ハンド・オーバー
短編
そこに ぼくは ひとりでいた。
ぼうるぷうるの てんとのなかで ぼくは ひとりだった。
あるひ おとこのこが やってきた。
あしを まっすぐに たてにして、それを いれかわりに うごかして、やってきた。
だから さいしょは あたまが たかいところにあった。あしを おりまげて ぼくのたかさとおなじ たかさになる。
「そとに でたこと ないんだろ」
そいつは そういった。
くわえて ぼうるのいれかえを いちども していないことも いいあてた。
どうして しってるのか きくと、ぼうるがふるびているから わかるのだと こたえた。
「あたらしい ぼうるを もってきてやるから、ふるい ぼうるを ぼくにくれよ」
「ぼくは このままでも いいんだ」
「ぜんぶ むらさきだろ。べつの いろのを たくさんもってこよう」
べつの いろ。
なんだか きょうみが わいたので、ほしいと つぶやいた。そうしたら そいつは かみと えんぴつを とりだして、「やくそくじょうを かこう」という。
やくそくじょうが なにか わからなかったから、きいた。やくそくの しょうめいしょだと おしえてくれた。
「じぶんの やくそくじょうには じぶんのなまえを さきにかくんだ」
いいながら じぶんのなまえを やくそくじょうにかいて、そのうしろに ぼくのなまえを かかせた。
ぼくは できあがったそいつのやくそくじょうを なんどもみながら、じぶんのやくそくじょうの さいしょに ぼくのなまえをかいて、そのうしろに そいつのなまえを かいてもらった。
やくそくは こうだった。
むらさきのぼうる ひとつを、さんしゅのぼうると こうかんできる。
こうかんは ぼくのてんとで おこなう。
だからぼくは いままでどおり てんとのなかに いればいい。
またくるよ。
そいつは いった。
ぼくのボールプールには、赤や青や黄色のボールがまじるようになった。
そのボールはすごくきれいで、しかも一こと三こをこうかんするからたくさんになって、ぼくはさいしょまんぞくした。
でもある日、あいつとはまた別の人にあって、ピンクを五こやるからむらさきをひとつくれないかと言われた。
むらさきはあとたったの一こになっていたから、ぼくはあげたくなかった。
かわりに、たくさんになった黄色五ことこうかんしたいと言ってみた。
でも、むらさきとじゃなきゃこうかんしない、と言われたから、しかたなくむらさきをあげた。
「のこりのむらさきはどうしたんだ」
あいつがつぎにきたとき、そう言った。
ピンクとこうかんしたことをつたえると、おこられた。
「むらさきはキショウなんだぞ。どうしてピンクなんかとこうかんしたんだ」
「おまえはそんなこと言わなかった。ぼくはピンクをもってなかったからほしかったんだ」
「だったらぼくととり引きしたらいいんだよ、バカ」
ぼくはバカと言われてはらが立ったので、かえってよと言った。
あいつがかえるとぼくはかんがえた。むらさきはキショウらしい。ぼくのテントにはさいしょむらさきしかなかったのに。
とにかく、色によってじゅうようせいがちがうことに気がついた。むらさきは一体どれくらいキショウで、赤や青や黄色やピンクはどれくらいキショウじゃないのか知りたくなった。
もしかしたらピンク五こや赤青黄色一こずつでは、むらさきに見合わないのかもしれない。
でもぼくは歩き方を知らないし、あいつがいつでもぼくとボールのこうかんをできるよう、テントからはなれてはいけない「やくそく」になっている。
……ふびょうどうだ。あいつはなんでも知ってて、自由なのに。
またある日、ピンクを持ってきたのとは別のやつがぼくのテントにやってきた。
それは女だった。緑のボールばかりの小さなテントをまるごと引きずっていた。
むらさきはあるかと聞かれたので、もう無いけど赤青黄とピンクならあると答えると、そこにある全部を合わせてもせいぜいむらさき一個にしかならないと言われた。
ぼくはとてもおどろいた。赤青黄ひとつずつとか、ピンク五個で交換してきたんだと言うと、彼女は残念そうな顔をして、かわいそうにと言った。
「あなた、だまされたんだわ」
いい、という言葉のあとに、彼女はボールの相場を教えてくれた。ボールの中で特に安価なのが黄色で、次が青。次が赤。次が白と緑、ピンク、そしてむらさきが一番高級らしい。むらさき一個がピンク七個、イコール緑か白二十一個、イコール赤四十二個、イコール青八十四個、イコール黄色百六十八個。
ぼくは、考えた。あいつは最低のボールを、ぼくの希少なボールと取り替えやがったんだ。ぼくに何も教えずに。
赤青黄色を一個ずつなんて、むらさきどころかピンク一個にもならないじゃないか。
「貿易って、そんなものよ。相手を言葉で上手にまるめこんで、サギみたいなことをして回って、自分の利益をあげるの」
彼女はぼくに歩き方も教えてくれた。ぼくは自由になった。
ぼくも貿易をしようと思った。サギみたいなことをして回って、自分の利益をあげるのだ。
「君、外に出たことないんだろ」
僕が声をかけると、その少女は不思議そうに顔をあげた。
比較的広いテントだ。ボールの数は少なかったが、色はインディゴブルー。最近見つかったばかりの非常に珍しいものだった。紫二個分、つまり黄色が三百三十六個分。なんて運がいいんだろう。
「ねえ、僕と取り引きしないか?」
「…とりひき?」
「その色以外のボールをあげる。歩き方も教えてあげる。だから、僕の仲間になって欲しい」
「ちがういろのぼうるがあるの?」
「そう。たくさんあるよ」
わたしもあるいてみたい、と少女が言った。僕はすかさず約束状を出して名前を書かせた。
これでこの少女は僕のテントに隷属することになる。与えられるばかりに見せかけておいて、兄として認めさせることで他のテントとの貿易を許さない上、この希少なボールを自由に使うことが出来る不平等条約。
彼女は気付いていない。まだ何も知らないから。
詐欺は簡単だった。僕は集めたボールと一回り大きなテントを交換し、さらにボールをあちこちから騙しとり、あっという間に裕福になった。
僕はもう、はじめに僕を騙したあいつと張り合うくらいだった。
まだあいつとの約束は続いていたけど、このころにはあまり交流がなかった。最近はあまり貿易をしていないらしい。僕は騙されたことに腹を立てていたので自分から会いに行くこともなかった。
それに、もう和親なんて結んでいようと思わなかった。
あるとき道で奴に会った。
あいつは僕の後ろに控えている妹を冷ややかな目で一瞥してから、静かな声で「久し振り」と言った。だから僕も、出来るだけ平静を装って「久し振り」と返してみせる。それから妹を引っ張って僕の隣に並ばせた。妹は少しだけ抵抗するように歩き出すのを躊躇ったが、すぐに二歩だけ足を動かして前に出て、より深く俯いた。
「ねえ、僕さ、この子と条約を結んだんだ」
僕はにっこり笑うのに努めた。
「この子は僕に最恵待遇をすることを認めてくれてる。ね」
妹を覗き込む。すこしこちらと目線を合わせたが、その瞳は哀れな色をしている。
彼女は近頃、やっと僕等の約束の素顔に気付いた。今更気付いたって遅い。
奴は表情を変えずにもう一度だけ妹を見つめた。それから、携えていた鞄から何か紙を取り出した。
僕と奴の約束状だった。奴は今頃、僕等の約束の中に最高の待遇を強いるような内容がないことに気付いたらしい。今更気付くなんて馬鹿だ。
「大きくなったな。」
意味不明なことをこちらを真っ直ぐ見て言った。言葉とは裏腹に眼に敵意がちらついた。きっと僕に劣等感を抱き嫉妬したのだと僕は思い、気分が良くなった。
しかし奴は続けて言った。
「そして、馬鹿になった。」
奴は、約束状を、あろうことか破り捨てた。
僕を列強に加える意識が出来て、僕を妬みながらも余計ないさかいを避ける為に慌てて不平等な条約を結び直そうとしている。てっきりそんなところだろうと思っていた僕は驚いた。
約束状は普通、約束が終わっても無効であると示す為に調印し、証明としてとっておかなければならない。そんなことくらい知っているはずなのに。
「お前は一生わからないだろうね。僕がどんなつもりでこの条約を用意したのか。現に、そんなふうに弱者を強制的に従えて喜んでいる。ろくな育ち方をしなかったな」
一息に罵倒しながら奴が掌からこぼす紙片を、僕は見ていた。「僕が悪かった、お前は十分力があったんだな。平等な条約を結び直さないか。なんなら僕が奪った紫をみんな返そう」奴はそう言う筈だったのに。その提案に、僕が「もう手遅れだ、友好なんてなしだ」と告げて、あいつは無様に吃りながら言葉を連ねて懇願する筈だったのに。
地面に散った紙片の中に表を向いたものがあった。拙い字で何か書いてある。それが、自分の名前であると気付くのに時間を要した。
(のみこみがはやいね)
僕はその言葉を思い出した。約束状を書いたときに奴が言ったのだ。その言葉がどんなに嬉しかったかも、遠くに見える人影のような頼りなさで思い出して、そして、そんなふうに優しい兄のような顔をして何も知らない自分を騙した奴を改めて憎んだ。
だけれども奴が最後に言い捨てて行った「もうお前なんかとは会わない」という言葉に僕は傷付いた。
その後、間もなく紫のボールを安価で手に入れたというテントが幾つも現れた。普通のレートではあるが他の色も無駄に大量に出回った。それらは奴のテントから流出したものらしかった。どうせどの紫も別のボールも直ぐ僕が回収してしまったが、どうしてか、手に入れたボールの磨かれた綺麗さが僕には価値のない玩具のように見えた。
奴のテントはそれっきり消えた。テントどころか、奴もどこかへ行ってしまったらしい。僕のテントは一番の富豪となり周囲のテントを自由に出来るようになったが、僕はそれっきり、何をしたらいいか分からなくなってしまった。
***
ある日僕は一人きりの少年を見つけた。
最近見つかったばかりの珍しい色のボールに囲まれて、彼はじっとうずくまっていた。
誰とも交流がないことは、ボールの色のくすみ具合でよく分かる。そもそも、誰かが見つけたならきっと今頃搾取の対象になっていただろう。
けれど、今僕が見つけたということは野蛮な奴らに見つかるのも時間の問題だ。そんなとき、何も知らないこの少年が上手く対処できるはずがない。世間を知り、一人前に貿易ができるようになってからではないと。
そのためには経験が必要だけど、彼は希少な紫のボールしか持っていない。あまりにハードルが高すぎる。
「外に出たことないんだろ」
僕は声をかけた。このまま放っておいて、気付いたら他で奴隷のような扱いを受けていた、なんてことになるのは心苦しかった。
まずは価値の低いボールで貿易の練習をさせたい。騙すことにはなるけれど取り合えず安価なボールと引き換えに紫のボールを引き取る条約を結んで、僕との練習だけをして貰って……。そこで僕は、彼がやがて駆け引きが達者になり、少しずつ値切って値切って紫をみんな取り返してくれるのを想像した。いいな、楽しいかもしれない。
僕らは一緒に条約書を書いた。条約書と言ってもわからないと思ったので「約束状」と教えたら、それはなに、と聞かれてしまった。なんだか微笑ましい。
何度も確認しながら条約書を書く彼を見ていて僕は嬉しくなる。彼が何か覚えていくのが、どうしてか自分のことのように誇らしい。
これからどんなふうに成長してくれるだろう、と、僕は今からとても楽しみだった。
20111001




