その3 「兄妹編」 最終話:あの頃のすれ違い
翌朝、朝食を終えた後、午前十時半になると、玄関のチャイムが時間通りに鳴った。正人、由美子、颯の三人は、雪と結ちゃんとの別れを惜しみながらも、彼女たちが別の時空の人間である以上、約束通り自分たちの場所へ戻らねばならないことを理解していた。だからこそ、永遠の別れになるかもしれないという悲しみを必死に押し殺し、無理に笑顔を作って、相手が晴れやかな気持ちで帰れるようにと努めた。せめてもの最後の再会が、良い思い出となるように。
別れ際、颯は妹の手を引き、『名探偵デブ子』第1巻の単行本を手渡し、さらに自分の病院の職員証も差し出して言った。
「この漫画を義弟に渡して、もう一度頑張れって励ましてくれ。彼ならきっと成功するから。それと、この職員証をあっちの父さんと母さんに渡してほしい。俺はこっちで元気にやっているって伝えてくれ。父さんは信じないかもしれないけど、こう伝えてほしい:『父さん、すみません。日本初の宇宙飛行士になるって約束したけど、叶えられませんでした。代わりに小児科医になりました』って。これは俺と父さんだけの秘密の約束だから、父さんはそれを聞けば本当に俺だって分かるはずだ」
雪は漫画と職員証を受け取り、何も言わずに振り返って立ち去ろうとした。口を開けば泣き出してしまいそうだったからだ。何しろ今回の別れが、兄に会える最後の機会になるかもしれないのだから。
だが颯は再び彼女を呼び止めて言った。
「義弟が成功したら、あの外国人女性のサービスに1000万円を払って、俺をお前たちの時空に連れて行ってくれないか? そうすれば俺もお前や結ちゃん、そしてあっちの両親に会えるだろ? もちろん、直接父さんに金を出してもらう手もあるけど、俺の提案の方がいいと思わないか?」
「健二はきっと成功するわ。だから、いつか彼女があなたを迎えに行くのを待っていてね!」
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「雪、俺が出張してる間、お前は結ちゃんを連れて友達の家に遊びに行ったんだろ? 楽しかったか?」夫の佐藤健二が尋ねた。
「あなた、実はね、友達の家に行ってたんじゃないの。実は……」
彼女は、この丸一日に起きた全ての出来事を、ありのまま夫に打ち明けた。
「そんなことあり得るのか? あまりにもすごすぎるだろ!」
浜田雪、いや正確には佐藤雪は、『名探偵デブ子』の単行本を夫の手に渡した。
健二が何気なくそれをめくると、突然大声を上げて言った。
「これはどういうことだ? この話は俺がずっと構想していながら描く時間がなかったものだぞ。なのに単行本になってる?」
彼は表紙をめくり、作者名が自分のペンネーム「健2」であることを確認すると、妻を見つめて言葉を失った。
「あなたはもう一つの時空では、漫画に専念できたから成功したの。単行本は15巻出て、アニメ化もされて、累計売上は200万部を超えたんだって。ごめんなさい、私があなたの足を引っ張ってたんだわ」
「お前、勘違いしてるぞ。俺が言いたかったのは、確かに俺のストーリーだけど、こんなに下手くそな絵でよく単行本が出せたな、しかもアニメ化もされたなんてってことだよ! 雪、こうしよう。お前が背景を描いてくれないか? この『名探偵デブ子』のストーリーで、もう一度連載に挑戦してみよう。どう思う?」
雪は一歩踏み出し、夫を強く抱きしめた。自分と同じ趣味を持つこの男と出会えたことを心から嬉しく思い、そして自分は間違った選択をしていなかったと確信した。
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一週間後、健二は数晩かけて描いた漫画のネームを持って、妻と娘を連れて、一度も会ったことのない義父母を訪ねた。彼は、もう一つの時空で成功したこの作品で義父の心を動かし、自分を娘婿として認めてもらいたいと考えていた。
雪は事前に母親に連絡を入れていたが、何年も会っていなかった両親に、今さら夫と娘を連れて訪ねるのはどうしても気まずかった。しかし、来てしまった以上は仕方がないと、意を決して玄関のチャイムを押した。
浜田正人は約束の時間の十五分前からドアの後ろに立って待ち、時折ドアスコープを覗いて娘一家が来たかどうかを確認していた。午前11時ちょうど、チャイムが鳴り、ドアスコープで娘だと確認した。しかし、その視線は娘の隣に立つ男性が抱えた小さな女の子に釘付けになった。すぐにドアを開けたい衝動に駆られたが、長年の職業柄、電話は15秒以上鳴らせてから取るという変な癖がついてしまっていた。彼は心の中で1から数え始め、15になった瞬間、待ちきれずにドアを開けた。
健二の腕に抱かれた結ちゃんは、見覚えのあるおじいちゃんを見つけると、大声で「おじいちゃん!」と叫び、両手を伸ばして抱っこをねだった。
浜田正人は多くの挨拶言葉を用意していたが、初対面の孫娘が一目で自分がおじいちゃんと見抜いたことに感動し、台本通りにはいかず、すぐに結ちゃんを抱き上げ、娘とその夫を家の中に招き入れた。
屋内で、健二は義父がご機嫌なうちに、自分の漫画のネームを差し出し、評価してほしいと頼んだ。浜田正人は孫の結ちゃんがとても気に入っていたが、自分の娘を奪ったこの男に対してはどうしてもわだかまりがあり、適当に「後で見るよ」と流そうとした。
しかし結ちゃんは非常に賢く、すかさず応援に回り、「おじいちゃん、見て見て! パパ、何晩もかけて描いたんだよ!」と言った。
正人は孫娘の口車に乗せられ、しぶしぶネームを手に取り、適当に1、2ページ読んでおこうと思った。ところが、予想に反して彼が最初に置いたのは孫娘の方だった。そして2ページだけのつもりが、気づけば20ページ以上も読み続け、その間に何度も思わず笑い声が漏れた。
最後には60ページ以上あるネームを一気に読み終え、顔を上げて佐藤健二に尋ねた。
「本当にお前が描いたのか? ストーリーもお前が考えたのか?」
「はい、お義父さん……お義父さんとお呼びしてもよろしいでしょうか? それとも浜田さんとお呼びすべきでしょうか?」
「お前は俺の娘の夫だ。もちろん『お義父さん』と呼べ!」
「はい、はい、お義父さん。この漫画は私が考えて描きました。これから雪と一緒に連載に挑戦します。彼女は背景を手伝ってくれます」
投資の世界で長年戦ってきた浜田正人は、クライアントの中に何人かの有名漫画家がおり、ファンドの投資先にも漫画出版社の株がいくつか含まれていたため、自身はあまり漫画を読まないものの、漫画の潜在的な価値はよく分かっていた。同時に、株を買う最良のタイミングは、誰もその会社の可能性に気づいておらず、株価が低い位置にある時だということも知っていた。そこで彼は、婿の作品を読み終え、数秒間考えた末、毅然として「買い」の判断を下し、言った。
「それならお前たちは娘を私たちに預けて、創作活動により多くの時間を割きなさい。やるからには、全力でやるんだぞ。分かったな?」
義父の支援を得られたことに、佐藤健二は大いに喜び、義父母の力添えに何度も感謝した。
夕食時、雪はあの時空を超えた出来事を、両親に包み隠さず話した。
「お前たちは漫画の創作をやっているとはいえ、それはさすがに大げさすぎるじゃないかい!」と浜田正人は笑いながら言った。
佐藤雪はバッグから兄の病院職員証を取り出し、父親に手渡して言った。
「お兄ちゃんがこれを渡してほしいって。それと、『父さん、すみません。日本初の宇宙飛行士になるって約束したけど、叶えられませんでした。代わりに小児科医になりました』って伝えてくれって。お兄ちゃんは、これを聞けば本当に自分だと分かるって言ってたわ。」
浜田正人は手にした身分証を見つめ、そこに貼られた写真に目をやり、そして娘の言葉を聞いた。もう一つの時空で、自分の息子が確かに生きていて、学業を成し遂げて小児科医になっていることを知った。一気に込み上げてきた感情の高ぶりに、彼は職員証を握りしめて泣き出してしまい、そして言った。
「……お……俺、彼に会うことはできるだろうか……?」
雪は自分のスマホを取り出し、アルバムを開いてあの家族写真を両親に見せながら言った。
「お父さん、お母さん、少しだけ時間をちょうだい。私と健二でお兄ちゃんを連れて会いにくるから」
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食後、正人は娘を脇に呼び寄せて言った。
「ずっとお前に言いたかったことがあるんだ。ついて来てくれるかい?」
雪は父親について両親の部屋に入った。正人はクローゼットからあの色鉛筆の箱を取り出して言った。
「さっきお前が言ってたこの色鉛筆だが、実はずっと大切に保管していて、お前に渡す機会を待っていたんだ。ただ、取り出すたびに颯のことを思い出してしまって、結局ずっとクローゼットにしまったままにしていたんだ。捨てるにも忍びなく、向き合うにも怖くてね。今さらお前に渡しても、もう遅すぎるかもしれないが」
雪は即座に言った。
「もちろん遅くなんかないよ! 結ちゃんもそろそろお絵かきを覚える頃だし、この色鉛筆はちょうどいいタイミングだよ。ありがとう、お父さん!」
浜田正人は続けた。
「それと、あの頃お前が美術学校に行きたいと言った時、俺が『ダメだ』と言ったのは、『あの』美術学校が良くなかっただけで、美術学校に行くこと自体を否定したわけじゃないんだ。実は当時、俺もお前のためにいろいろ調べていて、ヨーロッパ留学の情報まで集めていたんだ。世界で一番いい美術学校に行かせてやりたいと思っていたんだよ。まさかこんな誤解が原因で、お前との関係が壊れてしまうとは思わなかった。お前が結局どの美術学校にも行かなかったのは、俺のせいだ。すまなかった」
佐藤雪は慌てて言った。
「違うよ、違うの。世界で一番いい美術学校に行けなくたっていいんだ。だって私には、世界で一番いいお父さんがいるんだから。そう思わない?」
父と娘は見つめ合い、そして大笑いした。この一笑が、長年にわたる誤解を洗い流し、ようやく二人の絆を再び築き直すきっかけとなったのだった。
(完)





