開戦前夜
死体を確認した後、3人は一言も話さなかった。食事中に会話を切り出す者もいない。ケン自身は自分が話し出すこと自体が罪のように考えていた。食器を台所に持っていき、洗い終えるとそのまま自室に戻った。
部屋に入ると頭の中でいろんな記憶が湧き出てくる。人を殺した感触、キュウの叱責、苦悶に歪んだ男の顔。頬には涙の跡がついていた。目を瞑るたびにその光景が甦ってくる。心臓の鼓動が大きくなり、次第に速くなる。落ち着いていられない。かといって、逃げ道もない。密室にいると心が追い詰められていく。額には汗がたまり、呼吸が速くなる。ケンは立ってはいられなくなり、膝をついた。
「ケン様、大丈夫ですか?」
扉の向こうからリュウさんの声が聞こえる。
「だ、だいじょ」
声が出せない。大丈夫ではないとここで初めて気がつく。その認識を確認してから、視界が暗くなり意識が飛んだ。
「ケン様、ケン様」
リュウさんの優しい声が聞こえる。男の声でこれほど癒されることは、そうそうない。目をゆっくり開くとケンはリュウさんの顔を見上げていた。
「リュウさん、、、」
「ケン様が過呼吸になられていたようなので、部屋に勝手に入ってしまいました。どうかお許しください」
「いえいえ、ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
後頭部に柔らかい感触を覚える。意識が朦朧としており、現状をなかなか把握できない。
「どうか今日はゆっくりしてください。気が済むまで私の膝枕をご堪能くださいませ」
「ん?膝枕?」
「ケン様の寝顔、とても可愛かったですぞ」
リュウさんが頬を赤らめている。表情に既視感があった。それが死体置き場で自分の裸体を見た時と頭の中で重なった時、ケンは急いで飛び起きた。
「あ、ありがとうございました!ほ、本当に助かりました。まだ体が汚れているので、おふ、お風呂に入ります。それでは!」
ケンは早口で礼を述べ、リュウさんの反応を待たずに風呂場に駆け込んだ。
湯船に浸かるとあの光景が頭から遠ざかっていく。木の匂いが鼻から入り、全て浄化されているのを感じる。最初から風呂場に行けばよかったと後悔するほど、癒されていた。リラックスしているケンの背後から音が聞こえた。
ガラガラガラ
扉を開ける音が聞こえる。まさかリュウさんが追ってきたのではないかと、ケンは体を硬直させる。後ろを振り返る勇気がない。今流れている汗はお風呂の暑さのせいなのか、冷や汗なのかもわからない。
「安心なさい。私よ」
初めてキュウの声を聞いて安堵した瞬間だった。
「なんだ、お前かよ。お前には羞恥心というものはないのか?一応、俺は男だぞ?」
「恥ずかしくないわ。何もやましいことはないもの。仮にあなたに襲われても私は勝つ自信があるわ」
「そういうことなのか?」
相変わらず、見事な裸体だ。鍛え上げられた肉体美はかくも美しいものなのだろうか。お腹や太もも、二の腕に無駄なお肉は一切ついていない。その分が全て胸に集まったのかと思わせるほどの強調っぷりだ。メリハリがついたキュウの体は歩く芸術品だ。
「ジロジロ見てるあなたの顔、ほんっとに情けない顔してるわよ」
汚物を見るような顔でそう吐き捨てると、キュウは湯船に入り、腕を組みながらそっぽを向いていた。浴室には湯が流れてくる音だけが響いている。自分の情けない顔を想像すると猛烈な自己嫌悪に襲われた。居心地が悪い。やはり今日は大人しく自分のやったことを反省して、寝床につこうとケンは湯船から出ようとしたところでキュウが口を開いた。
「あいつは死んで当然の男だったから。罪悪感を持つ必要はないわ」
神妙な面持ちでそう告げた。
「と言っても、あいつはお前の従兄弟なんだろう」
「そうよ。『だった』の。ソンが現れた時、みんなで追放しようとしたの。みんな弱みを握られて寝返ったけど、あいつだけは進んであいつに媚びに行ったの。西家の領民に麻薬をばら撒いたのもあいつ。今私たちが運んで、燃やしている死体はあいつのせいで亡くなった領民たちよ。それを知った時、あいつとは絶縁したわ。だから過去形なのよ」
口にする言葉と表情が真逆だった。突き放した表現をしているが、キュウは寂しそうな顔をしている。
「あいつとは付き合いとかはあったのか」
あまり聞かない方がいい話とはわかっているが、沈黙も耐え難い。
「一緒に弓の稽古をしていたわね。力が発現するとしたら、私か従兄弟だったの。お互いに切磋琢磨したわ。きつい稽古だったけど、励まし合っていた。私の3つ下だったから、あなたと同じ歳じゃない? 私が力を発現させてから、彼は変わったわ。それから私に強くあたるようになって、ひどい言葉を浴びせるようになったの。『女が弓を持って何になる。豚に真珠だ』とかね」
「ひどいな、それは」
「コンプレックスだったんでしょうね。ある意味、ソンはそこを突いたのかもね。現状打破には東家に気に入られるのはいいことだとでも思ったのでしょ」
いくつもの水滴がキュウの頬を伝わっていく。それが汗なのか涙なのか、推測するのは野暮だろうと考えて、ケンは水面に目を移した。
「あいつを殺したってことはもう後戻りできないわ」
キュウが突然、声を張りあげた。
「どういう意味だ」
「あいつがここに来ることはまずない。そんなあいつが弓であなたを攻撃した。それはつまり東家からの宣戦布告よ。私たちが繋がっていることを掴んでいる。そしてあなたはあいつを殺した」
「ってことは」
「そうよ。明日から戦争よ。もう逃げられないし、あなたを鍛え上げられない。明朝、あいつらの城に向かって出発するわ。あなたも覚悟を決めなさい」
「マジか」
そういうとキュウは立ち上がって、浴室の扉に向かって歩き始めた。後ろ姿を見ると最初にあった時に比べて髪が伸びていた。
「明日の戦いに備えて、髪は切らないのか」
興味本位で聞いてみた。覚悟を固めるときに、キュウの性格ならそういうことをしそうだなと期待した。
「いいえ、切らないわ。あなたに会った時に決めたの。目的を達成するまで髪は切らないと」
ケンはその言葉を聞いて胸が躍った。第10エリアのちっぽけな存在が人の心を動かしている。希望も何もない人生に今、光が差し込んでいると感じたのだ。
「いつもの顔に戻ったじゃない。ずっと落ち込んでいても意味はないからね。その顔で明日から戦うのよ。わかった!?」
「あぁ!」
ケンの心が燃えていた。
ーーこのエリアを絶対に救ってみせる。そして妹も助ける。ついにその戦いが始まる。誰でもかかってこい。
「あと一つ、言い忘れていたことがあったわ」
「なんだ?なんでも言ってくれ。出発前に懸念は取っ払っておきたいからな」
「このお風呂、私専用だから。あなたが入っているときに私が入ってくることに驚いているけど、逆だから。あなたが入っているのがおかしいの。男が入る風呂はこの部屋の反対にあるわ。あなたの問いをそのまま返すけど、今の話を聞いてあなたは羞恥心を感じるの」
「あぁ。恥ずかしい」
ケンはそういうと、ゆっくり湯船の中に顔を沈めていった。




