20 : 現実世界から消える聖譚曲
セイはいったん目を覚ましたものの再び目を閉じた。
容体は芳しくない。ここを出たら真っ先に医者に走らねばならないだろう。
ジニアの方はそれに比べればまだ軽傷と言えた。
それでも固く閉じられた瞼が開く気配は全くないが。
つい先ほど、コウが聖譚曲を前に一人悪戦苦闘している時、突然シンがぐったりしたジニアを連れて入ってきた。
作戦変更の命令を受けていないと憮然としたコウを尻目に、シンは続いて血まみれのセイを連れて戻ってきたのだった。
――心臓が止まるかと思った
内臓を幾らか傷つけており、非常に危険な状態らしかった。
シンはコウと交替し、モニターのミリアナと会話をしながら、コウによってすでに起動が終わっていた聖譚曲でプロトタイプを具現化すべく忙しく動き回った。
その間もずっとやかましく喚いていたクライには拳を叩き込んで黙らせていた。
シンとミリアナが着々と準備を進める中、コウはセイとジニアの様子見を任されていた。
体のいい厄介払いかとも思ったが、確かにコウがやるよりもあの二人がやった方が格段に速い。
ユニゾン・システムで中枢に入り込んでいたはずのシンがなぜここに来たのか不思議ではあったが特に尋ねるべき事でもなかった。
「悪い、コウ、手伝ってくれ!」
作業を続けるシンに呼ばれ、コウは二人を置いて上司の元へ向かった。
プロトタイプの情報はすでに聖譚曲に送られている。
あとは、機械の微調整を行い、具現化を行うだけだ。
「重力波のコントロールを俺がやるからお前はプラズマの方を頼む」
「分かりました」
コウはシンの隣に入り込み、パネルの上で両手を滑らせた。
「あと30秒後に照射開始するわ。カウント、29、28、27……」
コウは炉にプラズマの流入を開始した。
これは「素」だ。プロトタイプを作るための「質量」。
そして、シンが「作る道具」である重力波を照射する。
エネルギーレベルが上昇していく。聖譚曲全体が大きく震え、緊張を高めていく。
「15、14、13……」
「重力波スタンバイO.K.」
シンが中央のレバーに手をかけた。
「プラズマ量が規定値を突破しました。放出回路を閉じます」
「5、4、3、2、1……照射!」
ミリアナの声と共にシンがレバーを強く引く。
地鳴りのような音がして、床が振動した。遮断しきれない熱が聖譚曲から漏れだして、熱風として吹きつけた。
思わず両腕で顔を庇い、身を低くする。
特に創生炉から、固く蓋を閉じた隙間から熱と言うには禍々しいエネルギーの残滓が身を乗り出している。
人類には過ぎた力。
コウはその言葉を思い出していた。
こんな力の前に曝されれば、人間などひとたまりもない。
熱風は数十秒にわたり続いた。
ちりちりと痛みを残す両腕をそっと外すと、聖譚曲は何事もなかったかのようにその場に佇んでいた。
何も動じない、黒々としたフォルムに改めて恐怖を感じる。
「どうやら、成功よ。炉の冷却後、すぐ聖譚曲の情報化に入るわ。ただ、冷却に10分以上かかるの。その間に敵がそっちに行かない事を祈ることね」
「お前こそ聖譚曲情報体の分解の準備はできてるんだろうな」
「貴方こそプロトタイプの操作方法、忘れていないでしょうね?」
そろそろ聞き慣れてきた二人の応酬は聞き流し、コウは部屋の隅に避難させてあるセイとジニアの元へ向かった。
今の振動のせいなのか、ジニアが目を覚ましたらしく、ゆっくりと起き上るところだった。
「大丈夫ですか?」
決まり文句のようにそう問うと、ジニアはこくりと頷いた。
陶器のようだった頬に殴打の跡がある。服もぼろぼろで、レースが破れて垂れ下がっている部分もあった。
「…………ごめんなさい」
唐突に、ジニアは言った。
首を傾げると、いつもにも増して消え入りそうな声でぽつり、ぽつりと言葉を紡いだ。
「……助けられなかった……そのヒト」
ジニアは隣に横たわるセイを示した。
「キミが彼を助ける理由はないと思うのですが」
「…………でも、貴方ならきっとそうすると思って。それに、彼も貴方の元に行く事を望んでいた」
不可解な言葉だった。
セイが望む、望まないはジニアに何の関係もないはずだ。ましてや、命をかけてまで細腕の女性が闘うような理由ではない。
それはヒトの望みを叶えようと闘う英雄のモノだった。
「……私は破壊する事以外出来ないから……せめて、何かを守ってみたかった、んだと思う」
本当に不思議だった。
この少女の考えている事はまったく理解できず、それなのに、この少女に興味を持った自分がいる。
出生を知ったことでコウの中に少しずつ確実なモノが出来上がりつつあった。
それは、ずっと忘れていた「感情」と呼ばれるパーツ。
この少女もコウと全く同じ出生を持つのだという。そのせいで、どこか歯車の合わない不安定な精神を抱えているのかもしれない。
「ジニア」
一歩踏み出すのは、今なのかもしれない。
「ここから戻ったら、話したい事があります」
表情もなく首を傾げた彼女となら自分の中の虚構を共有できるだろうか。欠けたピースを合わせるように、欠落を互いに埋められないだろうか。
帰ったら彼女にも自分と同じ出生を知って欲しかった。
その上でどう変わるのかを知りたくなった。
拾ってくれたシンと相棒のセイ以外に何も存在しなかった世界に、初めてコウはヒトを引き入れた。
この場と状況にそぐわぬ穏やかな空気が包み込む。
「…………分かった。でも、今じゃ駄目?」
「できればセイにも聞いて欲しいと思ったものですから」
自分の中に生まれた変化に。
それを聞いたら、彼はいったいどんな風に笑うだろう?
コウは、知らず微笑んでいた。
冷却の終わった炉の中でシンはプロトタイプの起動を始めた。
その間にコウは聖譚曲本体のシャットダウンを開始する。出来る限りのエネルギーを外に逃がし、緊急用のハッチを開いてプラズマのほとんどを建物の外に放出してしまう。
なるべくエネルギー値を下げなければ大災害につながってしまう。
情報化とは「物体の原子配列とエネルギー値を読み取る」「その情報を情報空間に打ち出す」「本体を重力波によって分解する」という3つの過程を経ている。
つまり、情報化した物体は消えるのではなく能動的に分解を行っているのだ。
特にエネルギーの高い物体を無理に情報化すれば分散しきれなかったエネルギーが収束、一気に拡散して大爆発を起こす危険性もあった。
最期に聖譚曲の残存エネルギーをすべてプロトタイプに転送する。
これでコウの担当パートはすべて終了だ。
あとはプロトタイプが起動し、聖譚曲を情報化するだけ。
「コウ! エネルギー転送まであとどのくらいだ?!」
「問題なければあと1分32秒です」
「わかった、2分後に聖譚曲の情報化を開始する! お前は先に離れてジニアとセイを頼む」
それを聞いてコウはもう一度二人の元へ向かった。
ジニアはすでにかなり回復しており、よろけながらも自分の足で立ち上がった。
コウは気を失ったままのセイを背に負い、ショックから避けるために聖譚曲からかなり離れた位置にあるアームの台の陰に入り込んだ。
ほっとすると忘れていたはずの足の痛みが襲ってくる。
折れてはいないと思うが、かなりひどい打撲になっているのは確実だ。
「コウ! これも持ってろ!」
シンが遠投で寄越したのは手のひらサイズの端末だった。小さいながらもモニターが付いており、ミリアナやシンと通信できるようになっていた。また、アルトのサーバーの簡単な見取り図も出ている。
コウはそれを握りしめてもう一度身を隠す。
そろそろ1分前だ。
作業を終えたシンも気絶したままのクライを担いですぐにやってきた。
「さあ、うまくいくかな……?」
にやり、と笑ったシンの顔を見ると結果は上々らしい。
しばらくすると部屋全体が揺れ始めた。
「コウ、お前はセイを見てろ。ジニア、お前はこっち来い」
ワイヤーで縛ったままのクライは床に放置してアーム台の壁にもたれるよう膝を立てて座ったシンは、ジニアを呼んで自分の前に座らせた。
こうして並ぶと親子に見えるから不思議だ。
コウは血に染まりきったセイの服飾の鎖をはずし、横抱きにしてシンの隣に座る。
その間にも揺れは酷くなっている。
「さあ、くるぞ!」
衝撃の瞬間、シンはジニアを膝の間、腕の中に包み込んだ。
コウも未だ動かないセイの体を強く支えた。
形容できない凄まじい音がして床が上下に大きく揺れた。それでも収束しない熱風が一瞬遅れて吹きつける。
背に当たっていた壁は一瞬で急激な温度上昇を示し、上下で済まない衝撃波は左右、前後、あらゆる方向に揺さぶった。
何かがぶつかったわけでもないのに背中に衝撃を受け、息が止まる。
熱風にやられないよう目を閉じ、必死にこの余波がおさまるのを待った。
それからどれだけ経っただろう。
ふと気がつくと揺れは収まっており、熱もあらかた引いていた。
それでも熱耐性があるはずの有機素材の壁にははっきりと溶けた跡があり、コウたちが身を隠していたアーム台も溶けて角がなくなり、半壊していた。
そっとセイを床に横たえ、隣を確認するとすでにシンとジニアの姿がない。
立ち上がって振り向くと、そこには――何もなかった。
「成功だ、コウ」
聖譚曲があったはずの空間は、ただのがらんどうと化していた。
見上げても天井の見えない吹き抜けが見下ろしているだけ。
裾野の広がっていた場所は床が大きく溶けた跡があり、まるでクレーターのように凹んで無残な姿を曝している。
その中央には、プロトタイプと思われる有機体と金属の塊が落ちていた。情報化を施した機械自体もこのエネルギーの大きさに耐えられなかったのか、あちこちに溶けた跡がある。
それでも起動を示すランプがついていたのはさすがとしか言いようがない。
「あとは情報空間で聖譚曲を破壊すれば任務完了なんだが……コウ、さっきの端末」
セイと共に庇っていた端末は無事だった。
シンにそれを渡すと、モニターにミリアナが現れた。
「ありがとう、完璧よ、シン」
頬を紅潮させたミリアナは興奮気味に叫んだ。
「あとは任せて。あなた達は早く脱出するの」
「了解」
シンは端末を切った。
さすがにコウの肩からも力が抜ける。
これでようやく世界の崩壊を、当面回避できたようだ。
「ジニア、先にポイントAへ戻れ。傘はさっき充電しておいたから少しは使えるはずだ」
そう言ってシンはジニアに傘を手渡す。
「コウはセイを連れて行け。プロトタイプの破壊は俺がやる」
「分かり……」
「……ちょっと待てって」
コウの言葉を遮る声があった。
先ほどまで意識を失っていた相棒の声。
見ると、うっすらと目を開け、こちらを見ていた。全く回復していないその様子にコウは一抹の不安がよぎる。
「プロトタイプ、壊す前に見てみたいんだ。だってそれ……俺を創った、ヤツだろう?」
セイの言葉に、コウは、シンでさえも言葉を失った。
コウは歩けないセイを担いでプロトタイプに近寄った。
クレーターの坂を下り、近寄って見ると溶けているように見えたのは突出部だけで、本体はほとんど傷ついていなかった。
ほぼ正方形だが、レーザー銃のような射出口が二つ飛び出ている。
完成版に比べるとあまりに簡素、としか言いようがない。
コウの背のセイは懐かしむようにその表面に触れ、目を閉じた。
「なんとなく、思い出した。俺は、これから生まれたんだ」
「……」
コウには何も言えなかった。
何より、セイが自らの出生を知っていた事に驚き、それでも変わらない笑顔を見せる事が酷く嬉しかった。
例えそれが彼の「感情を学習出来ない」という能力を示していたとしても。
「うん、最初にシン兄を見た。それから、ミリアナ。あと黒い眼のヒト……あ、あれ俺のオリジナルだ、マコトさん。それにあいつもいたなぁ、金髪のさ、そう、クライ」
「その4人が当時の主要メンバーだったからな」
シンは珍しく邪気ない笑顔を見せた。そうするとやけに幼く見える。
「コウに会ったのも覚えてる……6年以上前のコウの記憶がないって、当たり前だよなあ。だって俺が生まれたのは6年前なんだから」
そう言いながらセイは目を閉じてコウの肩に額を預けた。
幼子のようなその行動は、6歳という年齢を示しているようにも見え、コウはあまりに弱々しい声と力ない体に不安を覚えた。
「コウ、あんまり近寄るなよ、まだスタンバイ状態だ」
「……そうですね」
コウがプロトタイプを離れようとした時、端末からミリアナの切羽詰まった声が流れてきた。
「シン! 聖譚曲を破壊できない!」