姿、そして今、俺の目の前で見せる無防備で甘々な姿。
そのすべてのギャップが、俺の理性を優しく、そして確実に溶かしていく。
「……八重、ずるすぎる」
「ふふ、なんとでも言って? 明日の放課後も……資料室の鍵、ちゃんと締めて待ってるからね」
窓の外では夜が深まり、静寂がふたりを優しく包み込んでいた。
誰にも言えない秘密の関係は、夜が更けるとともに、さらに甘く、切なく深まっていくのだった——。




