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18 : 現実化した理想郷の恐怖

 セイが「ゼロ」――?!

 頭を殴られたようなショックだった。

 屈託ない笑みを、拗ねたような表情を思い出す。あれが、創りモノ?

 そんなコウの様子を見て、シンは視線を伏せた。

 クライの押し殺した、喉の奥から絞り出すような笑い声だけが響き渡る。

「では、ボクはいったい何ですか?」

 喉がからからに乾いてうまく声が出ない。

 真実を知ったというのに、現実が揺らいでいる。

 シンは彼に似合わぬ落ち着いた声で、言葉を選ぶかの様にゆっくりと言葉を紡いだ。

「……覚えているか分からないが、お前は情報危機(サイバーショック)虚構(タチェット)に取り残された迷子(トリル)だった。しかも、完膚なきまでに破壊された情報体だ。もしあの時生体に繋がっていれば、欠損が酷過ぎてフィードバックで死に至るほどにな」

 耳から入るシンの声が遠い。

 手も足も、現実感がない。

「そしてその迷子(トリル)を解析してみると、辛うじて残った生体情報から身元が割り出され、情報体を切り離された生体は世界政府直属の病院内で、未だ昏睡状態のまま生きている事が判明した。もちろん、情報体を突然切り離された生体はかなり危険な状態で、そのままにしておけば確実に生命が危うかった」

 何を考えていいのか分からない。

 こんな感情を有した事がなかったから、どう対処していいのか分からない。

 喪失感と安堵をごっちゃにしたこの感覚を、人はいったい何と名づけるのだろう?

「だが、もしかすると、『情報体を修復して生体と繋げば回復するんじゃないか』――当時の俺は直感的にそう思った」

「……それでまず、虚構(タチェット)に取り残されていたボクの情報体を修復した、と」

 心臓の音が耳元で鳴り響く。

「ああ、そうだ。当時、俺は医学を始めたばかりだったもんだから、クライや他の研究員にも助けを求めて――俺は、お前を実験台にしたんだ。これから先きっと問題になるであろう虚構(タチェット)迷子(トリル)と、未だ昏睡を続ける多くの人間を救う手段の一つとして有効なものになるかもしれないと、お前を使って確かめたんだ」

 それでも、まるで懺悔のようなシンの言葉は、少しずつ、少しずつコウの中に入り込んで、徐々に彼を落ち着けていった。

「実験は、成功した。ただ、接続とフィードバックの際にいくらか身体に影響があったがな。お前の赤目と半端な髪の色はその名残だ」

 言葉にならなかった。

 あまりのショックに脳が考えるという機構を麻痺させていたのかもしれない。

 自分は「ゼロ」ではなかった。しかし、別の意味での「創りモノ」であった。

 セイ――セイは果たして自身が無から創られた事を知っているのだろうか? セイはだったらこんな時、いったいどう笑う――?

 こんな時だというのに浮かぶのは、なぜか相方の笑顔だった。

「ジニアとダリアもお前と同じように創った。歳はバラバラだが、フィードバックは同じ時期だ。セイを創る4年前、情報危機(サイバーショック)からそう経っていない時期だった。ダリアはすでに10歳を越していたからな、3人の中では当時の事を特異的にかなり覚えているようだった」

 シンの口から「創る」という言葉が出るたびに、胸の辺りがずきずきと痛む。

 こんな感情は初めてだ。

 コウだけでなくダリアとジニアもそうやって修復した体らしい――先ほどジニアに覚えた連帯感をほんの少しだけ理解した。

 彼女もコウと同じ創りモノだったのだ。

「では、セイは……」

「……6年前に俺達は聖譚曲(オラトリオ)のプロトタイプでセイを創った。あの時はまだ理論が完全でなく、ほとんど偶然創ってしまった、というのが正確だ。お前はセイの設計図を見ただろう? もし何かあった時に、と思ってお前にだけ渡しておいた」

 シンから受け取ったブルーレイディスク。確かにそこには「ゼロ」と名付けられたファイルが在った。

 ゼロとイチだけで構成された設計図。情報のカタマリ。

「何もないところから遺伝子を書くのは難しかった。だから、当時研究員の一人だったマコトの遺伝子をベースにした」

「マコト=アルト=ビグリッジ、ですね」

 コウの声は微かに震えていた。

 そのあまりに珍しい反応から、彼がどれほど動揺しているかが知れた。

「ああ、そうだ。マコトは極東の地方語で『マコト』という字を書く。それを大陸読みに直せば『セイ』となる」

 マコト――誠――セイ

 コウの頭の中で何かが繋がっていく。

 忘れかけていた記憶が蘇る。初めてセイと出会った時、それはすでにソルディーノの本部が完成していたように思う。

 とても綺麗な人間だと思ったのをよく覚えている。絹のような黒髪も闇を集めて作った漆黒の瞳も、中性的な顔立ちも均整のとれた体型も、今から考えてみれば創られたモノゆえの美しさだったのか。

「セイはそれを知らないんですね」

「ああ。不自然でない程度にいくらか記憶を上書きしてある。創られた時点で10歳の設定だった。特にコウ、お前は3人の中では最も情報体の破損がひどかったために記憶系統もまだ安定していなかった。ちょうどいいと思って誤魔化すためにお前らを一緒にしておいたんだ」

 本当なら存在しないはずのセイの存在を、情報危機(サイバーショック)ですべてを失った少年と重ねて存在を誤魔化す為に。

「だが、セイは教育を受けてねえ。肩書き持ち程度に知識は与えてあるがな」

 そうだ。セイと一緒に教育を受けた記憶はない。学習機関へ通うのは何時も一人だった気がする。

「あいつは感情が決定的に足りてねえからな。あいつの中には悲しみも恐怖も不安も執着もない。しかも、その感情を学習する事もねぇ。いつまで経ってもあいつはあいつだ。どんな経験を経ようともな。たとえ死ぬ事になってもあいつは笑うだろうよ」

 ゼロは自分の方だと思っていた、という言葉を飲み込んで、コウは唇を引き結んだ。

 空虚な心、死に安息を見出す不確定性、願いもなければ怒りも悲しみも絶望さえないコウの中身は、創りモノと呼ばれるに相応しいものだと思っていたから。

 それなのに。

 喉の奥から絞り出す乾いた笑いが響く。

「懐かしい、『ゼロ』が完成した時は4人で抱きあって喜んだね……それもマコトが壊れて、君が『ゼロ』を連れてアルトを裏切るまでの話だけど」

 楽しそうに目を細めたクライは、また喉の奥から絞り出すように笑った。

 笑い続ける昔の同僚を冷やかな目つきで睨んだシン。

「セイを創りだしてしまったからこそ俺とマコトは自分の考えの浅さに気付いたんだ。人間を創りだす事の恐ろしさを」

「恐れるだけでは前進できないよ、シン。時には勇気を持つことも大事だ」

「お前のは勇気でも何でもない、ただの無知で、無茶だ。危険性は俺やマコトがずっと叫んできたはずだ。今ではミリアナも理解した……なぜ、分からない? 人類が手にするには大き過ぎる力だという事がなぜ理解できない?」

 だんだんと言葉に力が籠ってきたシンは、必死だった。かつての同僚を止めるために自分のすべてをぶつけていた。

 そこにいるのはソルディーノのボス、シン=オルディナンテではなく、シン=アルト=オルディナンテという一人の研究者だった。

「そんな危険とは比べ物にならないほどの恩恵があるというのに、どうしてシンはいつもそうなのかな。どうしてこの素晴らしい研究を否定するの?」

 いつしかコウの掌には握りしめたワイヤーが食い込み、床にぽたりと雫を落としていた。

「重傷を負った患者でも、聖譚曲(オラトリオ)をつかって情報空間に取り込み、修復をすれば全快だ。治らない病気はないよ! 正常な状態の情報に書き換えるだけなんだから。壊れたプログラムを修復するみたいにね」

「そうすればどうなる? 新しい不老不死理論の完成か? それとも理想郷(ユートピア)の実現か? それこそ、情報危機(サイバーショック)の再来を誘発するだけだ!」

「そんな事はないよ。だって、この機械さえあれば生体を失った迷子(トリル)さえ現実世界に生体として蘇る事が出来るんだから!」

「そうやって大量の亡霊で溢れた世界が理想のわけがないだろう! 生と死が曖昧になり、健康である事の恩恵がなくなり、物を食べずとも生命活動は続く。生きる努力をせずとも生きられるようになった人間たちの集まりが、どうして文明を存続できる?」

 聖譚曲(オラトリオ)が汎用されるようになれば、食物を摂取せずとも生が存続する世界が実現する。生殖せずとも生命は創られ、情報を書き換えるだけで老いる事も死ぬ事もない。もし何かの事故で亡くなったとしても、バックアップさえあれば何度でも復活できる。

 シンの叫びの根底を理解した瞬間、コウの背筋を冷たいものが通り抜けた。

 初めて、聖譚曲(オラトリオ)の恐ろしさを心の底から理解した。

 聖譚曲(オラトリオ)は世界を崩壊させる恐ろしい兵器だ。

 その先には、核兵器で地球を破壊しつくすより恐ろしい世界が待っている事になる。

「人間が持つには、少なくとも現代においては大き過ぎる力だ。だから、まだ早い。遥か未来に託すべきオーパーツだ」

 シンが断言した。

 その言葉に、コウは深く納得した。

 そして、何が何でもこの任務を遂行しなくてはいけないと思った。

 何に対しても執着がなく、感情を波立たせる事もなく、ただ淡々と毎日を過ごすだけだったコウの中で「恐怖」が後押しした「必死」。

 ただ、怖かった。恐怖などこれまで感じたことなどなかったというのに、世界が崩壊するビジョンが明確に映し出された今、酷く怖かった。

 欠落していた心の欠片を拾い上げる。

 コウは、そう言った意味で人間だった。

 新しい感情を受けて、少しだけ心の形を変えることが出来るという点で。


 平行線をたどる口論を続けるシンとクライ。

 が、唐突にクライは声のトーンを落とした。

「じゃあ聞くけど、シンはもう二度と『シェリー』に会えなくてもいいって言うんだね」

 その言葉でシンの眉が跳ね上がった。

「可哀想にまだ眠ったままで、彼女は17歳のまま君だけが年をとっていく。これ以上待たせるの? 君が年をとって、死んでも?」

 シェリー。

 コウには聞き覚えのないその名は、どうやらシンにとって嬉しいものではないらしい。

 モニターの中で一瞬にして極寒にまで冷え込んだシンの表情。その唇から、冷たい声が漏れた。

「二度とその名を出すな、クライ。いくら貴様でも許さん」

 トーンの低いシンの声から怒りが漏れ出して、コウは思わず息を止めた。

「コウ、もういい。この(バカ)を説得する事は不可能だ。聖譚曲(オラトリオ)を破壊しろ」

 ぶつん、とモニターの電源が落ちた。





 シンを一瞬にしてあれほど凍らせるシェリーと言う名が少し引っかかったが、意思を強く持ち、動き始める。

 破壊しなくては。

 今度は、自分の意思で。

 クライを近くの柱に括りつけて自由に動けなくしてから次の作業に入った。

 後ろで彼はずっと何かをぶつぶつと呟いている。それが非常に恐ろしくもあったが、恐怖を感じるほどの荒廃した未来を想像出来てしまったコウにとって、作戦決行の方がよほど重要だった。

 まずは聖譚曲(オラトリオ)の起動。

 先ほどの会話で聖譚曲(オラトリオ)が既に完成している事は分かっている。この場合、作戦は「最悪」の場合への対処に移行する。

 しかし、この場合の破壊は最も簡単だった。

 まず聖譚曲(オラトリオ)を起動し、さらに現在では情報としてしか残っていない「プロトタイプ」を聖譚曲(オラトリオ)の原子具現化機能によって具現化する。

 聖譚曲(オラトリオ)プロトタイプは、情報を具現化するだけでなく、物体を完全に情報空間に取り込む機能を備えている。ユニゾン・システムのような疑似神経を走らせる中途半端なものではなく、取り込んだものを現実世界から消してしまうという文字通りの情報化だ。

 その機能を使い、プロトタイプで聖譚曲(オラトリオ)を情報化、情報空間内に待機するミリアナとシンが情報体と化した聖譚曲(オラトリオ)を「ゼロ」と「イチ」に分解するという、まるで言葉遊びのような作戦だった。

 プロトタイプはエネルギー値の設定に問題があるが、それは具現化の方で、情報化の機能は完成している。また、その大きさは比べるまでもなく聖譚曲(オラトリオ)より非常に小型のものだ――2メートル四方あるらしいが、何階分も天井をぶち抜いて存在する完成版に比べれば非常に小さい。作戦が終了すればセイたち3人が物理的に破壊する事になっていた。

 聖譚曲(オラトリオ)の大部分はエネルギー、つまり重力波の発生装置だ。

 あの部分を単純に破壊した場合、その凄まじいエネルギーでこの街一つくらいは吹っ飛んでしまうかもしれない。

 だからこそ、重力波を重力波で相殺し、プラズマの発生も最低限に抑える必要があった。そのためのプロトタイプだ。聖譚曲(オラトリオ)の破壊には聖譚曲(オラトリオ)を。

 また、プロトタイプを具現化するのもそのエネルギーを使いきるという目的も大きい。

 時間も人手もなく、また街の人間を避難させるような権限も持たないシンたちに残された唯一の道だった。

 もし聖譚曲(オラトリオ)が完成していなかった場合、その完成度に応じて幾つもの作戦が練られていたのだが、完成していたのだから、もうそれらは意味を為さない。




 混乱と恐怖とが過ぎ去り、またいつものように凪いだ心に戻ったコウは、クライの代わりに聖譚曲(オラトリオ)のメインパネル前に立った。

 本来なら一人で操るような機械ではない、とはミリアナの言葉だ。

 だが、セイとジニアが到着していない今、一人でやるしかなかった。

 最もコウは最初から一人でやる自信があった――創りモノの頭脳は、新たな知識を吸収していった。もとが器用なコウだ、理屈さえ分かってしまえばどれほど複雑に入り組んだ仕組みも肌で理解した。

 シンが英雄(ヒーロー)に仕立て上げようとしているという事実など露知らず、コウは集中して聖譚曲(オラトリオ)の操作に入った。





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