EP 6
包囲された青スーツと、地獄の番犬ガルム
ルナミス帝都からポポロ村へと続く薄暗い夜の街道を、一人の男がゾンビのような足取りで這い進んでいた。
数時間前まで歓楽街で美女を侍らせていたネオ・ITコンサルタント(自称)の面影は、もはや微塵もない。無駄にテカテカだった七三分けはリキ兄貴の『聖雷・鉄拳制裁』によってアフロヘアーのように爆発し、光沢のあったポリエステル製の青スーツは黒焦げのボロ雑巾と化している。
陥没した鼻血を拭いながら、鮫島剛は血走った目で、街道の先に見えるのどかな村の灯りを睨みつけた。
「許さねぇ……絶対に許さねぇぞ、あのバカなエルフ女……!」
ギリギリと奥歯を噛み鳴らす。
鮫島の脳内は、逆恨みと都合の良い妄想で満たされていた。
あの世間知らずのお嬢様エルフは、確実にこのポポロ村に滞在しているはずだ。まずは得意の『ステータス偽装』で村の自警団や農民どもをビビらせて制圧する。そして、あのエルフ女を拉致し、裏社会の奴隷商人に売り飛ばしてやる。あわよくば、あの「石を金に変える杖」を奪い取れば、今度こそ俺は真の成功者に――。
「ギャハハ……待ってろよ、田舎者ども。オピニオンリーダーの俺様が、直々にコンサルしてやるぜ……!」
鮫島がよだれを垂らしながら、ポポロ村の境界を示す立て札を一歩越えた、その瞬間だった。
――ガキィィィィンッ!!
突如として、周囲の暗闇から強烈な魔導サーチライトが照射され、鮫島の全身を白日の下に晒した。
「ひぃっ!?」
「そこまでだ、不審者! 武器を捨てて前脚(手)を頭の上に上げろ!」
サーチライトの逆光の中から、蹄の音を響かせて進み出てきたのは、ポポロ村自警団リーダー・マンミアだった。
下半身は屈強な馬、上半身は凛々しい女性の姿を持つケンタウロス族。彼女の右手には、恐るべき質量を誇るパイルバンカー式刺突型タワーシールド『アグニ』が構えられ、左手には牽制用のクロスボウが握られている。
「な、なんだお前は! 馬のバケモノめ、僕を誰だと思ってる!」
「身元は既に割れている。帝都のキャバクラで偽金を使って無銭飲食を働き、逃走した詐欺師『鮫島剛』だな。ゴルドスマイル銀行からの手配書が回ってきている」
マンミアの冷徹な声に合わせて、周囲の茂みがガサガサと揺れた。
鮫島は周囲を見渡し、そして――恐怖のあまり、心臓が口から飛び出しそうになった。
茂みから姿を現したのは、鍬や鎌を持った怒れる農民たちではない。
フルフェイスの魔導ヘルメットと防弾チョッキで完全武装した自警団員たち。彼らが構える魔導ライフルの銃口から放たれた無数の赤いレーザーサイトが、鮫島の胸元や眉間にピタリと照準を合わせている。
さらに背後の丘の上には、ドンガン地下帝国から供与された『魔導戦車』の主砲が、重々しい駆動音を立てて鮫島へと砲身を下げ、上空では『魔導長距離自爆ドローン』が不気味な羽音を立てて旋回していた。
「なっ……なんだよこれ!? なんでただの田舎の農村に、帝国正規軍みたいな重火器が揃ってんだよ!!」
鮫島はパニックに陥り、裏声で絶叫した。
無理もない。ポポロ村は三国が交差する緩衝地帯という特性上、野盗や悪徳役人から自衛するために、ドンガン地下帝国との密輸取引で大陸最高峰のミリタリー戦力を有しているのだ。
「フ、フン! 武器がいっぱいあるからって調子に乗るなよ! 僕のステータスを見ろ!」
鮫島は震える手で『ステータス偽装』を発動させた。
空中に【職業:滅竜大魔導士 / HP:99,999 / 攻撃力:99,999】の文字がデカデカと浮かび上がる。
「ど、どうだ! 僕が本気を出せば、こんな村一瞬で――」
「目標、光学迷彩による虚偽のステータス投影を確認。生体スキャン魔導器の計測によれば、対象の実際の闘気量(馬力)は野生のゴブリン以下。脅威度ゼロ」
「えっ」
マンミアは鮫島のハッタリを、手元の計器を見て一秒で論理的に看破した。
そして、冷たく言い渡す。
「これ以上の抵抗は無意味だ。大人しく投降しろ。お前の身柄はゴルドスマイル銀行に引き渡し、借金返済のために『マグローザ漁船』へ送致する」
マ グ ロ ー ザ 漁 船。
その単語を聞いた瞬間、鮫島の脳裏に、かつてコロシアムの地下牢で聞いた「死ぬまで船から降りられない北の海の地獄」の噂がフラッシュバックした。
あんな所に送られたら、絶対に生きて帰れない。カニ工船以下の労働環境で、魔獣クラスのマグロと素手で格闘させられるのだ。
「い、嫌だ……! 漁船だけは嫌だァァァッ!」
完全に追い詰められ、半狂乱になった鮫島は、ボロボロのスーツの懐に手を入れた。
彼が取り出したのは、かつて自分をコロシアムから身請けしてくれた闇の組織ナンバーズの幹部・スリーから、「いざという時の護身用」として渡されていた、赤黒く禍々しい『魔獣カプセル』だった。
「こうなったら……こうなったらお前ら全員、道連れにしてやるッ!!」
鮫島は、ヤケクソになってそのカプセルを地面に思い切り叩きつけた。
パリーンッ!!
ガラスが砕ける音とともに、カプセルからドス黒い瘴気が爆発的に噴き出した。
瘴気は周囲の空気を急激に冷却し、同時に硫黄のような強烈な悪臭を撒き散らしながら、瞬く間に巨大なシルエットを形成していく。
「なんだ……!? 全員、対物障壁展開! 警戒しろ!」
マンミアが即座にパイルバンカー『アグニ』を前に構え、自警団員たちが魔導ライフルの安全装置を外す。
黒煙が晴れたあとに姿を現したのは、全長五メートルを超える、漆黒の毛並みを持った巨大な獣だった。
だが、ただの獣ではない。
その首には、爛々と赤く輝く目を持った『三つの頭』が備わっていた。三つの顎からは、チロチロと青白い地獄の業火が涎のように滴り落ち、地面の石畳をジュウジュウと溶かしている。
神話級魔獣――地獄の番犬『ガルム』。
「グルルォォォォォォォォッ!!!」
ガルムの三つの頭が同時に天を仰ぎ、鼓膜を劈くような大咆哮を上げた。
その圧倒的なプレッシャーと熱風に、訓練された自警団員たちでさえも思わず数歩後ずさる。
「ヒャハハハハ! 見たか! これが本物の力だ! やれ、ガルム! この生意気な馬女も、村の奴らも、全部食い殺して燃やし尽くせェェ!」
鮫島はガルムの巨体の後ろに隠れながら、狂ったように高笑いした。
自分のステータスはペラペラでも、この規格外の魔獣がいれば、どんな軍隊だって蹂躙できる。俺は勝ったのだ。
「……ッ、クラスA級の特異魔獣だと!? 自警団、対空砲とバズーカの照準を頭部に――」
マンミアが部隊に総攻撃の指示を出そうと息を吸い込んだ、その時だった。
「ちょっと! なに休日の村の入り口で騒いでるのよ! 騒音でクレーム入れるわよ!」
村の奥から、丸めたタローマンの特売チラシ(お手製ハリセン)を右手に握りしめた、私服姿の事務員――秋野リカが、怒り心頭の表情で大股で歩いてきた。
その後ろからは、キャルル村長、赤い芋ジャージのリーザ、そしてドローンカメラを展開したキュララがゾロゾロとついてきている。
さらには、少し離れた位置で、純白の割烹着を着た最強の氷魔剣士が、静かに三徳包丁の柄に手をかけていた。
「リ、リカ様! お下がりください! 相手は神話級の魔獣です!」
マンミアが制止の声を上げるが、リカは全く止まらない。
彼女は巨大な三つ首の番犬と、その後ろでイキり散らしている鮫島を交互に見比べ、深々とため息をついた。
「……定時退社後の、ダインさんの美味しい夕飯タイムを邪魔する奴は……全員、まとめてお仕置きよ」
ポポロ村の休日は、やはり一筋縄では終わらない。
地獄の番犬を前に、元社畜事務員の堪忍袋の緒が、ついにブチリと音を立てて切れたのだった。




