第一六三話 寂しくはない別れ
「うぅぅぅ……離れたくない、咲さんと別れたくないわよぉ…!」
「…………~!」
「いつまでそれやってるつもりだよ。咲が困惑してるから早く解放してやれ」
両親と咲の対面、それからほとんど丸一日が経過する頃合い。
少しずつ日も昇っていき、気が付けば正午にも迫る時間帯となってきていた。
となれば当然、そこに伴ってやってくる別れというのもあるもので……簡潔にまとめてしまうと真奈美と昭宗が家を出る時間がやってきてしまったのだ。
もちろん母がそのような状況になって大人しく帰っていくはずが無かった。
そろそろ家を出なければ、真奈美はともかく昭宗の仕事に支障が出てきてしまうはずなのだが……その上で、まだ咲と離れたくないなどと駄々をこねる始末。
現在の場は悠斗たちの自宅から離れて併設された駐車場。
父と母が行きの道で乗ってきたのだろう自家用車の目の前にて、何故かやたらと大騒ぎをしながら咲をこれでもかと抱きしめている真奈美の姿が見かけられるが、理由については語るまでもあるまい。
「だって…せっかくまたこうして会えたのに! ずっと楽しかったのに、ここまで来てお別れなんて残酷すぎるでしょう!」
「仕事なんだからどうしようもないだろ。今生の別れでもあるまいし」
「私にとってはそれくらい一大事ってことなの! あと悠斗、ドライすぎよ!」
「普通の反応だ。それより咲が苦しみ始めてるから早く手を離せ」
「へ? あっ、ごめんなさいね?」
「……~~……っ!!」
たった一日とはいえ、真奈美にとっても可愛くて仕方が無かっただろう相手である咲と過ごした時間を手放すのが惜しいと主張している。
その対象でもある咲張本人は、気づいているのかいないのか…母から力強い抱擁を受けたことで危うく窒息しかけていたが。
ギリギリのところで悠斗が指摘したので手遅れとなる前に胸の圧力からは解放されるも、母のうっかりで彼女を窮地に追いやるのは止めてほしい。
「でもでも…やっぱり寂しいの。咲さん、こうなったらいっそのこと私たちの職場付近まで一緒に行かない?」
「……!?」
「無茶言うな、咲も学校があるんだよ。…ほんと、父さんからも何とか言ってやってくれ」
「そうだねぇ。言ってあげたいのは山々だけど、僕も真奈美さんの気持ちは多少理解できるから強くは言えないかな。大小の違いはあっても、二人と離れるのは寂しいから」
「と、言ってもなぁ……あの様子じゃ永遠に咲から離れる気配がないんだが」
もうじき出発しなければいけない頃合いのはずなのだが、それにも関わらず真奈美が未練を断ち切る兆候はまるで感じられない。
頼みの綱である昭宗にもさりげなく手助けを求めてみるものの、母に対しては甘い対応を見せる父は今回も強くは出てくれず。
……と思っていたが、そう話した直後に穏やかな声色でそっと助力をしてくれた。
「──真奈美さん、もうそろそろ行かないといけない時間だ。名残惜しいけれど、あとの事は二人に任せよう」
「うぅ…昭宗さん。……そうね、そうよね。ちゃんとお別れはしないといけないものね」
それまで断固として別れる姿勢を見せなかった真奈美も、父の一言でどうにか飲み込みはしてくれたようだ。
きっと完全に納得まではしていないにしても、現状はそこまでしてもらえれば問題はないため悠斗も言及はせず。
何はともあれ、咲と悠斗。二人にとっても。
振り返ってみれば騒がしさにこそ満ちていたが温かな空気にも覆われていた気がする両親との、一時的な別れが訪れようとしていた。
「なら本当に、本当に悲しいけど……咲さん、昨日からとっても楽しかったわ! またいつか、ゆっくり一緒にお出かけしましょ!」
『それはこちらこそ。何から何までお世話になってしまって、真奈美さんには感謝しかありません。昭宗さんも、お忙しいのにありがとうございました』
「いやいや、感謝ならこちらが言わせてもらう方だよ。改めてにはなるけど、二日間も時間を取ってくれてありがとう。とても充実した時間だったよ」
「…………!」
まずは両親から咲へ。
とても短い時間でありはしたが、悠斗の家族と会うことを了承してくれた彼女に向けられたのは惜しみない感謝と礼の言葉。
始めは自分が果たして受け入れられるのかと緊張した面持ちを露わにしていた咲も、こうして終わってみれば最終的に得られた評価は疑いようもない信頼と好感である。
隣で見ていた悠斗もさして心配はしていなかったが…それでも、彼女の存在を親がここまで気に入ってくれたのなら今回直接顔を合わせた意味はおそらくあったのだろう。
「それから、親としてこんなことをお願いするのは間違っているんだろうけども……本羽さん。うちの悠斗のことを、これからもよろしくお願いします」
『……はい! 悠斗は私がちゃんと見て行きますので、安心してください!』
「はははっ、だったら良かった。…さて、本羽さんに伝えることはこれくらいかな」
「私はまだまだ言い足りない気分だったけど……まぁ、後々いっぱい連絡するから平気ね。お話したいことは山ほど残ってるから!」
「…くれぐれも咲に負担がかかり過ぎない範疇にしてくれよ」
「前向きに検討しておくわ」
「だから検討じゃなく断定をしてくれ」
最後に父から咲に向けて、自分たちの息子を頼むよう言葉を掛ければ──彼女は満面の笑みで応える。
その笑顔には一切の迷いも見て取れず、それこそ自分以外の誰にもこの役割は譲らないとの力強い決意をも感じさせるものだった。
よって、そうして咲との会話は一区切り。
残すところは悠斗だけだったが…そちらは彼女と比較すれば何ともあっさりと終わるものである。
「悠斗も、本羽さんとはしっかり向き合って過ごすようにね。あまりよそ見をしてしまうのは感心できないから」
「ん。仲良くしろとか、喧嘩するなとは言わないんだな。父さん」
「そりゃあね。一緒にいれば少なからずぶつかることはあるものだし、それ自体は悪いことでもないよ。ただ、大事なのは意見がぶつかった上でちゃんと相手を見てあげることだから、そこは徹底すること」
「……分かった、念頭に置いておく。帰りも気を付けてな。あとは一応母さんも」
「すごいオマケみたいな扱いをしてきたわね……随分生意気に育っちゃって。まぁ、私も咲さんを悲しませなければ言う事は無しだから。それだけは守りなさい」
「言われずともそうするつもりだよ。咲には常日頃から感謝しかないし」
「……!」
どちらかと言えば別れのやり取り云々というよりも生活上での心構えや忠告が多かった発言の数々は、それでも覚えておく価値があると考えさせられる重みを伴っている。
二人での衝突自体は悪でも何でもなく、大切なのはそれを踏まえた上でどう向き合うべきかと伝えてきた昭宗と、咲を悲しませることだけはするなと言い放ってきた真奈美。
無論、悠斗も両親の言う事に異論はない。
双方の伝えたい意図は指摘されるまでもなく実行していくつもりであったし、何より悠斗自身が日々の生活から咲にはしっかりと感謝を言うように心がけている。
この日常を円満なものとするためにも、重要なのは相手への尊敬と思いやりであると既に知っているからこそ。
「まぁそうは言っても、遠くない内にここにはまた帰ってくるつもりだからね。それまでは二人でトラブルなんかを起こさないように気を付けなさい」
「了解だよ。咲もそこは分かってるだろうし……なぁ?」
『もちろんです! 昭宗さんも真奈美さんも、帰りはお気をつけてください!』
「うん、ありがとう。さて、僕らも本当に行こうか」
「そうね。二人とも、体調には注意しなさいよ? 今の季節は特に崩しやすくなってきてるみたいだから」
「はいはい。母さんも元気でな」
「…………!」
そして両親も共に言いたいことは言い終えたからか。
この言葉を皮切りに車へと乗り込み、真奈美は最後まで惜しむ表情を崩すことは無かったが……遠く走り去っていく父と母の姿を、見えなくなるまで悠斗と咲も立ち尽くしていた。
「……行ったな。二人とも」
『うん。…やっぱり、こうなるとちょっと寂しいかも』
「そうだな。でもまぁ、長い別れってわけでもないんだから悲観することもないさ」
二人が去り、彼と彼女だけが取り残された駐車場。
しばらくは何となく会話をする気分でも無くて、呆然としていたがそれでも不思議と悲しいと悠斗は感じなかった。
「母さんの言う事じゃないけど連絡はいつでもできるんだし、案外すぐにまた帰ってくるかもしれないからな。そこまでは一旦また俺たちの時間になるってだけだよ」
『……そう言われれば、確かにそう。なら悠斗、今日の夜ご飯何がいい? せっかくだし、リクエストに応える』
「おっ、それは嬉しいな。だったら和食とか──…」
母の言葉を借りるわけでは無いが、やろうと思えば親といつでも連絡を取り合うことは出来る。
また会おうと思えば向こうまで出向くことも不可能ではない。
その事実があるからこそ悠斗は特段寂しいとは感じなかったし、それに何より……今はすぐ傍に、咲もいる。
他の誰よりも愛しい彼女がいてくれるからこそ、この一時的な別れを悲しいことであるとは思わず彼らは彼らの日常に戻って行った。
今晩の夕食に思いを馳せているのか、ムンッと気合いを入れる少女の傍らを歩く悠斗の表情もまた、明るい感情で満たされていたのは疑いようもなかった。




