主人と従者とメガロニアⅣ ご主人寝室に忍び込む之巻
「前回までのあらすじ!」
「うむ!」
「ご主人、浮気発覚!」
「んなわけないだろ!!」
「じゃ、一生おいらだけを愛してる!」
「極端から極端に転ぶな!」
「マオ……?」
名を呼ばれた気がして、シアンは眼を醒ました。
身体を起こす。ベッドの上だ。
(あれ? そもそも、なぜ私は寝ているんだ?)
ミラウラが来たのは憶えている。
それからクッキーをもらい、明日、王女と特別試合をするという話をして、そこからの記憶が曖昧だった。
眼を時計に向けると、あれからかなり時間が経っている。
「つ……ッ」
床に降りて直立した瞬間、頭が鈍痛を訴えた。
かすかに、吐き気と目眩も感じる。
持病の拒絶反応とはまた別の、気怠さを伴う不快感だった。
(まさか…………)
さっきまで着いていたテーブルに向かい、周囲の床を隈無く観察する。
すぐさま絨毯の上に染みを見つけ、這いつくばって顔を近づける。
丁寧に拭き取られて目立たなくなっているが、鼻を近づけた瞬間、やはり、とシアンは苦い表情を作った。
かすかな茶の香りに混じる、苦味と酸味を伴った臭気。
ミラウラの煎れた茶には、シアンの最も苦手とする液体が籠められていたのだ。
酒である──シアンは一滴も飲めない、極めつけの下戸だった。
茶に果実酒の類を混ぜるのは、ガルボ大陸ではしごく一般的な文化である。
それゆえ普段から気をつけてはいたのだが、今回はクッキーと王女の話に気を取られすぎて、注意を怠ってしまったようだ。
立ち上がったところで、テーブルの上に見覚えのないメモ書きがあるのに気づいた。
『お医者様に診ていただきました。
お酒に弱かったのですね。
そうとは知らず失礼をいたしました。許してください。
別件で隊舎に戻りますが、明朝あらためてお詫びに上がります。
あなたのミラウラより』
医者が診てわかるくらいとは、いったい自分はどんな顔で気を失っていたというのか……
ともあれミラウラには明日、こちらからも詫びと礼を言っておかねばならない。
それにしても〝あなたの〟とはまた強烈な言い回しである。これはメガロニア独自の文化なのだろうか。
考え込んだだけで、シアンは頭が痛んだ。
「マオ。マオ、いないのか?」
こんなときには、マオのマッサージが一番効く。
しかし待てど暮らせど、返事はこない。
ふざけて隠れん坊でもしているのかと、さっきまで自分が被っていた布団を剥いでみた。
……いない。
ベッドの下……いない。
クローゼットを開き、風呂場を覗き、旅袋のなかを覗き、便器の中を覗き、己のズボンの中を確認したところで────
「いやいや、流石にそれはない」
我に返った。
マオは気分屋だが不作法者ではない。外をぶらつくなら、その前に必ず、頼まれた遣いの報告はする。
自分が昏倒している間に、なにかがあった?
胸騒ぎに急かされ、シアンは女装もそこそこに部屋を発った。
だが中庭へと飛び出た瞬間、慌てて気配を消し、棟の壁に背を貼り付けた。
星明かりの歩道を、三人の親衛隊員が歩いてゆく。
夜警である。みな一様に、腰から拘魔縄を提げている。
警備員の標準装備なのか、それともイグニスを警戒してのことなのか。
思えばあのメス魔族、マオに敗れて以降、姿を見たという話を聞いていない。
シアンは歩道に出ることなく、壁を伝うように衛隊棟へと向かった。
棟同士を繋ぐ空中回廊は使えない。外と違って、狭い回廊内で誰かと鉢合わせになれば、隠れるところはないからだ。
長い道のりだった。迎賓棟と衛隊棟は、闘技場を挟んで、ちょうど反対方向に位置している。闘技場は夜間の入場を禁じられているため、周囲を回って行くしかない。
国家の中枢である執政棟と、城の使用人達が寝泊まりする寄宿棟の前を通り過ぎる。
やっと目的の建物が見えた。
「う……ッ!」
酒とは別の原因で、シアンは苦々しく呻いていた。
一見、何の変哲もない営舎である。
だが、シアンにはさまざまと感じられた。
その建物全体から発せられる、おびただしく、そして強烈な…………女傑の瘴気。
女傑の巣窟、女傑の要塞、女傑の万魔殿…………
棟の入口を目前にして、シアンはまったく進めなくなっていた。
都合よくミラウラか、せめてウィリアミナでも通りがからないだろうか。そうすれば、マオの居所とイリーズの容態くらいは聞けるだろうに。
しかし、そんな嬉しい偶然が期待出来る時間帯でもない。
諦めようとかと思った矢先だった。
よく見知った顔が、入口から歩道へと姿を現した──それも、予想外の人物が。
ありふれたローブ姿に、深く被られたフード。
だが、わずかな隙間から見える鮮やかなブロンドと、優雅な足の運びは見間違いようもない。
「王女様」
衛隊棟から離れたところで、シアンはその背中に声をかけた。
驚いて身を翻したフルレラだったが、相手が分かると安堵の息を漏らした。
「シャロン様でしたか。このような夜更けに、ここで何を?」
「マオを探しているのです。御存知ありませんか?」
「マオを? ウィリアミナが申しておりました。先だって訪ねてきて、イリーズ隊長と話をしたようですが、すぐに帰ったと」
胸騒ぎが形を持った不安となって、シアンの心の中に膨れ上がってくる。
「そうですか。失礼ですが、王女様も隊長のもとへ?」
「はい。中には、入れては貰えませんでしたが……これから王居へ帰るところです」
「そうでしたか。宮中とはいえ夜道は危のうございます。随伴をお許しください」
「よしなに」
フルレラが右手を差し出し、シアンは跪いてその甲に口づけした。
マオを捜さねばならないという焦燥はあったが、イグニスが野放しになっている以上、王女を一人にするのも危険だった──というのは、半分建前である。
(マオは心配だが……これを逃すのは……男じゃないッ!)
天使のごとき美少女の肌の香りを、胸一杯に吸い込むシアンだった。
しかし下心で得た至福など、底の浅いものである。
王女と同行することで、歩くのは必然的に歩道となる。
つまり、警備中の親衛隊員たちと至近距離で擦れ違わなければならなかったのだ。
フルレラに礼をする彼女たちから向けられる「なんで王女様と一緒なの?」と言わんばりの好奇と猜疑の視線を、意地と虚栄心で耐えきる。
しかも、その直後には────
「こちらで結構、シアン殿。ありがとうございます」
王女との同道は、もう終わりを告げていた。
国族の居宅である王居棟は、衛隊棟の隣にあるのだ。
距離にして、五〇メートル程度である。
「これより先は、王とその家族以外の立入りが禁じられておりますゆえ」
そう言われては、シアンとしても素直に引き下がらざるを得ない。
「王女……明日の試合を楽しみにしております」
「お受けくださったことに御礼を申し上げます。では、これで」
礼をして別れを告げ、王女は重厚な扉の裏へと消えた。
シアンも踵を返して立ち去ろうとした。
だが、ふっと、ある好奇心が沸き上がり、上を仰ぎ見た。
棟の最上階──三階から、大きなバルコニーが突き出している。
(王の部屋……か)
シアンは膝を曲げるや、ひと息に跳び上がった。
両手が、地上から七メートル離れたバルコニーの柵を掴む。
魔族のような恐るべき跳躍力である。予選で敵群を一気に跳び越えただけのことはある。
ヒトの域を遥かに超えた瞬発力の生み出し方もまた、師のファン=シアンから授かったものである。
素速く身体を持ち上げて柵を越え、シアンは音もなくバルコニーの床を踏んだ。
部屋の中へと通じる戸は開かれ、レースのカーテンが夜風に靡いていた。
王の居室に無断で侵入など、死刑も免れぬ蛮行である。
しかし、本戦出場者とはいえ、一介の旅人にすぎないシアンがメガロニア王に逢うにはこの方法しかない。
それに、衆目のあるなかでシャロンとして見えるわけにはいかない理由が悪かった。
ぐらり、と視界が揺れた。
(酒が……抜けきっていない……)
指でこめかみを揉み、深呼吸をして眩暈を抑える。
「そこをどいてくれんか? 星が見えん」
突然、部屋の中から発せられた声にシアンは身を震わせ、自らの不注意を恥じた。
カーテンを払いながら、ゆっくりと足を踏み入れる。
思いのほか質素な室内だった。中央に大きなベッドが鎮座しており、初老の男が身を横たえていた。
くすんだ金髪……豊かな髭……土気色の顔……痩せた頬……
しかし病床にありながら、その眼にはニギエラ王子、そしてヴランティール公爵をはるかに超える威厳と意思力が宿っている。
攻撃的ではない、だがこちらの一挙一足を見抜いているかのような達人の眼だ。
それがメガロニア王、ラルフ・ヴァン・メガロだった。
シアンは窓辺から、寝台の脇へと歩を進めた。
その間、王は窓の外に広がる星空から、まったく眼を離さなかった。
「ラルフ王とお見受けいたします。夜更けの無礼をお許しください」
王の枕元で、シアンは膝を折った。
「奇妙な客人だな。音も殺気もなく現れた。よもや死神ではあるまいな」
「私の名はシアン・ルーン。ファン=シアンの弟子でございます」
「お、おお……!」
それまで超然としていた王が、唐突に声を震わせた。
「ファン=シアン様の……まことか……?」
「我が武の技よりほか、証しになるものはございません。師とも二年前に別れたきり。王が師に逢われたというお話も、ニギエラ王子よりお聞きした次第。ですが、この身命に賭けまして」
「そうか……あの御方に御弟子殿がおられたか。ファン=シアン様はこの命をお助けくださった方。その御弟子殿がまた、この国難の時においでになったとは……」
王は早くも涙声になっていた。それがラルフ・ヴァン・メガロの、ファン=シアンに対する憧憬と尊敬の大きさの表れなのだろう。
その様子に、シアンはただ心を打たれた。
(師よ……あなたは、やはり素晴らしい方です)
危険を冒してまで王の居室に忍び込んだのは、これが理由だった。
己の過去をついぞ語らなかったファン=シアン。
その師がかつて何をして、誰と関わり、どう思われてきたか。どうしても、それが知りたかったのだ。
「シアン・ルーン殿。どうか、この死にぞこないの頼みを聞いてくださらんか」
王の態度は、当初とは別人のように遜っていた。
「……兄君のことでしょうか?」
「流石に御存知か。左様です。しかし恥ずかしながら、今ひとつ──愚息のことを」
「王子の……?」
右腕になってくれ、ということであろうか。それは出来ない相談だった。
シアンには一国に留まる気も、まして国政に関わる気もない。
今回の大会出場の件とて、公爵を野放しにすれば無為な戦や恐怖政治で、内外に不幸が蔓延すると感じたからである(半分はフルレラ王女への惚気だが)。
終われば、また旅に出るだけだ。
「どうか、あやつを王として恥じぬ男に……」
「ご安心ください。王子は潔白過ぎる方ですが、王の器をお持ちです」
「ええ、傍目にはそう見えるでしょう。しかし、息子には重大な秘密があるのです。あやつに惚れ込んでおる親衛隊長はおろか、妹のフルレラすら気づいていない秘密が……! 儂があやつの戴冠を急ぐのも、放っておけば愚兄に嗅ぎつけられ、失脚の道具にもされかねんがため。あまつさえ、最近では司祭長と密談を繰り返してなにかを企んでいる様子……」
シアンは黙り込んでしまった。
ラルフ王の言葉を、にわかには信じられなかった。
旅を続けてきた経験上、悪人を見分ける眼には自信がある。しかし、どう斜に構えて見ても、王子の言動から邪悪な意志は感じ取れない。
「その秘密とは……?」
「そう、ニギエラのやつは……お────」
王が核心に触れようとした、その時だった。
部屋の扉が勢いよく開かれるや、禍々しい殺気が襲いかかってきた。
素速く窓際へと退いたシアンの耳元で、鋭利な光が空を裂く。
鈎鉄甲──そして、その腕の根元では────
「うぐ……ッ!」
たちまち、吐き気と目眩がシアンを襲った。
腕の根元では、半分以上剥き出しになった大きな胸が揺れていた。
(何故、こいつがここにッ!?)
最悪の相手だ。
イグニス──その顔は再び、偽りの面によって隠されている。
「シアン・ルーン殿……ッ!」
叫ぶ王を背にしてイグニスが立ち塞がり、両手の爪をシアンに向ける。
拒絶反応を堪えてシアンも構えを取る。
だが頭に靄がかかったようになり、意識がふっと遠退いた。
恐怖症だけではなかった。酒の影響がまだ残っているのだ。
「ぐッ!?」
腹に鈍痛が来た。
イグニスの長い足が、無防備な腹に蹴り込まれていた。
体が宙に浮き、シアンはそのまま真後ろへと吹き飛んで────
(あ、やば……ぃッ!)
バルコニーの柵を越えた。
さきほど飛び上がったぶんに柵越えが加わって、地面まで九メートル。
腹部の痛みと拒絶反応の残響に耐えながら、身体を回転させて歩道に着地する。
「む! そこにいるのは誰だ!?」
遠くの暗がりで女が叫んだ。
運悪く、夜警の親衛隊員に見つかったのだ。
警笛が星空に上がり、何人分もの鉄の靴音が迫ってくる。
こうなっては前門の虎、後門の狼──否、前門の女傑、後門の女傑である。
おまけに頭は酔いと着地の衝撃が合わさって締めつけられるように痛み、女装は中途半端。
ラルフ王の身が気がかりだとしても、今のシアンには気配を消して逃げる以外に術はなかった。
それに、襲撃はされたものの、イグニスの目的は王の暗殺ではあるまい。あれだけ巧妙に気配を消せたのならば、わざわざ自分と相見える理由がない。
ならば、なぜ襲ってきたか────そこまでは分からなかったが……
「『ご主人は女傑恐怖症』は裏話コーナー!」
「ちなみに今タイトルコールしたの姐御だぜぃ」
「文字だけじゃどっちがどっちか分からん」
「それにしても今回の更新、またずいぶん間が空きやしたね」
「うむ、実は今節の最後、私が逃げたところでシーンをひとつ加筆するかしないかで随分となやんだのだ」
「で、結果は?」
「しなかった」
「またなんで?」
「ある展開に関する伏線を張っておこうかと思ったのだが、どうにも蛇足な感が強くてな」
「ちなみにどんなシーンだったんで? 教えられる範囲で」
「ニギエラ王子に遭遇する」
「なに貴様! 私を差し置いて!」
「どうどうどう姐御、ボツったんだからいいじゃねぇかい」
「ええい私は馬ではない! ゴリラでもないからな!」
「ああー先に言っちゃいやぁーん。ネタ潰さないでぇー」
次回予告!
夜の狂気は朝日とともに消えるものか。
それとも太陽への渇望が人を狂わせるのか。
肉体を蝕む魔との死闘の果てになおも立ち上がるイリーズ。
不安と焦りを抱え込むシアンに、殺意の剣を向ける王女。
愛ゆえの憎悪が渦巻き、アリーナの中で、外で、闘いは激化してゆく。
そして、マオを救うために動き出したミラウラの思惑は……?
次回『ご主人は女傑恐怖症』第八章……
『主人と従者と二回戦』……
捻りのないタイトルは、濃くなるシナリオへの反動なのか……?




