序章
地面すれすれを何か光るものが這っている。
男が目を凝らすと、それは黄緑色に輝くまるでネオンのような曇った光だった。
それが地面を這い進んでいる。
彼の方に向かって。
男は後ずさるが、それ以上はいけない。
ここが山道ということもあり、気軽に道から逸れていくことはできない。
崖がないとも限らないのだ。
それに暗すぎる。
確かに月明かりは十分にあるが、足元までを完全に照らしている訳ではない。
木々の陰となり、草や葉が生い茂っているせいで、自分がさっきまで歩いていた山道でさえもどこにあるのか定かでない。
屋敷から出る際に、懐中電灯をしっかりと持ってくればよかったと後悔した。
だが、それよりもあの光だ。
しゃかしゃかとリズミカルな耳障りな音がするたびに、あの奇妙な光がこちらに近づいてくる。
しかも、あの光が見えるのは草よりも下。
彼の膝よりも下のあたりなのだ。
何が蠢いているのか。
わからない。
接近してくる光を避けるように移動するが、さっき同様に足元が不明なせいで満足に進むこともかなわない。
しかし、本能が叫ぶ。
早くこの場から立ち去らないとまずいことになると。
男は転げそうになりながらも闇の中を歩む。
不覚にも転んでしまった。
すぐに起き上がろうとした時、さっきまでの光とは逆、自分の進行方向に似た光が輝いているのが見えた。
しかも、それは座り込んでしまっていた彼の目線よりも高い位置だった。
黒い棒のような影が退路を塞いでいるのだと気づいたが、それがなんなのかはわからない。
ただ、カシャカシャと硬いものが無数に擦り合うような気持ちの悪い音だけが響き渡った。
見上げると、影の高さは二メートル以上。彼の身長を遥かに越している。
そして、その先端には丸く大きな何かが付いていた。
そこから伸びる二本のアンテナめいた棒状のもの。
影がそれほどと比べ物にならないぐらい派手に音を鳴らし出すと、彼の背中からも同じ奇怪なリズムが流れ出す。
「……なんだよ、これは……」
男は自分が影に挟み込まれたことを知った。
だからといって何かが出来るわけではない。
むしろ、動いてはいけないのかもしれない。
「ちょっと待て……」
男は影を拒絶した。
しかし、それは許されなかった。
後方から男の両肩を何かが叩き、まるで包み込むかのように、頭と背中が押さえ込まれる。
悲鳴が上がった。
後ろから彼を抱え込んだ丸いものが彼の喉元をひきつけ、覆いかぶさったのだ。
今まで感じたことのない激痛が首筋を襲う。
何かが破れた喉から注ぎ込まれていくのを男は絶叫とともに感じていた。
男の身体が意思に反してぐったりしていくと、背中から覆いかぶさったものはそのまま倒れこむ。
肉体はすでに一切の反応をなくしていた。
ただ首から上だけが鮮明に状況を伝えている。
鼻腔から伝わる草の匂いが不快だった。
土の臭いもするからだ。
目が見えなくなっていく。
麻酔を受けたのかのように眠くなっていくのに、首筋あたりの激痛は止むことがない。
男は自分が食われていることを知った。
それなのに狂うこともできない。
狂ったとしてもどうすることもできない。
発狂していたとしても意識を持ったまま、何物かに食べられてしまうのならば、なんの救いにもならないのだから。
男は自分が捕食されたことを知った。
ただ一つ知らないことは、明日の朝には残った腕の一本に至るまで、捕食者に食い尽くされ、彼の血とわずかな肉片しか残らないという結果だけであった。




