5−1
図書館に行くのを、数日さぼった。
翌日の謝罪もできなかったのに、今更、真緒さん達に会わせる顔がなくて。
こっそり持ってかえった山口屋のせんべいが、ベッドの下でいつも私を責め立てていた。
謝らないといけない。そうは思うけれども、どこかで黒い感情もうごめいていた。
別に無事だったからいいじゃないか。ただの事故っていうことでいいじゃないか。
私がいなくても構わないんだから、いいじゃないか。
そう思ったら、図書館には行けなかった。
だけれども、代わりにいつもの神社や河原に居たら結局、会ってしまう気がして行けなかった。
だからといって急に帰宅時間を早めたら叔母さんにまた、余計な心配をかけてしまうし。それで仕方なく、学校の図書室に行くことにした。
学校にも本当は居たくないのだけれども、背に腹はかえられない。
それに、飽きたのかなんなのか、最近は嫌がらせもなくなった。
たまに、机に変な手紙が入っているけれども、それだけだ。
飽きてくれたのならば、それでいい。
次に図書館に行くのを決めたのは、丁度真緒さんがいなくなる時期を見計らってのことだった。
隆二さん一人のときは、図書館に来ないことはわかっていたから。
それなのに。
「……ども」
いつものように駐輪場に自転車をとめようとしたら、入り口のところに隆二さんが立っていた。
つまらなさそうな顔をして。
「……こんにちは」
驚いた心を押し隠すように、淡々と挨拶する。
「お一人、ですか?」
わかっていることながら聞いてみる。
「ああ」
「珍しい、ですね」
「ん」
沈黙。
そもそも、一人で図書館にくるのはいいとして、なんでこんな、入り口のところでぬぼっと立っていたのだろうか。
中に入ればいいのに。
立ち去るにもいかない空気で、どうしたものかと思う。
隆二さんは、困ったように首筋に手をあてると、
「あのさ、」
「はい?」
「なんで、ここ最近、ちっとも図書館に来なかったの?」
心臓がはねた。
もしかして、ここで私がくるのを待っていて、くれたの?
「最近、いなかっただろ? いつもいるのに。神社とか、河原にもいなかったし……。なんか、病気でもしたんじゃないか、なにかあったんじゃないかって」
心配、してくれていたのだろうか? 隆二さんが。
真緒さんのこと以外、興味なさそうなのに……。
そう思ったら、心臓が早鐘のようなりはじめた。
私のことを、心配してくれていたのだろうか。
「……あの」
「心配してたよ、あいつ」
隆二さんが当たり前のように続けた言葉に、言いかけた言葉と、気持ちが、風船のようにしぼんでいくのがわかった。
心配していたのは、真緒さん。
真緒さんが、心配していたから、隆二さんも気にしていただけ。
考えてみれば、当たり前のことだ。
わかっていたことをつきつけられて、じくりと心臓が痛んだ。
「今ほら、いないんだけど。俺に確認しとけってうるさくって。この前のこと気にしているんだったら、別に大丈夫だから。事故なんだし。っていうか、俺も悪かった、なんか感じ悪かったろ?」
「……いえ」
心がシーンとして、驚く程冷静になったのが自分でもわかった。
隆二さんが事故だと思っていることに安心する一方で、落胆もしていた。私はもう二度と、この件について自分の悪事を暴露することはできないだろう。ずっと、持って生きることになるのだろう。
冷静にそう考える。結局、また保身だ。
「ちょっと学校の課題が大変だった、それだけです」
まっすぐ見て、そう答える。
「そうなんだ?」
「はい」
大丈夫、ちょっとごまかせば、簡単に納得してくれる。
みんなそうだ。
「……本当に?」
なのに、隆二さんはちょっとだけ、眉根をよせてもう一度尋ねてきた。
「……本当です」
「ふーん」
納得していないような声。
「……何が不満なんですか」
思わず睨みつけると、いたずらっぽく笑われた。
「だって、嘘つきじゃん」
「嘘なんか!」
「まわりのみんなに、嘘で隠し事をして生きている」
言われた言葉に口ごもる。
それは、そうだけれども……。
「本当は?」
ちょっとだけいつもより優しく笑いながら、改めて問われる。
だけど、本当のことなんて言えるわけがない。
貴方が事故だと思っていることは、本当は私がわざとやったことです。真緒さんを殺して、代わりに私がその場所につきたかった、なんて。
「学校の子の嫌がらせのことなら、俺に隠す必要ないだろう」
それはそうだ。
隆二さんと真緒さんになら、なんでも話せる。そう、思っている。
思っていた。
だけど、違った。
話せないこともあった。
「……言えない、か」
私が黙って俯いていると、ふっと呆れたように笑った。
怒られるだろうか。
身を堅くしていると、
「言えないなら言えないでいいさ」
思っていたよりもあっけらかんとした言葉が降って来た。
「え?」
顔をあげる。
「人間誰しも、言いたくないことの一つ二つや百八つ」
なんで煩悩の数?
「そりゃああるだろう。それなら、言わなくていいよ、別に」
俺だって別に無理して聞きたくもないし、となんだちょっぴり、ひとでなしな発言も付け加える。
「だけどさ、嘘はやめよう。隠し事するならば隠し事でもいい。黙っていたいなら黙っていてくれてもいい。だけど、嘘をつくのだけは、やめたほうがいい」
いつになく真剣な顔でそう言われる。
「……嘘」
「そう、嘘」
軽く頷いて、
「それだけは、真緒にも約束させてるんだ。お互いに、嘘はつかないようにしようって。隠し事はしていいけれども、嘘をつくのはやめようって」
そして、ちょっとだけ、なんだか寂しそうに笑う。
「昔、嘘をついたせいで失った人間関係とか、あるからさ。嘘をつくのもつかれるのも、本当、いやなんだ」
そのまま小さな声で呟いてから、
「ま、どうでもいいか、こんな話」
恥ずかしくなったのか、照れたようにそっぽを向いた。
「……すみません」
何をいえばいいかわからなくて、代わりに一つ頭をさげる。
「謝ることではない」
「……でも」
嘘をついたから。
隆二さんは何も言わない。私の言葉を待っているみたいに、じっと、私のことを見ている。
私が嘘じゃないことを言うって、信じて待っていてくれる。
この人は、やっぱり、とっても優しいんだと思う。
ちょっと悩んでから、ゆっくりと言葉をつむぎはじめた。
「……なんていうか、ちょっと色々あって、図書館に来たい気分じゃなかったから来なかった。それだけです。別に学校でなにかあったとか、そういうんじゃないです、それは本当に」
本当のところは隠したまま、それでも本当のことを告げると、
「そっか」
隆二さんは軽く頷いた。
「まあ、病気とか、なんか大きなもめ事が発生したとかじゃなかったなら、いいんだ。心配してたからさ、真緒も」
「……はい。あの、謝っておいてください、真緒さんに」
「うん」
隆二さんは、伝えておくよ、と一つ頷いてから、
「でもさ、迷惑じゃなかったらでいいんだけど、今度ちゃんと、直接顔見せてやってくれよ」
「え?」
「どうせ来るし、図書館」
「……いいんですか?」
「え、何が?」
きょとんとした顔で言われる。
咄嗟に問いかけてから、そういえば何が問題なのか、自分でもわからなかった。
家には来るなと言われたけれども、それはまあ迷惑だからってことであって、会うこと自体を嫌がられてはいなかった。
「……迷惑じゃないですか?」
「いや、それはこっちの台詞だけど……」
隆二さんが困ったように笑う。
「あいつ、自由気ままで迷惑かけていて、うざかったら本当、遠慮なくシカトしてくれていいから。優しくするとつけあがるから、ちょっと突き放すぐらいでいいんだよ、あいつは」
そんな言葉を、ちょっと楽しそうに笑いながら言われる。
……この人、あれで真緒さんのことを突き放しているつもりなんだろうか?
めちゃめちゃ甘やかしているようにしか、見えないんだけれども……。
「あとさ、自分でこういうこと言うのもなんだけど、俺らみたいなよくわかんないやつが、あんたみたいな中学生と一緒にいたらさ、ちょっと怪しいっていうか、周りは心配するじゃないかなーっていうのは、思っているけれども」
「……それは、まあ」
澪に言われたことを思い出したら、否定もできなくって、結局曖昧な笑みを浮かべてしまう。
「ああ、やっぱり」
苦笑される。
「なんか言われた?」
「……まあ」
曖昧に頷くと、
「だろうなー」
と頷いた。
「だからまあ、周りに心配かけない程度にさ、図書館で会うぐらいで」
それにこくんっと頷いた。
図書館でならまた会えるのか。
ここは私の居場所だと思っていいのか、そう改めておもった。
「あ、あとさ、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「はい」
なんだろう?
隆二さんが聞きたいことって。
そう思ってしっかり顔を向けると、
「あーいや、まあ、どうでもいいことなんだけどさ」
がしがしと片手で頭を掻きながら、ちょっと面倒くさそうに、
「ピクルスって、スーパーでも売ってるもん?」
「え?」
ピクルスって、あのピクルス? 食べ物の? ハンバーガーとかによく入っている、あの?
「え、わかんないですけど。売ってるんじゃないですか?」
前、瓶詰めのを見たことがあるような気がする。
「そっか。じゃあ行ってみるかな」
呟く。
それにしても、隆二さんとピクルスってなんだか変な組み合わせ。失礼だけど、似合わない気がする。
「……なんで、ピクルスなんですか?」
「真緒がさ」
ほら、また真緒さん。
「ピクルスって何? とか聞いてくるから。説明するより、食べさせた方がはやいかと思って」
「……なんでピクルス?」
「読んだ絵本に載ってたんだと。なんか、虫が色々食べる話」
「……ああ、『はらぺこあおむし』」
あおむしが色々食べていって、最後は綺麗な蝶になるお話。鮮やかな色彩が目を引く一作だ。
そういえば、あおむしは土曜日にチョコレートケーキとかアイスクリームとか、色々とたくさん食べていた。よく覚えてはいないけれども、ピクルスぐらい食べているかもしれない。
「さすが、よく知ってるなー」
隆二さんが感心したように頷いて、それになんだかむず痒くなる。
それにしても、だからってわざわざ買いに行こうとするなんて。
それで甘やかしていないというつもりなのだろうか?
隆二さんは本当、真緒さんのだるまどんだ。うらやましい。
「じゃあ、俺帰るわ」
会話を終えると、用が済んだと言わんばかりに隆二さんが歩き出す。
今日は図書館に用がないのに、わざわざ来てくれていたのか。
私に会いに。
申し訳ない気持ちと、嬉しさがごちゃまぜになる。
それから、せっかくふたりっきりで会えたのに、もう別れてしまうことが悲しい。真緒さんがいなくて、二人で会うことなんて、もうないかもしれないのに。
「あのっ」
声をかけると、隆二さんは立ち止まって振り返った。
声をかけたものの、どうしたらいいのかわからずに、口ごもってしまう。
「どうした?」
私があまりにも黙っているから、数歩戻ってきてくれた。
この人は、優しい。真緒さんのおまけ程度にだけど、私に優しさをくれる。本当は、それで十分のはずなんだ。私になんか身に余ることなんだ。
だけど、少しもらったら、全部欲しくなる。
あの無条件の優しさを、全部私に向けて欲しくなる。
そう思っていたら、不思議そうな顔をした隆二さんが、用がないなら帰るけど? なんて呟くから、慌てて、
「あ、あの、この前の人、誰ですか!」
言葉を発したのがそれだった。
「この前?」
「真緒さんに怪我させちゃったから、お詫びに行こうと思ったら、女の人、いて。金髪の」
何を問いつめているのか、とは自分でも思ったが、聞きたかったことは事実だ。
「ああ、恵美理」
隆二さんは納得のいったように、一つ頷いた。
恵美理。呼び捨てにされた名前に、心臓がきゅっと縮まる。
ああ、この人が、真緒さん以外に呼び捨てする女のひとがいるなんて。
「俺と真緒の共通の知り合いで、あの家に住むにあたって色々世話になったんだ」
お世話になった人。それなら、仲良くしていても不思議はない。
そうは思うものの、納得できない私がいる。
だって、考えてみたら、私、隆二さんに名前を呼ばれたことが、一度もない。名字ですら。
ああ、そもそも、隆二さんは、私の名前を知っているのだろうか?
全然近づけない。こんなに近くにいるのに。足りない、届かない。
だけど、欲しい。
「……駄目ですか?」
なんだか色々な感情がないまぜになって、気がついたら言葉を発していた。
「え?」
小さな声で呟いた言葉に、聞き取れなかったのか、隆二さんが少し身をかがめる。
「私じゃ、駄目ですか」
「は?」
不思議そうな顔をする隆二さんの手を掴むと、背伸びする。
顔を顔を近づけると、
「私の、魔法使いになってください」
そう呟いて、隆二さんの唇に自分の唇を押し付けた。
……目測誤って、どっちかって言うと顎だったけど。こんなときにも決まらないなんて。
顔を離すと、隆二さんは、びっくりするぐらいの無表情になっていた。
怒っているのでも、呆れているのでも、ましてや照れているのでもない、無表情。
それを見ていたら、すっと感情が落ち着いた。
とんでもないことをした。まっさきにそう思った。
冷静になると、恥ずかしくて、顔に血が全部あつまりそう。それでも、私は視線を逸らさないでいた。
「……俺は魔法使いなんかじゃない」
しばらくの沈黙のあと、隆二さんがそう吐き出すようにして言った。
「真緒さんの、魔法使いです」
ひるみそうになる気持ちを抑えて、そう言う。
「それをやめて、私の魔法使いになってください」
「意味がわからん」
「私にも、魔法をかけて、ここから連れ出してください」
隆二さんが、ほんの少し顔をしかめた。
「……ああ、そういうことか」
それから、少しの間のあと、何に納得したのか、そう呟くと、ゆっくりと溜息みたいな息を吐く。
「真緒がなんて言ったか知らないが、俺は魔法使いなんかじゃない。こんなこと自分でいうのもどうかと思ったけど、俺と真緒の関係を表すのに、同居人よりも、もっと適切な言葉がある」
そこで、一呼吸置くと、
「共依存だよ」
ゆっくりと、言い聞かせるようにそう言った。
「共依存?」
「お互いがお互いによりかかってる。もしも、俺が真緒に魔法をかけていたのだとしても、それと同じぐらい真緒が俺に魔法をかけている。俺が真緒を助けたんだとしても、その分、真緒が俺を助けたんだ」
そうして、なんだか困ったように笑う。
「……落ち着いて、周りをちゃんと見た方がいい。あんたのことをちゃんと考えてくれているのは、あんたを助けてくれるのは、俺じゃない。絶対に」
「そんなのっ」
そんなの、いるわけがない。いるなら、どうして、こんなに苦しいの?
「渦中にいると気がつかなくても、どこかに出口はある。だから、ちゃんと周りを見た方がいい。あんたから動いて周りを見回せば、手はあるはずだ。じゃないと、せっかくの差し伸ばされた手も気がつかない。それは、お互いにとって不幸だ」
いつになく、しっかりした口調で、はっきりと隆二さんが断言する。
そんなこと、本当にあるというの?
私がよっぽど酷い顔をしていたのだろう。ふっと空気が抜けるみたいに隆二さんが笑った。手の甲で軽く、私の頭を一度叩く。
「乗りかかった船だ。あんたの魔法使いとやらには、天地がひっくりかえってもなってやれないが、鼠ぐらいにはなってやる」
「……鼠?」
「いるだろ、確か。シンデレラに。助けてくれる、友達の鼠が」
「……ああ」
曖昧に頷く。
それから、ああ、でも友達とは思ってくれているのだな、と思った。
やっぱり、名前は呼んでくれないけど。
「今日のことは忘れるから」
「……はい」
それはそれで、悲しいけれども、きっとそっちの方がいい。一時の、気の迷いだと思ってもらった方が。
「また、そのうち。図書館で」
「……はい」
小さく笑うと、隆二さんは去って行った。
私の魔法使いになってくれなかったあのひとが。
だけど、私はやっぱり、貴方に魔法使いになって欲しかった。
なんだか泣きそうになるのを、唇を噛んで堪えた。




