女為朝とその親友たち
女為朝。
それが夏木小夏の二つ名だった。
源為朝は、平安時代末期の武将であり、保元の乱で後白河天皇と争った源為義の八男。
弓の名手として知られていることから、弓道の全国大会で準優勝した彼女にとっては、ある意味名誉な二つ名といえる。
もっとも、小夏自身はその異名が好きではなく、「同じ弓の名人繋がりなら、女与一のほうがいい」と主張したのだが、親友たちも部活の仲間たちもこぞってその提案を却下した。
親友である尾野屋ひかり曰く、
「あんたの射は、『よっぴいてひょうと放つ』ってイメージじゃないのよね。どちらかというと、『ギギギギ、ズドン』って効果音がする感じ。だから、為朝なのよ」
為朝のエピソードには、「昔は矢一つにて鎧武者二人を射通しけり」というものがあり、一本の矢で一人の体を貫き、後ろの一人の鎧の袖に突き立てたという無双の剛弓の使い手として知られている。
また、七尺(2m10cm)の身の丈に加え、左腕が右腕より12cm長いという弓引きに適した体躯を持ち、傍若無人な暴れん坊で、九州で暴れ、保元の乱で暴れ、島流し先の伊豆でも暴れ回り、史上初めて切腹自殺を行ったとも言われている。
ちなみに滝沢馬琴の作品にも登場し、矢で船を沈めるという怪物扱いをされている。
うら若き乙女としては、決して一緒にして欲しくない偉人なのだが、いかんせん誰もこの件では彼女の味方になってはくれなかった。
部活の先輩、後輩、顧問、たまに対抗戦をする他校の生徒、どいつもこいつも女為朝の二つ名を良しとしたのだ。
ひかり以外のもう一人の親友も、「うーん、小夏ちゃんは雄々しいタイプだからぴったりだね」とさりげなく敵に回ってしまっていた。
弓道を嗜んでいる女子はその所作の美しさから、凛々しいと称されることがあるものだが、雄々しいとまで表現されるのは小夏だけだった。
夏の全国高等学校総合体育大会で彼女の上に立った優勝者は、その凛々しさから巴御前の再来と謳われているというのに。
それ以来、小夏はそのありがたくない二つ名で呼ばれ続けている。
もっとも、普段の彼女はごく普通の女子高生でもあるので、ごく普通のあだ名というのもあり、それには満足している。
「ねえ、ナッツー。今度の連休、泊まりに行っていい?」
昼休みにサンドイッチを頬張りながら、ひかりが不意に提案をした。
口に物が入っている状態なので少々不明瞭であったが、言いたいことの内容は伝わってきた。
ひかりは、長めの茶髪をいわゆるゆるふわなカールにして垂らして、おしゃれに常に気を使っているのが見える今時の少女という見た目である。
三人の中では最も女っぽい可愛らしい容姿の持ち主であるが、性格にきつい面がある上、大部分の男子のことを嫌っているからか、異性にモテるということはほとんどない。
可愛いのにもったいない、と友人たちは言うけれど、ひかりにとっては裏に落書きをしまくった広告紙を捨てるぐらいにどうでもいいことだった。
少女特有の結婚願望もまったくないほどであった。
「私は別にいいけど。……ひかり、何かあったの?」
「ん、まあね。ちょっと家にいたくないんだ」
「……お父さんのこと?」
「うん。まあ、そんな感じ。ナッツーの家には迷惑かけないから」
「別に構わないよ。三年生になってから、あんまりお泊りすることもなかったしね。あとでお母さんたちにも話ししておくから」
「サンキュー」
そこで、二人の会話を黙って聞いていたもう一人の親友が口を挟んできた。
「……わたしも行っていい?」
「何を言ってんの。サミも当然一緒に決まっているじゃない。まずは寝床を確保したかったから、ナッツーの許可を優先しただけ。だから、サミもお祖母さんに断っておきなさいよ。次の連休にお泊りしますって」
サミ――勢多沙巳子は嬉しそうにはにかんだ。
やや長めのボブカットの黒髪と大きな瞳が印象的な少女であった。
童顔なため弓道部の後輩といつも間違われる。
他の二人に比べたら圧倒的に地味なタイプだが、他の二人の個性が異性受けしないのとは反対に、男子にとっては守ってあげたい系の女の子であるためか、最も高い人気がある。
似通った個性はないが、入学時からの付き合いであり、同じクラスになった二年生から常に三人は一緒に行動を共にしていた。
沙巳子は、仲良し三人組の中で仲間はずれにされることはないと知っていても、少しだけ不安を感じていたことに、ひかりがわざわざフォローしてくれたことが嬉しかった。
ひかりは少し伝法なところがあるが、姉御肌で気配りを欠かさない優しい友達だった。
だが、沙巳子の表情が一瞬にして曇る。
「でも、多分、わたしは行けないかも」
「どうして?」
「お祖母ちゃんが、ちょっと体調を崩しちゃって。泊まりに行くのは無理だと思う」
「看病しなきゃならないんだ?」
「ううん、わたしが直接看病することはないの。通いの看護師さんが来てくれているから。……今、親戚の叔父さんたちがうちに来ているの。むしろ、そっちの方がちょっと大変かな」
目を伏せて、コンビニ弁当を突っつき始めた沙巳子の何やら落ち込んだ様子に、小夏が声をかけた。
元々内向的な性質であることは承知していたが、ここまで塞ぎ込む姿は見たことがないので心配になったのだ。
この点、小夏はひかりよりもさらに細やかで優しい性格の持ち主であるのだ。
小夏は、手入れをするのが大変なベリーショートの髪型で、すらりとした四肢を持ち、スタイルの良さでは校内でも一二を争っている美少女だ。
切れ長の双眸とやや尖り気味の顎の形が、鋭利な刃物を思わせるが、美貌というほどではないが整った顔のおかげで彫刻のような美人と認識されている。
初対面の相手にはたまに少年と勘違いされるのが玉に瑕であるが。
「……沙巳子さんが大変なら、私も何か手伝おうか。お弁当を作ったりとか」
そもそも沙巳子がコンビニ弁当を食べ始めた時点で、小夏は変に思っていたのだ。
普段は自作のお弁当を用意する女の子が、コンビニ弁当なんかを用意していることが珍しかった。
それが昨日今日と、二日も続いているのだから。
今の話でわかったことは、朝に自分で弁当を作るほどの時間もないようだということだった。
そして、苦労している友達にできることで小夏に思いつくものは、彼女の代わりにお弁当を作ってあげるということだけだった。
ちなみに小夏の食べている弁当は彼女自身のお手製だ。
女為朝や彫刻美人のイメージにはそぐわないが、彼女の趣味は料理を作ることであった。
週末に母親とともに作って冷凍しておいたシューマイを中温で揚げたシューマイ、きゅうりとトマトを飾り、しらすとでんぶと梅干をのせたご飯というものだった。
バナナが二本ついているのは、デザートというか午後の体育のために腹持ちをよくするためだ。
自分で作ることが身についているため、コンビニの甘辛い中庸な味の弁当等は舌に合わない。
「大丈夫。今、うちに十人ぐらいの親戚の人たちがいるから、色々と気疲れしちゃっているだけだから。家事とかは叔母さんたちがしてくれているんで、わたしのすることはあまりないぐらいなんだ」
「……でも、ナッツーの言うのももっともではあるよ。疲れている時にコンビニ弁当ばっかりだと身体がもたないからさ。――そうだ、ナッツー、明日からサミの分も作ってあげてきなよ」
「いいって、ひかりちゃん。小夏ちゃんも、気持ちだけで嬉しいよ」
「やかましい。友達の身体を気遣うことは当たり前だし、そのために何かをすることも当然よ。反論は許さないわ」
ひかりがこのように断言してしまうとそれは並大抵では覆らないことを知っている親友二人は、互いに視線を交わしてから肩をすくめ合った。
ある意味でお節介であり、人の迷惑を考えないひかりだが、その真意にある温かいものを感じ取れる限り、彼女の好意を無駄にすることはしたくない。
だからこそ、小夏も沙巳子も、ひかりの指図をありがたく受けることにした。
「もし、お祖母さんの具合が良くなるようだったら、サミも今度の連休は一緒にお泊まりだからね」
とりあえず、自分の都合も忘れないところが彼女らしい点ではあったが。