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22 : 遺された者たちの遺された道

――西暦2201年 6月8日


 シンはある人物に会うために極東地域を離れ、地球の正反対側、アフリカ南端のある地域へとやってきている。

 このあたりは情報危機(サイバーショック)の被害が小さかった事もあり、復興が非常に早い。公共交通機関も発達しており、治安も極東地域とは比べ物にならないほどいい。

 シンはその街を高い位置から見下ろした。

 何重にも交差する空中路が縦横無尽に走り回り、折れそうに細長い建物が見渡す限り続いている。真下を見下ろせばきちんと整備された緑化地域も存在し、よく見れば豆粒以下の人間たちも認識できる。

 太陽の光が溢れる街を見下ろしながら、シンは煙草に火をつけた。

 あの襲撃から10日、シンは報告の為に世界政府を訪れていたのだ。

 シンがいる部屋は地上約500メートル、足音を消してしまうほどに柔らかい絨毯が敷き詰められ、この地方の伝統技法で織られたカバーの掛けられた柔らかそうなソファ、それに有機硝子のテーブル。

 煙草を吸い終わってしばらくもしないうちに、一人の男性が部屋に入ってきた。

「ドクター・オルディナンテ、お久しぶりです」

 深々と礼をしたのは世界政府でたった8人しかいない幹部の一人、虚構(タチェット)問題を一手に引き受ける特殊機関の長、クレバ=セイゲンジ。

 スーツは特注サイズであろう恰幅の良さと裏腹に理知に富んだ深い瞳が印象深い壮年男性で、世界政府には珍しいモンゴロイド系である。典型的な紡錘形をした体を揺らしながらシンに握手を求める。

 細身で長身のシンと並ぶとその体型の差が目立つ。

「お久しぶりです、長官。お元気そうでなりより」

「ドクターこそ、幾つになってもお元気そうで……噂は、すでに世界中に広まっていますよ」

 瞳に鋭い光を灯し、長官はシンの蒼い瞳を見た。

「アルトパルランテの本社が何者かに襲撃された。テロか、情報危機(サイバーショック)で大きな被害を被った人々の報復か――とね」

「いやはや、お恥ずかしい限りです」

 シンは頭をかいた。

「今回はその報告に上がりました」

「……まあいいでしょう、お掛けください」

 長官に促されソファに身を沈めたシンは、アルトパルランテに侵入、聖譚曲(オラトリオ)を破壊するまでの流れを事細かに説明した。

 そして、最後に原子具現化の研究をアルトでなく世界政府の傘下に入れて欲しい、という言葉で締めくくった。

「政府は既に動いています。ドクターから連絡をいただき、すぐに極東支部を動かしました。アルト内にも捜査の手が入っています。アルトパルランテ本社の社長クライ=オメガ=アルト=アルトパルランテは重度の精神障害を起こし入院、その秘書だったビアンカ=アルト=クラスターは自殺、ジュラ=アルト=リアドビスは遺体で発見されています。また、その直前に主要研究員のミリアナ=アルト=ヴェルジネが失踪しており、原子具現化人体生成システム、通称聖譚曲(オラトリオ)に関わる主要研究員は4名とも事実上死んだも同然です」

「それはよかった」

「よいかどうかは分かりませんが、これで一段落です。聖譚曲(オラトリオ)に関わっていたトップメンバーが離散したことで向こう10年の心配はないでしょう。あと10年あれば世界はかなり立ち直り、虚構(タチェット)に関しても閉鎖が解ける見通しも立っています。その頃になれば、『原子具現化』に関して世界中が考えていく余裕も持てるはずです」

 長官は自信満々に展望を語った。

 それが実現するかどうかは分からないが、少なくともこの長官はやるといった事に対して最大限努力をする人だ。シンにはそれが分かっていた。

「俺達のような研究者が世の中を引っかき回すのはよくないんですよ。昔から言うでしょう? 世界を作るのは理系、それを世界を動かすのは文系ってね。科学者が世界に干渉していい事が起きた試しがない。最後に文系のフィルターを入れないと」

「世界を作るのは理系……ですか。言い得て妙ですね」

「科学者は何かと自分の願望に走りがちだ。もしくは、研究以外の事が見えなくなることが多い。それにストップをかける仕事があって然りだと俺は思いますよ。あいつだって――」

 言いかけて、シンは言葉を呑みこんだ。

 ここで出すべき話題ではない。

「あいつだって、何ですか、と聞きたいところですがやめておきましょう」

 それを察したのか、長官もそれ以上追及しなかった。

「さて、ドクター。この後のご予定は?」

「子供達を家に待たせてあるんでね、すぐ地球の反対側までにとんぼ返りですよ」

「そうですか」

 にこりと笑った長官は親の顔をしていた。

 彼も子を持つ親の一人だ。

 会釈して退出したシンはふう、とため息をつき、煙草に火をつけた。

 部屋の外のSPにじろりと睨まれるが気にしない。

「さて、帰るかな」

 伸びをしたシンは、世界政府を後にした。





 地球半周の距離を越えて、シンははるばるソルディーノに帰還した。

 いつもなら迎えてくれた大声がないのは少し寂しいか。

 黒髪黒眼の少年を思い出し、自嘲気味に笑う。

 ところが。

「お帰りなさい、『シン兄』」

 部屋の椅子に座ったところを、後ろから声をかけられて驚いた。

 何しろ、それは黒髪の少年以外使う事のない名で、かつソルディーノへ戻ってきたシンに「おかえり」を言う人間も黒髪の少年だけだったから。

 はっと振り返ると、そこに立っていたのは黒髪の少年の相方だった。

「あ、ああ……」

「ようやくこちらを向いて返事をしてくれるようになりましたね」

 にこり、と笑うコウに違和感を覚える。

 その違和感の正体に気付いて、思わずシンは絶句した――笑う? コウが?

 吸おうと咥えた煙草が床に落ちた。

「明日は休みなので、ジニアと少し出掛けてきます」

「お、おう、気を付けて行って来い」

「はい」

 ほんの少し雄弁で、ほんの少し笑うようになったコウに、シンは戸惑っていた。

 敬語は相変わらずだが、あれではまるで――

「コンタミネーション、よ。情報を混ぜ合わせても拒絶反応を起こさず、破壊もされず、ただ『混ざり合う』現象。相手の情報を受け取って自分のものとし、自分の情報を相手に渡して共有するの。珍しいわね。コンタミネーションが起こる相手と出会う確率は約100億分の1。あの子たちの出生を考えると、ほとんど奇跡みたいな数字ね」

「ミリアナ、いたのか」

「ん、さっきから」

「奇跡ね……奇跡っつーなら、不完全なプロトタイプでコウ一人だけでも現実世界に戻せたのだって奇跡だろ?」

「違いないわ」

 モニターには金髪の女性が映っていた。

 今日は薄汚れた白衣ではなく金髪に映える黒のワンピースを纏っており、眼鏡も外していた。

「コウの言葉から推察するに、おそらく最後にセイは『ルバート』したんだと思うわ。『俺を忘れないでくれ』って言ったらしいわよ」

「……」

「素敵よね、自分の事を忘れないように、記憶も感情もすべてを共有して、一つにするの。相手の事を忘れないように、相手の情報をすべて受け取るの。あたしたちの『ゼロ』は、なかなかロマンチックな子に育ったんじゃない?」

「何がロマンチックだ。あのバカ……!」

 シンは煙草の煙を吐いて気を落ちつけた。

「……いや、バカは俺だ。聖譚曲(オラトリオ)を認めないと言いながらセイを育て、コウやジニアを創り、今でも希望を込めて迷子(トリル)を保護している。いつだって矛盾ばかりだ」

 自嘲の意をこめて煙と共に吐いた弱音は、部屋の空気に紛れて消えていった。

「大丈夫よ、あたしはそんな風に悩むあなただから――助けを求めたのよ?」

 ミリアナはぽつり、と呟いて、返答を得る前にぱっと顔を上げた。

「じゃあ、あたしも行くわ。迷子(トリル)でもない、だからと言って不協和音(ディッソ)でもない半端者として存在し続けるわけにはいかないもの」

 モニター越しに蒼穹と翠玉が交差した。

「……そうか」

「あたしの生体はもうない。あったとしてもあたしは聖譚曲(オラトリオ)を消すためだけに創られたゼロとイチのバックアップ。いずれにしても行き場なんてないわ」

「お前が望むなら、ソルディーノで働くか?」

「いいえ、遠慮するわ。消えるタイミングを失っちゃいそうだもの」

 ふるふる、と首を横に振ったミリアナは、にこりと笑った。

「でもあなたは……あの赤目の子みたいに、あたしの事を受け入れてくれたりはしないわよね」

「ああ」

「そう……そうよね、あなたはいつもそう」

 悲しそうに微笑んだミリアナの瞳が潤んでいた。

 シンはそれを見ても表情を変えず、淡々と言った。

「情報として残さなくても、俺がお前といたという事実は変わらない。人は影響し影響されるために人と関わっていく。そして、関わる事で自己を形成していくもんだ。だから、お前が消えても、お前の存在は――俺の中に、残ってるよ」

 それを聞いて、ミリアナはもう一度笑った。

「……ありがとう」

 シンはくるりとモニターに背を向ける。

 ミリアナの唇は「サヨナラ」と動き、それっきり、モニターは沈黙した。





 静かな部屋に、煙だけが伸びる。

 いつものシンの部屋だ。

「――あいつだって最初は、『迷子(トリル)虚構(タチェット)から救いたい』っていう純粋な目的から研究を始めたんだぜ――?」

 彼の母親は情報危機(サイバーショック)以前に事故で情報空間に取り残された迷子(トリル)だった。今は圧縮をかけてアルトのサーバーの中心で眠らせてあるが。

 息子は母を情報体から現実世界の生体に戻す為、原子具現化の研究を始めた。

 最初はただ、それだけの事。

 文明を進める活力となるのは、いつだって個人の切なる願いだ。もちろん、ダイナマイトを発明したアルフレッド=ノーベルも、重労働を強いられる炭鉱の労働者たちを助けるために研究を始めたのだ。

「これで俺は、最後の一人、か」

 プロトタイプを作った時は4人だった。いつの間にか一人減り、二人減り、聖譚曲(オラトリオ)が完成し破壊された後、残ったのはシン一人だった。

「……一人って、案外寂しいもんだな」

 誰にも聞かせない弱音を吐いて、シンは煙草をスニーカーで踏み潰し、新しい煙草を咥えた。

 が、「非常識!」という台詞を思い出し、火をつけようとした手を止める。

「……少し、本数減らすか」

 ミリアナが聞けばそういう問題じゃない、と盛大に怒られそうな台詞を堂々と吐いて、シンは煙草の入った箱をぽい、とゴミ箱へと放った。

 放物線を描いたそれは、がさっという小さな音と共に視界から消え去った。

「だからこれは最後の一本てわけだ」

 最後に咥えた煙草に火をつけ、シンはもう一度煙を吐いた。





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