祖母の死
沙巳子の祖母の死はあっけないぐらいだった。
早朝、沙巳子が目を覚ました時には、祖母は布団の中で冷たくなって亡くなっていた。
顔には苦痛の色が一切なく、眠りながらそのまま息を引き取ったのだろうと呼び出された医者は言っていた。
それから、通夜と葬式の支度が始まったが、用意周到な彼女の祖母は自分の生前にほぼ準備を整えていて、業者と弁護士、坊主が手配済みだったこともあり、沙巳子がぼうっとしているあいだにすべての手配が済んでいた。
祖母危篤の知らせを受け屋敷に集まっていた親戚たちも、ちょっと前までの諍いを棚上げして、支度に没頭してくれていた。
女子高生に法事をすべて押し付けることはさすがに気が引けたのだろう。
おかげで沙巳子は、親戚の女衆に促されるままに、特に何もすることなく通夜の席に座っていた。
次々とやってくる祖母の知り合いたちや地元の人々に挨拶をすることだけが、彼女の仕事だった。
誰も彼も、一人になった唯一の孫娘のことを祖母がずっと大切にしていたということを語ってくれた。
その言葉を沙巳子は頭を下げつつうつむきながら聞いていた。
実感がなく、祖母が亡くなって二度と会えないという事実を噛み締めることはまだできていなかったが、それでも寂しいという感情だけは抱いていた。
祖母は死んでしまったのだ。
二ヶ月前に沙巳子が全国大会で活躍したのを喜んでくれた祖母のことを思い出すと辛くなる。
お祖母ちゃんの笑顔が恋しい。
でも、もう彼女を庇護してくれるものはいないのだ。
「お祖母ちゃん……」
小学五年生の時に、事故で両親が他界してからずっと育ててきてくれた祖母だった。
すでに高齢の祖母の健康を考え、施設に送られるという案もあったが、本家の刀自である祖母のつるの一言でこの屋敷に引き取られることになった。
それまでにも良く顔を見せていたこともあり、二人だけになっても祖母と沙巳子はいい関係を築けていた。
料理の仕方や洗濯、掃除、その他の家事全般を仕込んでくれたのも祖母だった。
困ったときに助けてくれたのも祖母だった。
両親が死んで泣いているときにずっとそばにいてくれたのも祖母だった。
そして、高校生の女の子のものとは思えない莫大な財産を残してくれたのも祖母だった。
この財産についてだけは、迷惑なところもあったが。
彼女自身は、ほぼ全て弁護士と公認会計士に委任してしまっているが、これから少しずつ勉強して遺産を適正に運営しなくてはならないかと思うと憂鬱だった。
彼女には奥多摩にある幾つもの山の地権と有価証券、現金、そしてこの屋敷が遺されることになったのだが、お金があるところには当然それによってくる汚い連中もいる。
年端もいかない女の子が相続人だと思ってそのおこぼれに与ろうとする連中が、祖母が危篤状態になった途端に押し寄せてきたのだ。
すでに一週間以上の長逗留をしているものもいた。
全員が沙巳子よりも年長で人生経験も豊富なことから、彼女は自宅で非常に窮屈な思いをしていた。
彼らのせいで、普段なら使わない自家発電装置を使わなくてはならないこともあり、全てが終わったら屋根の上の太陽光発電装置の手入れをお願いする必要があるだろう。
水も電気もガスも電話線もほとんどない、勢多の屋敷はライフラインを確保するのも一苦労だというのに。
身勝手な人たち。
その中の一人が、大きな声で玄関先で喚いているのが聞こえてきた。
「だから、俺だって親戚じゃねえか! 婆さんに最後の挨拶ぐらいさせてくれよ!」
「やかましい。さっさと出てけ、この穀潰しが!」
「何抜かしてやがる。てめえらだって、大した変わらねえ守銭奴じゃねえか!」
「なんだと!」
「餓鬼をダシにしておこぼれを貰う気なんだろ、クズどもが!」
祖母の遺体が安置されている奥の居室にまでは届かないが、それでも多くの弔問客が訪れている大広間には聞こえてきている。
何人かは好奇心に満ちた顔をしていた。
おそらくは、親戚たちによる突然の修羅場について野次馬根性を発揮しているのだろう。
沙巳子は、祖母を見送る式を邪魔されたくないこともあり、玄関の方に向かった。
そこにいたのは、祖母の妹の息子にあたる人物だった。
(……えっと、貴志さんだったっけ)
記憶を探ると、少し前に挨拶をしたことがある。
他の親族と一緒に、祖母の危篤時に屋敷に来たのだが、彼とその妻だけはすぐに帰ってしまったのでまともに口を利いたこともない。
ただ、アイロンのかかっていないシャツと腰周りがあってないからかブカブカのズボンをだらしなく刷いた中年男性で、女子高生の彼女からすれば相手にしたくないオジサンというイメージしかなかった。
とりあえず、冠婚葬祭ということで黒いパンツとネクタイをしているが、どうにも雑な着こなしをしているせいで不審人物に見える。
髪にほとんど櫛が入っていないのも不潔としか思えない。
対応をしているのは父の従兄弟に当たる人物だったが、噛み付かんばかりの貴志と真っ向から罵り合っていた。
顔が真っ赤になっているのは、おそらく貴志の偏見的な侮辱が必ずしも的外れではないことの証明だろう。
人は図星を差されることを嫌うものだ。
「……すいません、どうしたのですか?」
声をかけようとした沙巳子の腕が乱暴に引かれた。
引いた相手は、親族関係はないが小さい頃から彼女の面倒を見てくれていた麓にある家のおばさんだった。
すぐに口論し合う二人からは死角になる位置に引っ張り込まれる。
「サミちゃん、出て行かない方がいいよ」
「どうしてですか? 他のお客様の迷惑になっちゃう」
「あいつらは、結局、お里さんの遺した金が目当ての連中なんだ。あんたが出てくと、鴨がネギしょって行くみたいなもんだ。絡まれて話がややこしくなる。どっちかが負けて一段落ついてからのほうがいい」
「でも、殴り合いになったりしたら」
「それこそ、そのあたりの男衆が止めに入るさ。うちの宿六だって様子を見ているしね」
「おばさん……」
「確かにお里さんのお見送りの席でこんな騒ぎが起きるのは放っておきたくないけど、あんたはこれからあんな連中と渡り合わなくちゃならないんだ。もっと要領良くなってうまく世間を渡らなくちゃ」
おばさんは、沙巳子の肩を掴み、噛んで含めるように言った。
「気をしっかりお持ち。これからはあんな連中なんて比べ物にならない事件が起きるかもしれない。その時にあんたを助けるのは、強い気持ちだけだよ。女は頑強でなくちゃならないよ」
余所余所しい親戚のものとは違う、熱い言葉をかけられたことで、目元に涙が滲んだ。
お祖母ちゃんのためにもしっかりしなくちゃならない。
簡単なお礼を言うと、泣きそうな自分を誰にも見せないように自室に向かった。
少しぐらいなら泣いてもいいだろう。
涙が止まったら、麓のおばさんの家に行って電話を借りよう。
そして、小夏ちゃんやひかりちゃんの声を聞こう。
うん、そうしよう。




