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19 : ”創られた生命体”

 その頃、セイとジニアが残されたホールには、静寂が訪れていた。

 散乱したテーブル、クレーターのように凹んだ壁。

 積み上がった椅子の横に、黒髪の少年が倒れ伏していた。

 そこから数歩、少年とその敵との間にうずくまっているのは、黒髪の少女だ。

「そうまでして遂行するような任務ではないはずでしょう?」

 膝をついたジニアに冷やかな声をかけたのは、あちこちが破れすっかり汚れてしまったブラウスを着たビアンカだった。

 その背後にはスーツの上着を脱ぎ、包帯代わりにネクタイをシャツの上から負傷した腕にきつく巻いたジュラが立っていた。もう右腕は動かないだろう、だらりと体の横に下がっているだけの状態だ。

「ボスの邪魔をしないなら、私も引きさがりましょう。命のあるうちに退いた方が身のためですよ」

「…………だめ、この人が絶対に退かないから」

 彼女を庇って地に伏したこの黒髪の迷子係は、頑なに相棒の元へ向かおうとするだろう――それこそ、命を賭けて。

 ジニアはもうエネルギーの残り少ない傘を杖にして立ちあがった。もしエネルギーが尽きればこの傘はとてもジニアには持ち上げられない本来の重さに戻ってしまう。

 そうすればジニアに闘う手段はない。

 非力な彼女の唯一最強の武器がこのシンのくれた重力波発生装置だ。

 これが最後。

 ジニアは傘を握る小さな手に力を込めた。




**********




 冷たい床の感触から現実に戻ってきた。

 体が動かない。

 無理に動かそうとすると腕と腹に凄まじい痛みが走った。

「……ぅ」

 辛うじて声が出る。

 それだけで頭を殴られたようなショックが貫く。

 床に頬が当たってひんやりとしている。ぼんやりと焦点を合わせた先に、黒が見えた。

 何だろう。

 もっとはっきり見ようとすると少しずつ画像が鮮明さを増した。

「ジ……ニア」

 視界に入ったのが同僚の不協和音(ディッソ)係だと気付いた時、はっと意識が回復した。

 同時に痛みも鮮明になり、思わず顔を顰める。

 が、耳に届いた声がそのすべてを忘れさせるほど意識に響き渡った。

「駄目だ。この二人はここで殺す。創りモノを完成させるのは、すべてボスが最初でなくては意味がない」

――殺す

 その言葉が痛みを越えてはっきりと意識を旋回させた。

 だめだ。こんな所で倒れては。

 自分は、コウの元へ行くのだから。

 あいつは絶対に辛いなんて言わないから。手伝ってくれなんて、口が裂けても言わないから。

 だから、勝手に隣にいる。

 体を起こそうとすると支える腕ががくがくと震えた。体が悲鳴を上げている。

「まだ立ちますか」

 ビアンカの冷たい声。

 そして、ジュラの淡々としたバリトン。

「何故ヤツらはこれほど弱い少年一人がなぜ倒せなかったのか」

「……ヤツら?」

 荒い息でふらりと立ち上がり、きっとジュラを睨みつける。

「プロの暗殺者だというから雇ったというのに、何の役にも立たなかったヤツらだ」

「プロ――?」

 その言葉ではっとした。

 セイが無理やり連れ込まれたルバートで大変な目に遭っていた頃、コウは多人数の敵に襲われていた。

 おそらくプロだろうとコウは言っていたが、いつもなら返り血も浴びずに軽くいなし、撃退するコウにしては珍しく「殺した」事を全面に主張していた。

 要するに、相手がコウの命を狙っていたという事だ。

 コウの命を狙う奴は何であろうと叩き潰す。そう誓っていたセイにとって、ジュラの言葉は怒りを買うには十分すぎた。




**********




「あっそ、あれは……コウを襲わせたのは、お前だったわけ。探す手間省けたわ」

 言葉を発するにもふらふらと立っていたセイが、突然はっきりとした言葉を発した事に驚き、ジュラもビアンカも怪訝な顔をした。

「そうだ。警備をけしかけて殺人の罪を被せたのもボスが創るモノ以外を排除するためだ」

 その言葉を聞き、セイは軽く笑う。

「あれもお前だったのか……『殺られるまえに殺れ』これ、鉄則ね。あと、コウに手を出したのは失敗だったかもねー」

 中性的に整った顔に恐ろしい笑みを張り付けて、セイは一歩、踏み出した。

 先ほどまでとは違うキレたオーラに、ビアンカは一歩、退く。

 数歩目で立ち止まったセイはゆっくりとジニアの隣に転がった傘を拾い上げた。一瞬その重さに負けてよろけたが、すぐに体勢を立て直して左手一本で傘を持ちあげた。

「ごめん、俺、手加減って苦手なんだよねー」

 かなりの重さがあるジニアの傘がぶおん、と部屋の空気を切った。

 口の中の血を床に吐き出し、唇を袖で拭ったセイは、傘の先をジュラに向けた。

「覚悟する暇はないぜ?」

 ジュラは動かなくなった右腕を庇うように左手を前に構えた。

「ボスのものでない創りモノは破壊する」

「創りモノ創りモノうるせーよ」

 刹那。

 轟音と共にジュラが頭から床に叩きつけられた。

「――っ?!」

 隣のビアンカが大きく目を見開く。

 いったい何が起きたのか、認識できなかった。

 ただ隣にいたはずのジュラが一瞬視界から消えて、轟音が響いて――

「何が創りモノだって? もっかい言ってみてくれるかな?」

 気がつけば、ビアンカの喉元に傘の先がつきつけられていた。

 耳元に少年の声。

 ぞくりとするほどに艶っぽいその声の主は、明らかに黒髪の迷子係だ。

 とても振り向けない。振り向いたら殺られる。

「ついでに教えてくんない? その『創りモノ』とやらの秘密をさぁ」

 ごくり、と唾を呑む。

 違う。これは、先ほどまでの少年ではない。絶対的に違う何か。生物としての性能が全く違う、創られた生命体。

 現在の聖譚曲(オラトリオ)が出来る以前に、プロトタイプによって創られた「ゼロ」。

「俺、早くコウの所に行きたいんだよねー。簡潔に答えてくれる?」

 ビアンカは必死で、こくりこくりと頷く。

 絶対的なヒエラルキー。

 聖譚曲(オラトリオ)で多少情報を書き換えたところで、ゼロから創られた生命体に勝てはしないのだ。

「コウってさ、あいつ何者?」

「コウ=タカハラ、『紅緋の消失領域(ポータブル・イヴィル)』……彼は」




 ビアンカは自分の知る限りの知識をすべて話した。

 簡潔に、という彼の意志には反していたが、永久灰燼(ジ・エンド)の通り名を持つこの少年はどうやら思ったより気が長いらしい。

 コウ=タカハラの修復に携わった研究員の名を列挙し終わり、ビアンカはいったん口を閉ざした。

 ところが、話が終わった途端、大人しく聞いていた彼に動揺が走る。

迷子(トリル)? あいつが迷子(トリル)だったって? 生体が残っていた? じゃあ、あいつは人間――」

 途端に先ほどから背後に突きつけられていた鋭い殺気が消滅する。

「じゃあ、聖譚曲(オラトリオ)で創られた生命体は何だ? 迷子係は、創ったって……ゼロから創られたって言ったのは……」

 ビアンカは確信する。

 これはただの迷子係だ。先ほどまでの「ゼロ」ではない。

 それも自分の出生を知らず、動揺しているただの16歳の少年だ――6歳かもしれないが。

「あなたは何も知らないのですね、セイ=オルディナンテ――聖譚曲(オラトリオ)プロトタイプによって創られた世界初の人工生命体」

「――?!」

 背後の少年が息を呑んだのが分かった。

 その一瞬の隙をついてビアンカは少年の体を蹴り飛ばした。

 強化された肉体での一撃だ。黒髪の少年はそのまま後ろに飛び、壁に激突して床に落ちた。

 ビアンカは息を整えながらセイの元へ歩み寄る。

 武器になり得る傘を途中で拾い上げ――ようとして、あまりの重さに断念する。

 これを軽々と持ち上げるなど、やはり並の人間ではない。

 ぴくりともせず床に沈んでいるジュラを見れば、頭の形が変形している。後でボスに頼んで聖譚曲(オラトリオ)で元に戻してもらう必要があるだろう。

 自分と並ぶ忠誠心を持つこの男を、ビアンカは信頼していた。

 彼もビアンカも、何もかもを失っていたところをクライに拾われたのだ。

 ジュラはその年齢故、世界政府による教育世代との軋轢で居場所を失くし、ビアンカはその知性故に以前働いていたアルトの受付嬢から爪はじきにされた。

 二人とも、どうしようもなく周囲からはみ出ていたところをクライに救われた。

 そして、絶対の忠誠を誓ったのだ。




**********




「げほっ……」

 口から真っ赤な血を吐いて、セイはぐったりと壁にもたれかかった。

 服に大量の血液が撒かれる。

「な……あ、それ、本当なのか……? 本当にコウじゃなくて俺が『創られた方』なのか……?」

 荒い息の下から確認を求めるセイを、ビアンカが冷たい瞳で見下ろしている。

「嘘をつく理由なんてありませんから」

「そ……か」

 コウは創りモノなんかじゃなかった。

 不思議なほどに安堵していた。

 無理をして動かした体はもう言う事を聞かなかったし、全身は痛みを通り越して熱くなり、その直後、急激に冷えていった。

 喉の奥からごぼごぼと血が上ってくるからきっと内臓を傷つけたんだろう、と思う。

 このままでは危険だろう事はすぐに分かった。

 ああ、でもコウに会いたい。

 降りてくる瞼に負けそうになった時、よく聞いた声が耳に届いた。

「すまんが、ビアンカだったか、そこ、どいてくれるか? そいつを回収しなくちゃいけないんでね」

 冷えて行く指先がぴくりと動いた。

 この声は。

「部下の不始末は上司の責任でね、そこのオヤジと一緒にお前もちょっと眠ってろ」

 きぃん、と不快な高音が響いて、ビアンカが床に崩れ落ちた。

 落ちてくる瞼に逆らって見上げると、見慣れた蒼い瞳が見下ろしていた。

 背にはジニアを背負い、手に黒い傘を持っている。

「少しだけ待っていろ、すぐにコウの処へ連れてってやるから」

 シンの穏やかな声を聞きながら、セイは意識を手放した。





 次に目を覚ました時、最初に目に入ったのが美しい真紅の瞳だった事に安堵した。

 生まれて初めて、神に感謝した。

「……コウ」

 知らず唇の端が上がって微笑みの形をとる。

「キミは馬鹿ですか」

 覗き込む相棒の顔が青ざめているのは気のせいじゃないだろう。

 多数の切り傷が刻まれたコウの指がセイの頬に触れた。

 いつも辛辣な台詞を投げ掛ける相棒が優しいのも気のせいじゃないと思いたい。

「よかった……コウが人間で」

 よく分からない言葉が口をついた。

 しかし、セイの心の中のすべてだった。

「いったい何を言っているのですか、理解できません」

 抑揚のない声の中にも動揺が見える。

 長い付き合いだから。

 今度は確信した――コウはきっとここに来るまでは知らなかった筈の真実を知った。セイが「ゼロ」と呼ばれる創られた生命体である事も、コウ自身がかつて迷子(トリル)であった事も。

 相棒はすべてを知って、それでも自分の隣にいてくれる。

「何故逃げなかったのですか、相手は聖譚曲(オラトリオ)で強化された者達だったのでしょう? しかも弾切れのキミとエネルギー切れのジニアでは、勝てるはずがない事はすぐに分かったはずです」

 ここでコウを助けに来るためだ、と言ったらきっと相棒は嘲笑するだろう――キミに心配されるほどボクは間抜けではありませんよ、と。

 だから、言わない。

 実際、あの時にシンが来なかったら死んでいたかもしれない。それを相棒に知られるのは非常に悔しい気もするので黙っておく事にする。

 これほどに満たされた心を味わえるのが、自分を「創って」くれたシン達のお陰なら、一度くらい礼を言ってもいいかもしれない。


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