後編
――帰り道、僕は依馬さんの家の前で彼女を待っていた。
住宅街の一角に依馬さんの家はある。
無駄に広々とした一軒家で一人暮らしをしているらしい。周囲の家から少しばかり離れており、なんだか特別感があっていい場所だ。
「まだ来ないな……」
事務員さんの通常の退勤時間は午後六時前後。あんなことがあった後だから今日は早めに仕事が終わるのではと期待したが、さすがにそんな都合のいい話はないらしい。
僕はただただ待った。どうしても彼女に伝えたいことがあったから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
空が暗くなり始めた頃、静かな住宅街に重々しい靴音が響いた。
ああ、ようやく。僕はスッと目を細めそちらを見た。
そこには思った通り、ダボダボの服に身を包んだ依馬さんの姿があった。
僕は慌てて家の影に身を潜め、耳をそばだてる。
何かいけないことをしているような気分になってドキドキする。しかしそれ以上に興奮するのはやはり、依馬さんの体だ。
よく見ると服越しにも引き締まった筋肉のラインが見える。隠し切れないマッチョ感。今すぐにでも抱きついて堪能したい……!
だが今はグッと我慢だ。依馬さんが家に入ってから、まるで後から来たかのように見せかけてインターホンを押す。これが僕の計画なのだから。
と、意気込んでいたのだが。
「はぁぁぁ、最悪ですよ。この先どうしたらいいんでしょう……? もう人生おしまいですよ……」
なんと、依馬さんが玄関の前に座り込み、顔を覆ってすすり泣き始めた――!?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
何だ、これは。
あまりにもわけがわからず、一瞬硬直してしまった。
普段は地味で穏やか、時にはガチムチスーパー女子な依馬さんが、家の玄関口でメソメソと泣いている。この目の前の事実が僕にはどうしても信じられなかったのだ。
この玄関はよその家からは見えづらい位置にある。だから普通は他の人に見られる心配もないのだろうが、玄関口で体育座りになるのはまずい。鍛え上げられた筋肉がプリッと飛び出し、僕を誘惑する…………。
じゃなくて。
――なんで突然泣き出したんだ?
僕の心の疑問の声に答えたのは、嗚咽を漏らし始めた依馬さんの独り言だった。
「これから私、どうしたら……。ああ、こんな筋肉さえなければ!
ずっと隠してたのに……このままじゃ笑われ者になってしまうわ。女で筋肉ムキムキゴリラだなんて気持ち悪がられるだけ。明日から私の居場所がない! うぅぅっ。しかも厳重注意を受けちゃったし……。ああもう、これで私の事務員人生は終わりだわ!」
……よくわからないが、なんだか依馬さんはかなりやばいことになり、泣きたくなるほどに悩んでいるらしい。おそらく今日の昼の一件のせいだろう。あれは半分僕のせいでもあるので非常に申し訳ない。
だがそんなことはどうでも良くなるくらいには聞き逃せない言葉があった。
「女で筋肉ムキムキゴリラのどこが悪いんです!? 最高じゃないですかッ!!!」
「――っ!? だ、誰かいるの!」
思わず依馬さんの前へと飛び出してしまった僕。
だが僕は次の瞬間、軽々と吹っ飛ばされていた。
依馬さんの素晴らしい拳によって。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
鼻血が噴き出した。ただしこれは興奮によるものではなく、地面に全身を打ちつけられた故に出たのものだ。……もちろん興奮していないと言ったら嘘になるが。
ズキズキと痛む背中を摩り、僕は立ち上がる。そしてめげずに叫んだ。
「そのギリシャの男神にも負けない逞しい筋肉をなぜ卑下するんです。僕はあなたのガチムチさが好きなんですよ!」
「突然現れて何を言ってるのあなたは……って、あなた、いつもの」
「そうです。しばらく前にあなたがヤクザをぶっ飛ばしたところをたまたま目撃して以来あなたの虜になり、今日はあなたに助けられた三上坂浩志です。……ともかく、そんなことはどうでもいいのです! 依馬さん、何があったかは詳しく知りませんが、あなたがあなた自身のその筋肉を悪く言うことは許せない! ので僕はここで声を大にして宣言します! その筋肉は恥じるものではない。誇るべきなのだとッ!」
僕はそこから、筋肉の美しさを力説しまくった。
僕のようなヒョロガリが言っても説得力がないかも知れないが、僕は鍛える方ではなく見る専なのだ。マッチョへの熱い思いはある。
依馬さんは涙に潤んだ目を見開き、体育座りで僕を見上げる。
じっくり見たら顔にも程よい筋肉がついていてとても魅力的だった。
「あなた、どうして……」
「詳しいことは後で。今はこの勢いで言わせてください!
僕はあなたのことが好きです! まずはあなたの筋肉に魅せられて、それから勇ましいあなたの心根に惚れました! たとえ他の誰かがあなたをメスゴリラだのなんだのと罵ったとしても僕は今のままのあなたがいい! あなたの二の腕に埋まりたくて仕方ないんです。好きなんです!」
完全に勢いだけで告白した。
待っている間中、実は告白の台詞を考えていた。だがそんなものは全て吹っ飛び、突然『好きです』とか『惚れました』とかいう言葉を声を大にして言ってしまった。
だが、悔いはない。
むしろこの胸に宿る熱烈な思いを伝えられてスッキリしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その後色々あって、僕は依馬さんの家に上がらせてもらうことになった。
家の中にはトレーニンググッズで溢れている。ジムかと思うくらいの器具の充実っぷりにさすがの僕も驚かざるを得ない。
そして通されたリビングで、僕は依馬さんから話を聞いた。
彼女の父はどうやらレスラーだったらしく、当然のように幼い頃から筋肉を鍛え上げられたこと。
女子なのにムキムキは変だと言われ、ずっと周りから白い目で見られながら生きて来たこと。
しかし鍛える……筋肉を痛めつけるのが癖になってしまってなかなか辞められず、悩んでいたこと。
「でもさっきのあなたの言葉を聞いて、少し自信がつきました。ありがとうございます」
「依馬さん、本当にかっこいいです。いつもの穏やか事務員さんの顔も悪くないですけど、僕はつよつよな依馬さんの方が好きです」
「私、昔から悪人を見るとどうしても耐えられず、いつも出しゃばって問題を起こしてしまって……。だからいつもの地味で目立たないキャラを演じてひっそり生きましたけど、今日はたまたまあなたがひどいことをされそうになっているのを見ちゃって、つい。生徒を投げ飛ばすとは何事かって厳重注意を受けたんですよ。それで凹んで」
はぁ、と大きくため息を吐きながら……しかしどこか吹っ切れた様子の依馬さんは、にこりと笑った。
「だからかっこいいって言ってくれて本当に嬉しい」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから僕の告白を依馬さんが受け入れてくれて、僕らは付き合うことになった。
依馬さんは二十四歳、僕は十七歳と七歳もの歳の差があるが、そんなのは問題ない。
依馬さんはダボダボの服ではなく体のラインが見える服を着るようになり、校内の多くの生徒の視線を釘付けにしたりしていた。
『穏やかで地味な事務員さん』から『優しくも恐ろしいつよつよ事務員さん』として認識され始めた依馬さん。男子数人から告白されたそうだけど、もちろん誰の恋路も叶うことはない。
今日も依馬さんは、強くてかっこいい僕の恋人だ。
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